東京都荒川区町屋 土日曜のみ開館
開館時間:(3月~10月)12:00~18:00 (11月~2月)11:00~17:00

ぬりえ美術館

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その時々の館長「金子マサ」の思った事、考えた事などを紹介しています。

ぬりえ美術館便り 8月~10月合併号

2022年8月3日で、ぬりえ美術館は開館20周年を迎えました。これも偏に皆様方のご支援の賜物と心より御礼申し上げます。


ぬりえ美術館20年の歩み

1.2002年8月3日開館
日本でも世界でも初めてのぬりえ専門の美術館として、町屋に開館。館長はきいちの姪で、ぬりえ美術館は館長である金子のプライベート美術館でございます。
開館当初は様々なぬりえ作家の作品を展示しておりましたが、ぬりえ=きいちという声が多く、自然ときいちのぬりえを展示する美術館になりました。


2.ぬりえに関する研究書の出版
ぬりえの美術館を開館したなら、ぬりえについて研究をしていかなければならない、という思いで、ぬりえに関する研究書を共著にて4冊出版いたしました。
2005年「ぬりえ文化」、2006年「ぬりえの心理」、2007年「ぬりえを旅する」、2010年
「ぬりえの不思議」です。


ぬりえの歴史や海外の幼稚園でぬりえがどのように扱われているのか等を書いております。大学生などがぬりえを研究する際には、「ぬりえ文化」を参考にされている、と取材にいらした新聞記者さん伝えに伺い、お役に立っていると嬉しく思いました。


3.海外でのぬりえの展覧会開催
2002年ころは日本のアニメや漫画が海外で大人気となっていました。「ぬりえ」も日本の文化のひとつではないか、と思っていましたので、是非海外で展覧会を開催したいと思いました。
2006年アメリカ・ニューヨーク、2007年ドイツ・カールスルーエ、2008年フランス・
パリ、2009年アメリカ・ニューヨーク、2010年フランス・パリと5年間展覧会開催をいたしました。


アメリカでは、「ポップ!」という評価、フランスでは、日本のお客様が発する感想と同じ感想をいただき、可愛さ、繊細さ、情緒的な面などが評価されました。


4.サロンの開催
ぬりえの展示のほかに、美術館の中でサロンを開催しました。
「ぬりえサロン」、「童謡の会」、「山岡鉄舟研究会」、「山本塾」等、ぬりえから経済まで講師をお呼びして、参加者の方々と交流いたしました。


5.マスコミ関係
新聞、雑誌、テレビなど開館当初から取材をしていただき、荒川区では一番マスコミに取り上げられたのではと思います。そのお陰で広く認知されることとなり、来館していただけたことは本当にありがたいことでした。


6.その他
1)ぬりえ美術館の入館券は、入館者数をナンバリングした部分を切り取っていただくと絵葉書となるような作りになっており、来館者の方には喜ばれています。


2)引き出し式の展示什器は、ぬりえ美術館のオリジナルです。小さい美術館ですので、
この引き出し式什器を用いることにより、より多くのぬりえ作品を見ていただくことができます。


3)来館者は、7月30日現在24120人です。開館日は当初の土日・祝日から土日のみにになりましたが、大勢のお客様に来ていただき、本当に心より御礼申し上げます。

 
現在ぬりえ美術館開館20年の記念誌の発行を検討しております。制作が閉館後となりますが、完成の暁にはご案内をいたしますので、しばしお待ちくださいませ。


秋の企画展のテーマは、「ありがとうきいち 秋」~きいちのぬりえ 永遠なれ~といたしました。20年のぬりえ美術館の活動が終わっても、きいちのぬりえが皆様のこころの中にあることを願って、“永遠なれ”、といたしました。
きいちのぬりえに描かれた女の子の可愛さ、ファッション、流行、風俗等が昭和の一時代を築いたぬりえ文化として生き続けていきますことを希望しています。


2022年も世界的にコロナという感染症に見舞われ、厳しい環境ではございますが、皆様方のご健勝とご多幸を心よりお祈りいたします。


長い間のご支援、本当にありがとうございました。(館)

Posted: Nurie : 22年08月10日

美術館便り3月~5月合併号

令和4年春の企画展
「ありがとう きいち 春」~きいちの春は花のいろ~
蔦谷喜一が晩年に描いた童女画の絹本を展示いたします。

2022年3月5日(土)~5月29日(日)

ぬりえ美術館は、8月で開館20周年を迎えます。20周年をもって10月末に閉館いたします。

今年の春の企画展では、喜一の晩年の童女画を展示しています。童女画について、きいちは小学館発行の「わたしのきいち」の中で以下のように語っています。


<ずっと美人画をめざしてきたが、最近美人画は余技だとわかった。これからは童女の絵を中心に描いていこう、八十歳をすぎて、ようやくその覚悟ができました>


喜一がせっせと描き続けた童女百態シリーズの絵は個展などを通して多くの喜一ファンの手元へ渡っていった。その数は優に百枚はこえると思われるが、それでもまだまだえがきたりないと言う。
「童女のもつ愛らしさとかやさしさとか、また色彩という面ではかなり満足できるものにしあがっていると思うんです。しかし問題はデッサンです。どうしてもデッサンがうまくいかない。」
3頭身の童女の絵にも厳密なデッサンは必要なのだ。


あれほど美人画に憧れ、いつかは美人画だけを描く画家になりたいと思いを募らせてきた喜一だが、八十歳を過ぎて、童女画こそ自分の取り組むべきテーマであることに気付いたようだ。
 

「美人画は描いていて楽しいし、これからも続けていきたいと思いますが、でも、自分の生涯の仕事として全うするものじゃないと最近思うようになりました。それに、私が描かなくても、ほかにいくらでも描く人がいる。だから今後は美人画については余技でやっていこうと考えています」


まわりの評価はともかく、同じ表情の童女画を毎日毎日描き続けることからするなら、ひとつの作業を積み上げるという点で、アーティストより職人というほうが自分にふさわしいと思うこともある。


「父親の郷里に伝わる津軽塗りは、何度も何度も色を重ねていくことで、意外な風合いが出て、それはそれでとてもいいものです。でも、何回も色を重ねる作業といったら大変なもので、それを洒落でね、ばかにならなくちゃできないからと、“ばか塗り”なんて読んだりもするんですね。私の絵もこれに近いかなと思うことがあります。八十を過ぎても飽きもせず女の子の絵ばかり描いているなんて、変わり者で、ばかだと思われるかもしれない。でも、私自身が楽しく、喜んでくれる人がいるなら、ばかにだってなれる。やり続ける意味は十分にあると思うんです」


「今日あるのは、ぬりえのおかげなんですけどね、逆にぬりえに翻弄されて、一生分を遊んでしまったかなと思うことあるんですよ。もっと、その遊びがなかったら、ここまで童女の世界に固執できたか、そのへんはわかりませんけどね」


「昔から、悠久の雲に乗ってふわふわ飛んでいくみたいな、そんなことを想像するのがとても好きだった。だから、これから精いっぱい絵を描いて、最後は天使たちに迎えられて、ふわふわした雲に乗っていくようなのがいいと思っているんですよ。そう考えると死ぬことも、また楽しいという感じ。こんな最後が一番自分にふさわしいと思うんです」


昭和20~30年代のぬりえから、晩年は絹にぬりえのような女の子を描く童女画へと変化をとげた喜一。
ぬりえに翻弄された、という言葉もでてきましたが、美術館を訪れる来館者の言葉を聞いていると、あの時代にあのぬりえがあったから心が温かく、満たされた、ときいちに感謝し、満足されている方々はほとんどです。


あの当時、あの時代の過去のものとしてとらえるのでなく、自分の作品が当時の子ども達にどれほどの影響を与えていたかを考えてもらえば、翻弄されたとはかんがえる必要なないと思います。
ぬりえが流行していた時代の中で、きいちのぬりえだから、きいちだけしかできなかったぬりえのすばらしさをあると考えています。



ぬりえ美術館は今年20周年を迎えますが、20周年をもって閉館の予定でございます。10月までは、きいちのぬりえの魅力を精一杯ご紹介していきたいと思います。

引き続きご支援、ご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 22年03月05日

2月の美術館便り

今年もコロナのオミクロン株が猛威をふるっています。昨年末には急速に感染者が減少していましたので、これからは大丈夫かしらという希望が打ち砕かれてしまいました。引き続きマスク、手洗い、密をさけ換気をする、ということに留意していきましょう。


今月の展示室のぬりえのご紹介をしていきたいと思います。
展示ケースは4つのパートに分かれて以下の4つのテーマのぬりえ作品を展示しています。
1. 冬景色
2. 童話の主人公
3. 昭和20~30年代のペット
4. 昭和10年代のフジヲ時代のぬりえ


1.冬景色
今年1月早々に雪がふり積もりました。雪が積もるときは、こんこんと、という言葉がありますが、まさに1月6日の夜はこんこんと降って、当初5センチと言われていた雪が10センチ近くにもなりました。
昭和20~30年代はもっと寒くて、東京でも雪が降りました。そんな雪の頃には女の子であれば“雪うさぎ”を作ったりしたものです。お盆に積もった雪のきれいな部分の雪をお盆に盛って、形をつくり葉っぱの耳、南天の赤い実で目を作り、楽しんだのでした。

冬の居間には大きな火鉢や炬燵で暖をとりました。庭にでれば、落ち葉を集めてたき火をして、時にはたき火の中にさつまいもを入れてやきいもを作ったり。今ではたき火も火鉢も都会では見ることができなくなりました。


2.童話の主人公
きいちは戦後ぬりえを始める前に絵本作家になりたいと絵本を何冊か作っています。そのせいでしょうか、ぬりえの中に、絵本的に物語のぬりえを作っています。「シンデレラ」「おやゆび姫」
「しらゆき姫」「かぐや姫」「桃太郎」「おやゆびトム」等など。
 ぬりえの主人公は女の子がほとんどですが、桃太郎、おやゆびトムやピーターパン等男の子のぬりえも描いています。 アニメ等でディズニーの主人公になれていますが、きいちの描く童話の主人公も可愛いと思いませんか。

3.ペット
ペットは何と言っても当時流行していた犬のスピッツが多く描かれています。雑種の犬を飼う家が多かったですが、急にスピッツが人気になりました。私が子どもの頃住んでいた埼玉の田舎の付近では、どの家も猫と犬の両方買っている家が多かったように思います。猫はねずみを食べてくれるので、猫を飼っていたのです。
最近は犬、猫などペットブームですが、あなたは猫派?それとも犬派?
 
犬、猫以外には手乗り文鳥やカナリア、インコなどの小さい鳥も人気となり飼われていました。私の家では、祖父がカナリアを小屋を作って育てていました。羽根の色を美しくするため、と言って人参を擦って餌として食べさせる等して、大事に飼っていたのを覚えています。


4.昭和10年代のフジヲ時代のぬりえ
昭和10年代、きいちはペンネーム「フジヲ」でぬりえを描いていました。「フジヲ」という名前は「虞美人草」の主人公の名前からとったそうです。カタカナで書けば、男性の名前としても通用しますね。ぬりえ美術館にいらしたお客様が、「フジヲ」がきいちと分かって、自分の知っていたフジヲがきいちだったんだ、と喜ばれる方が多いです。

昭和10年代のぬりえでは、歌舞伎調のぬりえがありますが、大変細かく描かれていてこれにぬりえをするのかしら、と思ってしまうほどですが、寄贈されたぬりえなどにはちゃんと色がついていますので、当時はぬりえはこういうもの、として認識されていたのだと思います。
サイズの大きい物があるのもこの時代の特徴の一つです。当時としても大きいものは値段が高かったと思いますが、大きいと見ごたえがありますので、きっとファンがいたことと思われます。

ぬりえは、まだ戦後のきいちのぬりえには似ていませんが、足が太いところだけは、そのまま残っているようです。

 
3月~5月は、春の企画展となります。 れからも4つのテーマで、きいちのぬりえの魅力をお伝えしていきますので、お楽しみに。(館)

Posted: Nurie : 22年02月15日

1月の美術館便り(1)

新年明けましておめでとうございます。 昨年は何度が休館を余儀なくされた時期がございました。難しい環境ではございますが、少しでも開館でき、展示を楽しんでいただける時間が続きますよう、心から願っています。今年もご来館をお待ちしています。


毎年秋の恒例となっております「ぬりえコンテスト」、昨年10月に開催し、第12回目を数えることになり、104作品が集まりました。 応募をいただきました皆様がたには心より御礼をお申し上げます。
優秀作品、ならびに次点作品は12月4日(土)よりぬりえ美術館のホームページにて公開をしておりますので、是非ご覧いただけましたら幸いです。又昨年はぬりえコンテストを告知しております東京新聞には優秀作品を掲載してご紹介をいたしました。


応募をいただきました方のコメントから、“子どもの頃のぬりえの思い出”ならびに“コンテストの感想”をいくつかご紹介をさせていただきます。


京都市 秋葉洋子様 70代
■子どもの頃のぬりえの思い出
・幼少のころ、10円のおこづかいを握りしめ、駄菓子屋さんの天井からぶら下げられていた「ぬりえ」を買っていたのを思い出します。確か、5枚セットになったものだったと記憶しています。自宅から幼稚園が遠く、通うことができず、ぬりえをして時間を過ごしていた思い出があります。


●コンテストの感想
・久しぶりに「ぬりえ」を楽しみました。わかりにくいと思いますが、背景をグラデーションにしてみたり、ドレスを華やかな色で採色してみたりと、自分なりに工夫してみました。新聞に掲載されていたものをコピーしましたので、裏文字が映ってしまいっていて残念です。でもがんばって完成させました。
コロナが落ち着いたら、「ぬりえ美術館」を訪問したいと思います。きいちが描く女の子は、今みてもかわいいですね。

東京都 本多晶様 80代
■子どもの頃のぬりえの思い出
・はるか遠い昔(きいちのぬりえ)はまるで夢の世界でした。仲良しのお友達とお互いに足りないクレヨンを貸し合いながら、それはていねいに仕上げましたネ。出来上がったぬりえをカベに並べておやつを頂きながら眺めた幸一杯の時代でした。その時代のお友達も一人を残して皆お先に旅立って行かれて・・・


●コンテストの感想
・コンテストの記事を目にしまして、87才になった記念に天国の幼友だちを思って勇気を出して参加させて頂くことに致しました。



千葉県 矢澤むつ子様 年齢不明
■子どもの頃のぬりえの思い出
・子供の頃、母が買って来てくれたぬりえを二つ上の姉とコタツに入ってそめていました。
(山形県生まれ)(電気がくらいので、日中そめてました)


●コンテストの感想
・今は高齢者住宅で週二回デーサービスのぬりえを頂いてそめるのが楽しいです。


東京都 矢崎克子様 70代
■子どもの頃のぬりえの思い出
・なんと懐かしいぬりえを又出来るとは、嬉しいでした。・・・・普段の様子のぬりえの中の少女の姿は、私達とは違って、とてもオシャレな服と髪型です。この子の世界に入って一緒に遊べている楽しい時間でした。又沢山のお姫様と会えるのも嬉しい事でした。


●コンテストの感想
・今の時代でも、この無邪気な可愛らしい子供の姿が見られる事、とても嬉しいです。・・・このような純真な子供の姿は大切にしたいです。この企画のおかげで、いろいろ思い出せて嬉しいです。


東京都 三上朋子様 80代
■子どもの頃のぬりえの思い出
・こどもの頃いつも(きいちさんのぬりえ)をして楽しみました。雨が降って皆と外で遊べなくても家でぬりえをするのが楽しみでした。


●コンテストの感想
・今もきいちさんのぬりえを楽しむことができ、ほんとうにありがたくうれしいです。


茨城県 小林友子様 50代
■子どもの頃のぬりえの思い出
・子供の頃からぬりえが好きで当時新しく発売されたクーピーを母親にだまって買ってしまい(おこづかいをためていた)とても怒られた記憶があります。


●コンテストの感想
・童心に戻ってとても楽しいです。ずっとコンテストを続けて欲しいです。ぬりえ美術館にも是非行ってみたいです!


葉県 服部則子様 80代
■子どもの頃のぬりえの思い出
・目を閉じて記憶を辿ってみました。5才頃でしたでしょうか。夕食の終わった、小さいちゃぶ台でした。うす暗い裸電球でした。「新しいクレヨン」と「かわいい女の子の絵」で、ワクワクしていっしょうけん命に塗っていた自分を思い浮かべます。
傍らには、いつも、編み物をしている母がいました。終戦後間もない生活のきびしい時だったと思います。昔の映画の「ワンシーン」のように思います。セピア色です。70数年を経て、引き出しの奥にある古い色鉛筆が、今回、再び東京しました。


●コンテストの感想
・20日程前、「東京新聞」で偶然目に留まりました。一応切り抜き、体調が許せば、応募したいと思っていました。幸い、応募させていただくことができました。(初めてで、ドキドキしています)


東京都 小梶恭子様 50代
■子どもの頃のぬりえの思い出
・当時は駄菓子屋さんで何枚かが大福帳のように天辺にひもを通して綴ってあったと記憶しているのですが・・・ 近所の仲良しの子とお互いの家を行き来しぬりえで遊んでいました。


●コンテストの感想
・ぬりえコンテストを知り”やってみたい”とトンボの色えんぴつを買いました。次回も宜しくお願いいたします。


新聞の告知広告から、遠い昔に思いを馳せ、コンテストに参加してくださった皆様。本当にありがとうございました。小さい頃のぬりえの思い出からお母さん、お婆さんまで思い出が広がって、それも又楽しい時間であったことと思います。


このコロナのために自粛する生活のなかで、改めてぬりえの魅力に気が付かれた方も多いようです。きいちのぬりえの少女は今も健在です。(館)

Posted: Nurie : 22年01月08日

美術館便り 秋の企画展 10月~12月号 (2)

シンデレラひめ

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平成14年(2002)にぬりえ美術館開館のお祝いにきいちより
進呈された絹本である。
ぬりえ美術館は「ぬりえ」を展示する美術館であるので、この絹本は色を使わずモノクロで描かれている。






出雲の阿国

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きいちは、若い頃より歌舞伎を好み、娘が生まれてからは娘を日本舞踊に通わせるなか、自身も“ミイラ取りがミイラになる”となり、日本舞踊の名取にまでなっている。

出雲の阿国は安土桃山時代の女性芸能者で、ややこ踊りを基にしてかぶき踊りを創始したことで知られている。





およめさん

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ぬりえにも花嫁さんが数多く描かれた。当時の女の子の
憧れが花嫁さんであったからだ。
身近に見る女性で一番華やかで美しいのは花嫁さんであったので、憧れの対象になったのであろう。
絹本にも花嫁さんやお仲人さんの着物の柄を変えて、花嫁さんが描かれている。





エンゼル

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晩年きいちは、エンゼルが好きになり、エンゼルの絵を描くようになった。






これらの絹本の他に、ぬりえ類は「花嫁さん」、「歌・踊り・楽器」、「浴衣姿」、「夏の遊び」を「テーマにした作品を、展示室中央の什器に展示をしております。


晩年の絹本とぬりえをどうぞごゆっくりご覧ください。

Posted: Nurie : 21年10月02日

美術館便り 秋の企画展 10月~12月合併号 (1)

令和3年秋の企画展
「秋は夕暮れ」~夕日の差して山の端いと近うなりたるに~
蔦谷喜一が晩年に描いた童女画の絹本を展示いたします。


緊急事態宣言のため、休館をしていましたので、秋の企画展は2021年10月2日(土)~12月26日(日)となります。


きいちは子どもの頃から得意なことと言えば、絵を描くことだったが、絵描きを目指すきっかけになったのは、上野の美術館で帝展を見たときのことであった。たおやかに舞う女性を描いた
山川秀峰の「素踊」に心を奪われたからである。山川は鏑木清方の弟子で、伊藤深水の兄弟子に当たる人物。細やかな描写に加え、女性の豊かさを清潔な色香が匂いたつような作品に心底見せられてしまった。と同時に、それまでくすぶっていた自分の夢がハッキリと姿を表したような気がした。


彼が目指したものは「美人画」である。あるいは高畠華宵のような売れっ子の挿絵画家である。
そこで喜一は、勉強の場に、文京区春日にあった川端画学校を選んだ。当時川端は絵を学びたいという人を受け入れる一方で、芸大志望者がデッサンを学ぶ美術学校進学への予備校的存在でもあり、基礎を徹底して学ぶには絶好の場だった。
 

川端画学校を3年ほどで卒業すると、今度は有楽町の日劇の前にあるクロッキー研究所に通いはじめる。クロッキー研究所は、裸婦デッサンを中心に訓練する場で、プロとして活躍する人を対象とした学校だった。きいちはここに夜間だけ行って、7~8年通い続けた。


昭和15年、きいちが26歳の時、ぬりえとの出会いがある日突然やってきた。「川端時代の友人で、画学校を途中でやめて家業の製本屋を継いだ男がひょっこりやって来て、“ぬりえの仕事を持って来てやったよ。”」とこれできいちのぬりえが始まった。その当時は、虞美人草の主人公の名前から名付けた「フジヲ」で描いた。


戦後「きいち」の本名でぬりえを描き始めたのは昭和22年である。戦争が終わり、子どもたちにも自由がやってきた。子どもたちが喜ぶ、可愛いぬりえ、美しいぬりえをきいちは毎月発表していった。何十人もいるぬりえ作家の中でも、きいちは格別に可愛い女子の絵と、子どもたちが憧れる素敵なファッションを提供して、子ども達の絶大な人気を得ていくのである。

そんな生活は昭和40年代ころまでつづき、テレビが生活の中心となり、テレビの中でアニメが見られるようになると、いつしか動きの無いぬりえは子ども達に忘れ去られていくのである。


昭和47年、グラフィックデザイナーの長谷川義太郎が同僚のきいちファンとともにきいち宅を訪ねてきた。突然訪ねてきた長谷川たちにきいちは、“今は日本画家として肖像画などを描いている”と言うと、老人の肖像画を見せた。ある会社からの依頼で、社長の肖像画を描いているとうことだった。


これを機に長谷川は、忘れ去られようとしていたきいちの存在を世の中にアピールしようと動き始める。昭和53年の資生堂ザギンザホールでのぬりえ展や、当時若者に人気だった雑誌<ビックリ・ハウス>主催のアート展に、常連アーティストに混じって、きいちも数々の作品を発表した。作品展が各地で開催され、広告にも使われたり、テレビの出演などが続いた。

 
「第二のきいちブームといわれて騒がれて、でも、私としては次なる目標が欲しいと思っていた時に、ヒントを与えてくれたのも、長谷川さんでした。私を表舞台に引っ張りだしてくれた以上、私のほうも自分から自信をもって表にだせる作品を描いていかなくてはならない。それで、少女の姿を絹絵に描く童女百態シリーズに取り組もうと決めたんです」


美人画を勉強し美人画家を目指したきいちだが、ぬりえを20年以上描いていたことから晩年は童女の姿を絹本に描くことにした。それが童女百態シリーズである。
 

今回はぬりえ美術館が所蔵する童女画と美人画の絹本をご覧頂きます。

Posted: Nurie : 21年10月02日

3月の美術館便り(2)

《弥 生》
P1190010-640.jpg長唄「鏡獅子」の中の御小姓の弥生が正月六日のお鏡曳きの余興に、上様の御所望で踊ることになる。
舞が最高潮に達し、弥生が獅子頭を手にすると、どこからともなく蝶が飛んできて、獅子頭は蝶を追ってひとりでに動き出す、という場面を描いた美人画。
この後、弥生は獅子の精となり、勇壮な姿を見せ、獅子の毛ぶりを見せる。
日本舞踊が好きであったきいちならではの作品である。


《桃子ちゃんのはごいた》
P1210020-640.jpg小学館発行の「わたしのきいち」の表紙につかわれた絵である。


《桃子ちゃんのおひなさま》
P1220033-640.jpg続けて、桃子ちゃんのために描いたおひなさまの絹本。


《春よこい》
P1220035-640.jpg着物に赤いちゃんちゃんこを着た幼子。春が待ち遠しくて外にでてきたのでしょうか。


《桃子ちゃんのなでしこ》
P1220037-640.jpg



《おけいこび》
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《はくちょうのおうじ エルザひめ》
P1220041-640.jpg「白鳥とエルザ姫」
魔女の呪いで、白鳥にされてしまった11人の兄王子をたすけるため、妹のエルザ姫がイラクサ(トゲがいっぱいあるくさ)を紡いで、11人分のシャツを編んで兄を助けるというアンデルセン童話「白鳥の王子」。



これらの絹本の他に、ぬりえ類は春をテーマにした「花、桜」、「ペット」、「遊ぶやスポーツ」、「お人形」をテーマにした作品を、展示室中央の什器に展示をしております。


きいちのぬりえと晩年の絹本をどうぞごゆっくりご覧ください。

Posted: Nurie : 21年02月28日

3月の美術館便り(1)

令和3年春の企画展

「春はあけぼの」
~やうやう白くなりゆくやまぎわ~
蔦谷喜一が晩年に描いた童女画の絹本を展示いたします。

2021年3月13日(土)~5月30日(日)

きいちは子どもの頃から得意なことと言えば、絵を描くことだったが、絵描きを目指すきっかけになったのは、上野の美術館で帝展を見たときのことであった。たおやかに舞う女性を描いた。

山川秀峰の「素踊」に心を奪われたからである。山川は鏑木清方の弟子で、伊藤深水の兄弟子に当たる人物。細やかな描写に加え、女性の豊かさを清潔な色香が匂いたつような作品に心底見せられてしまった。と同時に、それまでくすぶっていた自分の夢がハッキリと姿を表したような気がした。

彼が目指したものは「美人画」である。あるいは高畠華宵のような売れっ子の挿絵画家である。

そこで喜一は、勉強の場に、文京区春日にあった川端画学校を選んだ。当時川端は絵を学びたいという人を受け入れる一方で、芸大志望者がデッサンを学ぶ美術学校進学への予備校的存在でもあり、基礎を徹底して学ぶには絶好の場だった。
 
川端学校を3年ほどで卒業すると、今度は有楽町の日劇の前にあるクロッキー研究所に通いはじめる。クロッキー研究所は、裸婦デッサンを中心に訓練する場で、プロとして活躍する人を対象とした学校だった。きいちはここに夜間だけ行って、7~8年通い続けた。

昭和15年、きいちが26歳の時、ぬりえとの出会いがある日突然やってきた。「川端時代の友人で、画学校を途中でやめて家業の製本屋を継いだ男がひょっこりやって来て、"ぬりえの仕事を持って来てやったよ。"」とこれできいちのぬりえが始まった。その当時は、虞美人草の主人公の名前から名付けた「フジヲ」で描いた。

戦後「きいち」の本名でぬりえを描き始めたのは昭和22年である。戦争が終わり、子どもたちにも自由がやってきた。子どもたちが喜ぶ、可愛いぬりえ、美しいぬりえをきいちは毎月発表していった。何十人もいるぬりえ作家の中でも、きいちは格別に可愛い女子の絵と、子どもたちが憧れる素敵なファッションを提供して、子ども達の絶大な人気を得ていくのである。
そんな生活は昭和40年代ころまでつづき、テレビが生活の中心となり、テレビの中でアニメが見られるようになると、いつしか動きの無いぬりえは子ども達に忘れ去られていくのである。

昭和47年、グラフィックデザイナーの長谷川義太郎が同僚のきいちファンとともにきいち宅を訪ねてきた。突然訪ねてきた長谷川たちにきいちは、"今は日本画家として肖像画などを描いている"と言うと、老人の肖像画を見せた。ある会社からの依頼で、社長の肖像画を描いているとうことだった。

これを機に長谷川は、忘れ去られようとしていたきいちの存在を世の中にアピールしようと動き始める。昭和53年の資生堂ザギンザホールでのぬりえ展や、当時若者に人気だった雑誌
<ビックリ・ハウス>主催のアート展に、常連アーティストに混じって、きいちも数々の作品を発表した。作品展が各地で開催され、広告にも使われたり、テレビの出演などが続いた。 

「第二のきいちブームといわれて騒がれて、でも、私としては次なる目標が欲しいと思っていた時に、ヒントを与えてくれたのも、長谷川さんでした。私を表舞台に引っ張りだしてくれた以上、私のほうも自分から自信をもって表にだせる作品を描いていかなくてはならない。それで、少女の姿を絹絵に描く童女百態シリーズに取り組もうと決めたんです」

美人画を勉強し美人画家を目指したきいちだが、ぬりえを20年以上描いていたことから晩年は童女の姿を絹本に描くことにした。それが童女百態シリーズである。
今回はぬりえ美術館が所蔵する童女画と美人画の絹本をご覧頂きます。

Posted: Nurie : 21年02月27日

1月の美術館便り(2)

村杉 典子様
千葉県 50代
《作者からのコメント》
・まさか、50才を過ぎて、ぬりえをするとは思いませんでした。でもコロナウィルスの為、家ですごす時間が多くなり大人もぬりえにはまっていると聞きました。無心に色をぬって、心が癒されるのは分かります。日本のぬりえだけでなく海外のぬりえも展示している、ぬりえ美術館に行ってみようと思います。

《館長からのコメント》
・着物の柄のぼかし方や背景の薔薇の描き方など、とても良かったです。


田中 登志子様
千葉県 50代
《作者からのコメント》
・残念ながら子どもの頃のぬりえの思い出はほとんどありません。
無心で色を重ねているととても楽しいです。この特集を今後も続けてほしいです。

《館長からのコメント》
・着物の色数など多くありませんが、よく纏まっています。ベールのフワフワな雰囲気も良く出ています。水玉の描き方もお上手です。


寺倉 智子様

岐阜県 60代
《作者からのコメント》
・今回も、デコぬりえに挑戦してみました。課題の絵を見て すぐに 背景は 赤い「花嫁のれん」のイメージで と決めました。お振袖は 自分が着てみたかった和柄のオリジナル下絵をつくり、1つ1つ 丁寧に ラメ入りデコペン、アクリル絵の具で描き上げました。シンガポールにいる孫たちにも、完成した作品の写真を ラインで画像送信して見てもらいました。遠く離れていても ぬりえが 共通の話題で 家族がつながっています。
本当に楽しい時間を過ごすことが出来ました。心より感謝いたします。ありがとうございました。

《館長からのコメント》
・「花嫁のれん」を思わずネットで検索してしまいました。着物の柄の作り方も良く分かりました。これなら思い通りの柄が描けますね。いつも発想力には感心しています。


佐藤 順子様
東京都 60代
《作者からのコメント》
・今年は暗い空気の中、色を塗る度明るくなれと願います。ふりそでにベール!ウエディングしかないでしょう。少し前の思い出が蘇ってきました。人生の門出ですね。楽しい時間が持てました。

《館長からのコメント》
・野外のウエディングですね。背景が良く描きこまれています。着物の柄は千代紙でしょうか、貼られていて、豪華な着物になっています。


吉木 好子様
東京都 60代
《作者からのコメント》
・昭和30年代の半ばから後半にかけて幼稚園から小学校低学年だった私は、近所の駄菓子屋さんできいちのぬりえを買ってクレヨンでぬりえをするのが大好きでした。台所のかまどのえんとつにクレヨンで塗ったわら半紙のぬりえをくっつけるとクレヨンがとけて半透明になるのが楽しくてしかたがなかった事を思い出します。

《館長からのコメント》
・印刷する紙を和紙に変えるだけで、随分と印象が変わるものですね。色鉛筆の色の出方まで変わっています。着物の地色に白を使った方はお一人でした。


富塚 節子様
東京都 72歳
《作者からのコメント》
・ホームステイはぬりえに没頭するチャンスでもありますね。着物は柄の色合わせが何通りもあって考えさせられてしまいます。着物にベールという組み合わせも独創的で、すごい脳トレになりました。

《館長からのコメント》
・結婚式場の庭に佇む花嫁さんでしょうか。着物の地色や柄のぼかしがとても良いです。
背景の色合いも着物の色を引き立てています。


寺本 建雄様
東京都 70代
《作者からのコメント》
・65年ぶりのぬりえ。一気に子供ころあのころにもどります。こんなにゆっくり子供頃思い出すことはありませんでした。私達にとってぬりえはゆっくり子供頃思い出すツール。ゆっくりしずかに子供頃思い出しました。
男の子もぬれそうな絵もあるといいな。「きいち」さんの男の子の絵(本物)一枚もっています。

《館長からのコメント》
・金色の使い方がとても良かったので、華やかな着物姿になりました。きいちの名前の短冊の色やタイトルの部分の暈しもとても良かったです。


今年も様々に技巧を凝らした作品が集まりました。それぞれの個性が光った作品だと思います。これからも自宅で過ごす時間が長くなるかもしれませんので、「ぬりえ」を楽しみの一つにしてみてはいかがでしょうか。(館)

Posted: Nurie : 21年01月05日

1月の美術館便り(1)

明けましておめでとうございます。
今年はコロナ禍の中の年明けとなりました。三密、手洗い、ソーシャルディスタンスを実行し、 静かに過ごしましょう。 

さて、昨年10月に実施いたしました第11回ぬりえコンテストの優秀作品を1月9日(土)より展示をいたします。お蔭様で第11回は142通の応募がございました。コロナのため在宅時間が長くなる中、ぬりえが適していたのか、沢山のご応募をいただき大変嬉しく思っております。

厳正な審査の上、優秀作品13点をぬりえ美術館に展示すると共に、優秀作品ならびに次点作品、特別賞の作品をホームページに掲載しておりますので、併せてご覧いただければ幸いでございます。ぬりえコンテストは今年も10月に開催する予定でおりますので、10月のご案内をお待ちください。
今年も「きいちのぬりえ」とぬりえ美術館にご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

今回の優秀作品の方のコメントならびに館長のコメントをご紹介いたします。


木田 ひな様
・鳥取県 20代
《作者からのコメント》
・私はぬりえが大好きでした。"好き"や"わくわく"等を想像を自由に表現でき夢中になれる。大好きな遊びでした。
 この特集は母が「好きそうね。」と教えれくれ知りました。私の100歳のひいおばあちゃんは私が絵や何か表現する姿が大好きなようで 一緒に住んでいた頃は互いに楽しみながら表現をしていました。それを思い出しておばあちゃんの家へ。寝ているのがやっとでもう筆を握っていられないので「このいろどう?」とあれやこれやお話をしながらぬりえを楽しみました。

《館長からのコメント》
・面白いテクニックが沢山盛り込まれたぬりえ作品でした。ベールには白い和紙でしょうか貼られています。白いペンも上手く生かしています。古典的な着物の柄がポップになっったように見え、若い方の作品だなと思いました。

中村 枝利香様 
東京都 30代
《作者からのコメント》
・今回の塗り絵は、将来結婚式で和装がいいかな、ウィディングドレスでサムシングブルーも身につけたいなと夢見る乙女の姿が浮かび、塗り進めていて心が躍りました。大人も楽しめて、これからもこの塗り絵の企画に参加したいと思います。

《館長からのコメント》
・明るい背景に浮かび上がる着物の色調が素敵でした。白い縁取りが柄を浮き立たせて、良かったです。


鈴木 ゆりか様
長野県 40代
《作者からのコメント》
・きいちさんの絵はレトロでとても好きなので、ぬり絵ができてとても良い特集だと思いました。

《館長からのコメント》
・ガス燈の前にたたずむ花嫁さん。日本ではなく、外国での結婚式でしょうか。ハッキリとした色合いの着物にベールの透け感がとても上手だと思います。


山川 夕紀様
千葉県 40代
《作者からのコメント》
・久し振りに塗り絵をする機会をもらい、難しさと楽しさを再発見する事が出来ました!
娘の成人式の着物に似せて描いてみました。(来年成人式です)

《館長からのコメント》
・成人式の着物ですから若々しい赤やオレジなのですね。背景の菊や蝶々などのアクセントも良かったです。


豊岡 友代様
千葉県 40代
《作者からのコメント》
・同じ絵でも、色ののせ方や背景の作り方で、異なる世界に仕上がるので、他の作品を見るのが大変刺激になります。
私は、ピングとブルーが重なると、パープルが出来るという変化が好きで、こればかり使ってしまいます。
とかくゲームに片寄りがちな、現代の子ども達に、ぬりえの素晴らしさを伝える場であって欲しいと思います。

《館長からのコメント》
「あなたの星へお嫁にゆくの」のサブタイトルとロケットや宇宙人も描かれていて、なんて大きな世界なのでしょうか。全体的に淡い色調が不思議な世界観を表現しています。


漁師 志穂美様
東京都 50代
《作者からのコメント》
・塗るだけで楽しいぬりえですが、こうして他の人に見ていただけるとなると思うと、より一層楽しく気合が入ります。1年に1回だけでなく、毎月あってもいいくらいです。
今年83歳になるふるさとの母にもダウンロードした応募用ぬりえを送りました。さっそく応募したようで、母子そろっての応募です。共通の話題も増え、楽しい限りです。これからも楽しみにしております。色は私が子どもの頃のお宮参りの赤い着物を思い出しながらすこし派手目に塗りました。

《館長からのコメント》
・赤も少しも派手ではなく、全体的に調和のとれた色合い、仕上がりが良かったです。

Posted: Nurie : 21年01月05日

12月の美術館便り(2)

神奈川県 柳瀬 冨美子様 80代
★私は小学校に入学する二ヶ月早い二月に学童疎開に福島へ行きました。八月十五日の玉音放送を聞き、戦争が終わって東京上野に帰ってきました。多くの犠牲になられた人々の命のかわりに得られた平和を大事に守りつづけなければと思っています。
小学校生活のなかでお友達とぬりえをするのが、とても楽しい事でした。学校から帰ってくると、お友達の家に行きクレヨンできれいにぬって遊んでいました。お友達の家は御両親働いていましたので、弟妹のめんどうをみていましたので、ぬりえをするのが楽しかったです。
八十才になった時 横浜の有隣堂という大きな本屋さんの棚に並んでいたのを見つけ とても嬉しかったです。
きれいにぬりました。一枚一枚時間をかけて塗っています。子供の頃の一番楽しい時間を過ごす事のできるきいちの塗り絵でした。感謝の気持ちで一杯です。


埼玉県 上野 豊子様 80代
★小一で終戦をむかえ 文房具も乏しい中で暮らしました。友だちの塗り絵を借りて窓ガラスに当ててワラ半紙を重ね鉛筆で写し取っては色を塗って楽しんでいました。「きいち」の塗り絵は憧れでした。描かれている少女は夢のような別世界の暮らしをしている少女たち。塗りながらその少女になっていく自分がうれしく胸の高なる時間でした。母の「夕ご飯の支度しておくれ~!」と呼ばれると ちびた色鉛筆をおいてそうめんを茹でたりきゅうりを刻んだりしたものでした。よく働いた小学生だったですね。塗り絵に救われる日々でした。
★応募すると決めてより、ときめく 日々を重ねています。


東京都 彼島 政子様 70代
★小学低学年の頃 仲良しの友達とおしゃべりをしながら好きな色を使いあそんでいました。ぬりえは女の子のあそびの一つの仲間でした。大きくなって鉛筆を正しくもち手首を動かし指先を動かし注意をはらい完成してゆくのは成長してゆくうえに大事なあそびのひとつだったと思ったものです。
★新聞ではじめて目にし、ひさびさにあそび心が起りました。子どもから大人まで(年老いても)想像をふくらませることができ、よいことだと思います。


東京都 山内 理恵子様 60代
★いろいろなぬり絵をいまよいりやってた気がします。いろをぬるのも楽しかったけれど、何より、様々なファッションやきせかえの要素もあって、今ほど簡単に情報が手に入る時代ではなかったので、ファッション雑誌的な価値もあったのだと思います。いつか大人になったら、こんな服を着るのかな、とか、外国人の子供たちはこんなかんじなのかしらんと思ったのを覚えています。母が洋裁をしていたので、洋裁の本に似た服があると盛り上がったのを覚えています。
★ふりそでにベールってざんしんだと思う。それから女の子が大切にされている感じがしますね。


東京都 長澤 清美様 60代
★幼い頃「ぬりえ帳」を購入してもらった記憶があります。
12色入りのクレパスで自分の好きなカラーを使って染めていく楽しさは子供なりに至福の時間を過ごしていたように思います。
★子供の頃の懐かしさに浸ることが出来、同時に両親との楽しい思い出にも浸ることができました。絵の種類2~3種あれば良いなと思いました。


神奈川県 草場 万里子様 70代
★私は幼い頃より、「きいちのぬりえ」が大好きで、静かだと思うと、ぬりえをしていた、と母が申していました。つい先頃までなんと500枚以上も箱に集めて大切にしておりました、が残念ながら紙のいたみが年々ひとくなり、この度の鎌倉への引っ越しで手離してしまいました。
とても残念でした。
★でもまた、この特集をきっかけにぬりえを手に入れて趣味として再び始めたいと思ってワクワクしています。 様々な大人のぬり絵本出ておりますが、私にとって「きいちのぬりえ」は大切な青春の思い出です。ぬりえ美術館と供に、私の大切な今と場所になりました。


まだまだ沢山の感想、ご意見をいただきました。特に今年のコロナ渦の中で“きいちのぬりえ”が皆様方に幼少期やご家族を思い出すきっかけやぬりえをするきっかけになっている事を嬉しく思いました。
1月からは館内展示とホームページでの掲載が始まりますので、是非ともご覧いただきますようお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 20年12月05日

12月の美術館便り(1)

ぬりえ美術館では今年で第11回目となります“ぬりえコンテス”を10月に開催いたしました。お蔭様で今回は142人ものご応募をいただきました。厳正なる審査の上、来年1月9日(土)より優秀作品を展示する予定です。今月は応募くださった皆様の中から、コンテストに関するご意見、感想をご紹介したいと思います。


東京都 西 由美子様 60代
★ 横浜に住んでいたころ、熊本から祖母といとこのお姉ちゃんがあそびにきました。おみやげに  東京駅で買ってきたぬりえをもってきてくれました。いとこのお姉ちゃんと一緒にぬりえをしました。 はじめてまわりを線でかこってから最初はうすくぬり始めることをおそわりました。ぬりえをしながら、いろいろ話をして楽しかった思い出があります。
★ なつかしい思い出のぬりえをやれて楽しかったです。今もきいちのぬりえが手にはいるかな?
※「きいちのぬりえ」は小学館が発行しています。ご近所の本屋さんでお問合せください。
もちろんぬりえ美術館でも販売しています。


神奈川県 大沢 悦子様 70代
★ 60年前まだクレヨンがあまり買えなくて4人姉妹で1箱のクレヨンでぬり絵をした思い出があります。あまり紙質もよくありませんでしたが、いろいろ想像してぬりました。今は多種の者があり、色鉛筆とかクレヨン 見ているだけで楽しいです。3月に退職して私も趣味の1つに加えたいと思います。
★ 私達の年代には子供のころの思い出が蘇り 今のコロナの自粛生活いは時間があり、ゆっくり楽しめて良いです。


東京都 梅原 秀子様80代 
★私は戦時中子供時代を過ごし落ち着いて何もできませんでしたが楽しみはぬりえでした。
★この年になって、きいちのぬりえがある、それだけで胸が熱くなりぬってみました。


埼玉県 喜田 いずみ様 60代
★ 新しいぬり絵を買ってもらうとどんな絵が描いてあるのかワクワクしながらひらいたことを思い出します。
★ぬり絵コンテストがあることはとてもうれしく、これから先も出来るかぎり、チャレンジしていこうと燃える思いがあります。


栃木県 山口 滝子様 60代
★子供の頃、大好きなぬりえを時間を忘れたように夢中になって、ていねいにはみ出さない様にと仕上げた事が忘れられない思い出です。
★いつまでも“きいちのぬりえ”の存在が保っていかれるためにも続けて欲しいと心から思います。


東京都 近藤 真理子様 70代
★子供の頃にタイムスリップできました。懐かしく、楽しく過ごせました。女の子にとって、ぬりえは楽しいひと時でした。
★ただ色をつけるだけでなく、自分の生きて来た年数を感じて、色をつける事ができ、思いがけなく良い時間を過ごせました。他の人がどんな色付けするのか楽しみです。


東京都 迫間 雅子様 60代
★子どもの頃お絵描きもすきでしたし、ぬりえをするのも楽しい時間でした。幼稚園にはなじめず、登園をイやがっていた私に母はよくぬりえをかってあげるからいって、きいちのぬりえを買ってくれたのを思い出しました。
★ぬりえ美術館というものがあるのを知り興味をひかれました。久しぶりに“きいち”のぬりえとの再会になつかしさがこみあげてきました。


神奈川県 鎌田 光子様 80代
★ 私の小さい頃は、物もなく色エンピツも洋服も なかなか買ってもらえず ぬりえの中に 夢  をもとめて 私はこの様な色の洋服を着てみたいと想像しながら 本当に楽しみでした。
★ 昔を思い出して “きいち”という言葉が懐かしく思いました。今でもぬりえは大好きです。この企画 思い出させて頂いてうれしく思います。


神奈川県 稲田 瑞穂様 40代
★幼い頃家から少し遠くに住んでいる母の友達の家へ行く時には、日頃は着ないよそゆきのワンピースを着てぬりえときせかえセットをカバンに入れて、出かけていました。 そこには私と同じ年の女の子がいました。日頃一緒に遊んでいないのではじめは少し緊張してぎこちない感じになってしまうのですが、一緒にぬりえをしているうちに打ち解けて仲良くなり、楽しい時間をすごしていたなあということを思い出します。
★今年はコロナでずっと自粛していて、あまり楽しみが無い日々を送っていましたが、ぬりえコンテストの記事を見つけてから、何色で塗ったら可愛いかなと考えたり、入賞なんて無理だろうなあ~と思いつつも、もしかしたら~と思ったり。そんな風に思ったりするだけでもわくわくして少し生活にハリを持つことが出来ました。

Posted: Nurie : 20年12月05日

11月の美術館便り

今年は春に始まったコロナが夏には鎮静化するか、と思っておりましたが、東京では相変わらず100人、200人の感染者が出ており、まだ終息をみておりません。引き続き、コロナに感染しないように、三密を避け、手洗いをして、感染しないように注意をいたしましょう。


家で過ごす生活が長くなりましたが、いつの間にか今年も残り二か月となりました。何もしないうちに、何もできないうちに暮れを迎えるような気がします。
ぬりえ美術館では、3月末から5月一杯臨時休館をし、6月から感染予防をしながら開館を始めました。「感想ノート」に記入していただきました来館者の声をご紹介したいと思います。

 
6月14日(日)
・4回目の来館です。花の絵を描くのが好きです。こちらの美術館も、とても好きです。 あや子

・横倉さんに紹介いただき、娘と西村さん 4名で来館。昭和のかおりが多分に感じられました。小学生の娘には題材があまり理解できないようですが、そのうち絵画のひとつとして、分かってくるとおもいます。もう少し大きくなってからまた連れて参ります。高田東一、真央


8月2日(日)
・インターネットで作品を見つけ、「きもの」を購入しました。美術館のことを知り、ぜひ訪れたい!と思い、夫婦でお邪魔しました。日本舞踊の塗り絵を制作しており、参考に、と拝見しておりました。きいちさんも名取であったといいうことや、舞踊の作品が沢山みられてとても嬉しく思いました。そして、このノート! たくさんの人に愛されていた塗り絵たち、きいちさんのことを想像するだけで、心がほっこりします。私もそのような塗り絵が作れるようにがんばります!! 俺の日本舞踊 梅澤 

・昔話、おとぎ話シリーズのぬり絵がかわいかったです。時代を追っていける姿、そういう様子が長く愛されるゆえんでないかと思いました。


8月29日(土)
・私はS.19年生まれです。子供の頃からきいちさんのぬり絵で遊び、日々楽しみながら過ごしました。70代になって、きいちさんのぬり絵が懐かしくてたまりません。すぐに全商品を注文しましたが、残念なことに何点かが無く、こちら様にお電話をして、何点かは在庫が有るとの事でした。すぐにお伺いしました。来館させていただいてほんとうに良かった。ビデオを拝見、お人柄に感動です。奥様も美人ですしモデルにされた事が「なっとく」です。本当に「きいちゃんのぬり絵」と共に私の人生が楽しみになってきました。ありがとうございました。ほんとうに来館して良かったです。神奈川県秦野市在住 佐藤 佐和子

9月5日(日)
・本日2回目の来館です。コロナで2回目が遅くなりました。前回は息子と本日は私一人でゆっくりした時間をすごさせていただきます。 根本 君子


9月13日(日)
・2回目です。ぬり絵、またやってみたいです。 たての  ごだま

・きいちのぬりえ、大好きです。また来ます。


日時不明
・荒川シャルソンのイベントに参加して、その途中で参加しました。ぬりえ、いいですね。ありがとうございました。 はしもと


9月27日(日)
・50歳を越したおじさんが何故か来てしまいました。 桂 良典


10月11日(日)
・草加でぬり絵教室をやっていますので、新聞でぬり絵美術館のことを知りお邪魔しました。

・タイムスリップしましたが、今でも新鮮でした。早速教室でみやげ話をしようと思います  山本


10月21日(土)

・小田原から来館しました。
夏にも一度来て感動しましたので、再来館しました。今回もぬり絵を購入して、お年寄りの方にプレゼントします。以前もおみやげしてとても喜ばれたので。
館長さんも、すてきな方ですね。なぜか「ホット」する時間をいただきました。ありがとうございました。又、来館したく思います。 佐藤 佐和子
 

コロナ禍の中、ご来館をいただきまして大変ありがとうございました。来館された方それぞれにいろいろな思い出があります。その思い出にきいちのぬりえが関わっていた、ということはとても嬉しいことです。子どもの成長期にこころを育むぬりえが、スパイスのようになって子どものこころに影響を与えていた、ということが思われます。 これからもぬりえの熱い思いを胸に、続けて参ります。(館)

Posted: Nurie : 20年11月01日

10月の美術館便り

今年の8月は従来の8月より暑かったという記録になりました。猛暑から炎暑という言葉が使われるようになったことからも、いかに暑かったかということが分かると思います。しかも6月、7月と雨が多くて涼しかったので、8月からの暑さは猛烈に堪えるものでした。それがどうでしょう、9月になるといつの間にか急に涼しくなって、秋がやってきました。最近の陽気は、日本の四季というものがどこかに置き忘れられているように感じます。

 
それでも秋がやってきました。10月はどんな月か、調べてみました。
10月1日 「衣替え」
夏服から冬服に衣替えをする日です。制服のある中学生、高校生たちは、衣替えの季節をしっかり体で感じることができるでしょう。

10月2日 「豆腐の日」
102 (とうふ)という語呂合わせから。たんぱく質で栄養価の高いお豆腐。沢山食べましょう。

10月10日 「銭湯の日」
1010 (せんとう)とこれも語呂合わせから制定されました。ご近所に銭湯はありますか?
「体育の日」は10月10日でしたが、現在は第二月曜に変更されました。

10月13日 「さつまいもの日」
(栗(九里)より四里うまい十三里」 という江戸時代のことばから制定されたそうです。この十三里とは、さつまいものことです。この時期美味しいですね。

10月30日 「たまごかけご飯の日」
日本たまごかけご飯楽会により制定されました。こういう記念日もあるのですね。

10月31日 「ハロウィン」

古代ケルト人が期限のお祭りですが、日本では仮装パーティー化しているようです。渋谷駅前の仮装した人々がテレビのニュースで流れてきます。
10月にこんなに記念日があったなんて、皆様はどれくらいご存知でしたか? 私は衣替えとハロウィンくらいでした。


さて、もうひとつ10月に楽しめるものに、お月様がありますが、2020年は10月1日が十五夜だそうです。

十五夜とは、1年で最も美しいとされている「中秋の名月」を観賞しながら、収穫などに感謝をする行事です。
中国の風雅な観月を平安貴族が取り入れ、のちに庶民に広がると、秋の収穫物を備えてみ海苔に感謝をする行事となりました。十五夜は芋類の収穫を兼ねているので、別名「芋名月」ともよばれ、里芋やさつま芋を備えます。

 
2020年は10月1日が十五夜に当たりますが、十五夜の日は、旧暦8月15日の月を指すため、毎年変わります。
2021年9月21日、
2022年9月10日、
2023年9月29日、となっています。
 
そして、中秋の名月と十五夜との違いですが、
「十五夜」という言葉は、月齢15日をさす場合と、月見行事の十五夜をさす場合があります。
旧暦では毎月15日が月齢15日目の十五夜となりました。
月見行事をする十五夜は、旧暦8月15日の月をさしています。お月見をする旧暦8月15日の「十五夜」と「中秋の名月」は同じです。
旧暦では、7月~9月が秋に当たりますが、秋の真ん中である中秋は、空がすみわたり最も月が美しく見えるため、旧暦8月15日の十五夜を「中秋の名月」と呼びお月見をするようになりました。新暦の今も、旧暦8月15日の十五夜=「中秋の名月」にお月見をします。

 
いつの間にか、夏の空が秋に変わって、天高く、すっきりと晴れ渡って、爽やかで心地よいものになってきました。爽やかな秋の日を、じっくり味わってみてはいかがでしょうか。昼間の空を見るもよし、夜の月、星を見るもよし。なかなか空を見上げるという時間は少ないかもしれませんが、今の時期そのような時間を持ってみるのも一興かもしれません。
秋の一日、素敵な時間を持っていただければ、嬉しいです。(館)


★今月のお知らせ★
今月は第11回ぬりえコンテストを開催しています。期間10月5日~31日(土)締め切り
東京新聞の10月5日の週の朝刊、19日の週の刊にぬりえコンテストの募集要項がご案内されます。又ぬりえ美術館のホームページにも10月5日から課題ぬりえならびに募集要項がご案内されます。是非今年も沢山のご応募をお待ちしています。

Posted: Nurie : 20年10月03日

美術館便り3月~5月合併号 (2)

3. 歌・舞台・映画などのぬりえ
      


きいちは自身が日本舞踊を習い名取までになっていましたので、日本舞踊を題材にしたぬりえを数多く描いています。左の絵は「藤娘」、右の絵は「三面子守」です。私もすこし日本舞踊を習いましたので、着物の中で、足をどのように曲げているか、腕はどのようになっているか、想像することができますが、きいちは本当に踊りを知って描いていることがわかります。

4.物語などのぬりえ
      


きいちは戦後仕事を始めるときに、絵本作家を目指したことがあります。結局慣れたぬりえを本業としましたが、袋入りぬりえの中で絵本のように物語を展開しています。上のぬりえのようにシンデレラ、親指姫、かぐや姫、リボンの騎士など、多くの物語を残しています。ぬりえであれば、絵本を購入できない子どもたちでも、物語に触れることができるからでもあったと思います。


美空ひばりのぬりえを中心にした展覧会、どうぞお楽しみください。(館)

Posted: Nurie : 20年03月01日

美術館便り3月~5月合併号 (1)

きいち没後15年 春の企画展
「懐かしい時、思い出の時、きいちのぬりえ」~きいち昭和の歌姫“美空ひばり”を描く~
開催期間:令和2年2月29日(土)~5月31日(日)

きいち没後15年の今年の春の企画展では、ぬりえ美術館開館以来初めて“美空ひばり”という人物をテーマに展覧会を企画いたしました。

美空ひばりと言えば、誰も知らない人はいないという人物であろうと思います。私はぬりえ美術館を開館して以来、きいちのぬりえとともに美空ひばりのぬりえを中心にコツコツとコレクションしてまいりました。また古いぬりえを見つけたよ、と言って美空ひばりの大きなぬりえを北海道から送ってくださった方もいらっしゃいました。
 どうしてコレクションをしてきたのかと問われましたら、それは、美空ひばり以上の歌手はいない、特別の人、と思うからです。


昭和20年代、30年代では、スターたちのグッズ販売も限られていて、ブロマイドや雑誌の特集位なものだったと思います。そして子どもたちの世界にも、今と同様アイドル関連の商品として、ぬりえやきせかえなどにアイドルの顔が使われていました。


きいちは昭和30年代を代表する映画俳優、野球や相撲の選手や力士等の顔を沢山描いています。松島トモ子、浅丘ルリ子、高倉健、市川雷蔵、長嶋茂雄、大鵬、柏戸等など。そしてその中に当時大人気の美空ひばりがいたわけです。

美空ひばりプロフィール
◇ 本名:加藤和枝
◇ 生年月日:昭和12年5月29日
◇ 出身地:神奈川県横浜市磯子区

昭和24年、「河童ブギウギ」でレコードデビュー。
以後、1500を超える曲を録音し、「悲しき口笛」、「東京キッド」、「リンゴ追分」、「港町十三番地」、「柔」、「悲しい酒」、「おまえに惚れた」、「愛燦燦(あいさんさん)」、「みだれ髪」、「川の流れのように」などなど、放ったヒット曲は数知れず。平成元年6月24日の死去まで、40有余年にわたって日本歌謡界の第一線で活躍した。
没後の平成元年7月、真摯な精進で歌謡曲を通じて国民に夢と希望を与えた功績が認められ、女性初の国民栄誉賞を受賞。
~日本コロンビアオフィシャルサイトより~


今回の企画展より
1. きいちが描いた美空ひばり
      


2. その他の作家が描いた美空ひばり
      


美空ひばりを代表する絵として、悲しき口笛の映画の中の燕尾服姿がぬりえや雑誌などに取り上げられています。
「悲しき口笛」
丘のホテルの 赤い灯も  胸のあかりも 消えるころ  みなと小雨が 降るように
ふしも悲しい 口笛が  恋の街角 露地の細道  ながれ行く

Posted: Nurie : 20年03月01日

1月の美術館ニュース (2)

きいち千夜一夜 No.13 きいち没後15年

今年はきいちの没後15年に当たります。これにちなみまして、昨年に続きまして「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介をしていきたいと思います。


それにしても、多くのぬりえ作家がいた中で、きいちの作品だけが行き残り、認知されて今日に至るのはなぜなのだろうか。
「一つには、私自身が常に楽しんでやったからじゃないでしょうか。だから子供の世界にごく自然に入りこんでいくことができた。姉二人と妹二人と、女に挟まれて育ったせいか、昔から女の子の好きなものが、そのまま自分の好きなものになってしまったというのもあるのかもしれませんね」


好きな色は、ピンク、赤、紫、ブルー、白。背景によく描き込む花もきれいでかわいらしいものを選ぶ。
「さくらが一番多く描いた花じゃないかな。色もそうだけど、五枚の花びらのバランスがとれている感じが好きなのね。基本的に花はなんでも好んで描くんですが、さくらやコスモス、梅、ガーベラなど、どちらかというと一重の花がすきかな」
 ぬりえの背景としてよく描きいれたものには、さくらの花のほかに蝶がある。蝶は絵柄や色彩を変えることで、華麗さ、はかなさ、躍動感など、どんな雰囲気も自在に表現できるから、ぬり手の好みでぬりえを楽しんでもらうのに、ぜひとも添えておきたいものだそうだ。
「私は自分の子供の成長を見ながらぬりえを描いてきたから、いつも意識の底には、子供にこんなものを着せたい、見せたいというのがあって、そういいう視点を持ち続けてきたのも人気の理由かもしれませんね」


こういう意図で、喜一は自費制作時代のおとぎ絵シリーズのほかに、その後も多くの童話やおとぎ話にちなんだぬりえを描いている。『かぐや姫』、『ねむり姫』、『不思議の国のアリス』、『シンデレラ』と女の子向けの物語はもちろん、『牛若丸』、『桃太郎』、『ぶんぶく茶釜』など、数多くのストーリーを紹介してきた。書店で絵本を買ってきては、子供に読んで聞かせ、自らもぬりえにつくりかえて楽しむ。それはまるで絵本の挿絵を描くようなわくわくする作業だった。


☆参考図書「わたしのきいち」小学館


今月のエントランス

「はねつきしましょう」
年代:昭和20年代
作者:きいち

長い袖の着物に羽織を着て、大きな羽子板で羽根つきをする、お正月ならではの光景ですね。兄弟やご近所の友達と羽根つきをした思い出を持っている方も沢山いらっしゃることでしょう。

今はご近所で羽根つきをする姿を見かけることもなくなりましたが、羽根つきの伝統をぬりえから知るというのも、時代の流れですね。


ぬりえ美術館グッズ情報
☆ぬりえ美術館オリジナルのマスキングテープが発売されました。菊の着物、花かご、ペンキぬりの3人の女の子が描かれています。1個 440円 


展示室のご案内
☆1月~2月は、壁面に第10回ぬりえコンテストの優秀賞受賞者の作品を展示しています。

☆館内にはぬりえ体験コーナーがあり、自由にぬりえを塗って楽しんでいただけます

Posted: Nurie : 20年01月11日

美術館便り 1月~2月合併号 (2)

丸谷 悦子様  埼玉県 60代
《作者からのコメント》
・前回、美術館で飾って頂きました。今回も、飾って頂けるよう楽しくぬりました。
《館長からのコメント》
・本当にドレスの表現は様々です。ドレスがカラフルで水玉柄も入っています。マイクロフォンも描かれ、♪や紙ふぶきなど華やかな舞台の歌手の世界になりました。


佐藤 順子様  東京都 60代
《作者からのコメント》
・今年も新聞を開いて見つけました。70年代のアイドルのイメージでデコりました。また、楽しい時間が持てました。
《館長からのコメント》
・スターに光があたって光輝くというイメージでしょうか。淡いドレスにレース部分が覗き、花束の花の塗り方が花の違いまで描いていて大変良かったです。髪飾りも立体的で面白いです。


武田 ひじり様  広島県 60代
《作者からのコメント》
・カラフルなぬりえにすることを考えながら描きました。リボンは30ワッフルの素材のイメージです。今年はどんな特集なんだろうかと、家族で楽しみにしておりました。
《館長からのコメント》
・ドレスのリボン、花束のお花やリボン、背景の多色使い等、多色使いは配色が難しいですが、大変上手に纏めています。きいちのサインの鳥まで多色ですね。

寺倉 智子様  岐阜県 60代
《作者からのコメント》
・今回も、デコぬりえに挑戦してみました。背景には、いろいろな、キラキラ折り紙を使用しました。今年も とても楽しい時間を過ごすことが できました。 これからも、ぬりえコンテストが ずっと続くことを願っています。
《館長からのコメント》
・毎回デコぬりえの新しい世界を見せていただいています。ドレスがクールで爽やかな色合いですが、大変豪華に仕上がっています。お花もオリジナルな花束に仕上がっています。いつも発想に関心しています。


海下 英子様  東京都 80代
《作者からのコメント》
・テレビ、スマホなどに囲まれて、与えられる事の多い昨今、自分で想像して、あれこれ色を塗るこのぬり絵が、子供たちにとって、感性豊かな人格形成に役立つと思います。新しい二十一世紀に向けてのぬり絵作品ができる事を期待しています。
《館長からのコメント》
・花嫁さんの方の絵を選ばせていただきました。歌か劇の舞台の作品が多く有りましたが、仲人さんまで入った結婚式の設定は一枚でした。ドレスと花束の色合いが爽やかで、冠やベールをつけた花嫁さんが幸せそうです。


太田 隆裕様  神奈川県 80代
《作者からのコメント》
・新聞広告を見て、通っているメンタル・クリニックの患者さんのOTの時間に渡しました。自分も描いてみました。
《館長からのコメント》
・ドレス、花束、リボンとテープに使われているのは、”切手”です。驚きました。丁寧に切り貼りされています。
言われなければ、切手とは気がつかなかったです。まったく新しい手法のぬりえ作品が誕生しました。


寺沼 沙衿様  茨城県 年齢不明
《作者からのコメント》
・現在ぬりえをする機会がないので、チャレンジしてみよう思ったので、楽しくなりました。久しぶりに何色にしようとどんな風にしようと考えながら楽しませて頂きました。
《館長からのコメント》
・きいちの少女には赤が似合いますね。赤いドレスに麻の葉文様、市松文様、矢羽根文様など和の文様を描きいれて個性的な作品になっています。


ぬりえコンテスト第10回も見事な、それぞれのオリジナリティー溢れる作品が集合いたしました。ぬりえは、元の絵は同じものですが、描く人によって全く違ったものに仕上がります。楽しいですね。
ぬりえは誰にでも取り組み易いものですから、小さい子どもさんから始めることができます。
そして現代は高齢者の脳の活性化にも良い、と年齢の高い方にも取り組んだいただけます。
一部大人に子どものぬりえをさせることに対して、馬鹿にしているとか嫌がる人もいらっしゃるようですが、好きな人がぬりえをしたら良いと思います。好きであれば、気持ちが込められ、心がら集中できると思います。
これからもぬりえの世界をまずは楽しんで、その魅力を感じていただければと思います。


今年も秋ころぬりえコンテストを開催する予定ですので、これからもぬりえコンテストに参加くださいますよう、宜しくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 20年01月11日

美術館便り 1月~2月合併号

明けましておめでとうございます。
今年はオリンピック、パラリンピックの開催年であります。昨年のラグビーに続きまして、五輪もワンチームとなって日本が一つになることを願っています。


さて、昨年10月に実施いたしました第10回ぬりえコンテストの優秀作品を1月11日(土)より展示をいたします。お蔭様で第10回は195通の応募がございまして、選定をするにあたり、今回も嬉しい悲鳴を上げておりました。これも皆さま方のご支援の賜物と厚く感謝申し上げます。


厳選な審査の上、優秀作品15点をぬりえ美術館に展示すると共に、優秀作品ならびに次点作品、特別賞の作品をホームページに掲載しておりますので、併せてご覧いただければ幸いでございます。今後もぬりえコンテストを続けてまいりますので、どうぞ沢山のご応募お待ちしています。


また今年の二月は蔦谷喜一の没後15年にあたります。これからも皆さまに愛され、心に残る「きいちのぬりえ」とぬりえ美術館にご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

今回の優秀作品の方のコメントならびに館長のコメントをご紹介いたします。


田代 真帆様  東京都 10代
《作者からのコメント》
・昨年も応募させてもらいたのしくて今年も応募しました。昨年の優秀作品を見て、”こんな塗り方、描き方もあるんだ。”と自分の中でぬりえの幅が広がりました。
《館長からのコメント》
・ドレスの絵であったせいか、黒を使った作品は田代さん、お一人でした。しかし、黒が基調の絵ですが、とても新鮮で現代的な作品だと思いました。これからもぬりえの幅を限定することなく、ご自分の絵を完成させていってください。

金井 幸穂様  埼玉県 20代
《作者からのコメント》
・ぬりえはなかなか他の人の作品を見る機会がありません。しかし、この特集を通じて同じ絵に対し、他の方がどのように塗っているのか、表現するのかということを知ることができるので、とても思い白いと思いました。
《館長からのコメント》
・鮮やかな紺色のドレスがパッと眼に入ってきました。そして赤がアクセントになっています。舞台の緞帳のような背景には淡い花なども見えて、大変素敵な作品です。


久保田 康代様  東京都 40代
《作者からのコメント》
・毎年ぬりえコンテスト楽しみにしています。きいち先生はカラフルな作品が多いので、どのようにしようか考え、私なりにステンドグラスのイメージで先生の世界を表現させていただきました。
女の子もピンクのドレスでかわいく、お花も色々な色を使って華やかにしました。きいち先生のぬりえにふれながらの作品づくりはとても楽しく大切な時間でした。ありがとうございました。
《館長からのコメント》
・縮緬の布の表現はとても手の込んだ大変な作業だと思いますが、ドレスやテープ、花束のリボンなど細かい部分も
布等でできていて、大変完成度が高く、ステンドグラスの発想が面白いです。


矢崎 剛二様  東京都 40代
《作者からのコメント》
・なし
《館長からのコメント》
・毎回テーマを持って作品作りをしてくださっていますが、今年はアメリカン・インディアンの文様でしょうか?
ドレスの柄、腕、顔にまで柄が描かれていますが、可笑しいことはありません。先日のワールドラグビーの際にファン達が顔に国旗などを描いていましたが、そいうものに慣れてしまったからかもしれません。私が伝えたい事は、発想の勝利ということです。


武田 浩子様  広島県 50代
《作者からのコメント》
・「ぬりえコンテスト」をきっかけに、ぬりえを楽しむようになりました。おかげさまで、家族の共通の楽しみになっております。きいちの愛らしい女の子から幸せを感じました。それを表現できればと思いました。
《館長からのコメント》
・背景の柄やキラキラしたホログラフなどが面白かったです。ふんわりとしたドレスに色とりどりの花束、金銀のテープやリボンなど背景に負けないで素敵です。


宮田 江美様  千葉県 50代
《作者からのコメント》
・参加2度目になります。今はあまり”ぬり絵”をすることもありませんが、始めるとなかなか色えんぴつを、置くことができないほど夢中になってしまいました。そんな楽しいコンテストに感謝します。
《館長からのコメント》
・ドレスのリボンや胸の部分に柄が描かれていたことが面白かったです。背景の大きな水玉やカラフルなリボンやテープなど、細かいところに凝っている点が大変良かったです。


木元 知美様  千葉県 60代
《作者からのコメント》
・ぬりえは何十年ぶりです。当時無心に色を塗っていた時代を、なつかしく思い出しながら楽しくぬりえができました。
《館長からのコメント》
・二枚送っていただいた中から、水玉のような模様のドレス姿を選びました。ピアノが描かれた暗い舞台の上で、ドレス姿の少女が輝いてみえます。色合いも纏まっていて素敵です。


小澤 慧様  埼玉県 60代
《作者からのコメント》
・とても楽しかったです。また参加したいです。ぬりえのサイズもちょうどよかった。絵もむかしの昭和レトロでお願いします。
《館長からのコメント》
・舞台のスターには赤がお似合いですね。赤の濃淡での表現ですが、背景の濃紺の世界と☆とあいまって、お洒落な世界の作品となっています。

Posted: Nurie : 20年01月11日

12月の美術館便り

ぬりえ美術館では今年で第10回目となりますぬりえコンテストを開催いたしました。お蔭様で195点ものご応募をいただきました。厳選なる審査の上、来年1月11日(土)より優秀作品を展示する予定です。 
今月は応募くださった皆様の中から、コンテストに関するご意見、感想をご紹介したいと思います。


神奈川県 田中裕子様 50代
☆きいちのぬりえは一冊を三姉妹(私は次女)で、ぬりたいページをじゃんけんで決めていました。着物の女の子は欲しくて 負けえると泣いていました。かたわらで祖母が「じょじだごどお~」訳「上手だこと」と誉めてくれた声 あたたかい笑顔 雪深い秋田の茅葺きの家の間取り匂いまでなつかしく思い出します。


千葉県 伊藤かな枝様 60代
☆ぬりえは必ず、亡き母が「きいち」のぬりえを購入してくれ、母子で競って色を付ける事が習慣でした。母と私の絆でした。


千葉県 秋元美代子様 60代 
☆この特集は依然にも見たことがありますが、その時は小さいぬり絵を切りとって写真の額に入れました。 「おひめさまのおともはいぬとうさぎ」 「かわいいにほんがみ」 という二枚の絵を保存して飾っています。これには色はぬってません。今回初めてぬってみました。

埼玉県 澤山強様 70代 
☆思い出にも書きましたが、ぬりえは「写経」に似た作業に思えます。なぜなら、他のことを忘れ  て「集中」できるからです。絵にもいろいろありますが、シンプルな絵ほど、多様性を活かした「完成品」に「結晶」させることができ、すばらしいことだと思います。

「認知症」の感謝さんとの対応で「回想法」というのがあるのを聞いています。ぬりえはこのような場面でも、「写経」と同様の「威力」を発揮するのではないかと、素人の身でイメージします。


群馬県 増田知子様 60代
☆きいちのぬりえはこどもの頃のあこがれがぎっしりつまった夢のぬりえでした。子供のおこづかいで買うのでぬるのもていねいにじっくりと時間をかけあれこれ想像しながら色を楽しみ大事に大事に仕上げ大切に保存してました。


東京都 森田真理香様 20代
☆こどもの頃のぬりえの思い出:たくさんあります。
小学生になると、仲の良い友人同士で、お互いの描いた絵にぬりえをし、採点し合う「ぬりえ教室」というものを行い、盛り上がったのを覚えています。「何点にしようか、どんなコメントを書こうか」と添削するのも楽しかったですし、「何点もらえるだろう?」と採点してもらうのもドキドキしました。その後も、きれいに見える色のぬり方を友人に教わるなどするうちに、好きな色をのせるだけで、自分だけの作品が作れるぬりえの魅力に気づきました。
特に、絵を描くことが苦手な私にとっては、とても楽しい自己表現ができました。「この部分は何色にしよう?」と色を選んでいく過程が好きで、母に「色彩感覚が良い」と褒めてもらったことも自信につながりました。


群馬県 長谷川みのり様 20代
☆ドレスに花束、リボン、小さいころのあこがれがつまっていて絵本作家になったような気持ちでした。


東京都 熊田藤作様 90代
☆男女で誰かの家に集まり熱心にぬりえをやり、コンクールをやり出来映えを競い、楽しくぬりえをやりました。子供時代の楽しい「思い出」を呼び起こす機会を作ってくれました。


まだまだ沢山の感想、ご意見をいただきました。きいちのぬりえが皆様方に本当にさまざまなことを思い出すきっかけとなっていること感じ、嬉しく思っております。
1月からは展示とホームページでの掲載が始まりますので、是非ともご覧いただきますようお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 19年12月07日

11月の美術館便り(2)

10月5日(土)
・千葉県柏市から来ました。町屋の方と散歩をしたいと色々しらべていたところ、「ぬりえ美術館」のことを偶然知ったこと、そして母が「きいちのぬり絵が大好きだった」という話を聞いたことがきっかけで足を運んでみました。
小さい頃は“絵”がとても好きだったのですが、大きくなるにつれ、“絵”からはなれてしまったので、不思議となつかしい気持ちに包まれました。今日をきっかけに、ぬり絵について日々ふれてみたいと思いました。社会人になってもまた来たいです。平成9年生ま


10月6日(日)
・町屋生まれ。町屋育ちで葉や20年ですが、初めて来ました。昔から前を通ったりして存在は知っていたのですが、不思議な気持ちになれる場所だとおもいました。ありがとうございました。


10月19日(土)
・子供の頃のぬりえと言えばきいちでした。夢があり大好きでした。あの頃のぬりえが見れて良かったです。


10月20日(日)

・まさに(きいちのぬりえ)で育ちました。きいちさんが父と同じ年生まれでビックリ!

10月27日(日)
・なつかしくて、タイムスリップ! 昭和40年生れ


来館された皆さまが、「ぬりえはきいち」と思い出してくださって、懐かしい気持ちになっていただけることが大変嬉しいです。 様々なことが思い出されたり、大人ってなってみてみると新しい発見があったり、ぬりえは皆さまの心の奥を再発見すための入り口なのかもしれません。


今回もご来館いただきまして、ありがとうございました。
尚、10月一杯第10回ぬりえコンテストを開催しておりました。応募作品を選定いたしまして、来年1月~2月に優秀作品を壁面に展示する予定でございます。こちらもどうぞお楽しみに願います。(館)

Posted: Nurie : 19年11月02日

11月の美術館便り(1)

8月から10月まで秋の企画展として「きいち生誕105年 麗しのきいちのぬりえ」~令和の時代も、きいちのぬりえ~を開催いたしました。
来館されましたお客様の声を秋の企画展前の6月からご紹介したいと思います。


6月1日(土)
・板橋区からきました。小さい時、あそんだ“ぬりえ”を思い出し楽しくなりました。


6月8日(土)
・川口から来ました! 友人とぬりえ美術館に来たくて楽しみにしていました。なつかしさがあり昔の子供の頃を思い出されます。


6月9日(日)
・埼玉大宮からきました。なつかしいです。
・千葉県市川市から来ました。60才です。ダンナ様と2人で散歩がてらに町屋へ。小学校の頃学校で雨が降ると女の子はぬりえを楽しんでいて、とても懐かしいです。子供の頃、友達とフラフープ、ゴム跳びなど思いで深いです。
ゆっくり、のんびり見る事ができて、楽しかったです。ありがとうございました!


6月15日(土)
・スカイツリーの墨田区から来ました。きいちのぬりえがとてもなつかしくなり、新聞を見て思わず来てしまいました。
・町屋に越してきて約2年。来よう来ようと思ってやっと来れた。館の肩が話しかけに来ないのが私には良かった。むやみやたらに話しかけられるのが苦手ですから・・・
20代アメリカ生まれの私も知っているぬりえ文化。この人が創っていらしたのだなあと新しい物を見る気分で楽しませて頂きました。ありがとうございました。A.A.



7月28日(日)

・お姉ちゃんの宿題で来ました。入り口のドアに絵があって面白そうとおもいました。すごい女子がかわいいなと思いました。はいって、ぬりえがあったり、ハンコがあったりして、すごく面白かったです。ぬりえをしてもとても楽しくできました。お父さんにきれいにできてると言われて、うれしかったです。また来たいです。


8月17日(土)令和元年

・ずっと前からきて見たかったのですが、土、日だけの開催ということで、なかなか来ることができませんでした。猛暑の中、やっと来ることが出来て嬉しいです!!
☆「きいちワールド」にたっぷりひたりたいと思います。又、来たいです。(茨城県在住ゆり子)


9月8日(日)
・幼少時「きいちのぬり絵」に夢中になりました。お小遣いで、隣の文具、雑貨etc.の店で袋に入ったぬり絵を買いました。どんな装いの少女が現れるか楽しみに開け、一人で、または妹たち、友達と一緒に自分なりの色を入れて出来上がりを皆で見せ合いました。
こちらには3度目。1度は1人で、2度目は母と、3度目は施設に入所中の母にお土産に持っていき、懐かしんでもらおうと、1人で来ました。
今日も、懐かしさと、新しい発見とを存分に味わいました。ありがとうございました。
又来ます。(荒川区在住 66才)


9月28日(土)
・きょうはままとぬりえをしにきました。いままでみたことないぬりえでした。たのしかったです。ありがとうございました。

Posted: Nurie : 19年11月02日

美術館便り 8月~10月合併号

きいち生誕105年
蔦谷喜一の生誕105年をお祝いします。
「麗しのきいちのぬりえ」
2019年8月3日(土)~10月27日(日)

蔦谷喜一の生誕105年を祝いまして、秋の企画展「麗しのきいちのぬりえ」~令和の
時代もきいちのぬりえ~と題しまして、昭和10年代のフジヲ時代のぬりえやきせかえ等を
ご紹介いたします。
 
ぬりえというものは、不思議なもので、小さい頃には夢中になってしていたものですが、いつしか大きくなるにつれて忘れられてしまうもののような気がします。それが、大人になって、何十年も前のことなのに、「ぬりえ」という言葉を聞いたり、見たりしたときに、突然昔に戻り、そういえば時間も忘れて塗っていたことがあった、と思い出すものなのだと思います。

きいちは「ぬりえは、子どもの心を育む遊び」と言っています。子どもにとって大切な「こころの宝物」を昭和、平成そして令和の時代にも残して、日本の文化の一つとして、きいちのぬりえを伝へ、ぬりえ文化として残していきたいと願っています。
今後ともきいちのぬりえにご支援を賜りますよう宜しくお願いいたします。


1.秋の企画展
秋の企画展では、戦前にきいちがアルバイトとしてぬりえを描いていた時代、フジヲのサイン名のぬりえときせかえをご紹介いたします。


1)フジヲ時代
喜一とぬりえの出会いはある日突然やってきた。昭和十五年、喜一が二十六の時だ。
「川端時代の友人で、画学校を途中でやめて家業の製本屋を継いだ男がいたんですけど、
彼がひょっこりやって来て、いきなり言うんです。“ぬりえの仕事を持って来てやったよ。
こんな仕事は、僕はばかばかしくてできないけど、君ならちょうといいと思ってさ“・・・」

この話を貰った時の喜一の心境は正直いって複雑だった。仕事の内容は詳しくはわからないが、いつか夜店で見た裸電球にてらされてすすけたような、あれを描くと思うとなんだか滅入ってくる。しかし、商売のセンスもなく、絵で食べていけるかもわからない不安な将来を思うと贅沢は言っていられなかった。」
「でも、描いてみると意外に楽しい。社長も私の絵を気に入ってくれて、何度か注文がきたんです。私は姉や妹とよく、歌舞伎を見に行っていたので、歌舞伎をテーマにぬりえをおこしてみたんですが、その華やかな感じがよかったんでしょう。最初は“きいちのぬりえ”でなく、“フジヲ”を名乗りました。夏目漱石の「虞美人草」に出てくる藤尾が好きだったので、そこからとってね。」
*参考図書:わたしのきいち 小学館


昭和10年代のぬりえはいくつかのタイプに分けることができます。
1-1日本画の画法を生かした作品
   
まずこれらのぬりえを見ると、これがぬりえだろうか、と驚かされます。これほど細かい絵に彩色したのだろうか、と思いますが、寄贈された当時のぬりえを見ますと、色が塗られていますので、当時の女の子たちは、“ぬりえはこういうもの”として当たりまえに塗っていたようです。

この詳細に描かれたぬりえは、きいちの日本画のテクニックが充分に生かされ、きいちの好きな歌舞伎の世界や日本の物語を描いています。今回はきいちのテクニックを見ていただきたいと思います。
「お三輪」の髪についている手絡(てがら:女子の髷の根もとにかける色模様の布地)に描かれた絞りの模様の描き方や「横笛」の着物に描かれた点描の暈し模様等など、ぬりえだからこそ線画で、より細かくテクニックを見れると思います。


1-2 モダンなぬりえ
「オクワシノオウチ」

近未来的な、面白いテーマのぬりえではありませんか。
食パンのホテルの建物に、クッキーの扉、ホテルの看板の字もアイシングしたクッキーでしょうか。玄関前の花の台も三層になったケーキのようです。夢のようなテーマで大好きなぬりえです。
「オクワシノオウチ」のほかにも、「タンポポノコドモタチ」やおままごとの子どもたちの絵もモダンなぬりえだと思います。


1-3 一般的なぬりえ
女の子の日常を描いているぬりえにはオカッパ頭やクルクル渦をまいたパーマヘアなど、
昭和20年代に続くようなぬりえが見られます。髪にはリボンが描かれていますが、まだまだ小さいリボンが多いようです。


2)きせかえ
   
「きせかえは私自身が復活させたかった。当時、ぬりえと違ってきせかえは下火でしたからね。実際の人形遊びも楽しいけれど、紙の世界にも昔からこんな遊びがあるんだと、子供たちに知ってほしかった」

きせかえについては、B4程度の大きさのものを石川松声堂と山海堂、それぞれに毎月四枚ずつ納めた。きせかえは人物や洋服の型をおこして、一つ一つ紙の上に置いては寸法を取っていく非常に手間のかかる作業だ。できるだけ余白を少なくして、さまざまな要求を盛り込むことも大切で、喜一のきせかえにはお洒落な洋服や着物に混じって、ブーケや帽子、ハンドバッグ、人形といった多くの小物が添えられていた。


きいちのきせかえの大きな特徴のひとつに両親や姉妹など、家族の存在が挙げられる。家族構成については、たとえば父親が会社員で母親が専業主婦といった一般的な家庭の他、「芸術家ファミリー」、「商売を営む家」「茶道の家元」といった具合に作成の辞典で想定された、それにあわせて洋服や家具などが描かれた。
* 参考図書:わたしのきいち 小学館


今回も家具が描かれたきせかえを展示していますが、タンス、鏡台、蓄音機、ソファ等、自分の身の回りには見られないような家具なども描かれ、ぬりえと同様にそれらの家具を組み立てながら、自分の家にこのようなものがあればいいな、と思いながらきせかえで遊んでいたことでしょう。


2.きいちの言葉
春の企画展につづき、今回も同じきいちの言葉をお伝えしたいと思います。

「持っているだけで楽しい絵」
私は、もっと、心のこもった絵を、小さい子どもたちに見せたかった。一所懸命描いてはいたが、やはり商業ベースだから数をこなさなければ、というところもある。
私は、いい絵が描きたかった。色をぬるためというのは、二の次でよいと思った。色をぬってもぬらなくても、持っているだけで楽しい、という絵を描きたかった。いやな絵を買って、色をぬってもしかたがない。子どもたちが、好きになった絵を選んで、楽しんで、色をつけたいこどもは色をつければよい、と思った。「草思社 きいちのぬりえ」

「美しい絵を描きたかった」
ぬりえは子どもの創造性を阻害すると、悪者視されるのを聞いたりすると、私はふるい立った。ぬりえは、絵画の教育ではない。教育とは無縁のもので、あくまで子どもの遊びである。幼い子どもの情緒を養う、心の遊びだと主張したりした。
もし、私が「ぬるための絵」とだけ考えて絵を描いていたら、もっと違った、教育的なものを描いたと思う。しかし、私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだった。美しい大人なり、子どもなりの絵を描きたかったのである。「草思社 きいちのぬりえ」


きいちはぬりえに対して、上述のような気持ち、思いをもって描いていました。
これらの思いを元に生まれたきいちのぬりえは、当時の女の子たちの心を捉えて止みませんでした。


今年の五月には新しい年号が制定され、新しい時代が始まりました。昭和の時代から時間は経っても、可愛いきいちのぬりえの女の子たちは忘れ去られること無く、新しい時代にも永遠に生き続けることでしょう。きいちのこれらの言葉と共に。
これからもきいちのぬりえを楽しんでいただければ、幸いです。(館)

Posted: Nurie : 19年08月03日

7月の美術館便り

今年も早半年が過ぎました。まだ梅雨の雨模様の日が続いていますが、もうすぐ夏がやってきます。今年の後半も元気に過ごしていきたいものです。


今月は、今年6月6日に91歳で亡くなられた小説家の田辺聖子さんが、ぬりえの魅力について書かれた記事がございますので、この記事をご紹介したいと思います。


「ぬりえの誘惑」 田辺聖子

子供の頃のぬりえには、ベティさんやミッキーマウスがあった。
それからおたばこ盆に髪を結った女の子など。戦前のせいか西洋人はなく、日本髪の女の子が多かった。昭和のはじめから十五、六年まで、つまり、昭和三年生まれの私が、女学校へはいるまで、小学生のあいだじゅう、ぬりえに親しんできた。
教育ママの母は、ぬりえなど幼稚で、ちっとも絵の勉強にならないというのだ。
しかし私は、白地の絵をみると、色がぬりたくてむずむずするのだった。きれいな日本髪の少女や、たもとの長い着物を着た少女をみると、どんな色の髪飾りにしようか、どんな色の着物にしようかと、ぬりえを抱えて帰る道すがら、うれしさで気持ちがわくわくするのであった。


小さいうちはクレヨンであったが、小学校高学年になると色鉛筆を使い出した。こまかい部分までぬれるからであった。だんだん技術も高尚になってきて、着物の柄など、肩から裾にかけてぼかしを用いて、色を変えたりする。
また、ほっぺたには桃色の色鉛筆を塗るが、きれいにぼかして桜色の頬にしたり、目の上にも桃色を塗ったりした。いまのアイシャドウは、ブルーか茶かグリーンであるが、日本古来の化粧法では、頬紅を眼の上へうすく刷くのであった。私は子供なりに絵の女の子にも化粧をさせているのである。
さらに、赤鉛筆を小刀でけずってその粉を散らせ、薄紙や脱脂綿でぼかすという技術まで考え出した。まるでしぼりの着物のようになった。

こういうことを、小学生の私は学校から帰るなり、黙々と机に向かって何時間でもやっていたのだ。洟をすすりながら私は精魂こめて、一心ふらんにぬり埋めていた。ノートの裏表紙などに、ぬりえのつもりではないであろうが、色のない絵がかいてあったりすると、私はすぐさま、ぬりつぶしたくなるのであった。また、ぬりえの線はやわらかく、いかにもぬりたくなる衝動をおこさせ、誘惑するのである。
ぬりえに熱中した後遺症というべきか、いまも私は「源氏物語絵巻」の白描の絵などをみても、つい、色鉛筆でぬりうずめたくなってしまうのだ。私の小説はわりに視覚的だと思うのだが、それとぬりえにしたしんだことと関係があるのだろうか。(作家)
*出典 「メリーちゃん花子さん きいちのぬりえ」 草思社


年代は違っても、ぬりえに対する感覚、考え方は、昭和、平成の人にも共通するものがあるのではないでしょうか。
「色のない絵がかいてあったりすると、私はすぐさま、ぬりつぶしたくなるのであった。」とありますが、授業中に教科書の中のイラストを塗りつぶしたという記憶をもっている方は多いのではないでしょうか。脳の学者に聞いてみたい気もしますが、それは本能のようなものではないかしら、と私は思っています。


田辺聖子さんが亡くなってしまったのは大変残念なことですが、私は田辺さんの古典作品が大好きでした。源氏物語を中心にほとんどすべての古典を読ませていただきました。それらの本は大事にとってあります。それらの古典に通じていらした田辺聖子さんが、子供の頃にはぬりえが大好きだったと知り、大変嬉しくなりました。
田辺聖子さんは、小説、エッセイなどの作品を数多く残されました。田辺さんの文学館は、母校である大阪樟蔭女子大学にあるそうです。文学館には、自筆原稿や作品、また田辺聖子さんの愛蔵品のビーズバッグ、万華鏡、フランス人形、愛用ドレス、宝塚歌劇パンフレット、田辺聖子さんお手作り箱各種や、受賞賞状、副賞である芥川賞正賞「オメガ時計」、日本文芸大賞の盾、紫綬褒章 賞状・勲章、その他写真多数などなど、所蔵されているそうです。これからも田辺さんの作品は多くの方々に読まれていくことでしょう。


きいちはぬりえを残しました。子どもから年配者まで、これからも楽しんでいただきたいと願っています。(館)

Posted: Nurie : 19年07月07日

6月の美術館便り

3月から5月まで春の企画展として「きいち生誕105年 みんなのそしてわたしのきいちのぬりえ」~平成が終わっても、ぬりえはきいちのぬりえ~を開催いたしました。来館されましたお客様の声を感想ノートからご紹介したいと思います。


3月2日(土
・今日、はじめてきました。予想以上にたのしかったし、ぬりえもきれいにぬれてうれしかったです。 また、きます。 小三年生2019


3月3日(日)
・はじめて、うかがいました。 きいち先生の女の子にとてもいやされました。 ありがとうございました。
・あいにくの雨ですが、2回目の来館でした。 利用者さんの希望なのですが、ヘルパーの私のほうが楽しませてもらいました。懐かしいです。ほんわかなふんいきでいやされました。


3月9日(土)
・池袋モンパルナスグループ4名で伺いました。楽しい一時でした。又ゆっくり来たいです。 内田敬子


3月23日(土
・幼児~幼稚園ごろ迄、一番大好きな遊びがぬり絵でした。 昭和30年後半、「きいち」
「まつお」のぬり絵を買ってもらっていました。「きいち」はアカぬけていてオシャレで大好きでした。友達と交換したりしました。


3月30日(土)
・今日はぬりえが大好きな娘と一緒に初めて来ました。「きれいなはなよめさま」をぬってみました。 きれいにできた満足感と感動がありました。また来ます。楽しい時間、思い出、ありがとうございました。 M.H.

4月6日(土)
・昭和43年生まれの50才です。子供のころ、当時駄菓子屋さんで売られていた「きいちのぬりえ」が大好きでした。とてもなつかしいです。東京新聞の読んできました。東京新聞さん、ありがとうございました。


4月7日(日)
・昭和2年生まれです。小さい頃はぬりえ、きせかえなどで遊んだものです。ここに初めて入りましたが、なつかしさがあります。これからも続いてほしいですね。
・わたしは、しょうわのものが大好きです。着せ替えやぬりえはいまのものよりもこっちのふるいぬりえのほうがわたしは好きです。ふるいぬりえがほしいですね。 岩しげあんじゅ 
子ども 8さい
・すばらしいの一言につきます。ありがとうございました。 つくば大学名誉教授 島岡岳


4月14日(日)
・新潟から来ました。私は老人ホームに勤めていますが、ぬりえが皆さん大好きです。きいちのぬりえの絵がカワイイ!!と人気で。一度来てみたくて、ついにお邪魔できました!! とってもカワイイ絵と色! なつかしい内容! おみやげにこちらのぬりえを買っていきます!! 写真も撮らせて下さってありがとうございます! 皆さんに見せます! これからも続けて下さい!


4月21日(日)
・へいせいうまれで、レトロなぬりえをみたことがありませんでした。だけどここでぬりえをみて「きれいだな、すてきだな」て思いました。すてきなきいちさんはすごい!ほかの方もすごい!と心から思いました。ぬりえをあつめて少しずつぬってだいじにしたいな・・・と思います。すばらしいぬりえをありがとうござました。RUVA


4月27日(土
・昭和29年生まれです。ちいさな頃ぬり絵ときせかえで育ちました。本日来館できて、とても
うれしいです。年をとると子供にかえるとか。きいちさんのおいたちとかは存じませんでした。ワクワクしながら拝見。 君子
・仕事としてぬりえを描く・・・・。今仕事をしている中で色々あり、絵などを描くのが嫌になりつつあったので。すこしはげまされたような・・・・とてもていねいできれいでした。


5月4日(土)
・本当になつかしいです。子供の頃時間を忘れずっと遊んでいました。私の思い出の一つです。こんな場所を作ってくれてありがとうございます。ずっと続けてくださいね。


5月5日(日)
・S25年生まれの私にとって幼少期の遊びの代表でした。色を塗りながら、子供ながらいろいろ空想する時間が幸せの時間だったと覚えています。 私の中では今もぬりえ=きいちのぬりえです。春日部の展示室で一度見て、その後ずっと町屋の美術館も是非と思っていましたが、三年前大病を患いやっと今日来ることができました。きいちさん ありがとうございます。
さいたま市 久美子
・S24年生まれの私は、生まれつき身体が弱く運動オンチだったので遊びと言えば、ぬりえ、お絵かきでした。今年3月シルバーパスを取得し、「ぬりえ美術館」の存在を東京メトロの「ちかとく」で知り、いてもたってもいられなくなり今日やっと出かけて来ました。懐かしさとかわいらしさに満足です。 江東区在住


5月18日(土)
・名古屋から来ました。49才です。ずっとぬりえ美術館を知ってきたかったです。念願かないとってもうれしい気持ちです。家にもきいちのぬりえを飾ってみます。ありがとうございました。近くだったら、ぬりえ教室に通いたいです。
・川口市から来ました! 9月で70才になる私です。近いのになかなか来れなくて・・・
今日、やっと念願がかないうれしいです!!昭和30年代にタイムスリップしたような感じです。 ゆっくり見られて楽しかったです。
・静岡・伊豆から参りました。60代を過ぎても幼い頃からきいち様のぬりえは大好きで、編み物をする母の横でもも色のクレヨンがどんどん小っちゃくなって、大切な宝ものです。5円玉にぎりしめて3才の思い出は今も尚私のこころの中で生きております。寺に嫁いだ私ですが、何と住職の名前は喜一なんですよ。とっても心和みました。今度、孫 蓮叶(レノン)3才、花音(カノン)6か月も連れて来たいです。
・<ぬりえ>は文化だと思うことつれづれ。HPでそのようなことを調べ、美術館を知りました。S40年代に生まれた私を育てたのはぬりえときせかえです。美術家になりましたが、幼年期の想いは大きいです。・中野区より


小さい頃にどんなことをして過ごしたかは、とても大事なことなんですね。皆様の思い出の中にきいちのぬりえが存在していることを大変嬉しく思います。高齢社会になり、子どもだけでなく高齢者の方々にとっても「ぬりえ」が役に立つ時代になり、令和の時代にも「きいちのぬりえ」が活躍できるということも大変ありがたく思います。 皆さまの思い出の扉を開く「きいちのぬりえ」をいつまでも愛していただければ幸いです。(館)

Posted: Nurie : 19年06月01日

3月の美術館便り(2)

1.3 文芸春秋 十二月号 (1997年)

People 特集 懐かしの遊び
昭和浪漫復活。集大成の本が完成した「きいちのぬりえ」


昭和二十二年頃から三十年代まで女の子たちの人気を集めた「きいちのぬりえ」
八枚五円の絵が月に百万セットも売れるとは予想もしなかった。

カラーテレビが普及するとともにぬりえは店頭から消えてしまったが、ここ数年続くレトロブームに乗り、ポストカードなどで氏の童女画が復活。また、十年前から日本画で少女を描く「童女百態」シリーズに取り組み、今年二月には埼玉県春日部市で「昭和浪漫童女百態/原画展」を開催した。会場には懐かしさを求める女性を中心に四千五百人が来場。連日長蛇の列ができ、その中には遠路はるばる新幹線で駆けつけたファンも。
「ルーズソックスもかわいい」という氏だが、「平成の女の子を描くとしたら?ロマンを感じられないから難しいですね」

十月には人生の集大成ともいえる作品集「わたしのきいち~ぬりえ作家、蔦谷喜一の世界」(小学館刊)を上梓。これまで表にでることが少なかった氏の素顔と軌跡を知ることができる。

2. きいちの言葉
「持っているだけで楽しい絵」
私は、もっと、心のこもった絵を、小さい子どもたちに見せたかった。一所懸命描いてはいたが、やはり商業ベースだから数をこなさなければ、というところもある。
私は、いい絵が描きたかった。色をぬるためというのは、二の次でよいと思った。色をぬってもぬらなくても、持っているだけで楽しい、という絵を描きたかった。いやな絵を買って、色をぬってもしかたがない。子どもたちが、好きになった絵を選んで、楽しんで、色をつけたいこどもは色をつければよい、と思った。「草思社 きいちのぬりえ」


「美しい絵を描きたかった」
ぬりえは子どもの創造性を阻害すると、悪者視されるのを聞いたりすると、私はふるい立った。ぬりえは、絵画の教育ではない。教育とは無縁のもので、あくまで子どもの遊びである。幼い子どもの情緒を養う、心の遊びだと主張したりした。
もし、私が「ぬるための絵」とだけ考えて絵を描いていたら、もっと違った、教育的なものを描いたと思う。しかし、私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだった。美しい大人なり、子どもなりの絵を描きたかったのである。「草思社 きいちのぬりえ」


きいちはぬりえに対して、上述のような気持ち、思いをもって描いていました。
これらの思いを元に生まれたきいちのぬりえは、当時の女の子たちの心を捉えて止みませんでした。
 

今年の五月には新しい年号が制定され、新しい時代が始まります。昭和の時代から時間は経っても、可愛いきいちのぬりえの少女は忘れ去られること無く、新しい時代にも永遠に生き続けることでしょう。きいちのこれらの言葉と共に。(館)

Posted: Nurie : 19年03月03日

3月の美術館便り(1)

きいち生誕105年
蔦谷喜一の生誕105年をお祝いします。
「みんなのそしてわたしのきいちのぬりえ」
2019年3月2日(土)~5月26日(日)


蔦谷喜一の生誕105年を祝いまして、春の企画展では「みんなのそしてわたしのきいちのぬりえ」と題しまして、日頃は展示をしていない生前に取り上げられた雑誌を中心にグッズ類やぬりえが入っていましたぬりえの袋等を展示いたします。
 

ぬりえは子どものころには誰でもしているものですが、成長するにしたがっていつしかぬりえをしていたことも忘れてしまうものです。しかしぬりえは、子どもの心を育む遊びでもあります。子どもにとって大切な「こころの宝物」を昭和、平成そして新しい時代にも残して、日本の文化の一つとして、きいちのぬりえを伝へ、ぬりえ文化として残していきたいと願っています。
今後ともきいちのぬりえにご支援を賜りますよう宜しくお願いいたします。

1.掲載雑誌より

1.1 ミマン 1998年3月号
50年代 ぬりえで遊んだあのころ

少女たちにせっせと夢を送り届けた
ぬりえ作家 蔦谷喜一さん
 林 えり子 作家

ぬりえ作家の蔦谷喜一さんがご健在、ということを聞き知ったときにはすくなからず驚かされた。
蔦谷さんは、
「一晩に三十枚四十枚、最も忙しかった時代は六十枚も描きました」と、いうご本人の驚くべき証言に私は眼を丸くしたが、それも紙に描くのではなく、
「版に直接描くんです。亜鉛版みたいなのに筆ですけれど油の墨で描く。油墨、油煙墨っていうのかな。間違っていても消せないんです」
とおっしゃり、すぐに印刷できる状態での版下描きであった。誤りの訂正は不可能なので、一枚一枚が真剣勝負、しかもそれを日に何十枚と描いたのである。


もちろん彼は、生活の手段としてぬりえを描いたのだが、ぬりえを描くこと自体にある種よろこびを感じていたようなのである。
「私は男であるし大人であるのにね、年齢があるところで、少女、少年というより少女の気持ちで止まっちゃっていたんじゃないかと思うんですよ。夢見るとか憧れるとかね、希望とかいうものが少女のそれと似通っているんじゃないかと思う」

そのうちに、私たちからぬりえを取り上げた戦争はぬりえ作家をも巻き込み、しかし、敵国アメリカに負けたことが「きいち」の誕生につながったとうかがい、戦後文化の成立をあらためて見直さざるを得なかった。
「私は以前からアメリカという国が好きだったんです。戦争が終ると日本中がアメリカ一辺倒になったでしょう。やっと私の時代が来たと思いました。
 

ということで彼の再起はアメリカナイズされた少女像でスタートされた。
眼が以前にもまして大きく、まつ毛は長く、髪はカールし、「きいちのぬりえ」には何か希望の陽が輝いており、明るく清潔で美しい世界があった。
そうした夢を与えてくれたのは、ぬりえだけでなく、いやぬりえ以上に、いまふうに言えばバーチャルリアリティを味わわせたのが「きせかえ」であったと思う。
「きせかえ」も「きいち」の手にかかるとアメリカのホームドラマが再現され、物のない時代の私たちの夢をゆさぶった。

1.2 飛ぶ教室-季刊/児童文学の冒険 1984年10月号

児童文化のパイオニアたち
蔦谷喜一氏に聞く
  尾崎 秀樹  文芸批評家


尾崎 お家は京橋の紙問屋「蔦谷商店」ですね。九人兄弟の七番目、それも男のお子さんでは一番末と聞きました。

蔦谷 新聞社御用達っていうんでしょうか、各新聞社の紙型とかザラ紙の巻取、つまり新聞紙ですね。ああいうものを家では扱っていたんです。私が子どもの頃は「都新聞」とか「国民新聞」といった小さい新聞社がたくさんありましたし、大きいところでは「読売新聞」と「日本経済新聞」の前身にあたる「中外商業新聞」が主な取引先でした。家に紙があるってことは私がぬりえの仕事を始めるようになってからずいぶん助かりましたよ。

尾崎 子どもの時から絵はお好きだったんですね。

蔦谷 人物を描くのが好きだったんです。小学校の時にチャップリンの絵を描いたらうまく描けた。それ以来人間の絵に興味をもったんですね、自分にはこういう絵が描けるんだと。それも真似じゃなく、チャップリンの映画を観て帰ってから、こういう格好してたなとかジャッキー・クーガン(『キッド』の子役)は鳥打帽をななめにこうかぶって、破けたセーターをこう着ていたと記憶で描くんですよ。そうなると単なる真似じゃなく、わりに独創性がありますからね。樺島勝一さんの『正チャンの冒険』なども得意でした。とにかく人物を描きたかったからなんです。一時は高畠華宵の挿絵に見せられ、挿絵画家になりたいと思いつめました。

尾崎 挿絵としては華宵のほかにどういう方たちの作品に関心を持たれましたか。

蔦谷 岩田専太郎さんの絵は、私には少し強すぎてあまり好きじゃなかったんです。志村立美とか、富永謙太郎、それ以前ですと林唯一などですね。

尾崎 戦争中はどうなされたんですか。

蔦谷 昭和十七年の物資統制で必然的にぬりえ屋も廃業。私も徴用されて海軍へ行きました。昭和二十年に終戦で家へ帰ってくると、海軍時代の知り合いの紹介で進駐軍の兵隊さんの家族や恋人などの肖像画を描きました。落下傘に使う羽二重に枠を作りまして日本画のタッチで描いたんです。掛軸に作ったのも受けましてね、聞き伝えに耳にして入れ替わり立ち替わり、毎日のように注文がありました。進駐軍が引き上げるまでの一年間、一日に一枚ぐらいの割で続き、それだけで仕事になりましたね。そして進駐軍が引き揚げて明日から何をしようかななんて思ってた時に、ちょうど入れ替わりのようにフジヲを描いていた時のぬりえ屋さんが訪ねてきて「ぬりえを再開するつもりで、一年間あなたを捜し歩いた」といってくれたんです。

Posted: Nurie : 19年03月03日

美術館便り 1月~2月合併号(2)

東京都
佐藤 順子様 60代
《作者からのコメント》
・小遣いをもらうと駄菓子屋に行き、先ずぬり絵に飛びつきました。色鉛筆で綺麗に塗れると嬉しくて、妹や母も一緒に競っていました。情緒ある少女の絵に「きいち」って優しい人だろうなと、想像したものでした。季節行事に心弾ませていました。
前回応募して、ぬり絵の楽しさを思い出し、コンテストを待っていました。「七五三」には神社で、紅葉の背景が浮かび絵画のように写真のようにと盛り込んで夢中になってしまいました。色々アイデアがありましたが、和のイメージで古風になりました。

《館長からのコメント》
・古典的な柄も入って、豪華な七五三の着物に仕上がりました。少女を引き立てる、背景の紅葉、神社の階段やお宮と手が込んでいて、大変素敵でした。


神奈川県
山本 祥代様 60代
《作者からのコメント》
・父母、兄弟が留守の時、一人楽しくぬり絵をしていました。昔ながらの「きいち」のぬり絵、原点に帰りとても良いです。

《館長からのコメント》
・新聞の切り抜きに塗ってくださっていますので、大変小さい絵なのですが、着物と背景と全体としてとても纏まって可愛い作品です。


東京都
岩井 タツ子様 60代
《作者からのコメント》
・幼い頃より、ぬり絵は、私の生活の一部でした。特に雨の日は、一日中ぬり絵をして空想の世界を楽しんだ思い出があります。下絵は昔風の絵ですが、情緒があって絵心をいつも注がれます。

《館長からのコメント》
・京都の七五三のお祝いでしょうか。丁寧に塗り込んだ部分に塗っていない白紙の部分が神社の白砂のようですっきりと仕上がっています。


東京都
富塚 節子様 70代
《作者からのコメント》
・この企画できいちのぬりえの奥の深さをいつも感じます。様々な題材を楽しめるというだけでなく、昭和の生活空間を感じながら今の自分の考えや表現の仕方を再発見することが多々あります。いろいろな世代の方の感じ方を知るのも楽しみです。
今回は色鮮やかな着物を着て「見て、見て」と言っているのでしょうか。

《館長からのコメント》
・着物の色、柄が個性的です。帯揚げが二色絞りというのもなかなか細かいところまで凝っています。神社に続く石畳がなんとも落ちついていて、そこに落ちる銀杏の黄色の葉といい安定感があります。


東京都
井上 とし子様 70代
《作者からのコメント》
・戦後生まれ百姓家だから現金は自由にならず、ぬりえとは縁がない。少女まんが家の真似して絵が好きになり自分で描いて塗るという事今でも続いている。
きいちさんのぬり絵は駄菓子店でいつも横目でチラリ、塗りやすい絵と思っていた。昭和時代を思い出す。年寄りだから発想はむずかしい。ベーシックな塗りになっています。

《館長からのコメント》
・発想が難しいなんて、とんでもない。大変斬新なぬりえになっています。新聞の切り抜きの小さい絵ですが、大きな絵に負けていません。


神奈川県
寺門 民夫様 70代
《作者からのコメント》
・昭和30年代、小学生だった頃。自分の好きな洋服を着れなかったので、ぬりえに自分の好きな色を塗って、将来こういう色の洋服を着るんだと夢見ながらぬりえをしたものです。自分の好きな色を塗り終えると必ずキレイに仕上がり100%満足したのを覚えています。
ぬりえコンテストを初めて知りました。同じ題材(線描)を基にしたコンテストは、これ以外他に有りません。とてもユニークな試みではないでしょうか。

《館長からのコメント》
・秋の神社の境内に立つ少女。コスモスのような着物を着た少女が色合いとともに浮き立っているようで構図的にも素晴らしく、楽しいぬりえです。


神奈川県
並木 茂様 80代
《作者からのコメント》
・三才の時小児マヒになり、なにも出きなかったです。まわりの人が手をうごかかすぬりえやりなといってくれたので、ぬりえやったことおもい出しました。こだわらないで、自分なりにぬりえが出来ること、前向きにぬりえが出来ること、楽しそうに思う。

《館長からのコメント》
・七五三の少女がお祝いに嬉しくて、発光しているようなイメージになっています。とても手が不自由であることを感じさせません。来年も是非ぬりえコンテストにご参加ください。


今回も素晴らしい、個性溢れる作品が集合いたしました。元の絵は同じですが、これだけ違った絵になっていきますので、作者の方の想像力、創造力に驚かされます。ぬりえは誰にも取り組み易いものですが、その奥は大変深いものがあると思います。絵の中だけに留まらず、絵の外に出て行くらい飛んで描いて欲しいと思いますし、どんどん描き込んで絵の世界を奥深く探っていただきたいと思います。元の絵は同じでも、作者の独自の絵になっていくと思います。その楽しさをこれからも多くの皆さまに理解していただければと願っております。


今年も秋ころぬりえコンテストを開催する予定ですので、これからもぬりえコンテストに参加くださいますよう、宜しくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 19年01月13日

美術館便り 1月2月合併号(1)

明けましておめでとうございます。元号が変わる新しい年でもありますので、平和で穏やかな生活ができる年になることを願っています。

さて、昨年10月に実施いたしました第9回ぬりえコンテストの優秀作品を1月12日(土)より展示をしています。お蔭様で第9回は200通以上(昨年の倍)の応募がございまして、選定をするにあたり、応募数の多さに嬉しい悲鳴を上げておりました。これも皆さま方のご支援の賜物と厚く感謝申し上げます。

厳選な審査の上、優秀作品15点をぬりえ美術館に展示すると共に、優秀作品ならびに次点作品、特別賞の作品をホームページに掲載しておりますので、併せてご覧いただければ幸いでございます。今後もぬりえコンテストを続けてまいりますので、どうぞ沢山のご応募お待ちしています。
また今年の二月は蔦谷喜一の生誕105年にあたります。これからも皆さまに愛され、心に残る「きいちのぬりえ」とぬりえ美術館にご支援を賜りますよう心よりお願い申し上げます。

以下に今回の優秀作品の方のコメントと館長のコメントをご紹介いたします。


埼玉県
濃野 知世様 20代
《作者からのコメント》
・晩秋らしい色使いを意識して、夕焼けのオレンジ色やぶどう色でまとめました。ちょっと奇抜な色あわせでもぬりえなら自由に着せることができるので楽しかったです。

《館長からのコメント》
・着物の表現に日本の伝統的な”暈し”や”絞り”に帯の金糸などが生かされた豪華な七五三の着物に仕上がりました。千歳飴の袋もキチンと描かれています。赤い欄干が七五三のイメージにぴったりです。

千葉県
滝口 由紀香様 40代
《作者からのコメント》
・大人の塗り絵に興味があって、自分で塗った塗り絵をポストカードとして知り合いに出したいので、事始めに練習させていただきました。

《館長からのコメント》
・新聞の中のぬりえに塗ってくださいましたが、着物部分は塗りはシンプルでしたが、November、7、5、3歳等など、周りのアイデアが大変お面白く、アイデアの勝利でした。


東京都
かさはら あやこ様 50代
《作者からのコメント》
記入なし

《館長からのコメント》
・ぬりえ仲間の方たちとぬりえを楽しんでいらっしゃるかさはら様。見るだけで元気に
なるような色彩が素敵でした。タイトルの部分には暈しも入り、細部まで丁寧に描かれています。


東京都
熊谷 眞由美様 50代
《作者からのコメント》
・人にもよるのかもしれませんが、ぬりえは気持ちが落ち着いている時に、心静かに感性の流れで塗っていくような気がしますので、初心に帰る気持ちで誰でも気軽に簡単に楽しめるといいなというか、それが望ましいと思うので、時々?定期的にこのような機会があるといいと思います。

《館長からのコメント》
・熊谷さんのぬりえも背景に心惹かれました。モダンな感じがします。縁取りの紫も効いています。お手紙にも色々な絵が切り張りしてあって、お洒落でした。ますます感性を研ぎ澄ましていってください。


千葉県
宮田 江美様 50代
《作者からのコメント》
・スグ目に入りました! なぜ13点?かは不明ですが、何か、あるのかな・・・?
「ぬりえ美術館」は前から存じ上げていました。まだ行った事はありませんが、この楽しい企画にぜひ、行きたいと思いました。

《館長からのコメント》
・13点は、美術館の壁面に展示できる額の数からきています。ご了承願います。
ホンワカ~とした暖かい作品ですね。しかし締めるところはきちんと締めて丁寧に描いています。花の塗り方もこのような塗り方は他にありませんでしたし、千歳飴の袋もきちんと描かれています。


埼玉県
丸谷 悦子様 60代
《作者からのコメント》
・楽しくぬりえができました。

《館長からのコメント》
・着物の色使いが大変個性的で、かつ全体の色彩が大変纏まっています。


岐阜県
寺倉 智子様 60代
《作者からのコメント》
・神社の鳥居の前で、ポーズをとっているかわいい女の子をイメージしました。今回は、帯、筥迫(はこせこ)、頭のリボン、千歳飴をデコぬりえにしてみました。とても楽しい時間をすごすことができました。

《館長からのコメント》
・着物、背景、紅葉に花と、完璧ですね。着物の柄を全くオリジナルにして素晴らしいテクニックで柄を表現されています。千歳飴の袋もどのように作られたのか、素敵です。

Posted: Nurie : 19年01月13日

7月の美術館ニュース

7月になりました。6月より開館日が変更になり、土曜日・日曜日のみの開館となりました。祝祭日は休館となりますので、宜しくお願いいたします。


今月は、きいちのぬりえの発祥について、出版元のお話を「メリーちゃん花子さん きいちのぬりえ」草思社(1978年)からご紹介したいと思います。


「ぬりえ屋家業の話」 石川 花子 (石川松声堂未亡人)
~ぬりえは喜一さんがいちばん~
あの先生の絵は女の子の髪が縮れているでしょう。これで売り出したんですよ。クルクルとした頭で、足が太くて、鼻はあるかないかで、首が短くて、あちら風でね。戦争前には、そんな縮れた髪、なかったでしょう。戦争前の、ほかのぬり絵屋さんのをみると、お姉さんならお姉さんらしく、首が長くてね、すーっとした絵でしょう。こちらは独特の絵ですからね。 
イヤリングなんかはね、時代がだんだんそうなっているから、つけれくれ、つけれくれって私が言ったんです。小さいお子さんというのはイヤリングとか指輪とか、大変お好きなんです。だからなるたけ指輪は描いてくれってね。
 喜一さんの絵、お子さんが大変好いてくだすってね。駄菓子屋さんでお買いになって、たいがい五円ですねえ、買ってらしたんですよ。十円のはそれより大判でね。大判もあったんですよ。


その時分は、他のぬりえもよく売れたんですよ。でも、ぬりえだけは喜一さんがうまいですよ。年中それを研究して、ぬり絵一本で生活していたんだから。ああいう商売していると、絵描きさんがよく来るんですよ。「こういう絵ですが、描かせてくれませんか」って。ぬりえをこしらえるには元手がかかりますから、めったやたらに描かせやしませんが、たまにはね。でも、一年とつづきませんね。ずーっと続いたのは喜一さんより他、ないですね。
 

喜一さんの絵はていねいですよね。他の絵描きさんは、絵の具をかきあわせて、ちょっと塗って、「ここがピンク」とか指定してくるだけなの。喜一さんは全部を塗って、仕上げてくれるのよ。細かい所までね。

~追っかけられるほど売れて~
十年くらい(三十五、六年まで)は、ずいぶん売れたんですよ。
「きいち」は、新しいものを月に四版だしますから、それでまた、売れるんですよね。他のところは、袋から中味から変えないんですよ。いちど版をこしらえるでしょ。そうすると、それを何年でもやっているんです。ウチは一週ずつ、新しいの、新しいのとこしらえてね。表紙から中味から全部新しいんです。だから新版が出たというと、「ワア―ツ新版が出た!」ってね。


~袋入りぬりえを発明~

私どもがぬり絵を始めましたのは、終戦後のことなんですよ。
私の妹の嫁ぎ先がぬりえ専門にやっていたウチでね、終戦は20年頃ですか、その前からずーっとぬりえをつくっていたんです。昭和の初めからやっていたんですかね。「フジヲのぬりえ」と言いましてね。屋号は勉強堂というんです。その時分は黄金バットとか、そういう漫画式のが、だいぶ出たらしいですよ。紙芝居見せて飴のかわりにぬりえをくれたり、縁日でね、一枚ずつ、今言うと(お金の価値が違っていて)おかしいけど、一銭くらいで売ったんじゃないですか。戦争前はバラで売ったんですよ。ぬりえを袋に入れて売るのを考えたのは、私どもですからね。


戦争中、妹たちは長野の方に版を持って疎開しましてね。終戦になってウチに版を持ってきて、「じゃ、これで一緒にやりましょう」ってことになったんです。(昭和21年)
その時分は、紙買うったって、容易じゃなかったんですよ。私どもは戦争前、絵葉書屋をやっていた関係で取引きがありましたからね、ザラ紙みたいな紙を製紙会社から直通でまわしてもらってね。それを印刷屋に頼んで、やるようになったんです。
 

ウチのダンナ(花子さんの夫。故徳三郎さん。三十四年、六十四歳で死去)は絵葉書屋出身でしょ。それで、そのほうがまとめて売れるだろうと、ぬりえも袋に入れて売り始めだんですよね。そのうち、よそでも真似し始めたというと変ですけれど、袋にいれたっていうそもそもは、私どもが早いんです。


「メリーちゃん花子さん きいちのぬりえ」は、草思社から1978年に出版されたものです。同じ年に資生堂のギャラリーで、きいちのぬりえの展覧会が開催され、そこで集まったぬりえを使ってこの本が生まれたようです。
きいちのぬりえに関する本では、最初の本であるため、掲載されているぬりえはとても素敵な可愛いぬりえが数多く載っています。ぬりえが入っていた袋はカラー印刷されていましたが、その袋の絵は、私も持っていない絵を沢山見る事ができます。
1978年頃には石川松声堂の未亡人もまだ生きていられたので、このような貴重なお話も聞けた訳ですね。きいちのぬりえ誕生のお話やぬりえが袋入りになった背景など興味深いお話です。(館)

Posted: Nurie : 18年07月01日

6月の美術館便り(2)

5月4日(祝)
・母子で来ました。とてもなつかしいです。 2014年に見つけて(知って)ずっと来たかったので、今日はとてもうれしいです。 ありがとうございます。
・子供の頃にあこがれたぬり絵の作者 きいちさんの美術館に初めて来れて感激しました。
ありがとうございます。
・ついに来館する事が出来ました!!
昭和39年生まれの私は、小さい頃近所のおもちゃ屋さんで、よく喜一先生のぬりえを買ってもらったものでした。 今日着て、きせかえ人形の事なんかも思い出し、心がじーんとしております。
あの頃は、和装よりも洋風のぬりえが好きでした。見た事もない素敵なドレスの絵に色を塗ったものでした。大切にぬりました。
大きくなり、美大に進学し、(武蔵野美術大学)その後、パッケージのデザイナーとして生きています。 喜一先生も、元は、日本画家志望だったことや、画学校クロッキー研究所に学ばれた事を本日知り、ぬりえの画の構造がしっかりしているのに、納得しました。又ロゴ(サイン)の謎(?)遍歴もずっと(小さい頃から)不思議に思っていましたが、Tティーだったのかと、本日納得しました。又会社によって使いわけていたのね・・・・。と。あー、ホントに来てよかった!!!
とっても心が温かくなって、人生を振り返るような1日でした。ありがとうございました。
喜一先生、バンザイ!!


5月5日(祝)
・一度来館したく、思ってました。 私も74歳 子供の頃、良く親に買ってもらい、妹とぬりえをしました。 そのぬりえが私が住む(西新井)近くに有り、びっくり。今日、来館できた事、うれしく思います。
 注:喜一がぬりえを制作していた当時、西新井の近くの島根町に住んでいました。ご近所には ビートたけしさんのご家族がいらして、お母様はきいちの家で踊りを習っていました。

5月6日(日)
・以前テレビで見たのをきっかけに、来館したいと思っていました。 今、神奈川県にある大学で音楽の勉強をしており、ぬり絵と音楽、ともに一つの芸術であることに勝手に親近感を抱いてしまいました。 音楽を通して今の高齢者に接する機会が多いので、ぬり絵について色々聞いてみたいな、と思いました。 また来館したいです! ありがとうございました。


5月12日(土)
・晴れの汗ばむ日
念願の“きいち”のぬり絵美術館にたどりつきました。 なれない地下鉄をのりづぎTAXIに助けられて、とても幸せな気分です。やっと会えました!! 感激!! “亡母の十三回忌”に上京。母の日を前に母が導いてくれたようです。 母の優しさを思い出しました。ありがとうございました。(北国より)
・とてもかわいらしいです。 当時の様子も感じます。 常田メロン


5月26日(土)
・女の子4らしい絵にようやく会いに来れました。ずっと来たかったので、今日は来れて幸せでした。私が生まれる前からの絵ですが、とてもなつかしくいやされます。 浅田智代子


遠くからぬりえ美術館にお越しくださいまして、本当にありがとうございました。館内に入ると小さい頃の思い出がいろいろと走馬灯のように思い出されるようですね。いつまでも思い出の火を消さずに暖めていてください。またのご来館をお待ちしています。(館)

Posted: Nurie : 18年06月02日

6月の美術館便り(1)

6月になりました。今月から開館日が変更になり、土曜日・日曜日のみの開館となります。
祝祭日は休館となりますので、宜しくお願いいたします。

 
3月から5月まで春の企画展として「きいちの春・きいちの夏」~元気な子どもたちでいっぱいだった~を開催しておりました。来館されましたお客様の声を感想ノートからご紹介したいと思います。

3月10日(土)
・とてもむかしのぬりえだったので、びっくりしました。外国のぬりえ本もすごかったです。
・川崎から2回目の結婚で町屋にきました。ついこの間の女子会で、きいちのぬりえの話をしてもりあがってしまったところです。母は保育士だったので、ぬりえをかってもらえず、おばあちゃんの家でかくれてしていました。上びらきのぬりえには、女の子のあこがれが、つまっていたようにおもえます。 桜とともに感謝。 カコ


3月24日(土)
・主人と寄ってみました。 あ~ なつかしい! 子供の頃よくぬりえをしていました。今度は孫といっしょにぬってみようと思います。 由美子
・子供の頃を思い出しました。 麻美
・軽い気持ちでぬり始めたら、顔の色が難しくて思ったように塗れませんでした。色えんぴつで色を出すのは難しいと思いました。 T.N.

3月25日(日)
・ぬり絵ボランティアをしておりますが、参加者がぬり絵の経験がない方ばかりでボランティアの私達も経験がなく手さぐりで進めております。参考になればと思い、横浜から訪れました。 F.M. 


31 Mar. 2018
・ Though I can’t really understand Japanese, I had fun here because I can paint a Picture here when colouring is a habit many years ago. At that time, I was still a Child. The museum is quiet and peaceful. You can slow down yourself and enjoy a Pleasant afternoon. ビビアン from Hong Kong


4月8日(日)
・友達と来ました。尾久の原公園のしだれ桜はちってましたが、ぬりえ館に入れて良かったです。 昔をなつかしみました。


4月14日(土)
・華宵や夢二が好きで、その延長線上でレトロな絵に興味を持つようになったところこちらの存在を知り来てみました。私は平成生まれですから、もう塗り絵というとアンパンマンとか既存の人気キャラばかりでオリジナルの女の子の塗り絵にふれたことはありませんでした。きいちの絵は贅沢な手仕事で模様も凝っていて可愛らしくて、リアルタイムで触れることができた方々がとてもうらやましいです。 私も昭和に生まれたかった~! 当時の子供たちが憧れたのもうなずけます。


4月29日(祝)
・初めてきたのですが、とてもすばらしい作品が、かざられていて、とても、すてきだと思いました。 ぬりえが、好きだったころのことを、思い出して、なつかしく、思いました。見にきて、とても、よかったと、思います。
・やっと入れました。 なつかしいです!!


4月30日(振休)
・昭和35年生まれの私は いっぱいお世話様になりました。きいちさんのぬりえ。来たかった場所にやっと来れました。今、着物に関わる仕事をしていますが、私の持つ和装の華かなイメージはきいち先生のぬりえが原体験だと思っています。 ゆきえ 札幌より

Posted: Nurie : 18年06月02日

その時の様子を喜一はこう回想する。★★

JP12345-640002.jpg「突然電話がかかってきて、これから絵を見に行っていいかってことでしたよ。訪ねてきたのは確か、女性が一人に、男性が三人くらいでしたね。
女性のファンならわかりますけどね、男性が多くてね、ちょっと驚きました。それに、いい大人が私の絵を見るたびに歓声を上げるんです。
なんだか不思議な気がしましてね。子供ならわかるけど、大人がなぜこんなに喜ぶんだろうって」

これを機に長谷川は、忘れ去られようとしていた喜一の存在を世の中にアピールしようと動き始める。
喜一の絵を起用してもらうために出版社に働きかけたり、知り合いに取材を頼んだり、イベントを仕掛けたり、この効果はやがて多方面に波及し、喜一の存在は改めて認識されるようになる。
昭和五十三年の資生堂ザ・ギンザホールでのぬりえ展や当時若者に人気だった雑誌<ビックリ・ハウス>を主催のアート展に、常連アーティストに混じって、喜一も数々の作品を発表した。

Posted: Ziromin : 18年03月12日

美術館便り 3月~5月合併号

春の企画展
「きいちの春・きいちの夏」~元気な子どもたちでいっぱいだった~
春から夏の季節の子どもたちの輝きの姿を展示いたします。
開催期間:2018年3月3日(土)~5月27日(日)


きいちは約20年間、ぬりえを描き続けました。長い間描いたぬりえの中でも、きいちの好きな色いえば、「ピンク、赤、紫、ブルー、白」  背景によく描き込む花もきれいで可愛らしいものを選んだといいます。なかでも「さくらが一番多く描いた花じゃないかな。色もそうだけど、五枚の花びらのバランスが取れている感じが好きなのね。基本的に花はなんでも好んで描くんですが、さくらやコスモス、梅、ガーベラなど、どちらかというと一重の花が好きかな」と言っています。
ぬりえの背景としてよく描きいれたものには、桜の花のほかに蝶がある。蝶は絵柄や色彩の変えることで、華麗さ、はかなさ、躍動感など、どんな雰囲気も自在に表現できるから、ぬり手の好みでぬりえを楽しんでもらうのに、ぜひとも添えておきたいものなのだそうだ。
このような視点でぬりえを見ていただいたら、また何か発見があるかもしれませんね。。
参考:小学館「わたしのきいち」より



暖かくなると庭の草花の芽がほころび、色とりどりの花が咲き始めます。草の緑も目にまぶしく香りが匂いたってきます。家で飼っている動物たちも負けじと動きはじめます。草花に誘われて大人や子どもたちもお花見や遠足にとお出掛けします。子どもたちは自然の動きとても敏感に反応するようですね。
      


家では、春の日差しに気持ちよくお洗濯のお手伝い。ごしごし洗って、パンパンと干しましょう。学校にはきちんと本をつめて、車にも気をつけて「行ってきます!」
      


最近かき氷が流行していますが、昭和20~30年頃には暑い夏の日を涼しくしてくれるのは「かき氷」とかラムネ、アイスキャンデーなどでした。30度といえば大変な暑さであり、扇風機をかけて涼をとっていました。木陰のハンモックは、ちょっと憧れ。気持ちよさそうです。
デッキチェアーで休むことができたのはぬりえの中の少女くらいではなかったでしょうか。
      


夏は七夕様や夏祭り、夏休みなど子どもたちにとっては一番好きな季節ではないでしょうか。
海に山に、お友だちと楽しい夏の思い出を沢山作ったものです。夏休みが終わって、学校に行くと誰が一番日焼けして真っ黒になっているか競ったのではないでしょうか。
子どもが大勢いた時代、外で暗くなるまで近所の子どもたちや学校の友立ちと体を動かし様々な遊びをして過ごしていました。子どもの心と体をつくるのに大事な時間でした。
      
                   
 
子どもたちが一番輝いていた時代、ちょうどその頃にきいちのぬりえがあって、子どもたちの姿を生き生きと楽しみながらきいちは毎月描いていたのでしょう。


8月からの秋の企画展では、秋から冬の子どもたちの姿を展示する予定です。皆様の好きな季節はいつでしたか。今回の展覧会が皆様の子どものころ、昭和の時代を思い出すキッカケとなりましたら幸いです。(館)

Posted: Nurie : 18年03月10日

2月の美術館便り

2月といえば、節分。最近では豆まきより「恵方巻き」のほうが有名といいますか、人気があるようですね。様々な恵方巻きがでているので、面白いと楽しんでいます。
さて、3月から春の企画展が始まる前に、昨年10月以降に来館された方々の感想ノートから来館者のお声をお伝えしたいと思います。まず第一声は、カナダからいらした方です。


Nov.3、2017 (祝)
・Super Little Museum- Made Me Feel Like A Kid Again!
Rod Shacley Ottawa Canada


11月4日(土)
・一度来たいと思っていたぬりえ美術館に来れて最高にうれしいです。ほのぼのとあたたかくなつかしい幼少時代、ふるさとですごしたかけがえのない母との思い出が蘇って来ました。ありがとうございます。 佐古田 60代


11月5日(日)
・テレビで見て、気になっていた美術館に夫の出張のタイミングで来れて嬉しいです。一人でゆっくりとても心がゆっくりする時間を過ごせました。ありがとうございます。とても居ここちのよい空間でした。 N

1月11日(土)
・昔なつかしいぬりえに出会えてゆったりしたひと時を過ごせました。


11月12日(日)

・こまかいところまでていねいにかけててとてもびっくりしました。これからもいっぱいぬりをします。


11月18日(土)

・久しぶりに童心にかえりました。幼かった時の事をいろいろ思い出しました。
・子どもの頃、ぬりえやきせかえが大好きだったので、最近見当たらず残念に思っていましたが、昨日PCで探したらこちらを見つけ、来ました。なつかしくて、うれしく楽しかったです。ありがとうございました。


11月19日(日)
・私は台湾人です。はつみて日本の美術館です。譲我想起百己小時候的時光 ○持品
 在台湾 紙哇哇在7月時会復活! Lei


11月25日(土)

・孫2人、じいと4人で埼玉和光から来ました。大人のぬり絵を楽しむかたわら、孫たちと遊んでいます。なつかしいぬり絵に出会い、嬉しくもある1日・・・・良かった~。  ○八
・大学のレポートで、ぬりえについて書こうと思い今日来館しました。私が幼い頃していたぬりえとは全く違う作風・・・というか、絵のタッチも細かさも今のものとは異なっているなあと思いました。色々な時代背景があって、ぬりえの隆盛や衰退が起こって・・・まだまだ知りたいことがたくさんあるので調べていこうと思います。
・ぬりえ大好きです。こようこようとずーと思っていました。実現して超最高うれしいです。3、4頭身のかわいい女子なんともいえず愛くるしくてホッとします。 
きせかえ人形でもよく遊びました。小さい頃縁側でひなたぼっこしながら遊んだのを思い出します。今日はどうもあありがとう!! 横浜から来た70才近いおばさんより


12月2日(土)
・今日は娘と2人できました。いろいろと見てきいちさんて素敵な方でしたね。絵はとっても楽しい部屋に一杯かざっているのですけれど、又発見の絵を塗りたいと思います。デコ

12月3日(日)
・今日はとても楽しくていろいろぬりえをしました。みんなでまたきたいです。 ゆり
・今日はぬりをしたりきせかえ写真をとって、とても楽しかったので、みんなでまたきたいです。ゆうな
・ぬりえびじゅつかんでぬりえをぬったりきせかえをしたりしてたのしかったです。 すみれ


12月23日(土)

・今日は窓と2人で来ました. きいちさんの絵が面白いです。今からぬりえに挑戦します。

皆さま、遠くからぬりえ美術館にお越しくださいまして、本当にありがとうございました。
館内に入ると小さい頃の思い出がいろいろと走馬灯のように思い出されるようですね。
小さいころの思い出、とても大切ですね。きいちのぬりえの思い出とともにお母様を思い出される方が多くいらっしゃいますが、いつまでも思い出の火を消さずに暖めていてください。
またのご来館をお待ちしています。(館)

Posted: Nurie : 18年02月12日

1月の美術館便り

今年も皆さまにとってより良い一年でありますよう、お祈りしています。

今年は一年を通じて、きいちが毎月描いていたぬりえの中から春夏秋冬の季節に関連したぬりえをご紹介していきたいと考えています。毎月2つのぬりえの版元からぬりえが発売されていました。毎月ということは、1月であればお正月風景、2月であれば豆まき、雪景色、3月であればひな祭りとその月にまつわる行事を中心に、その時々に流行しているものを取り入れて時代性を演出し、子どもたちの好きなもの、関心のあるものなどをぬりえの中に描いていたと思います。そしてそれらの絵の中で少女や男の子たちは生き生きと動いています。ぜひご覧ください。


昨年小学館から大判のぬりえの「世界の童話編」が出版されました。「およめさん」に続いて女の子が大好きなお姫さまが一杯のぬりえ本です。
こちらの表紙は何のお姫さまか分かりますか?答えは 「人魚姫」なんですね。
ドレスの薄い生地の下に人魚のウロコがみえます。頭の冠には人魚姫ですからは珊瑚と真珠で飾られています。
この袋の中のぬりえにはどんな絵が入っていたのか想像するのも楽しいですね。アンデルセンの「人魚姫」の物語りが描かれていたのでしょうか。

きいちの大判ぬりえの中では、「ドレス編」が小さいお子さんに人気があるのですが、その理由はお姫さまが着ているようなドレスが描かれているからですが、「世界の童話編」にも多くのお姫さまがいますので、この本もまた小さいお子さん方に人気となることでしょう。勿論年配の女性にとっても、子どものころに読んだり、塗ったりしたものばかりですから、懐かしい本になることでしょう。


今年もぬりえで楽しい時間を過ごして頂ければ、何より嬉しく思います。(館)

Posted: Nurie : 18年01月14日

12月の美術館たより(2)

2.次点作品
東京都 下山 れいあ様 5才
☆かわいいぬりえでうれしかったです。
○しらゆき姫を可愛くするために、きれいな色をいろいろ使ったり、ハートや星、お花などの柄を描いたり、様々な工夫があっていい作品になりました。


東京都 鶴川 友里様 30代
☆何気なく始めたら、子供を想いながら熱中してしまい完成しました。
○配色が全体的に調和して、とても素敵でした。


愛知県 岡田 智美様 30代
☆偶然この「ぬりえコンテスト」を見つけて、今までぬりえは一人で楽しむもの。と想っていたので、とても楽しくぬりえをすることができました。
○静かに丁寧にぬりえして、どこまでも優しいしらゆき姫が完成しています。


東京都 中沢 美智子様 50代
☆素朴な遊びが一番です。遊びながら心も体も癒されます。子供がいたら一緒にやりたい!!
○塗ったり、貼ったりと楽しんでくださったことが分かります。想像を大きく広げることができて素晴らしいと想います。

東京都 三木 春人(はると)様 80代
☆1階のデイ・ケアでは各人、ぬりえに取り組み、その魅力を感じております。ぬりえ美術館があることはこの特集で知りました。一度訪れたいと想います。
○力強く色を塗ってぬりえをされていて、良いと思いました。これからもぬりえを楽しんでください。


3.特別賞
東京都 井上 モト様 104歳
☆前回応募してから、この募集が楽しみで、色ぬりの練習を沢山していました。(代筆)
○昨年に続き、今年も応募してくださいまして、ありがとうございました。丁寧に塗られています。どうぞお体に気をつけて来年も作品を送って、最高齢の更新をしてください。お待ちしています。


今年のテーマの「しらゆきひめ」は、きいちの絵が完璧すぎるためか、綺麗に色を塗った作品が多く集まりました。ぬりえ美術館としては、ぬりえから飛び出すほどの遊びのある自由な発想のぬりえの誕生を望んでいます。
優秀作品や次点作品はそのような観点から選ばれた作品です。展示を見ていただければわかりますが、これが元の絵は同じといいたくなるような作品群になっています。
来年もまたコンテストを同じ頃に予定しておりますので、どうぞ奮ってご参加ください。


今年もご来館ありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。(館

Posted: Nurie : 17年12月02日

12月の美術館たより(1)

今年の12月は、天皇陛下の退位などを来年に控え、何かと慌しくなりそうです。平成になってもう30年になるわけで、時間の時間が経つのは早いものです。平成29年の暮れにじっくり昔を省みるのはいかがでしょうか。新しい何かに気がつくかもしれません。


ぬりえ美術館は現在第8回ぬりえコンテストの優秀作品を展示しています。またホームページには優秀作品と次点作品をアップしています。今回選ばれた方の感想ならびに館長のコメントをご紹介いたします。


1.優秀作品より

東京都 山田 さき様 10代
《作者からのコメント》・・・☆印
☆毎年ぬりえコンテストを楽しみにしています。今回は大人っぽい白雪姫にしました。ポイントはりんごのイヤリングです。
《館長からのコメント》・・・○印
○ 「大人っぽくしたい」、「ポイントは・・・」など考え方、狙いをもって作品をつくっているのは素晴らしいことですね。赤と紫の配色やストライプという作品はさきちゃん一人でした。オリジナリティーがあっていいですね。


千葉県 濃野 知世様 20代
☆しらゆき姫が森の動物たちとお花の冠を作っているシーンを想像して描きました。背景はさわやかな朝の森のイメージです。絵本のように温かみのある色を選びました。一番気に入っているのは真っ赤なくちびるです。
○森の背景、動物、小鳥たち、そしてしらゆき姫の顔や手などの質感までもが感じられます。王冠のアイデアも面白いですね。


東京都 久保田 康代様 30代
☆毎年、ぬり絵コンテストの開催を楽しみにしています。子供の頃、夢中になったぬり絵、自分のこだわりを自由に表現できる楽しさ。こんな素敵な時間にきづくきっかけをくれたこのぬり絵コンテストに感謝しています。また来年も楽しみにしています。
○ドレスに縮緬の生地を使っていただいても違和感がありませんね。ブレスレットやウサギの耳やリスの首についた飾りも可愛いです。来年もどうぞお楽しみに。


神奈川県 大沼 美穂様 30代
☆子どもの頃は家でもくもくと1人でやることが多かったですが、最近は母と一緒にやったり、友達と一緒にしたりしています。今回のコンテストには母と友達も参加しています。来年もぜひ開催してほしいです。
○トータルの配色がとても素敵でした。空の白い雲に目が行きます。ターコイズのリスが
いてもぬりえですからありですね。

東京都 矢崎 剛二様 40代
☆なし
○今回はハロウインのイメージですね。背景の赤が効いています。ちょうちん袖にはドクロが。とても個性的で毎回楽しませていただいています。


東京都 伊澤 実香様 40代
☆今回久しぶりにぬってみて、とても楽しかったです。パソコンや目にまぶしいものを離れて、紙と色エンピツやクレヨンで熱中する、良い時間でした。
○ドレスの繊細な柄に惹かれました。背景に入った花も、まるできいちが描いていたかと思いました。


広島県 武田 浩子様 50代
☆このコンテストを心待ちにしていました。不慣れなのに、ドレスを布で作り、ベルトの茶の水玉はしろペンで書き込みました。動物たちに色鉛筆などで塗るのも楽しかったです。
○立体的で豪華なデコぬりえになりました。台紙にも布が貼ってあり、ドレスとの相性もぴったり。今回デコぬりえ風の作品が他にもあり、どこをデコレーションするか、それもまた作者の個性になりますね。


東京都 松風 カオリ様 50代
☆少女時代が自分にあることを確認できますし、紙の世代だなあと思うことも、心地良いです。ぬりえをすることは、癒しのときであり、夢中になります。ぬりえは、ある意味で「机上の瞑想」だと思います。
○こういうデコぬりえもあるのですね。ぬりえのしらゆき姫の外にどんどん空想がひろがっています。どこまで広がっていくのか、これからも楽しみですね。


東京都 富塚 節子様 60代
☆ぬりえはもとの絵が同じでも、一つとして同じにならないのがすごいと思います。今まで皆さんの作品を見て発想の違いをいつも感嘆してしまいます。きいちの絵は、さらにどんな色、どんなコンセプトで塗っても、もとの絵の力強さが失われないところが好きです。これからも多くの作品を見たいです。
○しらゆき姫の世界の広がりを背景で表現してくださっています。ドレスは胸とウェストのリボンに多色使いをしてアクセントにしたところもいいですね。


岐阜県 寺倉 智子様 60代
☆「しらゆきひめ」というと、森の中での楽しそうなイメージが浮かび、この作品が出来上がりました。今回は、デコぬりえにも挑戦してみました。
○森の中のイメージ素敵ですね。ドレスにもアルプスの少女のような胸当てのついたドレスでお洒落です。寺倉さんの世界がいつもあることが素晴らしいです。


広島県 武田 聖様 60代
☆周りにいるウサギとリスを大切に考えながら描いてみました。私の妻のように明るい性格の白雪姫に魅了されているように思います。今年も楽しみにしていました。家族でテーブルを囲んで夢中でぬりえをしている時間はいいものですね。ありがとうございます。
○鳥やリスなどの羽の感じや毛並みなどが感じられます。ドレスから明るいしらゆき姫が感じられます。今年もご家族で楽しんでいただきまして、こちらも大変嬉しいです。来年もお待ちしています。


東京都 三上 朋子様 70代
☆普段はぬり絵はしませんが、(きいちさん)の名前をみますと持っている色を集めて描いてみたくなります。ぬり絵美術館には行ったことがありませんので、今度は行ってみたいと思います。
○野原で動物や小鳥たちと遊んでいる雰囲気が出ています。ピンクの小鳥や緑のうさぎがあってもいいですね。


広島県 中川 黎子様 70代
☆今年もぬりえをださせていただけることに感謝の気持ちでいっぱいです。色鉛筆や筆ペンを使う時間が楽しいです。
○色使いが大変個性的ですが調和しています。ハートの柄の長い手袋やブローチが付いている等の発想が、とても自由でよろしいと思います。来年もぜひ作品を作ってお送りください。お待ちしています。

Posted: Nurie : 17年12月02日

美術館便り 8月~10月合併号(2)

2.きせかえの原画
きいちがきせかえについて、小学館「わたしのきいち」にそのいきさつが書かれていますので、ここでご紹介したいと思います。


「きせかえは私自身が復活させたかった。当時、ぬりえと違ってきせかえは下火でしたからね。実際の人形遊びもたのしいけれど、紙の世界にも昔からこんな遊びがあるんだと、子どもたちに知ってほしかった」
きせかえについては、B4程度の大きさのものを石川松声堂と山海堂、それぞれに毎月四枚ずつ納めた。ぬりえはジンク版という金属の板に特殊な墨を使って絵を描くまでがきいちの仕事。描いた部分が腐食するので、それを印刷するのだ。五色刷りの袋の場合は、喜一が紙に五色で描いたものを、職人がそれぞれの色に描き分けてから印刷するが、いずれにしろぬりえはそれほど喜一の手をわずらわせるものではなかった。


しかし、きえかえとなるとそうはいかない。人物や洋服の型をおこして、一つ一つ紙の上に置いては寸法を取っていく非常に手間のかかる作業だ。できるだけ余白を少なくして、さまざまな要素を盛り込むことも大切で、喜一のきせかえにはお洒落な洋服や着物に混じって、ブーケや帽子、ハンドバッグ、人形といった多くの小物が添えられていた。

「私の描くのは女の子だけじゃなかったでしょう。お父さんお母さん、お兄さんやお姉さんといった家族もちゃんといてね。そういうものを描き入れるときには、一応家族構成なども考えながら描いていたの。リカちゃんファミリーならぬ、きいちファミリー。サラリーマン家庭なら、お母さんはこんな感じで、子供にはこんな服を着せるだろうなとか、芸術家の家庭だったらどうだろうなんて、いろいろ想像しながら描くのが楽しいんだ。
それからきせかえを描いておもしろかったのはバッグの色なんですが、オレンジや黄緑などの中間色を使うとあまり売れゆきがよくなくてね。赤や青といったほうがだんぜん受けがいい。“きいち”の絵には、やっぱり原色が似合うってことなんでしょうね」


きせかえもただただ女の子と洋服、着物を描けばいいというものではなく、ちゃんとその少女の家族背景も考えて描いていたという所は、とても興味深い話ですね。


今回展示していますきせかえの原画では、少女、お友達、お姉さん、お父さん、お母さんという家族とお道具というとらえ方で展示をしています。お道具や小物たちでさえも時代の先端を行くものが多く描かれていました。自分の家にはまだ購入されていない白物家電や外国の映画のなかでしか見られないようなものも描かれていたりして、そういう点も少女たちの感性を刺激していたと思います。


   
 ~お誕生会のようなパーティの様子や、レンジや洗濯機、炊飯器など~

色鮮やかなきいちの原画を見ていますと、子どものころにもどって遊んでみたいなという気持になりませんか。原色が子どものころの感性を刺激するのかもしれません。


きいちの精緻な手仕事の世界をどうぞ心ゆくまで味わいください。 (館)

Posted: Nurie : 17年08月04日

美術館便り 8月~10月合併号(1)

ぬりえ美術館15周年記念企画
「きいちのぬりえ・きせかえ原画展」~精緻なきいちの手仕事の世界~
平成29年8月5日(土)~10月29日(日)

ぬりえ美術館では、8月で15周年を迎えることが出来ました。 これも偏に皆様方のご支援の賜物と心より御礼申し上げます。これからも皆様方が楽しんでいただける企画をご紹介していきたいと思っております。今後ともご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。


今回15周年を記念して、2回目となりますぬりえときせかえの原画をご紹介いたします。
きいちのぬりえは昭和22年の開始当時は、原画を描いてそれを印刷していたようですが、その後の印刷技術により、亜鉛版(ジンク版)に直接描くようになりましたので、ぬりえ本体には原画がなくなりました。今回原画として展示いたしますのは、ぬりえが入っていた袋の表紙絵になります。又きせかえは、ぬりえから1年遅れの昭和23年から発売を開始しました。
今回展示いたします原画をご覧いただきますと、ぬりえ・きせかえは、子どもたちの駄玩具であり、一袋5円、10円の商品でありますが、きいちが子どものたちのために、精魂こめて美しい世界を描いて喜ばせていたことを感じていただけるのではないかと思います。
どうぞ子ども時代に思いを馳せて原画を楽しんでいただければ幸いです。


1.きいちのぬりえ原画
      

きいちは毎月2つの版元(今でいうメーカー)に各4袋、合計8袋のぬりえを描いていました。一袋に10枚入り、12枚入りなどありますが、紙の取り都合がよかったことから8枚入りが一番長く続いたようです。そして昭和30年代後半には、5枚入りになっていきます。

当初はA4サイズぐらいのものをバラで販売していましたが、昭和23年頃から、B5よりひと回り小さめのサイズにして、袋入りで売り出すことになり、袋の表紙絵を、きいちは一枚、一枚丁寧に色を塗って完成させています。
「喜一さんの絵はていねいですよね。他の絵描きさんは、絵の具をかきあわせて、ちょっと塗って、「ここがピンク」とか指定してくるだけなの。喜一さんは全部塗って、仕上げてくれるのよ。細かい所までね。」と版元の女将さんが書いています。(草思社「きいちのぬりえ」)


ぬりえの入った袋は色鮮やかなカラー印刷であったので、少女たちのコレクションにも耐え得るものとなった。(小学館「わたしのきいち」)と解説されていますが、映画や写真、テレビでも白黒の時代ですから、カラーで印刷されたきいちの描く少女の世界はそれは魅力的なものであったでしょう。

Posted: Nurie : 17年08月04日

美術館便り (3月~5月合併号)

平成29年春の企画展は、「きいちの春夏秋冬」~春夏秋冬のきいちの少女の世界展~と題しまして、春・夏・秋・冬の可愛い少女たちのぬりえを展示いたします。
最近の日本の気候は温暖化のせいでしょうか、四季がなくなっていませんか。しかし昭和20~30年代は、はっきりとした四季がありそれぞれの季節を楽しめました。その四季にあわせてぬりえの世界で、きいちは毎月新作を描いて販売していました。今回の企画展ではそれぞれの季節の可愛い少女たちをご紹介していきます。



Spring has come! 
春のイメージといえば、まず花。チューリップ、櫻、菜の花、桃等など。
種から植えて、花の咲くのを待ちます。春の小川にはさらさらと川が流れ、岸には青草や花がさいて、魚はスイスイ泳いでいます。魚釣りをしたり、少し暖かくなれば小川に入ってみたくもなります。花が咲く花壇や野原には蝶々が飛んでいます。蝶々を捕まえたり、クローバの花を編んでみたり、縄跳にして飛んだりできます。学校の遠足も花を楽しみに出掛けるでしょう。桜の時期には、人々がお弁当をもって桜の下でお花見。春の楽しみは何と多いことでしょう。
      


夏の楽しみはまず七夕さま。笹に五色の短冊を飾り、願い事を書きます。賑やかな飾りで街も華やかになります。そして子どもたちにとって嬉しいのは夏休みが始まることですね。宿題のことは忘れて様々な遊びにチャレンジです。山に行ったり、海にいったり、田舎のおじいちゃん、お婆ちゃんお家にいったり。夏休みが終わると少し大きく成長したような感じがしたものです。
夏の美味しい食べ物も忘れられませんね。最近はかき氷ブームですが、クーラーのない時代、かき氷はスーっと汗をひかせてくれる冷菓でした。
      



秋はお月見。澄んだ青空が高くなり、紅葉などが美しくなります。良い季節になりますので、結婚シーズンでもあります。最近はジューンブライドと言って6月の結婚も多くなりましたが、昭和の時代は秋が一番いいシーズンでした。花嫁さんは着物の時代でしたが、きいちは洋装の花嫁さんも沢山描いています。少女の憧れをいち早く受け取って描いていたのでしょう。
      



冬は子どもにとって寒いですけれど、楽しみが一杯な季節でした。クリスマスやお正月の大きなイベントがありますから、毎日がワクワクです。お正月に備えて、もちつきの杵の音が近所から聞こえてきます。雪がふれば、雪だるまをつくり、雪合戦をしたりスキーをします。お正月が終わると、節分の豆まき。冬の暖房はコタツに火鉢。暖かいコタツに入って、お汁粉やお団子を食べたり、みかんを食べて、寒い季節も子どもたちにとって退屈をするひまがありませんでした。
      

 
季節感がだんだん失われている現代ですが、昭和の春夏秋冬を眺めてみると何故か心が落ち着くような気がしませんか。毎日の生活を子どもたちはとても生き生きと楽しんでいるように見えます。季節感溢れた昭和の生活を、一枚一枚きいちは描き子どもたちにプレゼントしていたのではないでしょうか。

 
毎月100万袋のぬりえが売られていた時代、ピーク時には180万とも220万袋とも言われています。毎月100万人もの少女たちが自分のお小遣いを握り締めて、駄菓子屋さんや文房具屋さんに行き、今日はどのぬりえの袋を買おうかと悩んで選び、毎月、毎月一年中きいちのぬりえを楽しんでいたことでしょう。


今回は春夏秋冬を一同に展示してみましたが、これらの作品の中に、皆様の思い出にある季節やぬりえがあると嬉しく思います。(館)

Posted: Nurie : 17年03月05日

12月の美術館便り

師走になりました。毎年一年があっという間に過ぎていくという感じを持ちますね。きいちのぬりえの頃は、もっと時間があったように思います。何事も気ぜわしい時期になりますので、深呼吸を一つして、お元気にお過ごしください。

さて、今月は、昭和40年代に消えてしまったきいちを発見して、再び世に送り出してくれた元文化屋雑貨店の長谷川義太郎さんの「きいちの思い出」を長谷川さんの本からご紹介いたします。


蔦谷喜一さんは、足の太い、目玉くりくりの女の子を描いていた「ぬりえ」のきいちさんである。
かつて駄菓子屋さんの隅っこでほこりにまみれた極彩色の袋に入って売られていたぬり絵は、男の子の世界にはない妙に色っぽいものに見えた。・・・・果たしてどんな人が描いているのだろうと思っていた。生きておられるのだろうか、そんな気持ちがきいちさんに会おうと思ったきっかけだった。蔵前の問屋さんやぬり絵の版元でたずねて、やっと上福岡に住んでおられることがわかった。
それとともに、何軒かの蔵前のおもちゃ問屋さんを実際にたずねてみて、ただ「きいち」とだけネームの入ったすごろくや、ノート型になったきせかえ、クレヨンセットなどがまだ作られ売られていることがわかったのだ。例によって犬も歩けば棒にあたる気持ち。きせかえのサラリーマンのお父さんは刈り上げでステテコ姿、着かざったお母さんのスリップ姿は色っぽく、そしておふとんやテレビや冷蔵庫も、なんとあの懐かしの「きいち」しているのには驚いた。

きいちさんはその描くところの少女のように、まつげの長いおじいさんだった。
「長谷川さんみたいな若い人が、どうしてわたしの絵がいいというのかわかりません」と首をかしげておられた。・・・・
「ぬり絵を描く前は人間が好きで日本画をやりたかったんですよ。でも川端画学校にいったら草や葉っぱばかし毎日描かされて、やになってやめてしまったんです。その時ぬり絵をたのまれて、それがいつの間にか本職になってしまったんですが、やっぱり日本画にコンプレックスみたいなものがあったんでしょうか。ずいぶん悩みましたね。もちろん今でも日本画を描いていますよ」
「でもぼくとしては「きいちのぬり絵」は今の世の中でも、ディレクト次第で充分生かされるとおもいますけれどねえ」
「いまの人には受けないとおもいますよ」
ぼくの悪いくせなのだ、はじめに「きいちのぬり絵」ありきなのだが、こうして話しているときいちさん本人の方へ興味の対象がうつってしまうのである。「きいちのぬり絵」はきいちさんにとっても過去のものであるらしい。「今のわたしをみて下さったらうれしいのですが」と言われると一言もないのだ。


こんな素晴らしいぬり絵があったんだと、世の中に記してもらい思ったのがそもそもの発端だった、雑貨屋を始めたことで知り合ったマスコミの人たちにも紹介して、きいちさんのぬり絵はいくつかの雑誌にも載り反響もなかなかのものだった。銀座のど真ん中で展覧会も開催され、単行本も出た。大勢の人が懐かしいと手紙もくれた。
でもこれからのきいちさんに期待してほしい。
「わたしも何年か前から病気をしましてまいっていましたが、何かこれからやっていけるような気がします」 きいちさんも言ってくれた。


世間でもう一つ価値が低いと見られているもの、あるいは認められていないものの中にキラキラ光るものが沢山ある。影響力の強いこの裏文化というやつが、もっとみとめられるようになるまでは、ぼくはこの仕事を辞められない。
「きいちのぬり絵」もこれぞ全て、それぞ一番と思っているわけではない。でもこれがなけりゃこの世は闇だ。文化屋雑貨店のものは一番でもなけりゃ、グッドデザインマークでもない。てやんでえ最高なんです。アホなのです。
白い綿のオープンシャツを初めとする基本的なものと、スーベニア文化に代表されるまがいものとが商品の核となり、そして人をだましても食いぶちをかせごうといういじましさ、これが文化屋の誇りなのである。
~「がらくた雑貨店は夢宇宙」 長谷川義太郎著 晶文社~

こうして長谷川さんはきいちを探し出し、昭和53年(1978年)に銀座の資生堂ザ・ギンザアートスペースで「キイチのぬり絵」展が開催され、この展覧会を期にきいちの第二次ブームなるものが生まれ、きいち人気は今に続いているのです。
この展覧会では、きいち所蔵のぬりえと上野の版元が所有していた原画とぬり絵を借用して展示をした。さらに、ぬり絵の復刻版をつくり、子どものころ、ぬり絵遊びをして小森和子さん、白石かずこさんなどにぬってもらった。また一般にお客さまにも復刻版を提供し、ぬり絵を制作してもらい、会場に展示した。ドイツ文学者、池内紀さんの「ぬり絵」に関するエッセイを会場入り口に展示。キイチファンであったグラフィックデザイナー佐藤晃一さんんがデザインしたポスターを会場入り口の装飾とした。その後、全国でキイチのぬり絵展が開催された。と「資生堂ザ・ギンザアートスペースの25年」の本に書かれています。


当時資生堂の商品開発部に在籍していた私は生でこの展覧会を見ています。(館)

Posted: Nurie : 16年12月04日

11月の美術館便り(1)

今年も残すところ2ヶ月となりました。今年は天候が不順でしたし、地震もありました。
せめて年内は何事もなく過ごしたいですね。今月の美術館便りでは、今年の春から感想ノートに記入された来館者様の声をお伝えいたします。


5月1日(日)

・何年も前からぬりえ美術館へ来てみたいと思っており約6年ほど経過しました。本日やっと実いたしました。実際にぬり絵が楽しめて更に楽しませていただきました。楽しかったです。きいちさんの色づかいと女の子の少し太めの感じがとても可愛く、沢山見られて良かったです。また 塗りたいです。 梢
・懐かしい「ぬりえ」に又出会えて、嬉しいです。可愛い大きな目や純粋な表情は今見てもとても魅力的です。少女時代の楽しい時間を追体験できました。ありがとうございました。ぬりえの楽しさを思い出し、又やってみたいと思います。妃那子


5月3日(祝)
・ぬりえはいいものですね! Yuki
・ぬりえはだいすきです。 MIHO
・65年前を思い出します。毎日の様にぬりえ、きせかえをしていました。


5月5日(祝)
・すばらしい内容でした! 引き出しひらくたびに、わくわくしました! 機会があれば、日本舞踊や美人画もみてみたいですが・・・むずかしいでしょうか? また来ます
・前から一度はきてみたいと思っていたのですが、やっと来られて良かったです。昔を思い出して小さいころを思い出します。またもう一度ゆっくりきたいです。
・美術館の前を通る度気になっていました。今週末引越してしまうので、来れてよかったです。素敵な時間を過ごせました。有難うございました。

5月7日(土)
・私(古希)の子供の頃あこがれのぬりえです。なかなか買ってもらえず大切に使いました。ここに孫と一緒に訪れる事が出来、感慨無量です。


5月8日(日)

・夕べ、嫁に私の子供の頃の話しをして、祖母におこづかいをもらって”きいち”のぬりえを買いに行ったことを思い出しました。すぐにネットで調べてこの美術館があることを知り来てみました。とても懐かしく心がほっとしています。今度は嫁をもうすぐ1才になる孫を連れて寄らせてもらいます。孫がきいちさんの絵にちょっと似ています。(笑) 晃世


5月14日(土)

・子供の頃、ぬり絵が一番の友だちの時がみんなあった時代! いろんな色を考えながら、つかいなら、夢が広がっていきました。今は遊びもオモチャもいっぱい。でもなかった昭和20年代も輝きがいっぱい! キイチは大きな夢でした。”ありがとう”。
・ペットのぬりえを購入と企画展。童話、絵本のきいちを楽しみに来ました。まんまるな目のかわいい女の子をみると、ほっとして、あたたかい気持ちになります。施設にいる伯母やご近所の亡き母のお友達のおばさま。小さなお孫さんがいるお友達にもプチプレゼントでぬりえをお渡しするとかわいい~~。とかなつかしい~~と、大変喜ばれています。
心が折れてしまった日はぬりえ! 元気になります。感謝です。手拭い好き佐藤でした。


5月15日(日)

・前テレビでみまして加山雄三さんが出ていました。お電話しましたらおはがきくださいまして、ありがとう御座居ます。きいちは毎月1回ぬりえをやって居ます。皆さんでやっとこられました。きりぬきなど子供の頃思い出してなつかしかったです。いろいろ学ぶ事が出来てありがたく思って居ます。(矢作)
・一度訪ねてみたいと思っていて、叶いました。ただただなつかしいの一言です。育ちが西ヶ原(飛鳥山のそば)なので、町屋も懐かしい風景です。同じ時代に親しんだものを、こうして美術館としてふれさせていただけることに感謝いたします。私の塗った絵はいづこへ・・・・? まゆみ


5月28日(土)

・香港から来て旅行中のカレンです。都電に乗ったり、ぬりえ美術館を見たりして、とても楽しかったです。この美術館が見れて良かったです! 友達におすすめします。絵がかわいい!! カレン


5月29日(日)
・「きいちのぬりえ」以前から興味がありました。今回の展覧会に来れてとても嬉しいです。昭和40年代生まれの私には、昭和レトロを感じさせ、とても新鮮です。
今高齢者の方を接する仕事をしていますが、「ぬりえ」が皆様とてもお上手で大好きでいらっしゃいます。きっと「きいちのぬりえ」で沢山素晴らしい作品を作っていたからでしょう。
今回「ぬりえ本」を沢山購入し、皆様と私も楽しみたいと思います。それから・・・デコぬりえにも参加したいです。Akemi
・きいちなつかしいですね。昭和20年代後半同じ歳の従姉がいて、よくぬりえをしました。いつもクレヨンの色が線からはみ出し、下手ね~と馬鹿にされました。50年代も東京近郊に住みましたが、まさか町屋にこんな美術館があるなんて全然知りませんでした。今日はとても楽しかったです。すす夢
・きいちのぬり絵はずっと好きでした。今回足を運んで良かったです。何十年!!!!振りにぬり絵をしてみました。楽しかったです。ありがとうございました。 順子


6月5日(日)

・都電の旅をしていて、ふと立ち寄りました。私はぬり絵が大好きでした。なつかしい絵は写真におさめました。今夜の家族団らんの話題にします。Yama
・先日70才台の伯母が入院しました。何か楽しく暇がつぶせたらと本屋のぬりえコーナーに行きました。自分の子供のときのぬりえやきせかえは何だったろうと思いかえして、きいちを思い出しました。 しずこ


6月12日(日)

・ぬりえびじゅつかんのえはとてもすごいとおもいます。それにじぶんたちでぬりえもできるおみせはありません。ぬりえびじゅかんはずっとなくならないでください。よろしくおねがいします。これからぬりえ美術館のことをわすれません。 (なまえ なぎさ)


6月18日(土)
・絵がかわいくて優しくて見ているだけでいやされました。表情や仕草が絶妙。そんな絵に好きな色をぬれるなんてぬりえ文化ってすなおにすばらしいと思います。 松平

6月19日(日)
・私は昭和33年生まれです。かすかな記憶ですが、私の娘がぬりえをしていたのを覚えています。私自身も色鉛筆で何か書いていたと思います。大変懐かしく拝見しました。ありがとうございます。
・テレビで知った相方から教えられて来ました。きいちのぬりえ、おばあちゃんによくもらって、ぬっていました。昔からとても大好きです。懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
・相方です。昔はほどんどぬりえで遊んだ記憶がないのですが、実際にやってみると大人になっても楽しいものでした。近所にあるのでまた来たいと思います。ありがとうございました。


6月25日(土)
・昔から好きだったきいちのぬりえを以前娘が書店で買って来てくれました。”母さんぽいよ・・・”
ぬりえとでこにて楽しんでいました。そのころ、こちらを知りましたが、そのままで、いつか~行きたい~(夢)
娘が社会に出て東京へ、そしてお嫁に行くこととなり、今日、結婚式場へ行くため上京して夢がかないました!!ほんわかした気持ちはいくつになってもうれしいです。 今日はニコニコ笑顔です。ありがとうございました。

Posted: Nurie : 16年11月05日

美術館便り合併号(2)

2)おでかけ用とお稽古のファッション
   


あの時代に、「ふーどのついたこーと」のようなコートがあったのですね。
「いいいぬでしょう」は、ハンドバッグももってよそゆき姿で犬の散歩です。きっと犬の散歩自体がお洒落なことだったのでしょう。


3クリスマスやお正月の行事のファッション
   


クリスマスの装いはチェックに毛皮にマフ、ブーツ。ダンスの洋服は、フリルが袖にもスカートの裾にも一杯のドレスです。黒の雨靴しかしらない少女にとっては、ボタンのついたブーツはただただ憧れでした。


4)夏のファッション
   


七分丈のパンツにボーダーのワイシャツで水撒きする少女。今見ても少しも古臭くないスタイルですね。「こうりあずき」はボーダーのワンピース姿ですが、夏になると縞や格子、水玉が必ず出てきました。今年もボーダーが流行していますよ。


5)毎日の普段着のファッション
   


普段着だって、こんなに素敵です。「ほっぴんぐ」では、ベレー帽をかぶっています。うさぎを抱いている少女は、パンツのポケットにアップリケをしています。作業する服なのに、お洒落ですね。


今の私たちの生活では、十分にお洒落も出来るようになりました。それにつれてよそゆきと普段着の境界がなくなって、いつもいい服がきれるようになり、全般的にカジュアルな服が好まれるようになっているようです。


「きいちのぬりえ」の少女たちが教えてくれたファッションがどのようなものであったか、どうぞ当時に思いを馳せて、どんな服が着たかったのか、どんな色の服がすきだったのかなど、思い出してみてください。(館)

Posted: Nurie : 16年08月06日

美術館便り合併号(1)

平成28年秋の企画展は、「ぬりえはファッションのテキストブック」~お洒落の原点はきちのぬりえだった~と題しまして、きいちの描いた素敵なファッションのぬりえの数々を展示いたします。


NHKの朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」において、戦後の物資のない時代の庶民に対して、服やインテリアをお金をかけずにどのようにしたらいいかをとと姉ちゃんの出版社の本で提案するということを放送していましたが、戦後すぐの時代を経験していない私のとっては、そうだったのか?と当時の事情を知ることが出来ました。


物資がないわけですから、お店に服が売られていません。生地がお店になければ、服を作れません。服の作り方を知らなければ、服は作れません。今は何でも豊富ですから、物がないということはどういうことかを想像することさえ難しくなっています。


生地がないとか、服の作り方をしらなければ素敵な服は着られないということで、本の中で「直線断ちの服」と称して着物を切って縫うだけの服を提案しています。これなら洋裁を知らない人でも誰でも簡単に服が作れるようになります。


「きいちのぬりえ」はこのような戦後すぐの昭和22年から身近な駄菓子屋さん、文房具屋さんで売られていました。
子ども用の服は、婦人雑誌の中に取り上げられていましたが、この婦人雑誌のデザインの代わりをなしていたものが、きいちのぬりえの少女たちの着ている服であると言えるのではないかと思います。

「きいちのぬりえ」はぬりえの中でも特に人気があり、毎月大変な数量
(月平均100万部、多いときには160万とか200万部)が販売されていました。その人気の理由は
① ぬりえそのものが好き。②少女が可愛い。③少女の着ていた服が素敵。
そんな服が着てみたい。
ということが揚げられます。
特に③の理由が大変大きいと思います。毎日、毎日ぬりえをして、素敵な服の少女を見ているうちにファッションの感覚が自然に高まり、養われていったと思われます。
 際にぬりえ美術館にいらした方が、きいちのぬりえを洋裁士さんのところに持って行って、作ってもらったとお聞きしたことがあります。

 和20年~30年代は、お出かけ用のよそゆきと日常の際の普段着というものに分かれていました。それで、今回はお出かけのよそゆきと普段着、さらに夏のお洒落着、行事に見るお洒落な服をご紹介いたします。


1)パーティなど特別な機会のファッション
   


映画の中には、このようなドレス姿があったかもしれませんが、自分たちの周りには見られない姿でしたので、憧れてしまいます。いつかこういうドレスを着てみたいと願っていました。

Posted: Nurie : 16年08月06日

7月の美術館便り

今月は、過去に出版された本の中からぬりえに関する記事をご紹介したいと思います。


「色えんぴつの夢」 竹宮恵子 “メリーさん花子さん きいちのぬりえ” 草思社
 駄菓子屋、という言い方は、今でも通用するのであろうか。母は、小学生の私が、駄菓子屋に通うのをひどく嫌った。しかし、徳島の田舎に住まいが変わると、母は、私の駄菓子屋通いに、こごとを言えなくなった。私の親友となった新しい友が、駄菓子屋の娘だったのである。
 五円、十円と硬貨をにぎりしめて、私は友人の小さな店に走った。妹とともに“ぬりえ”を買うために。うす茶色の粗末なひと束の中に、いくにんかの少女達がほほえんでいた。はっきりとは覚えていないが、それらが“きいち”のぬりえであった気がする。“おでかけ着”や“ゆかた姿”の彼女達をいかに華麗に色どるか、妹と競争で配色に苦心したものである。出来上がった作品(!?)を持ち寄ってr、お互いの色のセンスをけなしあい、今度はもっと美しく、と新しいぬり絵の束を買いに、走ったものだ。
クレヨンで色をぬることを、私はいつのまにか卒業していた。限られた種類の色えんぴつで、紙の上の少女達に、変化に富んだドレスを着せねばならない。二つの色を重ねる、外側を濃く内側を薄くぼかして、立体感をつける。ほほの赤味のじょうずなぬり方等々、小さな発見を重ねつつ、自慢の迷作を次々と完成させていった。
私は、次第に可愛らしくポーズをとる少女達に、あきたらなくなった。色をぬるだけでなく、ぬり絵そのものを、自分で描くことを覚えたのだ。私の少女達(あるいは少年達)は、ひとつのポーズにとどまらず、歩き、泣き、笑い、さまざまなセリフまで、しゃべり始めた。平面空間を自在に動かす楽しみは、すでに漫画以外の、なにものでもなかった。
今でも私はふと、自分の作品の主人公達に、色えんぴつで着色してみたくなる。色えんぴつの効果は、よほど紙質の良い雑誌でなければ、きれいに発色してくれない。水彩えのぐや、カラーインクでは出すことのできない色調で、いつか一度、絵が描いてみたいものだ。その時はきっと、幼い日の苦心して発見した技術に、ずいぶんと助けられるであろう。

私と同世代の少女漫画家達の中には、ぬりえからスタートを切った者が多いのではないかと思う。私のもとへ、幼い読者からイラスト(!!)と称する可愛い少女の絵が、たくさん送られてくる。彼らが自分の絵を動かしてみたくなった時、新しい漫画家の卵が誕生するであろう。
私がぬりえを卒業したのは小学校五年の頃と記憶している。(漫画家)


竹宮恵子さんは中学生時代から本格的に漫画を描きはじめ、17歳で漫画家デビュー。 「ファラオの墓」が1974年にヒット。1976年に「風と木の詩」の連載を開始。少年の同性愛を描き、漫画界に衝撃を与えた。2000年に京都精華大学マンガ学部の教授に就任。2014年からは同大学の学長に就任。任期は4年。


きいちのぬりえが漫画家の誕生に影響を与えていたということが分かる記事でした。きいちの後の時代は、ファッションを中心としたぬりえのノートが中心に販売されていた時代で、それらの絵を多くの女性漫画家たちが描いていたようです。

「ぬりえの誘惑」 田辺聖子 “メリーさん花子さん きいちのぬりえ” 草思社
子供のころのぬりえには、ベティさんやミッキーマウスがあった。
それからおたばこ盆に髪をゆった女の子など。戦前のせいか西洋人はなく、日本髪の女の子が多かった。昭和のはじめから十五、六年まで、つまり、昭和3年うまれの私が、女学校へはいるまで、小学生のあいだじゅう、ぬりえに親しんできた。
教育ママの母は、ぬりえなど幼稚で、ちっとも絵の勉強にならないというのだ。
しかし私は、白地の絵をみると、色がぬりたくてむずむずするのだった。きれいな日本髪の少女や、たもとの長い着物を着た少女をみると、どんな色の髪飾りにしようか、とんな色の着物にしようかと、ぬりえを抱えて帰る道すがら、うれしさで気持ちがわくわくするのであった。・・・・・
こういうことを、小学生の私は学校から帰るなり、黙々と机に向かって何時間でもやっていたのだ。洟をすすりながら私は精魂こめて、一心ふらんにぬり埋めていた。ノートの裏表紙などに、ぬりえのつもりではないであろうが、色のない絵がかいてあったりすると、私はすぐさま、ぬりつぶしたくなるのであった。また、ぬりえの線はやわらかく、いかにもぬりたくなる衝動をおこさせ、誘惑するのである。ぬりえに熱中した後遺症というべきか、いまも私は「源氏物語絵巻」の白描の絵などをみても、つい、色えんぴつでぬりうずめたくなってしまうのだ。私の小説はわりに視覚的だと思うのだが、それとぬりえにしたしんだことと関係があるのだろうか。(作家)


田辺聖子さんは、作家で1964年「感傷旅行」で芥川賞受賞、その後恋愛小説やエッセイ、源氏物語などの古典を書かれている。2008年文化勲章授与。


田辺聖子さんでなくても、教科書の挿絵を見ていると、授業中にその絵に色をつけたり、鉛筆で塗っていたことを覚えている方は多いのではないでしょうか。それは人間の本能なのかもしれません。今回はぬりえに関して、二人の方のお話をご紹介しました。(館)

Posted: Nurie : 16年07月02日

6月の美術館便り(2)

3月13日(日)
・私は現在高校1年生で、小論文のテーマとして“塗り絵について”を挙げたので、今日は参考に来ました。幼い頃から絵やぬりえが大好きだったので、ただただ感動しました。また来たいです。
・友達の誘いで来ました! 教科書とかでみたことあるような感じのイラストですね。日本の古き良き文化を感じられます。このノートを見返していて、人々の心に残り続けることができる「きいちの塗り絵」は凄いなと思いました。  ANNA
・ぬりえとてもたのしかったです。 ひらたひなこ


3月20日(日)
・親子で楽しめました。 川上みき
・又来たいです。 川上めぐみ
・懐かしいです。子供の頃、楽しみにぬりました。着せ替え人形もまねて自分で作っていました。素朴でしたね。 真知子


3月26日(土)
・きいちさんの絵、大好きです。 今日ここに来れたことを喜ばしく思います。昔ながらの作風 が心を落ち着かせます。春から大学生。 T.K.

4月2日(土)
・ぬりえもそうですが、きせかえがなつかしかったです。 まりこ
・おばあちゃんんときたいです。 わかな
・昭和30年生まれの私としては、大変懐かしく小さいころに着せ替え人形で遊んだ記憶がよみがえり、ぬり絵を楽しんだ思い出をなつかしく思いました。 ありがとう。


4月9日(土)
・昨日 高校の入学式でした。今日 一生けん命 ぬりえ しました!! 3年間 一生けん命 がんばります。 えみり
・6年生になりました。家族で来ました。ぬりえが楽しかったです。 大輝


4月16日(土)
・友人と来ました。 なつかしさにあふれた時間でした。 K.I.


4月23日(土)
・とてもなつかしくあたたかい気持ちになりました。 Mika
・家族で来ました。 今日色ぬりをして楽しかったです。 ゆみ
・やっと念願かなってやって来ました。 きいちさんのぬりえでそだった年代です。ありがとうございました。 H.G.


4月24日(日)
・子どもの頃よくぬりえで遊びました。祖母の家の近くに住んでいたと知り、ますます親しみがわいています。 とてもなつかしかったです。


4月29日(祝)
・前からとてもかわいくて気になっていました。かわいくてまた来たいです。大好きです。
四年生 あやめ
・今 夜中にぬりえを楽しんでいます。 密子
・母がリハビリでぬりえを楽しんでいます。 ありがとうございます。 寿子

遠方より美術館にいらしてくださいまして、本当にありがとうございました。これからも可愛いぬりえを展示していきますので、今後共ご支援くださいますよう、宜しくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 16年06月05日

6月の美術館便り(1)

3月~5月まで春の企画展「童話・絵本のきいち」~絵本作家になりたかったきいち~と題しまして開催いたしました。お蔭様で多くのご来館者に見ていただきまして、大変嬉しく思っております。 今月は、ご来館いただきました皆さまの感想、ご意見をご紹介していきたいと思います。


平成27年11月14日(土)
・とてもかわいいです。また来たい。
・すごい!!!
・ぬりえの中でも、きいちのぬりえが大好きです。可愛らしい女の子が沢山描かれ、私の思いのままに色をぬっていくことが楽しくてしかたありません。ぬりえは精神面でも良いとのことなので、これからも時々きいちのぬりえをつづけていきたいです。


11月22日(日)
・義姉と一緒に来ました。可愛いらしい! なつかしく作品を拝見しました。素敵なものを沢山みていやされました。


12月19日(土)
・約半年ぶりの来館になりました。美術館にいると気持ちが落ちつきます。本当に、かわいいですね。最近ショッピングモールにある駄菓子屋さんにも行き、昭和に浸っています。きいちのぬりえや着せ替え人形が売ってたらなあと思いました。
他のぬりえをかわいい~といって購入されるのをみて、きいちの女の子の方が全然かわいいのになあと思ってしまいました。
施設で暮らす叔母やデイサービスに通いだした伯母にもぬりえを持参。とても懐かしがられ、喜ばれました。自分も時間を作ってぬりえを楽しんでいます。また おじゃまします。ありがとうございました。 佐藤

12月20日(日)
・以前、地元の美術館で、きいちさんのぬりえ展をやっていて見に行きました。今回縁があり、町屋に二泊する事になり、ガイドマップで見て来館しました。また出会えてとても嬉しいです。福島県喜多方市 上野
・子供の頃のなつかしさから一度来たいと願ってやっと来ることができました。自分の記憶の  絵を探しながら楽しいひとときでした。  仙台 石原


平成28年1月16日(土)
・ずっと気になっていました。やっと念願がかないました。ゆっくり見学ができたので今度は娘達も連れてきてみようと思います。  (55才) 北海道


2月6日(土)
・ぬり絵をかざっていただきありがとうございます。ぬり絵をしている時間とっても楽しくやさしい気持ちになります。今回の「賞」もこれからの生活に元気と勇気をもらえました。 母
・私のぬり絵もかざっていただきありがとうございます。ここでぬり絵をやって、とっても楽しかったです。やっぱり姉には負けます・・・。すっごい上手! これからも、ぬりえを楽しみたいです。小学生6年 工藤 碧乃


2月14日(日)
・前から来たいと思っていました。雨でしたが来館する事が出来、子供の頃に戻った一時で大変楽しい時間を過ごせました。高校のクラスメート四人で76才のグループです。


2月21日(月)
・ぬりえ美術館にずっと来たかったです。このたびは、ぬりえに賞をいただきありがとうございました。きいち先生の世界を感じながら、色を選ぶ楽しさを感じました。とても楽しい時間をありがとうございました。こんごも、ぬりえを楽しみたいです。 くぼた
・ 姉がぬりえで賞を頂き、ありがとうございました。町屋の駅は初めて降りたのですが、都電が可愛く通っていたり、どこかなつかしい都会の町の風景で歩いているといやされ、楽しい時間でした。ぬりえ美術館もレトロでかわいらしく、私の大好きなきいち先生のぬり絵が沢山かざられていたり、昔のぬりえもとてもきれいに並べられて見やすかったです。ぬりえも楽しかったです。ありがとうございました。  HIROYO

Posted: Nurie : 16年06月05日

美術館便り 3月~5月合併号

「童話・絵本のきいち」~絵本作家になりたかったきいち~
28年3月5日(土)~5月29日(日)

平成28年春の企画展は、「童話・絵本のきいち」と題しまして、童話や絵本の話を描いたきいちのぬりえを展示しています。


きいちは昭和22年からきいちの名前でぬりえを描き始めましたが、昭和23年、24年頃に絵本も出版しています。「はなこさん」「メリーちゃん」「テンプルちゃん」「おじょうさん」「おあそび」の五冊を出版したそうですが、原画が残っているのは「はなこさん」と「メリーちゃん」の二冊だけです。ぬりえ美術館には「はなこさん」「メリーちゃん」と「おあそび」の絵本があります。

絵本の出版を続けるのが難しかったのか、その後はぬりえの世界で童話や絵本の物語を表現していきます。
昭和30年代、子どもたちが多い時代でした。「小学一年生」などの学習雑誌や少年、少女向けの月刊誌などは誰もが購入できるものではありませんでしたので、友達に貸してあげて、皆で回し読みをしていたものです。
童話や絵本の本が買えなくても、それをぬりえの世界で美しい絵にして描いてあげれば、子どもたちに物語を楽しんでもらえると考えたことでしょう。


今回の企画展では、従来それぞれの童話や絵本の話の主人公を一枚、二枚程度を展示するだけでしたが、物語として見れるように展示をしています。


「白雪姫」「青い鳥」「親指姫」「金の船」「シンデレラ」「赤頭巾」「桃太郎」「親指トム」「ピーターパン」「ジャックと豆の木」「小公子」など、きいちが描く物語の主人公をどうぞお楽しみください。(館)

Posted: Nurie : 16年03月05日

2月の美術館便り

今月は1月につづき、今起こっている新しいぬりえのことについて、ご紹介していきたいと思います。

先日東京駅近くの丸善書店に行ってみました。行って、ビックリ。その種類の多さに驚かされました。数えてみたところ細密画のぬりえ本だけで、70種類ほどのぬりえがありました。ぬりえに描かれているのは、植物(花、葉、)が最も多くて、その他に海、動物(園)、猫、ふくろう、名画(ゴッホ、ミッシャ、ウィリアム・モリス)、お姫さま、妖精、おとぎ話、不思議の国のアリス、ディズニー、魔法の街、都市、お店、パリの街角、星や花のマンダラ、インド文様のペイズリー、イスラム文様とモザイク等々、様々なテーマの細密画のぬりえ本がありました。
 このだけのテーマがあれば、誰にでもご自分の好きなテーマのぬりえ本を見つけることができるのではないかと思います。ぬりえといいますと女性が好きなものですから、女性好みのテーマの絵が多いわけですが、ぬりえの中で植物に触れているだけでも気持ちが落ち着いていくような思いになります。
 

従来のぬりえ、例えばきいちのぬりえと違う点は、細密画ですから一つのモチーフが大変小さい、細かいことです。きいちのぬりえは少女が中心で、その少女の服をどんな風に塗っていくかということになりますが、細密画の場合は、花、葉、茎など、一つのパーツが細かくてそれがつながって構成されているという点が大きな違いだと思います。

この小さい部分に集中して塗っていくことによって、精神の集中が図られ、頭の中で何も考えないことにより、頭がすっきりしてくるのではないかと思います。忙しい社会生活の中で、集中するということはなかなか難しいことで、人はいろいろなことを考えすぎてしまうことがありますが、細密画のぬりえは集中することを容易にさせてくれるのではないでしょうか。
このぬりえを綺麗に仕上げるためには、色の統一感をどのように持っていったらいいのだろうかと最初は私も考えていましたが、それよりも集中するということがこのぬりえ本によって得られる最大の効果ではないかと考えるようになりました。上手に塗るのはその後でいいのではないかと。
ですから、「まずは塗ってみる」ことをお勧めいたします。
 

2月の2日~9日まで日本橋三越のステーショナリー売り場で、きいちのぬりえ本が展示されていましたので、三越にも行ってみました。こちらでは、従来型のぬりえですから、可愛い少女が並んでいました。ここで発見したのは、新しい文具類で、新しいタイプの画材が発売されていました。子どもの頃には、クレヨンやクレパスで塗りましたが、最近は色えんぴつで塗っています。子どもさんはクーピーなどの芯の太い画材が中心ですが、大人の方はほとんど色鉛筆だと思います。
ぬりえサロンでも使っていますが、背景を塗るさいには色えんぴつですと、細い芯なので時間と手間がかかり、その上鉛筆の線の跡が残りやすいのです。ところがクレヨンの芯のように太いのですが、昔のクレヨンより発色がよく、色が伸びて塗り易い“ゲルマーカー”を使うようになりました。そのゲルマーカーの新商品を見つけました。クレオロールというゲルタイプのクレヨンで、はっきりとした色味のグループのブリリアント、パステル、ラメ入り、メタリックと多彩です。滑らかで力をいれなくても、ス~と伸びてくれます。大きな紙面を塗る場合にとてもいいと思いますし、お手紙を書く際にもラメやメタリックで文字を入れて目立たせたりと様々な使い方が出来そうです。
子どものころ、24色のクレヨンか色えんぴつに金、銀を見て、すごく喜んだことを思い出しますが、ラメ入りやメタリックなど色が豊富になり、いろいろ使ってみたくなります。


その他にも、パイロットがぬりえの募集をされていますが、フリクションカラーズというカラーペンでは、色をぬっても消すことができるタイプのカラーペンですが、このフリクションカラーズを使って、HPにあるぬりえを塗って投稿しようというぬりえのキャンペーンをされています。色が消えてしまうなんて、夢のような話ですね。
ぬりえが流行してくれば、当然画材の広がりがこれからも期待されます。1月号にも書きましたが、ぬりえを塗るのに、色えんぴつばかりではありません。マーカーや蛍光ペン、ボールペン、筆ペンなど、様々な画材で挑戦してみるのも、面白いと思います。色えんぴつとは違う絵の仕上がりが期待できます。


子どもばかりでなく、これからは大人の人もぬりえにチャレンジして、自分の時間を豊かにして楽しんでいただきたいと願っています。


きいちのぬりえは3月に大判ぬりえの新商品、「ペット編」が発売予定です。犬、猫、インコなど可愛いペットの絵が掲載されています。どうぞきいちのぬりえもお楽しみに。(館)

Posted: Nurie : 16年02月11日

1月の美術館便り

今年も皆さまにとって佳き一年でありますように、お祈りしています。


新しいタイプのぬりえが人気となっているのをご存知ですか。これは日本だけでなく、世界的な流行のようです。その流れが日本にも伝わってきているのです。
日本では、ぬりえは子どものするものとして、ずっと存在していますので目新しいものではありませんが、あくまで子どもがするものという位置づけでした。お子さんたちがテレビのアニメのぬりえをされているのを目にされていることと思います。小さいお子さんはアンパンマンのぬりえが大好きですし、男の子はムシキング、女の子はプリキュアなど様々なぬりえ本が売られています。


ぬりえ美術館は2002年に開館したのですが、その頃は大人の人がぬりえをするという考えすらありませんでした。ところが2006年に、「大人のぬりえ」ブームが巻き起こりました。ぬりえをすると高齢者の脳を刺激して、脳の活性化に良いということが言われ、ぬりえブーム、それも大人がぬりえをするということが起こりました。多くの出版社が大人、とくに高齢者向けに様々なぬりえ本を出版しました。残念ながらブームというものはあっという間に去ってしまい、本屋さんの店頭からぬりえ本が消えてしまいました。
このブームが消えてしまった原因は、どういうぬりえ本が高齢者にとって良いのかという考えよりも、やはり出版不況の中で、ブームにのって簡単に作れるぬりえ本を出版すれば儲かるだろうという考えが先にたって、高齢者には人気とならず消えてしまったものと思います。

ぬりえであれば、何でも良いというものではなく、やってみたい、ぬりえしたい、という気持ちを刺激するものでなければ、人気となっていくものではないということを証明したともいえます。


幸いなことに、脳の活性化に良いという考え方だけは浸透して、多くの高齢者施設ではぬりえが行われて普及しています。施設で働いている方からは、きいちさんのぬりえが一番人気があるというお言葉を沢山いただいています。
 ぬりえをするという行為が脳にとっていいのですから、どのぬりえでも良いようなものですが、塗ってみたいという気持ちが加われば、さらに脳にとって良いのではないでしょうか。そういう意味では、2006年に発売された大人のぬりえ本は、線が細かすぎて、見ただけで難しそうと思わせるぬりえ本が多かったので、あまり普及しなかったのだと思います。


それから約10年、新しいぬりえの動きが始まっているようです。2006年の大人のぬりえブームは、日本から起こったものですが、今回のぬりえの傾向は海外からやってきました。
2002年にぬりえ美術館を開館して以来いろいろな国に行ってぬりえを調査していますが、2006年の大人のぬりえのブーム以降、外国では大人の人がぬりえをしているかも調査項目として調べていましたが、ほとんどの国でぬりえはあくまで子どものものでした。一部フィンランドとスペインで大人の人向けのぬりえ本や大人の人たちがしているということがありましたが、大人はしないというのが多くの意見でした。


今回の新しいぬりえの傾向は、フランスのぬりえ本の「ひみつの花園」からでした。フランス語でぬりえのことを“コロリアージュ“といいますが、フランス発の塗り絵コロリアージュといううたい文句も若い女性たちにアピールしたと思いますが、テキスタイルのような美しい細密画の花園の絵のデザイン性が高く、見ているだけでもうっとりとしてしまう素晴らしさがあります。
コロリアージュのテーマには、花々、木の実、野ネズミや野うさぎ、小鳥、リス、四季折々の森、花や木の実、果物、宝石、雪の結晶、「眠れる森の美女」「ヘンゼルとグレーテル」等、お馴染みのおとぎ話の場面など、その他にもきのこ、鳥、ほ乳類、は虫類、軟体動物、太古の生物たち等々、
様々なテーマの緻密画が描かれています。


ブームを牽引しているのは2013年にジョハンナ・バスフォードさんが出版した上述の『ひみつの花園』で、ヨーロッパをはじめ世界各国で大ヒットしたそうです。ブラジルでは色鉛筆が売り切れる程の社会現象にまでなったというこの大人の塗り絵は、その繊細な花々の細密画のデザイン性によるのではないでしょうか。
2006年はいわゆる高齢者向けでしたが、このコロリアージュブームが日本の若い女性たちに人気となっています。従来ぬりえは色えんぴつを使うことが多かったのですが、コロリアージュでは、
クレヨン、蛍光ペンなど様々な画材を使ってすることも新しい印象を与えています。


2016年は、このコロリアージュブームがどこまで広がっていくでしょうか。大人の女性がコロリアージュを塗ることにより、ストレスを解消し、リラックスをして楽しい自分の時間を過ごしてくださるといいなと思います。


これからもコロリアージュブームに注目をしていきたいと思います。(館)

Posted: Nurie : 16年01月04日

12月の美術館ニュース

今年も一年間のご愛顧を賜りまして、大変ありがとうございました。きいちの没後10年を無事に終了することができます。心より御礼を申し上げます。


第6回ぬりえコンテスト
今年もぬりえコンテストを11月に開催し、多くの応募作品が集まりました。今回はきいちの時代の少女の一番の憧れである「花嫁さん」のぬりえを塗っていただきました。
今年は57名の方からご応募を頂きました。年齢は3才から95才まで、幅広い年齢の方から素晴らしい作品が届きました。それらの中から、優秀作品を来年1月より館内に展示をいたします。又ホームページには、優秀作品と次点作品を掲載いたします。どうぞお楽しみに願います。


それでは、今回の優秀作品の方がたのコメントをご紹介させていただきます。
・ぬっている時、アイデアがたくさん出てとっても楽しかった。


・可愛いこの絵を見たときに、和風ドレスを着せてみたいと思い、思わずぬり絵をしていました。久しぶりに夢中になって、ぬり絵ができて楽しかったです。


・今回で3回目の応募です。毎回楽しみにしています。つい何枚もぬってしまいました。


・子供の頃を思い出し、懐かしい気持になりました。塗りながら、きいち先生の世界を想像しながら色を付けていく作業は、大変ワクワクし、とても楽しく塗ることが出来ました。楽しい時間をありがとうございました。

・公募サイトで見つけました! 今まで何にも応募したことがなかったのですが、コレは良い!と思い応募する事にしました。絵がレトロで可愛くて楽しんでぬりました。こうゆう機会がないとなかなか”ぬりえ”はしませんので、新鮮でなつかしかったです。
背景は、神戸の夜。12月になると”ルミナリエ”というイベントがあります。教会の様なイメージで、イルミネーションを表現しました。グリーンは山、青は空です。


・東京オリンピックと世界平和をテーマにぬってみました。


・いつもいつもたのしくぬり絵をさせていただいています。感謝の気もちでいっぱいです。


・久しぶりに娘といっしょにぬりえをしました。娘たちが「どんなウェディングドレス着るのかな」とワクワクしながらぬりました。楽しかった。


・想像とは違った仕上がりになりましたが、コンテストのウェディングドレスを見て、色鉛筆とマニキュアを組あわせ、レースの感じがだせると良いなと思い、応募しました。ぬりえをしていると無心になり、幸せな時間でした。


・インターネットで偶然みつけて、おもしろいなと思いました。私も日本画、油彩画、水彩画と長くやっているもんで、興味があります。


・ウェディングって女性の永遠のテーマというか、年を取ってもそのときにすぐ戻れるいいものです。今ならこんな色のドレスがいいです。


・ぬりえコンテストをこれからもずっと続けて下さい。今回、岐阜県の皆さんにも、声をかけました。「私も応募したわよ!」と言ってくださると、とっても嬉しかったです。


・此の度四度目の応募をさせて頂きます。只々一生懸命、塗ってみました。八月頃より毎日楽しみにしておりました。


・母とぬり絵の出会いは、母が88歳になってデーサービスに行くようになってからです。スタッフの方にぬり絵をすすめられて塗ったのが始めてです。そこできれいに塗れていると誉められてから、気を良くして色々なぬり絵を塗る様になりました。
今回”ぬり絵コンテスト募集”の文字を目にしました。家族位しか見る事のない母のぬり絵をいつもと違う人に見て頂きたいと思って応募しました。
母にとってのぬり絵は楽しい事でもあるのですが、家族以外の人達に見られるという事を知って、とっても張り切って塗りました。コンテストという事で、いつも以上にやる気満々、ぬり絵を塗っていました。このような企画が今後、長く続きますようにと思います。


今年の応募の方のご意見には、この企画を長く続けて欲しいという希望が多く見られました。
きいちのぬりえのコンテストで、少しでも皆さまのお気持ちを楽しくし、癒すことができたのなら、こんなに嬉しいことはありません。
皆さまのご意見はコンテストの継続への大きな励ましとなりました。ありがとうございました。 
どうぞ良いお年をお迎えください。(館)

Posted: Nurie : 15年12月14日

美術館便り8月~10月合併号

きいち 没後10年
「ありがとう 忘れない」第二弾

平成26年8月8日(土)~11月3日(祝)


きいち 没後10年 「ありがとう 忘れない」第二弾 を開催しています。
今回は、日頃は展示をしていないポスター類を始め、大判ぬりえなどをご紹介いたします。
きいちが亡くなって10年ですが、これからもきいちのぬりえを忘れずに、子どもの頃の気持に戻って、ぬりえの可愛さ、楽しさを感謝の気持をもって引きついで行きたいと考えております。

今後ともきいちのぬりえのご支援をよろしくお願いいたします。


今回の展示物のご紹介
今展示のぬりえは、4つのテーマで紹介しています。
1)憧れの花嫁さん
2)お稽古大好き
3)楽しい毎日
4)昭和10年代のフジヲ時代のぬりえ


1)憧れの花嫁さん
   
昭和20~30年代の少女の憧れである花嫁さん。あの当時一番美しく、綺麗であったのが花嫁さんであったので、少女たちは憧れたのでしょうね。当時は、自宅での結婚式が多かったですから、近所の子どもたちも自分の身近に花嫁さんを見ることが出来たので、子どもの憧れをさそったことでしょう。


その憧れの対象を、きいちは沢山描いています。豪華な着物の花嫁衣裳はもちろん、ドレス姿の花嫁さんも描いています。ドレス姿は随分早い流行を取り入れていたと思います。

2)お稽古大好き
   
昭和20~30年代、戦争時にはできなかったお稽古事が自由にできるようになりました。

団塊世代の子どもたちにとっては、親がしたくてもできなかった習い事や勉強を子どもたちにさせることが流行りました。例えば、ピアノやバイオリン。
洋風なお稽古事が日本に入ってくると、従来からの日本的なお稽古事のお習字、そろばん、日本舞踊などがありますから、習い事が沢山できました。さらにスポーツも柔道や剣道に加え、少年野球も人気でしたね。今回は少女のお稽古をご紹介しています。
貴方の習ったお稽古事はありましたか?


3)楽しい毎日
   
子どものころは、何をしても楽しくて仕方なかったような気がしませんか? 
お金をかけなくてもいろいろな遊びができましたし、家のお手伝いも必ず何かしていましたね。
お手伝いをすれば、お駄賃をおじいちゃん、おばあちゃんからもらったり、お店の人が、「偉いね。」とお駄賃かわりにお菓子やおまけをしてくれたり。そんな思い出はありませんか。

子どもたちがどんな工夫をして、毎日を楽しく過ごしていたか、ぬりえの中に沢山描かれていますよ。


4)昭和10年代 フジヲ時代のぬりえ
      
昭和10年代、フジヲというペンネームで、ぬりえの仕事をアルバイトのつもりで始めました。好きな歌舞伎の絵などを描くと大変な人気となりました。
この頃のぬりえは、「これがぬりえ?」というほど詳細に絵が描かれています。どこに色を塗るのかしらと思いますが、寄贈していただいた当時のぬりえには色が塗られていますので、確かに「ぬりえ」として遊んでいたことがわかります。
歌舞伎や踊りをテーマにしたもの、すずめなどを擬人化したもの、かぐや姫などお話をテーマにしたものなど、いろいろ描かれていますので、どうぞご覧ください。


皆さまの子ども時代を楽しませてくれたきいちのぬりえをこれからも伝えていきたいと思っております。どうぞこれからもきいちのぬりえを楽しんでください。(館)

Posted: Nurie : 15年08月14日

7月の美術館便り

7月になりますと、七夕を始め各地で納涼のお祭りが始まりますね。このぬりえ美術館付近では朝顔市、ほおづき市など東京の伝統的なお祭りが楽しめます。皆様の地元ではいかがですか。


ぬりえのこころ -今月の一枚- 

館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、その時々の季節のものや  テーマを設けて月毎に展示しています。こ
のコーナーでは、月替わりのエントランスのぬりえから1枚を選んでご紹介します。


タイトル:くだもののおくりもの
作  者:きいち
年  代:昭和30年代
寄  贈:新井 光男氏


7月のエントランスは、美味しいものを食べてをテーマに食べ物に関するぬりえを展示しています。
果物籠にいっぱいにつめられた果物。高級なメロンやバナナが輝いています。
最近果物屋さんでもこのような果物籠を見かけなくなりましたが、私が子どものころ、果物屋さんの店先には大きな籠に果物をつめて飾られていたものです。

又自分の家では、お盆などの仏事の際に親戚や知人から贈られてきて、仏壇の前に置かれていたことなど思い出します。最近は籠というより、紙箱につめられた果物が多くなりましたね。


20年ほどまえに奈良に仕事ででかけた帰りの電車の中で、結婚式の引き出物にこの大きな籠を持った人を見かけたことがあり、大きくて持ち帰るのに大変だろうなと思ったことがありました。地域によっては、引き出物に大きなものを贈る習慣があるのでしょうね。


今月展示のぬりえの中の食べ物は、デコレーションケーキ、ホットケーキ、アイスクリーム、かき氷、綿あめ、ジュースなどですが、昭和30年代なかなか食べられなかったり、お洒落な食べ物であったと思います。東京から今なら1時間ほどの埼玉県の私の田舎でも、デコレーションケーキはクリスマスシーズン以外には販売されていませんでしたし、ホットケーキは、自分の家で作ったこともありませんでした。小学校の4年生になって、東京に上京してきてデパートの食堂に行って、食べた思い出があります。今でもホットケーキは、大好きです。


きいちが食べ物をいろいろ描いている背景には、まだまだ貧しい時代のためこのような食べ物を誰もが食べられなかったため、せめてぬりえの中だけでも美味しいものを食べた気持になってほしいと描いていたのです。(館)

Posted: Nurie : 15年07月05日

6月のぬりえ美術館便り

今年も早いもので梅雨の時期を迎える頃となりました。穏やかな梅雨であることを願っています。


3月から5月までは、きいちの没後10年の年の春の企画展として「ありがとう 忘れない」第一弾を開催いたしました。ぬりえには原画のあった時代が短いのですが、ぬりえが入っていた袋の表紙絵は、きいちが描いた原画が残っています。その袋絵を中心に、いくつかのテーマでぬりえを展示いたしました。
今回ご来館いただきましたお客様の感想をご紹介したいと思います。(3月28日までの分はすでにHPにご紹介をしていますので、それ以降となります)


3月29日(日)
・ ぬりえ、きせかえ 大好きでした。 来たい、来たいと思っていて、やっと実現。のんびりした空間に癒されました。今の子どもたちもぬりえをしたらいい子に育つのに、ゲームの絵との差がつくづく感じられました。
・なつかしいです。私は男ですが、記憶にありますよ。 松尾 52才


4月4日(土)
・晴れ着を誇らしげに着ているぬりえは幼い頃の記憶にあるものでした。
4月5日(日)
・ぬりえ大好き!!! ケンタロウ&サユキ
・It was very interesting to see the different styles and themes of the ぬりえ。They
were all very cute. I really like the Japanese ぬりえ。It was fun to draw this after 6 years again. I felt like I were 10 years old again. Lea Marie Kurbjun
・ぬりえ 久しぶりにしました。楽しくてついつい集中してしまいました。喜一さんの絵、すてきですね。

4月12日(日)
・楽しかったです! ありがとうございました!!
4月18日(土)
・昭和20年代に「きいち」のぬりえでよく、あそびました。又、きせかえも遊びました。館長の鉄舟のお話も良かったです。
4月29日(祝)
・荒川線に乗って、ぬりえ美術館に来たいと思ってました。やっと念願かないました。子供の頃ぬりえが大好きでした。 奈良在住。
・都電荒川線に初めて乗りました。ぬりえ美術館、かわいい。レトロな絵で、とても楽しめました。
・女の子 かわいい。ぬりえ 今からします。
・はじめてきました! かわいさのなかにセクシーさもありつつ・・・ファンになりました。


5月2日(土)
・やっと来ることができました。最高のBirthday です。
・孫の美緒と一緒にまいりました。よい思い出になります!! 吉田いち子
5月3日(日)
・来館したいと常々思っていたのですが、ようやく来ることが出来、なつかしさにドップリ・・・かわいいきいちのぬりえ 嬉しかったです。
・レトロ ステキ。
5月4日(祝)
・はじめてきました。ぬりえやきせかえ人形 なつかしいです。感謝です。きいちさん 女性だと思ってました。スミマセン
5月5日(祝)
・買いたくても買えない時代、ぬりえをしながらお姫様になった気持で、たのしく遊んですごした日々が懐かしく思い出されます。孫と来ましたが、あまりになつかしく私の方が夢中になってみさせていただき、ありがとうございました。 70代女性
・はじめてきて、ひさしぶりにぬり絵しました。楽しかったです。 スズキ
5月6日(振り替え)
・子供の時 よくやりました。「きいち」って、なんだろうといつも思っていました。そんな私も64才 とても良い思い出です。
5月23日(土)
・孫の誕生日!! 何がほしいと聞くと、"ぬりえ"と・・・・ 。昔ことを思い出し、この会館を訪ねました。"ぬりえ"をプレゼントしようと思います。時間があったらまた、今度は孫と一緒に。昔を思い出しました。
・子供の頃、駄菓子屋さんでぬりえを買って遊ぶのが楽しみでした。すごくなつかしい。大人になってから「私の部屋」で奥様との仲むづまじい記事も覚えています。ようやく訪ねて来れて嬉しいです。
5月24日(日)
・はじめてきました。都電散歩で、歩いてきたのですが、来れてよかったです。


子ども時代というのは、とても大切なものですね。きいちのぬりえで少しでも楽しい時間を過ごせていたことが分かり、大変嬉しいです。(館)

Posted: Nurie : 15年06月13日

美術館便り 3月~5月合併号

きいち没後10年「ありがとう わすれない」
27年3月7日(土)~5月31日(日)


ぬりえに夢中であった少女の頃、きいちのぬりえ描かれた世界の美しい色彩、お洒落なドレスや豪華な着物、美味しそうな都会の食べ物など、自分の身の回りにない世界に憧れたことを懐かしく思い出します。


ぬりえ美術館の感想ノートには、「ありがとう」の言葉が沢山綴られています。これからも、いつまでもその気持を忘れずに、きいちのぬりえを伝えてまいたいと思います。


今企画展でご紹介するのは、きいちのぬりえの原画です。
きいちのぬりえは昭和22年の開始当時は、原画を描いてそれを印刷していたようですが、その後の印刷技術により、亜鉛版(ジンク版)に直接描くようになりましたので、ぬりえには原画がなくなりました。
今回展示する原画というものは、ぬりえが入っていた袋や冊子の表紙絵になります。作品は昭和30年のものですが、きいちの特長の一つである原色が鮮やかで、生き生きとした躍動感が伝わる作品ばかりでございます。

1.原画
 きいちは毎月2つの版元(今でいうメーカー)に各4袋、合計8袋のぬりえを描いていました。 一袋に10枚、12枚などありますが、紙の取り都合が一番よかったことから8枚入りが長い間続いたようです。そして昭和30年代後半には、5枚入りになっていきます。 袋の表紙絵を、きいちは一枚、一枚丁寧に色を塗って完成させています。


「喜一さんの絵はていねいですよね。他の絵描きさんは、絵の具をかいあわせて、ちょっとぬって、「ここがピンク」とか指定してくるだけなの。喜一さんは全部塗って、仕上げてくれるのよ。細かい所までね。」と版元(メーカー)の女将さんが書いています。(草思社「きいちのぬりえ」)


2.今回のぬりえのテーマ
「春の行事」、「子どもの遊び」、「お洒落な服に憧れて」、「着物が大好き」をテーマに展示をしています。

「春の行事」は、小さい子どもの頃の思い出に残るものが数多く描かれています。豆まき、お雛様、お花見、小学校の入学や遠足など等、明るく楽しい春の様子がさまざまに描かれています。


「子どもの遊び」は、昭和20~30年当時の子どもたちの遊びの様子が描かれています。縄跳び、まりつき、すべり台に始まり、輪投げ、ローセキで絵を描いたり、影絵、紙芝居など等。きっと皆様も夢中で遊んだ思い出があることでしょう。


「お洒落な服に憧れて」は、きいちのぬりえの一番人気のテーマではないでしょうか。きいち自身がまるで洋服のデザイナーのように、子ども向けに可愛い服を描いています。昭和20~30年当時、東京にはこのようなお洒落な服が売られていたのかもしれませんが、地方ではなかなか見ることができない(まず販売されていない)、あっても買ってはもらえないということもあり、ぬりえの中で素敵な洋服や着物に色を塗って、心を満たしていたのだと思います。


「着物が大好き」は、洋服と同様にきいちの着物の対する人気も高いのです。簡単な浴衣のような着物ではなく、振袖などの豪華な着物や舞妓さん、花嫁さんなどの凝った柄の着物を描いていますので、少女の気持を豊かに満たしてくれたのだと思います。
着物を描く背景には、きいちが日本舞踊の名取であったことも影響していると思います。踊りのお稽古を描いたものや、踊りの演目のぬりえなども数多く描かれています。


お好きなぬりえ、子どもの頃に塗ったぬりえなどは見つかりましたか。これからも、
きいちのぬりえの魅力をご紹介してまいりますので、今後とも宜しくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 15年03月08日

2月の美術館便り

先月から今月にかけてとても嬉しいことがありました。
1月23日の北海道新聞の夕刊に、「きいちのぬりえ 夢と憧れ」「かれんな表情 尽きぬ魅力」というタイトルで、きいちの没後10年のこの年の初めにきいちのぬりえとぬりえ美術館が大きく取り上げられました。

 
北海道の新聞に取り上げられたことは、もう一つ別の意味でも大変嬉しいことでした。なぜなら記事でも取り上げられましたが、きいちのぬりえが一番売れた地区が北海道であったからです。ぬりえ美術館が開館して13年目に入りましたが、その知名度はまだまだ充分とはいえません。マスコミに時々取り上げていただきますが、それでも首都圏が中心ですので、なかなか全国区という訳にはまりません。


きいちのぬりえはコンスタントに毎月100万セット、ピーク時には160万部とも220万部とも言われるほどの人気でした。毎月100万セットということは、毎月100万人もの少女たちがぬりえをしていたということができると思います。その少女たちに、今現在もきいちのぬりえは存在していますよ、とお知らせしたいのですが、その意味でも全国区ではありませんでした。

ところが今回きいちのぬりえが一番売れた北海道で、きいちのぬりえとぬりえ美術館についてご紹介していただけたことは、北海道に住んでいらしゃるあの頃の少女の方々にとって、とても懐かしくびっくりするような記事ではなかったのではないかと想像いたします。
さらに紙面の中には、一枚「はなびらをとおして」というぬりえが入っていました。きっとその紙面のぬりえに色をつけて、お孫さんらとご一緒にぬりえを久しぶりに楽しんで、少女の頃の昔話に花が咲いたのではないかと思います。


この新聞の掲載後すぐに札幌の男性からお電話をいただきました。骨董市で購入した美空ひばりのぬりえを持っているので、良かったら寄贈をしますというお電話でした。新聞に掲載されたときの問合せとしましては、場所や時間の確認がほとんどです。寄贈についてのご連絡は大変嬉しいことでした。
美空ひばりさんは、国民的な歌手であり非常に人気の高い方でしたので美空ひばりグッズというものも大変人気が高く、なかなか入手が困難であります。届きましたぬりえ作品を拝見したところ、サイズが縦35センチX横25センチと非常に大きく、ひばりさんの顔の部分は写真が使われているという大変珍しいものでした。 写真や時代からひばりさんの少女の頃のぬりえと思われます。
いつかこれらのぬりえとぬりえ美術館所蔵のひばりさんのぬりえなどで「美空ひばり特集」のような展示を企画してみたいと思います。


美空ひばりのぬりえにつづき、2月には恵庭市の方からきいちのきせかえが1冊寄贈されました。やはり北海道新聞を読んだ方からでした。送ってくださった女性の方は、昭和40年代前半の幼稚園時代から小学校の低学年の頃に、小間物屋さんできいちのぬりえを日課のように買っては塗られていたそうです。お店で新しいぬりえの袋をみつけると、次はこれを買ってもらおう、これをぬりたいと考えるだけでも楽しくなったと思いでをお手紙に書いてくださいました。 その送ってくださったきせかえは、後年古本市でみつけたものだそうです。


今回の新聞記事が皆さまの記憶を刺激して、このような反響が続いたのだと大変嬉しく思っています。
北海道の方のご親切に心より感謝申し上げます。そして、いつか上京の折には、ぬりえ美術館にお立ち寄りいただくことを願っています。


連日羅臼の降雪状況などがテレビでも報じられておりまして、今年の北海道の寒さは非常に厳しいと聞いております。どうぞつづがなくお過ごしになれますようお祈りしています。

Posted: Nurie : 15年02月08日

1月の美術館たより

今年も皆さまにとって、健やかで幸多い年でありますよう、お祈りいたします。

昨年は、きいち生誕100年の年でしたが、今年は蔦谷喜一没後10年の年であります。
この一年をきいちのぬりえの可愛さ、美しさを伝え、少女の憧れの世界を描いたぬりえをこれからも伝えていく年としたいと思っています。

きいちとぬりえについて
戦後の昭和22年から40年ころまで、少女に絶大な人気があったぬりえが「きいちのぬりえ」でした。当時ぬりえは大変な人気で、40人ほどの作家がいたと、きいちが語っていましたが、その中でも一番人気があったのが、きいちのぬりえでした。
「きいちのぬりえ」とおもちゃに作家の名前が付いたのもきいちが最初だといわれています。


日本の現代アートの第一人者である村上隆氏が蔦谷喜一を称して、「まだ貧しかったあの時代の、少女たちの美へのあこがれに応え、「想像力」を喚起した。芸術家です」ときいちがなくなった時に朝日新聞にコメントされています。


きいちのぬりえの特徴
ちょっと四角い大きな顔に、ぱっちりした大きな目、そして太い足の三、四頭身の女の子、というものでした。あのような少女の顔が、当時の少女の理想像だったのではないか、と私は思っています。
そして、三、四頭身というのは日本人が考える「可愛らしさ」であり、今流行の「可愛い」の原点は、きいちのぬりえの少女ではないかと思っています。

「蔦谷喜一」とは、とのような人物だったのでしょうか。
本名は、蔦谷喜一。大正3年に東京は京橋区新佃ということころで、紙問屋の五男で、九人兄弟の七番目として生まれました。
新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、お隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。


きいちは、子供のころから絵が好きで、特に人物画が得意だったそうです。 
昭和6年。17歳の頃です。帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢は何か、ハッキリと自覚するようになったきいちは、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所というところで裸婦デッサンなどを勉強しています。


昭和15年。きいちが26歳。川端画学校の友人がぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。
戦争になり、中断。
戦後の1年は築地に駐留していた米兵の、恋人や奥さんの肖像画を掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響かもしれませんね。


その後、昭和22年より本名の「きいち」でぬりえに本腰を入れて、毎月100万部、ピーク時には160万部とも220万部とも言われるほど爆発的な人気となりました。


戦後の貧しい日本で、子どものお小遣いでも購入できるぬりえに美しい世界を提供したきいち。生涯現役で絵を描いたきいちは、2005年91歳でなくなりました。


あれから10年。
きいちが亡くなっても、当時の少女の心に様ざまな思いを残しているようです。ぬりえ美術館に来館される方々は、子どもの頃にどれほどきいちのぬりえに憧れ、美しい世界に心が満たされたか、思い出を語ってくださいます。
これからも皆さまの心を熱くしたきいちのぬりえを後世の方々に伝えるべく、ぬりえ美術館を運営していきたいと思っております。


これからもご支援をどうぞよろしくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 15年01月10日

8月~10月美術館便り合併号

祝 きいち生誕100年
「これからも いつまでも」
第二弾
平成26年8月2日(土)~10月26日(日)

蔦谷喜一の生誕100年を祝いまして、春の企画展に引き続きまして「これからも いつまでも」第二弾と題しまして、戦前の「フジヲ」時代のぬりえから「きいち」時代のぬりえときせかえ、そして晩年に喜一が描いておりました絹本に描かれた童女画や美人画などを展示し、きいちの描く世界観を堪能していただきたいと思っております。
 

ぬりえ美術館では、きいちのぬりえを通して、ぬりえの魅力、価値を伝えて参りたいと思っております。ぬりえは、子どもの心を育む遊びであり、子どもにとって大切な「こころの宝物」です。これからも日本の文化の一つとして、日本のぬりえ文化を育てていきたいと思っております。


今後ともきいちのぬりえのご支援をよろしくお願いいたします。


1.きいちプロフィール
本名は、蔦谷喜一。大正3年(1914年)に東京は京橋区新佃に、紙問屋の五男、九人兄弟の七番目として生まれました。新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、築地のお隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。
 

昭和6年。17歳の頃、帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢をハッキリと自覚するようになり、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所で裸婦デッサンなどを勉強します。

昭和15年。26歳。川端画学校の友人の勧めでぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。


戦争になり、中断。


戦後の1年は築地に駐留していた米兵の恋人や奥さんの肖像画を、掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。日本画の絹本(絹の上に描く)を学んだきいちは、米兵の持参したパラシュート(素材は絹)の上に肖像画を描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響と思われます。


昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、爆発的な人気となっていきました。最初はバラ売りでしたが、袋入りとなり、きいちのぬりえは、毎月100万袋、ピーク時には160万、220万袋も売れるほどの人気を誇りました。

昭和40年頃、ご成婚や東京オリンピックなどで一般家庭にテレビが普及するようになり、「ぬりえは古臭いもの」として廃れていきました。


昭和53年(1978年)、資生堂の銀座のギャラリー「ザ・ギンザ アート・スペース」で、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。それ以降、コマーシャル等に使われるなどして、きいちの人気は現在に続いています。


平成17年(2005年、91歳で逝去。生涯現役で絵を描いていたきいちでした。


2.今回の展示物のご紹介
きいちは元々美人画を学んでおりましたので、美人画家になりたかったと思いますが、戦後の混乱期に戦前にアルバイト的にやっていたぬりえを生活のために始めました。昭和40年代になり、ぬりえが売れなくなり、描けなくなったときも美人画を描けばいいと思ったそうです。
しかし20数年の間ぬりえの少女を描いていたきいちのイメージは「ぬりえ」にありました。そのため日本の伝統的な少女を中心的なテーマとした童女画を描き、美人画は時々描くという生活をしておりました。


絹本に描かれた童女画として、「シンデレラ」、「花嫁」、「てるてるぼうず」を展示しています。「シンデレラ」は、ぬりえ美術館の開館に際しましてきいちよりプレゼントされた絵でございます。ぬりえの美術館であるからと、彩色をしていない白黒の色彩で描いてあります。


 「花嫁」は、小学館発行の「わたしのきいち」の中にも同じテーマの「花嫁」がございます。昭和20~30年代のぬりえ全盛の時代、少女の憧れは花嫁さんでしたから、このテーマの絵を再度取り上げたのでしょう。


美人画では、歌舞伎の創始者といわれる御国を描いた「出雲の阿国」を展示しています。

 
紙本では、舞踊、鏡獅子の「弥生」を描いた美人画を展示しています。歌舞伎や日本舞踊が好きであったきいちには、格好の題材であったと思います。


ぬりえ美術館では、「これからも いつまでも」きいちのぬりえの可愛らしさをお伝えしていきたいと思っております。(館)

Posted: Nurie : 14年08月02日

7月の美術館便り

今年も七夕の時期になりました。小さいお子様がいらっしゃるご家庭では、笹の葉に飾り付けをされて、短冊にいろいろな願い事を書いてお願いをすることでしょう。
荒川区では、環境省が全国のライトアップ施設や各家庭に照明の一斉消灯を呼びかけているキャンペーンに呼応しまして、「あらかわ 七夕ライトダウンキャンペーン」を7月7日(月)に実施いたします。当日の午後8時から10時までのライトダウン(照明の消灯または部分消灯)をするものですが、このところの天候の変化を考えますと、地球温暖化のせいかしら、と思わざるを得ません。ライドダウンされると、お星さまもよく見えるのではないでしょうか。
皆さまのそれぞれの七夕をお楽しみください。


さて、3月から5月まで、2014年の春の企画展としまして、「祝 きいち生誕100年 これからも いつまでも」を開催いたしました。今月は感想ノートから来館者の方々のお声をご紹介したいと思います。


4月26日(土)
・とても、なつかしく、ゆったり時を過ごせました。ありがとう!! 良い時代でしたね。
草加 山口


4月27日(日)
・一度お伺いしたく、ようやく実現しました。 (孫)にぜひ見せたいと思います。私もとてもなつかしく昔を思い出しました。アリガトウゴザイマス。  町屋 ベニヤ
・改めて、すごい方なんだなあーと思いました。
子供のころ、数枚のぬりえの中から、花嫁さんを一番最後に残して、一枚ずつ、大事に大事に描いていた事を思い出しました。とても感激しました。ありがとうございました。
  歌門 光代
・新三河島に来て10年、事務所が変わって3年、やっと来れました。

4月29日(祝)
・子供の頃、駄菓子屋さんでぬり絵を買って、楽しんでました。着せかえも楽しい思い出です。
とてもなつかしかったです。戦前生まれの母も大好きで、母の子供の頃の豆ブックのぬり絵もまだあります。以前から来たかったので嬉しかったです。ありがとうございました。


5月3日(土)12:30
・やっと来ることができました。ぬりえ美術館。イメージ通りの館内。決っしてハデさはなく、なつかしさが、こみあげてきました。20年代、30年代の子供の遊びの写真を見て(館内に展示してあります)現代のコセコセしている世の中を、一シュンでも忘れることができました。
ぬりえも、久しぶりにチョウセン:いいですね。明日からの、ヨシ!がんばるゾ!のエネルギーになりました。ぬりえ美術館ありがとう。   ウエ


5月4日(日)
・昔に戻った感じです。なつかしくて・・・ ありがとうございました。
ぜひ 又 伺います。 楽しいひととき ありがとうございました。 船橋 マコト 利江
・羽田(大田区)から来ました。なつかしいです。(私58才) たのしかったです。ありがとう。美代子


5月5日(祝)
・大変懐かしく思い出しました。一番好きな絵柄を大事にとっておいたのですが、今はどこにいったのでしょう。タイムスリップして嬉しく思います。 加藤 高橋 姉妹
・私は昭和39年生まれです。まさに喜一のぬりえで子供の頃遊びました。そして今日5才の我が娘に喜一さんのぬりを見せる事ができました。最高の喜びです。唯一ぬりえときせかえが昭和の遊びでした。いつも心がおだやかになる子供時代に戻りありがとうございました。
卵を兄と2つに割けて育った時代、今とは想像もつかない時代になりました。 東京都 松永
・S33年生まれの私にとって、小学生の思い出は、まさに、この喜一さんのぬりえでした。
 ドレスに憧れ、沢山のぬりえを塗った記憶があります。娘のラインの自己の写真の所に喜一さんのイラストを愛用。何冊あっても良いこのぬりえ、ネットで沢山買いました。今日は娘と一緒に来れて、感動です。 埼玉県秩父市 町田


5月6日(振り替え)
・おばあちゃんが「きいちのぬりえ」を私にくれたことで知りました。原宿の文化屋雑貨店でグッズを買ったりもしました! とてもお気に入りです。きいちのぬりえの絵が大好きです。愛知県名古屋 宗像⑭
・イギリス人と日本人のふうふです。ついにここに来れて幸せいっぱい!妻の祖母が営んでいた駄菓子屋で、きいちのぬりえと共に育ちました。大切にしている思い出です。
 DOY


きいちのぬりえで遊んだ子ども時代がいかに大事な時間であったのか。小さいぬりえですが、きちのぬりえは皆さまの心の中に大きな思い出として残り、様ざまな思いを育てていたのだということが分かります。8月からの秋の企画展もどうぞお楽しみにしてください。(館)

Posted: Nurie : 14年07月05日

6月の美術館便り

今年は早くも梅雨に入りました。
雨になると外には遊びに行けないので、お人形と遊んだり、ぬりえをしたり、きせかえ遊びをしたり、室内でできる遊びをしていたものです。来館者さまの感想やアンケートからも、雨の日には
ぬりえをしていたという回答が多く寄せられていますが、皆さまはどのように過ごされていましたか。


毎月第三の木曜日に開催されている「大人のぬりえサロン」でされているデコぬりえ®が"きいちの生誕100年"のこの時期に、大胆に進化をしていると、"大人の3Dデコ塗り絵」"として東京新聞 3月26日(火)にご紹介されました。


2006年にぬりえが脳の活性化に役立つと言われて出版社がどっと"大人のぬりえ本"を出版して、「大人のぬりえブーム」が起こりました。さまざまな画家の絵がぬりえとなって本になり、本屋さんの店頭を賑わしました。

ぬりえ美術館では、その大人のぬりえブームが始まる2年まえの2004年から大人の人にこそぬりえをしていただきたいと考えて「大人のぬりえサロン」をスタートしていました。その後日本は高齢化率が世界ナンバーワンという高齢者の多い国になりましたので、認知症の高齢者をふやさないようにするために、脳の研究が活発になっていきました。脳の研究から、脳の活性化をするのにいつくもの方法がありますが、その中に「ぬりえ」が良いということが分かり、ぬりえブームが起こりました。
 ブームでしたので、その人気はあっという間に静かになり、店頭からはぬりえ本が消えてしまいましたが、ぬりえが高齢者にとって良いということは、高齢者の施設などに伝わって、2006年以降もデイサービスなど高齢者の施設でぬりえが積極的に行われています。

ぬりえ美術館では、2004年から「大人のぬりえサロン」を開催していましたが、1回だけ参加の方が多く、継続してサロンでぬりえをするという方がすくないため、どうしたらいいかと考えていました。
ぬりえを好きな人は、どちらかというと絵が描けない人が多いので、そのため服や着物に自分で自由に柄を描いたり、背景を描いたりすることは難しく、描けない人が多いのです。自由に描ける人は、ぬりえはしないで自分で好きに絵を描いていけるのです。


またぬりえが上手みえるのは、色彩のセンスのよい人、絵が上手な人なのです。そのため、初心者の方は、サロンに参加しても絵が上手いという達成感が得られないため、1回限りの参加になりがちでした。


そんなとき、講師のyun先生が、「デコぬりえ®」を考案されました。柄を自分で描けなければ、柄になるもの、例えばバラの花やバラの形をしたビーズをつけたり、ドレスのレースを貼り付けたらいいのではないかと絵をデコレーションしていくことを考えだしました。
このデコぬりえ®をしてみると、初めて参加した人でも、上手に見えて、達成感を得ることができますので、心に充実感、満足感が広がり、次回も参加してみたいということに繋がっていきました。

2011年6月からこの「デコぬりえ®」という名称をつけて、毎月テクニックが進歩していきました。そしてこの東京新聞でタイトルに使用された「3Dデコ」という名称ですが、デコレーションだけでなくぬりえの少女が浮き上がって3Dのようにみえるところから、このような表現になりました。
yun先生が考案したり、又参加者の方がやってみたりして、いつもテクニックが進歩し、進化しているため、平たい紙の上のデコレーションだけにとどまらず、少女を紙から切り離して、裏に台紙をつけて、三次元にしているため、少女が前にせり出してきているのです。そのせり出した少女の上にさらにデコレーションパーツを貼り付けていきますので、更に更に三次元度が高まっていくことになります。


ぬりえは世界中にあり、日本でも明治の時代から塗られています。きいちのぬりえは、昭和の22年から誕生していますが、きいちが「フジヲ」と言って描いていた昭和の10年代にも盛んにぬりえがされていたわけです。単に塗るだけでなく、デコレーションをすることにより、より新しい、革新的なぬりえになり、21世紀に相応しい、これからも続いていく「きいちのぬりえ」になったのではないかと考えております。

日本の伝統である歌舞伎の世界でも、伝統を継続、継承していくだけなく、新しいものを取り入れ、その時代に相応しい歌舞伎となっていくので、長く人気ある歌舞伎として残り伝わっていくものと思います。
きいちのぬりえも同じように、新しいものを取り入れ、その時代にあったきいちのぬりえとして、これからもずっと生き残って、皆さまに可愛がられたいと願っております。きいちのぬりえは単なる古い、懐かしさだけのぬりえではなく、現代の人にも可愛らしさを認められたぬりえとして、行き続けたいと思っております。


きいちのぬりえは小学館から、17種類のぬりえ本が出版されています。その他昭和20~30年代に販売されていた袋入りの復刻版が7種類ございます。
どうぞ新鮮な目できいちのぬりえをご覧になってみてください。(館)

Posted: Nurie : 14年06月07日

美術館便り3月~5月合併号 (3)

2-3 MOKU 1998年9月号
・昭和六年、その年の帝展に姉に連れていってもらい、美人画と出合ったのです。ああ、美人画というのは、こんなに美しいものかと感じ、私の行く道はこれだと、一種の霊感に打たれました。それは、鏑木清方の弟子で伊藤深水の兄弟子に当たる、山川秀峰の「素踊」という作品でした。


・昭和十五年にフジヲのペンネームでぬりえを描き始めました。ほんのアルバイト的な取り組みでしたが、美人画を基にしたフジヲのぬりえは、それまでのモノの形を型取っただけのぬりえと違っていたからでしょうか、人気が出かかったのです。でも、すぐ大東亜戦争が始まってしまって、物資統制時代になり、ぬりえ屋は店を閉めてしまいました。


・戦後一年は、進駐軍の兵隊さんが持って来る奥さんや恋人、娘さんなどの写真を基に肖像画を日本画で描きました。
 師団が月島をさると、兄に自宅でぬりえをやってみたらどうだと、印刷だってウチでできるといわれましてね、四枚綴りの「おとぎ絵」を工夫しました。


・シンデレラとか白雪姫とかおとぎ話を四枚のぬりえに仕立てたものをつくって、蔵前の玩具問屋へ持っていき、昔のフジヲですということで店に置いてくれたのです。
それがどんどん売れ出すと、今度は玩具問屋のオーナーのほうから、ぬりえの版元にしてくれという話が出てきました。それも二つのところから。そこで本格的にぬりえに取り組むこととして、ネームも本名の"きいち"で始めました。


・ピークのころには、月に百二十枚。一晩で(ジンク版)八枚。一枚に四区画の絵ですから三十二枚描いていたわけです。
版元は四種の袋をつくって八枚のぬりえを入れて五円でうります。始めのうちはそれが
八十万部ほどでしたが、やがて、百六十万部、二百二十万部と売れたのです。

・小売屋の仕入れは、「きいちのぬりえ」が二円七十銭。ほかの「ぬりえ」は二円五十銭と安いのに、「きいち」のほうが売れたといいます。


・宝塚歌劇団のモットーは「清く正しく美しく」だそうですが、私もこれなんです。モットーは。
昭和四十年にばったりとぬりえが流行らなくなって、もう一度美人画に戻ろうとしたんですけどね。そして、いまもまだ美人画を描いていますが、中心になるのは童女画で、はやりこれはもう生涯この絵柄からは、抜けられないのでしょうね。


・童女画の作業手順
まず鉛筆で仕上げた下書きを木枠に張った絹布の下にきちんと止める。すると布の上から下絵が透けてみえる。
その輪郭を鉛筆でとる。昔はここは筆でいきなり描いたものだという。
筆を入れる順は、まず目。目というよりは瞳の部分。「目がまず決まらないと・・・」
次が眉、鼻のライン、口唇、両頬、顎、頭髪、リボン、耳、襟首と次第に頭部が形をなしていく。


マスコミに取り上げられたお蔭で、きいちのぬりえを描いていていた当時の様子が残され、どのようなことからぬりえの世界に入ることになったのか、どんな思いで描いていたのか、当時の様子を知ることができます。


「持っているだけで楽しい絵」 
私は、もっと、心のこもった絵を、小さい子どもたちに見せたかった。一所懸命描いてはいたが、やはり商業ベースだから数をこなさなければ、というところもある。
 私は、いいえが描きたかった。色をぬるためというのは、二の次でよいと思った。色をぬってもぬらなくても、持っているだけで楽しい、という絵を描きたかった。いやな絵を買って、色をぬってもしかたがない。子どもたちが、好きになった絵を選んで、楽しんで、色をつけたいこどもは色をつければよい、と思った。


「美しい絵を描きたかった」 
ぬりえは子どもの創造性を阻害すると、悪者視されるのを聞いたりすると、私はふるい立った。ぬりえは、絵画の教育ではない。教育とは無縁のもので、あくまで子どもの遊びである。幼い子どもの情緒を養う、心の遊びだと主張したりした。
もし、私が「ぬるための絵」とだけ考えて絵を描いていたら、もっと違った、教育的なものを描いたと思う。しかし、私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだった。美しい大人なり、子どもなりの絵を描きたかったのである。


きいちはぬりえに対して、上述のような気持ち、思いをもって描いていました。きいちを言葉は、「きいちのぬりえ」と共に永遠に残っていくものと思います。(館)

Posted: Nurie : 14年03月05日

美術館便り3月~5月合併号 (2)

2.掲載雑誌より
2-1 「築地物語」NO.55 1998年11・12月号より
・きいちさんは京橋区新佃(現在の佃2・3丁目辺り)で生まれ、4歳のときに入船町に一家で引越し。昭和3年に築地2丁目11番(玄築地3丁目7番)に新築した店を本家としたが、きいちさんは母親と足立に住む。


・昭和3年明石町にある京橋商業高等学校に進むが、自分に合っていないことに気づいて
画家を目指して、川端画学校に通う。


・きいちさんは、銀ブラを楽しむモボ(モダンボーイ)だった。仕立てのいい服を着て、銀座に繰り出していた。
「キャバレーやカフェには行かないで、名曲喫茶とか、ジャズの店、ダンスホールに行って銀ブラをして帰ってくるんです。当時、銀座に遊びに行くのは、若い人かお金を持っている人。当時は兄が小遣いを余計にくれていたから毎日行っていたんです。一流の喫茶店でコーヒーが五十銭、ダンスホールのチケットが十枚で三円なんです。喫茶店はサボ意とかブランシックとか西銀座にあった大きな名曲喫茶とかに行きました。どうしたわけなのか、銀ブラをしないと、眠れなかった。私の三階の部屋からは銀座の灯りが見えたんですけど、その灯りを見ると、雨でも嵐でも銀座に行かなきゃ気がすまなかったもんです」


・ぬりえを始めると売れてブームを巻き起こした。収入が急激に増えたが、きいちさんはそのほとんどを芸事に注ぎ込んだのである。茶道、華道、長唄、三味線、日舞(花柳流名取となる)
この芸事がぬりえのなかに充分に生かされています。


・「机にむかっているかと思ったら、別なことをしているんですよ。きれいな包装紙をみつけると箱貼りをしたり、カーテンを縫ったりして、既製品の洋服だって着やすいように直したりするんです。」
きいちの器用さがわかる話である。

2-2 町雑誌「千住」Vol.11 2000年8月発行
・「千住は第二のふるさとなんですよ」
手広く商売をしていた実家は震災後すぐ、千住宮元町にも事務所を、足立区本木に工場兼倉庫と住居の一部を構えたので、子どもの頃からきいちさんと千住の関わりは始まるのである。


・きいちさんは使用人の沢山いる裕福な家で不自由なくのびのびと育つ。兄弟の上下が女だったせいもあり女の子と遊ぶことが多かったので、着物の切端で人形つくりをしてはままごとに興じ、母親のお供をして呉服屋にでかけるのが大好きだった。
・きいちさんは、小さいころから美しいものに並外れた憧れをいだいていた。


・「きいちは呉服の生地の名前やなんかすぐに覚えちゃうんだ」って言われていたんですよ。生まれつきのものなんでしょうね。それにまわりから「もっと男らしくしろ」とか
「女の子みたいだ」と言われたこともなかったんです。


・昭和19年12月29日に見合い、翌年1月19日に千住神社で結婚式をあげ、新居は千住緑町に構える。半年後召集令状が届き海軍省本部に配属となる。終戦となり、緑町の家に戻る。


・柔道家だった兄は警察でも仕事をしていたので、その紹介で、月島の進駐軍の米兵の持ち込む家族写真を、肖像画に描く仕事を始めた。1年くらい続けたところで、進駐軍が引き揚げることになり、肖像画の仕事は終わる。


・昭和22年の春、柔道家の兄が千住宮元町につたや道場を開き、その周辺に兄弟があつまって暮らし始めた。それからの2年間、この千住宮元町の居心地のよい小部屋から、日本中の子どもたちに向けてたくさんのぬりえが生み出されていったのである。


・最愛の一人娘をもうけたのも千住宮元町の家だった。


・足立区の梅島に家を建てて引越したが、親兄弟が暮らし、娘が踊りや幼稚園へ通った千住へはたびたび訪れているので、「千住は住んでいなくても自分の土地」だと思っていた。


・きいちさんがのめり込んだ日舞は、一人娘・美絵子がきっかけだった。週二回千住宮元町の花柳喜代先生のところに娘を送り迎えするうちに、きいちは自分でやりたくなり、男ながらに稽古に励んだ。
もともと歌舞伎などがすきだったきいちだが、踊りでみにうけたしぐさや表情が絵に影響を及ぼしたことは想像に難くない。


・「私の絵をモデルに娘の洋服をデザインしたんですよ」筆を持てば次々と洋服のデザインや模様が浮かんできたのだそうだ。

Posted: Nurie : 14年03月05日

美術館便り3月~5月合併号 (1)

祝 きいち生誕100年 「これからも いつまでも」
平成26年3月1日(土)~6月1日(日)

蔦谷喜一の生誕100年を祝いまして、春の企画展では「これからも いつまでも」と
題しまして、お祝いがテーマのぬりえを展示するとともに、生前に取り上げられた雑誌を
展示いたします。

 
ぬりえは子どものころにしているものですが、いつしか成長するにしたがってぬりえをしていたことも忘れてしまうものです。しかしぬりえは、子どもの心を育む遊びでもあります。子どもにとって大切な「こころの宝物」をこれからも残して、日本の文化の一つとして、ぬりえ文化として育てていきたいと思っております。


今回の企画展では、昭和20~30年当時のお祝いムードのぬりえを楽しんでいただくとともに、きいちが取り上げられました雑誌をご紹介いたします。

今後ともきいちのぬりえのご支援をよろしくお願いいたします。

1.きいちの人物像
本名は、蔦谷喜一。大正3年(1914年)に東京は京橋区新佃に、紙問屋の五男、九人兄弟の七番目として生まれました。新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、築地のお隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。
 
昭和6年。17歳の頃、帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢をハッキリと自覚するようになり、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所で裸婦デッサンなどを勉強します。

昭和15年。26歳。川端画学校の友人の勧めでぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。

戦争になり、中断。

戦後の1年は築地に駐留していた米兵の恋人や奥さんの肖像画を、掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。日本画の絹本(絹の上に描く)を学んだきいちは、米兵の持参したパラシュート(素材は絹)の上に肖像画を描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響と思われます。

昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、爆発的な人気となっていきました。最初はバラ売りでしたが、袋入りとなり、きいちのぬりえは、毎月100万袋、ピーク時には160万袋も売れるほどの人気を誇りました。

昭和40年頃、ご成婚や東京オリンピックなどで一般家庭にテレビが普及するようになり、「ぬりえは古臭いもの」として廃れていきました。

昭和53年(1978年)、資生堂の銀座のギャラリー「ザ・ギンザ アート・スペース」で、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。それ以降、コマーシャル等に使われるなどして、人気が現在に続いています。

平成17年(2005年)、91歳で逝去。生涯現役で絵を描いていたきいちでした。

Posted: Nurie : 14年03月05日

2月の美術館便り

今年の冬も大変寒さが厳しい日が続いています。インフルエンザやノロウィルスが猛威を振るっていますので、どうぞ充分気をつけてお過ごしください。

2月の行事
豆まき
2月3日は、節分で、豆まきがあります。
邪気を追い払う為に、節分には古くから豆撒きの行事が執り行われています。豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるのだそうです。
豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところもあるのだそうです。
子どものころには、豆まきをしたりしましたが、最近では豆を食べるだけで済ませてしまっていますが、皆様のお家では、どのようにされていますか。


恵方巻き
最近、関西でされていたという恵方巻きが東京でも流行しています。近所のスーパーやコンビニでは、恵方巻きの予約注文をとるポスターやCMが流れていますが、東京で恵方巻きが盛んになったのは、つい最近のことのように思います。
関西出身の会社の後輩から、1990年代の後半ころでしょうか、節分にその年の恵方を向いてのり巻きを食べるということを初めて聞きました。関西では面白い習慣があるのだなと思っていたところ、だんだん東京でも「恵方巻き」の言葉が聞かれるようになりました。

調べてみますと、「恵方巻」の名称は1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、商品名に採用したことにより、その名が販促活動により全国に広がっているようなのです。それ以前は「丸かぶり寿司」や単なる「巻き寿司」などと呼ばれていて、「恵方巻き」と呼ばれていたという文献等は見つかっていないのだそうです。
最近の販促活動では、単にのり巻きだけでなく、ロール状になったものは「恵方巻き」の範疇にふくめて、ロールケーキの恵方巻きが販売されたりもしています。なんと商売上手なことでしょうか。関西の人たちは食べなれていても、関東の人たちにはまだまだ広がる要素がありますから、これからも、様々な恵方巻きがでてくるのではないでしょうか。楽しみですね。


バレンタインデー
豆まき、恵方巻き以上に忘れてならないのは、バレンタインデーでしょう。デパート、スーパー、コンビニなど、チョコレート商戦が始まっています。
東京には、世界の様々な国から有名ブランドのチョコレートが入っていますので、美味しいチョコレートを味わうことができますね。バレンタインのプロモーションはもうすでに1月のお正月が過ぎると始まっていますので、いろいろ試食もできて、お好きな味を見つけることができると思います。
私の友人、知人にはとてもチョコレート好きの人が多いです。チョコレートが冷蔵庫にはいっているとすぐに食べてしまうという人たちばかりです。
今年のバレンタインには、恋人や義理チョコばかりでなく、自分へのご褒美のチョコが売れていると言われています。今年は、どのようなチョコレートを買おうか、楽しみですね。


雪まつり
札幌の雪まつりがつとに有名ですが、全国的に1月の末頃から2月にかけて雪まつりや冬のフェスティバルが開催されています。様々な形を雪で造形したり、ライトアップや花火などで雪の世界を美しく彩ったりと、地区、地区で雪まつりを盛り上げています。
昨年は私も新潟の十日町の雪まつりを楽しんだことがあります。雪が降っていなければ、意外と暖かいので過ごしやすく、また様々なお店がでていて、新潟の食べ物や飲み物などの土地特有の名物をおおいに楽しみました。


2月は短い月にも係わらず、大事な行事、イベントが多い月です。寒い冬を楽しく過ごすために、行事、イベント、お祭りを工夫しているのではないでしょうか。そのイベントに向けて、全国から観光のために大勢のお客様がみえます。そのような交流から各地に地元の銘産や名物が広がって、恵方巻きが全国に広まったように、また新しい恵方巻きが誕生するかもしれませんね。


今年の冬は厳しい寒さが続くようです、寒さをものともせず、散歩などで体を動かすなど、少しづつでも運動ができると風邪などもひかず、元気に過ごせることと思います。
家の中で過ごす方には、みかんなど柑橘系のフルーツでビタミンCを取り入れながら、こたつなどで"ぬりえ"をするのは、いかがでしょうか。ぬりえは思った以上に一枚の絵に集中できるものです。30分ほど、寒さを忘れることができます。そして、塗った後は、頭がすっきりとし、気分が晴れやかになりますよ。


元気にこの寒さを乗り切りましょう。(館)

Posted: Nurie : 14年02月05日

12月の美術館便り

今年も早師走となりました。1年間御愛顧を賜りまして、大変ありがとうございました。

ぬりえコンテスト
今年も開催いたしました「ぬりえコンテスト」、お蔭様で第4回目となりました。第4回目となる今回のぬりえは、「きゅうぴいさん おんぶ」というタイトルのぬりえでした。1回目は着物、2回目はドレス、3回目が着物姿の少女と和、洋を交互に提案してきましたので、今回はお人形ですが、少女と二人という設定を選んでみました。
今回も背景をいろいろ設定して描いてくださっていますが、幼い頃の思い出につながるような野山、原っぱ、空等の自然をモチーフにした作品が多く見られました。キューピーと少女の組み合わせという絵から、自分の幼い頃に結びつくからかと思いました。

今年は70通のご応募を頂きました。年令は1才から最高齢は91才まで、女性ばかりでなく、例年男性もコンテストに参加してくださっています。多くは個人で応募してくださっていますが、
今年は高齢者福祉センターでぬりえを塗る際の画材として、コンテスト作品に挑戦していただき、送ってくださったところもございました。以前にもそのような施設でコンテストに参加してくださったところがありましたので、是非来年のコンテストには、高齢者福祉センターからのご応募をお待ちしております。

個人の参加では、例年初参加という方が多いのですが、2回目、3回目という方もいらして、それはとてもうれしく思っております。お若い方で継続参加の方は、小さい頃から3~4年と続けてくださっています。作品をずっと見せてもらっていますが、その成長をはっきりと見ることができて、本当に素晴らしいことですし、私にとっても有難いと思っております。是非来年もコンテストを開催いたしますので、優秀作品に選ばれた方もそうでない方も参加していただけたら幸いです。

応募された方のコメントをご紹介いたします。
・子供の頃からぬり絵が大好きでした。大学生の時きいちさんのぬり絵を知って以来、すっかりきいちのぬり絵のとりこになりました。

・いつも楽しみにしております。今回のお題「キューピー」は、刺激的でした。

・気に入ったぬりえはぬるのがもったいなくて、最後までとっておきました。いろいろな色を混ぜて工夫しながらぬるのが、とても楽しかったです。

・文房具屋さんや駄菓子屋さんで売られていた可愛い女の子の絵のノート型ぬりえや紐で綴られたざら紙のぬりえ(きいちのぬりえらしきもの)を買って、自宅ではもちろんのこと、近所の友だちのお家で競うようにぬりえに没頭していました。家では、時に父なども一緒にぬりえをしてくれて、子ども心に自分とは全くちがう大人の配色センスに衝撃を受けたのを覚えています。

・遊びの原点だったと思います。

・幼稚園の頃(3才位)から、ぬりえをよくやっていました。ひとりで、お留守番をしながら、ぬりえをしながら、待っていました。特に好きな絵は一番最後にとっておき(ぬりえがノートになっていた)楽しみに、ぬりました。お友達と、誰が一番上手にできたか、比べっこをしたり。祖父に色えんぴつのセットを買ってもらった時、とてもうれしかった。24色で500円でした。皆に自慢したりして。当時は文房具屋さんで、色々なぬりえノートがあって、選ぶのも楽しかったです。

・私がこどもの時は、昭和30~40年代でしたので、小学校では、ぬりえはとても人気があり、休み時間によく女の子同士でぬりながらおしゃべりしていました。女の子の服をぬるときは、自分が着てみたい色や、この女の子は、この色の服が似合うなんて思いながら楽しんでいました。

・子供の頃、学校から帰ると親から10円をもらい、駄菓子屋さんに行きました。糸のついた三角アメときいちのぬりえ、きせかえを買うのが楽しみの毎日でした。ぬりえの女の子はすごく可愛くて、きれいな色にぬれる様に友達と話しながら、みせあいながら遊びました

・桜の花びらがハラハラと舞う春、その花びらを糸を通した針で一枚づつ、拾い、花の首かざりを作って遊んだ6、7才のころの思いで。小児ぜんそくで体が少し弱かったこともあり、運動が大の苦手。外で遊ぶより、どうしても家の中での遊びが多かった。"きいちのぬり絵"が大好きだった。あの大きな目可愛い洋服、ぬっているだけで夢や希望を与えてくれた。学校から帰って、ぬり絵をするのが、本当に楽しみだった。
今では、そのおかげで絵が大好きになり、絵手紙の講師になり、沢山の生徒を教えている。今の私があるのは、きいちのぬり絵に小さい頃、出会ったからだと思う。

・袋を開けるのがとても楽しみでした。どんな女の子が入っているのか、どんな洋服を着ているのか、季節感もありました。今度はどんなのかと待ち遠しく、わくわくの気持ちはきいちの名を聞くだけで、今も心踊ります。70目前の今も絵の仲間と描きの時間を共有して楽しみとしているは、原点はきいちのぬり絵だったかもしれません。

・幼い頃遊び相手は、キューピーちゃんでした。寒いときは裸で風邪をひくからと抱いて寝た覚えがあり、なつかしい思い出が残っております。

・生まれた赤坂のすぐそばが、一ツ木通りという名の道で、毎月6の日が縁日でした。何十年も前のことではっきりしませんが、地面にぬりえが並んでいて好きな絵をえらんだ気がします


来年は蔦谷喜一の生誕百年の年となります。楽しい企画をして参りますので、来年もご来館をお待ちしています。(館)

Posted: Nurie : 13年12月08日

8月~10月美術館便り合併号(3)

3.昭和30年代後半
<昭和30年代後半から昭和40年前後>
テレビが普及してくると、子どもたちの遊びも変わってきます。そんな時代につれて、きいちのぬりえの表情、表現も変わっていきます。「ながいかみ」や「きもの」にみられるのが、この時代の特徴です。
①目がアイラインを入れたように切れ長になっている。前述のはっきりとした「のの字の目」から切れ長な目に徐徐に変化していきます。
②足がすっかり細くなります。
③髪の毛が、黒く描かれなくなり、洋服も柄がなく、線のみになって現代のぬりえと同じようになってきます。
   


この作風になる途中には、「おまつり」や「たまいれ」のように、髪を手束のながれのように描いたぬりえ時代があります。

ぬりえは子どもたちが塗るものですから、子ども向けにきいちも描いております。
ぬりえ美術館を訪れる若い方には、「きいちさんの絵は色っぽい」と言われることがあります。私自身は、子ども時代にリアルタイムできいちのぬりえを塗っていたためか、そのような認識はありませんが、「ながいかみ」や「きもの」の少女には、色っぽさがあるかもしれません。
画家は、歳をとっても、色っぽさとか艶っぽさというものが必要だと思いますが、子どもむけの絵なのに、不思議な気がします。
 

今回の企画展では、年代別にぬりえの変遷をご紹介しましたが、来館される方々は、ご自分が塗っていたころのぬりえの絵がお好きです。子どものころの思い出として、強く頭に残っているからでしょう。
 

いずれの時代も、きいちの少女の可愛さに変わりはありません。顔をかたむけるしぐさ、
足元、手先など、きいちの日本舞踊で培った形の美しさが反映されています。このしぐさの美しさや愛らしさはいつの時代にも、気持ちよく受け入れられるものだと思います。
現代のお子様にも受け継がれてほしいと願っております。

Posted: Nurie : 13年08月03日

8月~10月美術館便り合併号(2)

2.きいちのぬりえの変遷
今回は昭和10年代、20年代、30年代、という時代区分できいちのぬりえの変化をご紹介しています。


①昭和10年代:サインは「フジヲ」を使用しています。
昭和10年代の絵は、①日本画の美人画を絵にしたようなぬりえが多く描かれています。絵の中には、いくつもの日本画の技法が使われています。子どもの遊びのぬりえと言えないほど、豪華に細部まで詳細に描かれています。
②洋風のぬりえには、きいちの特徴でもあるパーマをかけた髪は、クルクルとまるで波の模様のように描かれています。足が太いのは、この頃からのようです。
③童話や民話などを元にしたぬりえも描かれています。またこの時代を表す戦争に関連するぬりえも残されていました。
   


美人画風のぬりえについて、70代の方や60代後半の方々は、このような日本髪の美人画風の絵を塗ったと思い出を語ってくれます。子ども時代のぬりえの思い出は、誰もが持っているものですね。

昭和20年代のぬりえ
①20年代前半
昭和22年から本名の「きいち」を使い始めます。きいち時代になった初期の頃は、「くびかざりみみかざり」や「ミミーちゃんは三つのおいわい」などに見られるように、
①目がたれ目であること
②目の間隔が離れていていること、
③大きな四角い顔に太い足が特徴。
④サインに描かれた小鳥も、初期の頃は、とても細い、痩せた小鳥が描かれています。
⑤さらに髪の生え際のうぶ毛まで、詳細に描かれています。
⑥少女たちは、紙からはみださんばかりに、画面いっぱいに描かれているのも、この頃の特徴です。
      

②昭和20年代後半から30年代前半
これらの時代のぬりえは団塊の世代の方に一番思い出深いぬりえでしょう。
「はなつみのこ」や「でぱーとのしょくどうで」などにみられるように、
①丸い、「の」の字のような目になります。
②四角目の大きい顔と足の太いところは引き続き同じですが、ちょっと折り曲げた足や傾げた顔など、少女のしぐさの優しさ、可愛らしいの特徴が作られた時代です。
   

   
   
   


ぬりえは時代の影響を反映して、「くろんぼちゃん」や「東京タワー」のように当時の流行や話題もぬりえに描かれています。又、昭和10年代から20年代前半には、洋服や着物の柄などがかなり細かく描かれていましたが、だんだん省略されていきます。

Posted: Nurie : 13年08月03日

8月~10月ぬりえ美術館便り合併号(1)

きいちの可愛さは永遠に

平成25年8月3日(土)~10月27日(日)


今年ぬりえ美術館は開館11年目となります。「ぬりえ美術館」を開館したきっかけは、蔦谷喜一という昭和のぬりえ作家が伯父であるということからでした。

戦後の少女、団塊世代の少女にとって、ぬりえは欠くことのできない遊びでした。
「ぬりえが宝物だった」「どれだけ夢中になったか」等と表現してやまない昔の少女たちがどれほどいることでしょう。ぬりえから沢山の夢をもらい、貧しいけれど心豊かに、情緒や仕草、美くしさ等を学ぶことができました。

ぬりえは子供の遊びですが、子どもの心を育む遊びでもあります。子どもにとって大切な「こころの宝物」をこれからも残して、日本の文化の一つとして、ぬりえ文化として育てていきたいと思っております。

蔦谷喜一の残した作品を、どうぞ心ゆくまで楽しんでいただきたいと思います。そしてこれからも、ご支援をよろしくお願い申し上げます。


1.きいちの人物像
「蔦谷喜一」は、とのような人物だったのでしょうか。
本名は、蔦谷喜一。大正3年(1914年)に東京は京橋区新佃に、紙問屋の五男で、九人兄弟の七番目として生まれました。新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、築地のお隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。
きいちは、子供のころから絵が好きで、特に人物画が得意だったそうです。

昭和6年。17歳の頃です。帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢は何か、ハッキリと自覚するようになったきいちは、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所で裸婦デッサンなどを勉強しています。


昭和15年。きいちが26歳。川端画学校の友人がぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。


戦争になり、中断。


戦後の1年は築地に駐留していた米兵の恋人や奥さんの肖像画を、掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。日本画の絹本(絹の上に描く)を学んだきいちは、米兵の持参したパラシュート(素材は絹であった)の上に肖像画を描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響と思われます。


昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、爆発的な人気となっていきました。戦争中は華美なものは禁止され、物資も充分でありませんでした。戦後、アメリカ文化が流入して、自由な空気があふれれきました。そんな空気の中、ぬりえが美しいものとして、子どもたちの間に流行したのです。最初はバラ売りでしたが、袋入りとなり、きいちのぬりえは、毎月100万袋、ピーク時には160万袋も売れるほどの人気を誇りました。


昭和40年頃、皇太子殿下のご成婚や東京オリンピックなどで一般家庭にテレビが普及するようになると、「ぬりえは古臭いもの」として廃れていきました。

昭和53年(1978年)資生堂の銀座のギャラリー「ザ・ギンザ アート・スペース」で、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。それ以降、コマーシャル等に使われるなどして、人気が現在に続いています。


ぬりえが大人気の時代に、「ぬりえは子どもの創造性を阻害する」とぬりえが悪者扱いをされることもありました。そんなとき、きいちは、「ぬりえは絵画の教育ではない。幼い子どもの情操を養う、こころの遊びだ」と反論しています。
また、「もし、"ぬるための絵"を考えて絵を描いていたら、もっと違った、教育的なものを描いていたと思う。しかし、私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだ。色を塗っても塗らなくても、持っているだけで楽しい、という絵が描きたかったのだ」とも語っています。


2002年、日本の現代アートの第一人者である村上隆氏がキューレーションをして、パリのカルティエ現代美術財団にて「ぬりえ展」開催され、きいちのぬりえが展示されました。その村上隆氏が蔦谷喜一を称して、「まだ貧しかったあの時代の、少女たちの美へのあこがれに応え、「想像力」を喚起した。芸術家です」とコメントされています。

生涯現役で絵を描いたきいちは、来年生誕百年を迎えます。

Posted: Nurie : 13年08月03日

7月の美術館便り

今年の5/20~6/4日までスペインに行き、ぬりえの調査をしたことを先月の便りでご報告いたしました。今年はヨーロッパが寒く、スペインも12度/4度と冬並みの温度でした。その他の国でもインドの洪水、アメリカ西海岸の猛暑による山火事など、世界的に異常気象になっています。
東京も今年は猛暑になると予測されており、日本は四季があるといわれていましたが、これから日本も2つの季節になるのではと心配になりますが、暑さにまけず、乗り切りましょう。


今月は、感想ノートやアンケートより、来館者の声をご紹介いたします。
5月11日(土)
・以前から伺いたいと思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。たまたま知人を訪れ
迷子になって、こちらを訪れる機会に恵まれました。きっと呼ばれたんですね。(笑)
ありがとうございました。 寺田昌代


5月12日(日)
・文京から来ました。とってもなつかしいぬり絵の世界に心がなごみ、すばらしいひとときを過ごさせていただきました。  北澤康子
・東尾久で昭和30年代に生まれ、子供時代を過ごしました。ぬり絵は勿論着せ替え人形で遊びました。縁日で付ろくを買い、はさみで丁ねいに切りとり、服を着替えさせて夢中で遊びました。
ぬり絵も線を丁ねいにわくをなぞり、中をぬっていくのです。とてもなつかしく、貴重な子供時代の思い出です。大変ありがとうございました。 久保田八重子

5月19日(日)
・昔に戻りました。 ありがとうございました。 Suzuki


5月25日(土)
・きぼうが丘からきました。おもしろかったです。 Saki
・今日は主人にここへつれてきてもらって、感激しました。とてもうれしく拝見させていただきました。私は75才ですが、若い娘の時に集めたきいちさんのぬりになつかしい想いで一杯でした。
ありがとうございました。


5月26日(日)
・今日、はじめてきてとてもかわいいと思いました。わたしもぬりえをかって家でたのしもうと思います。 中塚彩葉
・娘と来ました!! なつかしい気持ちいっぱいです。楽しい時間を娘と共にすごせて幸せなひとときでした。ありがとうございました。


6月15日(土)
・以前からここをおとずれたかったのですが、なかなか来る機会をつくれず本日やっとこれました。高齢者のデイサービスで働いておりまして、きいちさんのぬりえは女性の李両者さんが喜んで塗られえおります。
自分も子供のころにぬりえやきせかえに夢中になっていたことを思い出しました。


6月22日(土)
・先日図書館で「名作に出会える美術館」という本に出会いました。パラパラめくりましたら「ぬりえ美術館」に手が止まりました。あら?・・・・ もう早く行かなくちゃと思いました。
来館して良かったです。また6月におじゃましてよかったです。なぜか? 明日6/23は、長男夫婦の結婚記念日なのです。1年めのそして10月には孫が誕生します。この次は皆でおじゃまします。
・やっと来ました。50年近く前、友だちとあそびましたね~。娘も好きでした。


6月23(日)
・中野から来ました。きいちのぬりえにあえてしあわせです。これからもたくさんぬりえをぬっていきたいとおもいます。 長堀 百合子


6月30日(日)
・松戸の八柱から来ました。私は22年生まれです。小さい頃からぬりえが大好きで、おこづかいをもらっては、買ったものです。とうじいくらしたおかわからないけれど、大好きで、今もぬってます。本も買いました。今日で3度目。また来ます。何かありましたら、連絡ください。
 谷口 幸子
・とってもかわいらしいえだった。 たかはしなつの


皆さま、ご来館ありがとうございました。来館者の声をきいて、本当に嬉しく思います。小さい頃の思い出というものは、とても大事なものですね。いかに子どものころにぬりえを楽しんでくださっていたかが伝わってきます。ぬりえ好きの方には、思い出のきいちのぬりえが再び小学館より販売されていますので、今またきいちのぬりえを楽しむことができます。 これからも末ながく、きいちのぬりえをよろしくご支援ください。(館)

~来年蔦谷喜一は生誕100年を迎えます~

Posted: Nurie : 13年07月06日

6月の美術館便り

梅雨入りはしたものの、空梅雨が続いています。今年の夏が心配ですね。

2年ぶりに「海外のぬりえ調査」をしてきました。5月20日から6月4日まで、スペインはマドリードとバルセロナの2都市で実施してきましたので、概要をご報告いたします。
1.日本スペイン交流400年
今年は日本とスペインの交流400年にあたります。交流400年とは、1613年(慶長18年)仙台藩主伊達政宗が支倉常長を大使としてスペインとローマに派遣した慶長遣欧使節団が翌1614年(慶長19年)にスペインに到着し、フェリペ3世に謁見した時に遡るそうです。
この「日本スペイン交流400周年」の開幕記念行事にご出席のために、皇太子殿下が公式訪問をされます。このような記念すべき年にスペインで調査を実施できたのは、大変幸運であったと嬉しく思っております


2.スペインの印象
日本が空梅雨で、天候が例年とは違いおかしな天候ですが、ヨーロッパも異常な天候でした。マドリートとバルセロナのいずれもコートかジャケットにマフラーを巻いて、丁度いいほどで、太陽が燦燦と輝くという日はほんの数日でした。世界的に異常気象なのだと感じました。

マドリードでもバルセロナでも、大きなプラタナスの並木がいたるところにあり、緑の大きな葉の重なりが日陰をつくり、まるで都市の中にいながら森の中にいる気分を感じさせてくれます。
南の太陽の強さを軽減してくれる大事な並木なのでしょう。
また朝方になると歩道を水で綺麗に洗い流しているのです。マイヨール広場でもバルセロナのゴシック地区でも、ホースで水を巻き清掃していました。この光景にはビックリを通り越して、感激しました。清掃車も10数種類はあるそうで、スペイン人は綺麗好きなのだと聞かされました。家の中もとても綺麗にするそうです。
高校生時代に、シエスタのことを学びましたが、スペインではいまだに14時から16時まで
昼食、昼寝の時間でお店もクローズするところがあります。スペインでは昼食が一番大事な食事の時間だそうですので、たっぷり2時間のお休みがあり、ご自宅に帰って食事をするかたもまだまだいるそうです。10時にはお茶の時間もあります。
世界のグローバルスタンダードを考えると、日本であれば、世界との競争に打ち勝つために、シエスタの時間を変更するか、なくしてグローバルスタンダードに変えてしまいそうですが、そうでもない国があることが分かりました。何が大事かという価値観が経済や仕事重視の日本人と違うのだろうと思いました。なかなかその価値観を変えることは難しいですが、その価値観の違いの一端に触れることができました。


3.ぬりえの調査
例年の調査と同じように、スペインでも幼稚園(スペインでは学校と言われている)、美術館、図書館、本屋さんを巡り取材をし、お母さん方からもご意見もお聞きしました。
スペインの幼稚園では、ぬりえを使った授業が盛んに行われていました。いずれの学校でも、絵画教育を大変大事に考えられていることが分かりました。幼稚園では、テキストがあり、そこに描かれた絵に色をつけたり、切り取ったり、絵を塗りながら様々な学びに結びつけていました。
大変活発に活用されていましたが、日本のいわゆる「塗り絵」、例えば「きいちのぬりえ」や「キャラクターのぬりえ」の塗り絵の概念を変えたほうがいいのではないかと、沢山の幼稚園を見学して思いました。もちろんスペインでも本屋さんに沢山の塗り絵が販売されていますし、幼稚園でもマンダラの塗り絵を塗っています。しかし幼稚園のテキストや授業のなかでの塗り絵を考えたとき塗り絵とは大きな意味での「色を塗る」ことではないか、"色をぬる"という方向で考えたほうが適当ではないかと思いました。
私は従来様々な国の塗り絵を調査してきましたが、今までは塗り絵=きいちのぬりえのような塗り絵と思って調査をしてきましたが、それだけに限定するのではなく、「色を塗る」ことまで定義を広げたほうが自然ではないかと今回強く思うようになりました。


スペインでは、小学校に入学するまでに字を読んで書けるように幼稚園に要望されているそうで、abc や 1,2,3の数字に色を塗って覚える等に使われています。塗り絵をする際には、1.鉛筆の持ち方を教え、2.輪郭からはみ出さないように、3.きれいな仕上がりができるように努力すること、4.作業配分を考えること、5.自分の住んでいる世界を知るために同じ色で塗ること、例えば木の葉は緑色、キリンは黄色等。6.きちんと座って塗ることなど、子供たちが色を塗ることから学ぶことは沢山あるようです。
今回施設にいた子供を引き取ったというお母さんとお話をする機会がありました。彼女は現在5歳で、2年ほど前からお母さんと一緒に暮らしています。施設では塗り絵をすることがなかったそうで、塗り絵は輪郭からはみ出してはいけないことや色の名前を知らなかったそうです。すっかり私達は忘れてしまっていますが、色の名前なども家や幼稚園で色を使って塗りながら、覚えていたものなのですね。


最後に一番強烈なスペイインの印象ですが、どの幼稚園でも園長先生の個性が教育方針に生かされているそうで、「この幼稚園でされていることが、スペインの全てと思わないでください」ということでした。まさにこの言葉どおり、訪問した幼稚園では本当にそれぞれに違った方法で勉強をしていました。
スペインの調査報告の詳細は、別途HPでご案内をいたしますので、どうぞお楽しみに。(館)

Posted: Nurie : 13年06月09日

3月~5月美術館便り合併号

今年の春の企画展は、「きいちの少女は何故可愛いの?」と題しまして、開催しています。

昭和20~30年代の少女にとっては、きいちのぬりえは当然のように「可愛い」と思ってぬりえをしていたものです。それを今回わざわざ「きいちの少女は何故可愛いの?」と題した背景には、今の子どもたちや当時を知らない世代にも、きいちの可愛さが伝わっているということを実感しているからです。
 
1.きいちの少女は何故可愛いの?
今回の企画展では、絵のテーマを5つほど取り上げながら、その中に描かれたきいちの少女を見ていただくことによって、きいちの可愛さをさらに理解していただけたらと思っております。


まず、きいちの可愛さの理由の一つは、ぬりえに描かれた少女がとても"美人"であることだと思います。きいちのぬりえの少女の特徴は、「顔が大きく、目がパッチリとした三・四頭身の少女」という特徴を捉えて、きいちの少女は美人でないと考えている方もいるようですが、ぬりえを良くみてみると、そこに描かれた顔は基本的に美人です。


さらに少女のしぐさにご注目ください。とてもエレガントで優しいのです。昭和20~30年当時子どもの頃から躾が厳しく、特に女の子は女の子らしくということで、「○○をしてはいけない」という禁止事項が多くありました。そのような経験をした私が見ても、きいちの少女はしぐさがより女性らしく描かれていると思います。それは"美的に見て美しい"という考えがきいちにあったのではないかと想像しています。

2.今回のぬりえのテーマ
絵のテーマは、「お洒落」、「ワンランク上の生活」、「流行」、「着物」、「お食事」の5つです。


"きいちのぬりえ"は、毎月2つのメーカーより各4袋、合計8袋のぬりえが販売されていました。
毎月のことですから、それぞれの月の行事ですとか、流行の商品やおもちゃ、お洒落なファッションなどや今現在の生活や風俗などが描かれていました。

現実の生活は自分でもよく分かっていますから、それより現実にはない夢のような生活やファッションなどのほうが、ぬりえとして良く売れたようです。子どもが塗るぬりえですが、子どもの学校生活を描いたようなぬりえは余り人気がなかったそうです。子どもたちが見たい、知りたい、塗りたい絵は、空想の世界であり、自分の経験したことのない世界であったのです。その気持ちは、大人の気持ちとしても同じではないでしょうか。


「お洒落」と「ワンランク上の生活」とは、少し重なる部分がありますが、まだまだ貧しい時代でもあり、又現在と違い東京と田舎の生活の格差や情報の格差がある時代でしたから、ぬりえの世界だけは現実の生活とは少しばかり離れた素敵な世界を描いて、少女たちに夢の世界を見せていました


3.「着物」と「流行」
きいちのファンには、きいちの描く着物姿が好きだという方が多くいらっしゃいます。きいちの描く着物姿は、夏には浴衣姿も描きますが、その多くは豪華で優美な着物を描くので人気となっているのではないかと思います。


昭和30年代には着物ブームがあり、学校のPTAの集まりや入学、卒業式には、お母さん方は必ず着物を着ていたことがありました。子どもたちは七五三やお正月などに着物を着ていました。また踊りやお茶などのお稽古事で着物を着る機会も多くあったと思います。子どもの着物姿もいいものですね。


「流行」というぬりえでは、洗濯機やジューサーなどの家電の最先端のもの、カメラ、八ミリなどの商品、だっこちゃんやおばQなどのおもちゃの流行のものなどのぬりえを紹介しています。そのような最先端のものを誰もが持っているという時代ではありませんでしたので、ぬりえを塗って自分のものになったような気分を味わっていたのですね。


4.「食べ物」
食べ物のぬりえも少し紹介しています。何故食べ物?と思われるかもしれませんね。当時としては、りんごでさえも高級果物であったので、誰でもが購入できるものではなかったのです。さらにアイスクリームやデコレーションケーキなど、冷蔵庫が店頭や家庭にある時代ではありませんでしたから、いつでも食べられるというものではなかったのです。


埼玉の田舎にいる頃に、最初に食べたアイスクリームは、シャーベットのような氷を固めたようなものでした。それが四角い経木の箱の中に入っていて、5円か10円くらいのものでした。滑らかなアイスキャンデーがでてくるのは、その後何年もたってからのことです。
ですからおいしい食べ物の絵が描かれたぬりえを塗ることも、子ども達にとっては夢のようなことだったのです。


きいちの世界では、お洒落なドレスを着た少女がアイスクリームやホットケーキなどを食べています。 あの当時は「ぬりえに描かれたものが全てあったわけではない」という目で絵を見てみると、別の思いが伝わってくるのではないでしょうか。


きいちの少女の可愛さの秘密を発見することが出来ましたでしょうか。(館)

Posted: Nurie : 13年03月06日

2月の美術館便り

1.1月22日(火)放送、ZIP!藤あや子さん来館

今年に入って、立て続けてテレビでぬりえ美術館が紹介されました。その1つは、1月22日(火)の 日本テレビのZIP!という番組の「1000円バイヤー」というコーナーで、藤あや子さんが来館されたことが放送されました。
藤あや子さんは、秋田の角館の出身でいらっしゃいますが、子どものころ毎日きいちのぬりえをしていらしたそうです。今現在は八ヶ岳にギャラリーをお持ちになるほど絵がお好きだそうですが、その原点は、なんと「きいちのぬりえ」だったのだそうです。


ぬりえ美術館玄関には、ぬりえ美術館のパンフレットにも使われているきいちのぬりえの少女が描かれているのですが、その少女の頬をいとおしそうになでなでされてから、美術館に入ってこられました。館内をぐるっと見学されているときにも、お1人で昔のことを思い出しながら、テレビに向かい説明をなさっていらっしゃいました。
私は藤あや子さんには、何も館内のぬりえのお話をしていないのですが、当時のぬりえの様子をまるで私の説明のようにお話され、ぬりえ美術館にいらっしゃるきいちファンの方が思っていること、又私が皆様にお伝えしたいことのすべて藤あや子さんがおっしゃてくださったので、本当に嬉しかったです。

その後、大好きなぬりえをしてくださいました。なんと150色の色鉛筆を持参されて、素敵にぬってくださいました。その上に、今現在ぬりえ美術館で推奨しています「デコぬりえ®」もしてくださいました。 藤あや子さん、ご来館本当にありがとうございました。ZIP!の番組にも感謝です。


2. 2月2日(土)放送、TBSテレビ「王様のブランチ」の「豆知識」

2月2日(土)には、王様のブランチ」の「豆知識」のコーナーで、ぬりえを取り上げていただきました。2月の1ヶ月、東京新聞で募集をいたしましたぬりえのコンテストでの優秀作品を展示中です。このコンテストのぬりえがちょっと今とは変わっているということから、「ぬりえ」ってなあに?ということで、ぬりえについての豆知識をご紹介していただきました。


きいちのぬりえは昭和20~30年代にかけて、大変な人気となり一月に100万セット、ピーク時には160万セットも売れていた、毎月全国で100万人もの少女たちがきいちのぬりえをしていたわけです。藤あや子さんもそのうちのお一人だったわけですね。
当時はぬりえ作家といわれるひとたちは、きいちの話によりますと40人ほどはいたようですが、何故きいちのぬりえがそんなに人気であったのでしょうか?


きいちのぬりえの特徴は、大きな顔にぱっちりした目、三・四頭身の足の太い女の子ですが、日本人が可愛いと感じるのは、三・四頭身なのです。ドラえもんしかり、ピカチュウしかりです。その上に、きいちの描く女の子の顔は、40人ほどいたぬりえ作家の描くぬりえの中で一番美人でかわいらしい顔だったのです。


今は甲子園に出場する野球少年もジャニーズ系のようにハンサムになりましたが、昔は野球少年といえばにきび面のじゃがいものような少年というのが相場でした。映画が大ブームであった昭和30年代、映画俳優になるような人は本当に一握りの人たちで、一般の人たちはまだまだハンサムや美人は少なかったのです。子どももそうです。きいちのぬりえにあるような美しい少女は、どこにいるのかしらという位少なかったのです。その美しい少女たちが、映画でしか見られないようなお洒落な洋服や豪華な着物を着て描かれていますから、ますます当時の少女たちはそれらの服装や着物に憧れて、きいちのぬりえ人気になっていったのです。


ぬりえ美術館にはきいちのぬりえのほかに、海外のぬりえもほんの少しですが、展示をしています。海外のぬりえの違いについても質問がありました。一番大きな違いは、海外のぬりえには色見本がついたものが多いことです。二つ目はぬりえを通じて勉強するぬりえがあります。今展示していますのはアメリカのぬりえですが、「タイタニック号」のぬりえやアメリカインディアンの歴史のぬりえなどがあります。又オバマ大統領が誕生したときには、歴代の大統領を描いたぬりえ本があり、これも歴史的なことを学ぶいいテキストであると思います。


その他、テレビの豆知識にはでてきませんでしたが、海外のぬりえは中性的というのでしょうか、女の子でも男の子でもどちらでもできるぬりえが多いです。「女の子と男の子に別れているのは、日本的ですね」とタイの国で言われたことがありますが、日本では男女に分かれていますね。
海外のぬりえにつきましては、美術館ニュースの「海外ぬりえ研究室」にいろいろな国のぬりえ本について書いていますので、ぜひ一度ご覧ください。


今回のテレビ放映があり、一番驚き、嬉しかったことは、子どもさんの来館が多くあることです。
通常は、一月に一人か二人程度ですが、テレビの後は一日に十人、十五人も来館することがあり、今の子どもさんにとってもきいちは魅力的であり、可愛いということが伝わっているということは大変嬉しいことでした。
今まで「きいちのぬりえ」を知らなかったけれど、テレビを見て「ママぬりえ美術館に行こう」と子どもさんが言うので、来ました。という声を沢山聞きました。レトロな、昔の絵ということもわかっていますが、「可愛い」、「新鮮」と子どもさんは感じているようです。


きいちのぬりえをこれからも伝えていきたいと希望していますので、今回の子どもさんの反応は、大変未来が明るいものだと分かり、心から喜んでいます。是非ぬりえ美術館にいらして、ぬりえ体験コーナーでぬりえをして、遊んでいってください。(館)

Posted: Nurie : 13年02月13日

1月の美術館便り

新年明けましておめでとうございます。
今年は三が日大変いい天気で、今年はかいいことがありそうな明るい年明けでした。
どなた様にとっても、幸せな年でありますよう、お祈りしています。


昨年10周年を迎えまして、今年は11年目に入りました。次の10年に向けての最初の年となります。そこで、毎月館内に入った入り口部分に「エントランス展示コーナー」がありますが、その展示の1月では、"毎日がワクワクしていた日々」をテーマに、きいちのぬりえを選んで展示しています。
子ども時代を思い出してください。一日がアッという間に過ぎて、毎日が楽しくて仕方なかったと思いませんか。大人になると、いろいろ考えることが多くて、一日が重くなってしまううようなことも増えてきて、いつの間にかワクワク感というものを忘れがちになっているのではないかと思います。
そこで、子どもの頃に戻って、まずワクワクした気分を思い出して、今年一年をワクワクした気分で過ごすことができるように、ワクワク気分のぬりえを展示してみました。


「一年の計は元旦にあり」と言いますが、お正月ですから、今年の計画を立てる場合に、初心に戻ってみるということも、一つの方法ではないかと思います。子どものころ何をしたかったのかとか、何が好きだったか、その時点にもどってみて、何かを始めてみる、計画してみるということもあるのではないかと思います。 自分の好きなことなら、継続してできるものです。好きなことなら、心も温かくなって、気分よく続けることができるものです。どうかそんなことも頭において、今年をどのように過ごそうかと考えてみてはいかがでしょうか。


さて、ぬりえ美術館の今年の1年は、12日(土)に締め切りになりますが、第三回東京新聞ぬりえコンテストを開催しています。東京新聞ならびにぬりえ美術館のHPをご覧になり、ご応募してください。このコンテストの優秀作品は2月の1ヶ月間、ぬりえ美術館に展示されます。
3月から5月までの開催の春の企画展では、「少女の憧れワールド」と題しまして、昭和20~30年代の少女はどんなものに憧れていたのか、ご紹介していきます。
8月から10月まで開催の秋の企画展では、戦前から昭和30年代までの「きいちのぬりえの変遷」と題しまして、同じように見えるぬりえの中にも変化が見えますので、その変遷の様子をご紹介して参ります。


今年もきいちのぬりえで、皆様のこころをワクワクさせたいと思っています。
今年もぬりえ美術館をよろしくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 13年01月04日

12月の美術館便り

今年も一年ご来館ならびにご支援をいただきまして、大変ありがとうございました。今年はぬりえ美術館開館10周年を迎えることができた記念すべき年でした。これも偏に皆様方のご支援の賜物と心より御礼申し上げます。来年も引き続き楽しい企画を開催いたしますので、よろしくお願い申し上げます。
 
■一年の終わりに当たり、来館されました皆様の声をご紹介したいと思います。
9月16日(日
町屋という町に初めてちゃんと来ました。私にも4歳の娘がいまして、時々ぬりえを一緒にやります。子供は楽しんでやっています。ぬりえがこれからもなくならいないでしっかりと時代が変わっても、残さなければいけないものだと思います。

ぬりえ美術館に来たいと思いながら、10年が過ぎてしまったのです。やっと来ました。少女、あどけない目、おだやかな目、今の子供たちにはない純真なまなざしです。みつめられたら、つい"はい、はい"と言ってしまいそう。古き良き時代が感じられます。昔の時に接したくなったら、又、来たいです。 文京区千駄木 70才元少女 

10月7日(日)
東大和市から8名で来館しました。地域で介護予防に取り組む主婦です。高齢者を対象にサロン活動する中で、「ぬりえ」に関心が向き、今回訪問しました。とても楽しい一時でした。ありがとうございました。  東大和市奈良橋 野口

10月13日(土)
昨晩インターネットでみつけ、なつかしく。朝早くから家を出て、3時間かけやっとあの頃の時の中へ・・・ 幼い頃10円(?)をにぎりしめ、袋(入り)のぬりえを会に行ったことを思い出します。母と二人で縁側で楽しく、のんびりと、ポカポカした時間がありました。母を思い出したい時に、又来ます。ありがとうございました。

11月3日(祝)
北区都電ウォークラリーで寄り道をしました。ぬりえが大好きでした。上は男の兄弟だけでしたので、1人で遊ぶ時はきせかえとか夢中でした。母も和裁をしていたので、(喜一の)奥様も大変だっと事と思われます。今度はまごを連れてきたいと思います。

ずっと来たいと思って、今日実現できうれしいです。時代がうつり変化しても、素敵な物は素敵といえる自由、ありがたいですね。喜一さんご夫妻とも本当にほのぼのとして、こういう先輩を見習いたいと思いました。ありがとうございました。 HIDEKO!

やっと訪れる事ができました。ぬり絵をしている間は、本当に楽しく心がやすらぎました。ストレスのある日常を過ごさせるいけない現代人にとって、ホッとする事が出来るすてきな場所です。ありがとうございます。 まりこ

11月4日(日)
昭和30年代留守番をしたごほうびはきいちのぬり絵でしあ。可憐な洋服や着物姿に心躍らせた事を覚えています。60才をすぎて懐かしく思い出しました。

11月10日(土)
40過ぎた良いオッサンが不覚にも真剣になってしまいました。(笑)

■昭和30年代
先日1955年に作られた「警察物語」を見ました。東北の街の警察で起こる泥棒、無銭飲食、捨て子などの事件が描かれていました。1955年当時私は6才で、あの時を生きていましたが、その頃はそんなにも貧しかったのでろうかと、今更ながらに驚かされます。
「無銭飲食」等の事件は今はなくなっていますから、胸にずしんときました。母親と息子の無銭飲食ですが、息子に「カレーライス」と「ラムネ」を食べさせても、母親はお茶しか飲んでいず、ご飯はたべていないのです。いじらしいですね。
「捨て子」の事件では、かの天才子役の二木てるみさんが捨てられた子のお姉さん役をしていて、弟可愛さに預けられたおまわりさんの家を抜け出し、弟があずけられている家まで探しに行き、弟に会って涙する様子には、小さくても兄弟愛があることが伝わり、涙せずにいられません。
 
さて、現代は無銭飲食こそありませんが、捨て子どころか母親が子どもを虐待したり、殺したりするような時代になってしまいました。何かが忘れられてしまったような気がしてなりません。
あの昭和30年代、映画の舞台のなったような田舎の農村では、ぬりえと言えども貴重品で買えなかったということもあったでしょう。だから、買えたら大切、大切に塗ったことと思います。それだから強烈に子どものこころに、ぬりえの中に描かれた世界が、とても美しい、夢のような世界として、ぬりえの思い出が残っているのだと思います。
ぬりえの中の世界とともに、その時の自分のまわりの景色が思いだされて、これからもぬりえは来館者のこころを温め、笑顔にしていくことだろうと思います。(館)

Posted: Nurie : 12年12月01日

11月の美術館便り

今年の大きな計画は、開館10周年を迎えての謝恩パーティと10年記念企画展の開催でした。お蔭様で、無事企画展を終了することができました。次の大きな計画といたしましては、
2014年に「きいち生誕100年」を迎えますので、何かできればと考えております。どうぞお楽しみにお待ちください。

デコぬりえ®元年
2012年は、ぬりえ美術館にとって、「デコぬりえ®元年」と言える年であったと思います。デコぬりえ®は昨年の6月から始めていますが、本当にそれはぬりえ美術館の中だけでしているもので、ほとんど知られているものではありませんでした。
今年になって、小学館から2月発売の「きいちのぬりえ 昭和の暮らし編」と「きいちのぬりえ おしゃれ編」の2冊の裏表紙にて、「デコぬりえ®」を取り上げていただき、小学館のウェブサイトでも、デコぬりえ®のハウツーなどを紹介していただきました。

4月からは、NHK Eテレの「団塊スタイル」の番組の中の、「昭和レトロなう」のコーナーにて、昔のぬりえが現在は「デコぬりえ®」として進化していますと取り上げられました。再放送を含め、NHKにて4月から7月まで様々に放送されたことにより、少しづつ認知され始めました。
荒川区のケーブルテレビにても、デコぬりえ®をしている「大人のぬりえサロン」の様子を長い時間放送してくれましたので、荒川区からも「大人のぬりえサロン」へのお申し込みが入るなど、これも影響力が広がっているのを感じました。
 
着物姿のハロウィン
デコぬりえ®の考案者は、イラストレーターのyun先生ですが、先生もぬりえ美術館でのデコぬりえ®の指導のほかに、ご自身でもデコぬりえ®カフェと称して、深川のいっぷくさんという場所などで、デコぬりえ®のご指導をされています。それぞれの場所において、その月やその会のその時のテーマによってぬりえの絵を選んで、その上にデコレーションをしています。
10月のぬりえ美術館での「デコぬりえ®」では、先生のレベルが一段階も二段階もアップしたようで、着物の少女のぬりえでしたが、「ハロウィン」の世界に染められたのです。参加者一同、本当に驚かされました。着物なら、このようにデコレーションをして、と想像していたものを先生の作品は私たちの想像をはるかに超えたものでしたから。
参加者は、びっくりしながらも自分なりのハロウィンの世界を楽しみ、デコレーションをしてくれました。ハロウィンカラーのオレンジ、黒、紫などの闇夜の世界の色に、モチーフはおばけ、かぼちゃ、魔女、魔女の帽子、くもの巣、こうもり等々を描いて、作品を作りました。(これらの作品は、ぜひHPをご覧になってください)
デコぬりえ®は昨年の6月に始まったばかりの新しいぬりえ画法ですので、どこまで進化し続けるのか、たぶん考案者のyun先生にも未知の世界だと思います。そういう意味で、大変将来が楽しみなデコぬりえ®の世界です。


エキスポスーパー65+  http://expo.super65plus.jp/index.html
昭和22年生まれの団塊世代が、今年65歳になり、「高齢者」になりました。団塊世代は、人数の多いこともありますが、戦後生まれとして時代の流行を牽引してきた人たちでありますので、65歳といってもまだまだ元気です。
エキスポスーパー65+では、それらの元気なアクティブシニア向けに以下のような理念・目的を持ち、シニアの「楽しく張り合いのある日常」「仲間に囲まれた生活」「職とプライドのある人生」の実現をサポートしていくものです。


「エキスポS65+」の理念・目的
・国内の6割を有するという65歳以上の金融資産を市場で回転させ、日本経済を活性化させる。
・趣味・文化活動の輪を広げ、温もりのあるコミュニティ作りに貢献する。
・効果的な健康・体力の維持を研究し、活気あふれるデイリーライフを実現させる。
・仕事、お金、パートナー、友人……すべて満たされた理想の人生を追求していく。


このイベント会場にて、「デコぬりえ®」講座を開催いたします。
先着30名。参加費1,500円(材料費込み)
16日12:15~13:15/セミナー会場、17日13:30~14:30/セミナー会場
きいちのぬりえで育った世代の方々に、従来の塗るぬりえに、デコレーションをしてもらい、リボンやレースなどの手触り(触覚)やキラキラのラインストーンなどの煌きを楽しんでもらいながら、集中した後のすっきり気分を味わい、ワクワクした気持ちを楽しんでいただきたいと思っております。


デコぬりえ®以外のイベントは、「社交ダンス」、「出前歌声喫茶"新宿ともしび"」
「これが紙!! パーチメントクラフト体験教室」、「プリザーブドフラワーを自分で作っちゃおう!」、「ガーデニング教室」等がございます。ぜひ、秋の一日を幕張メッセの「エキスポスーパー65+」で過ごしてみては、いかがでしょうか。これからのお楽しみが発見できるかもしれません。
イベントの詳細は、こちらから

 
今年の大人のぬりえサロンは、11月15日(木)、12月20日(木)の2回開催されます。11月は毛皮をまとったドレス姿、12月は豪華な着物になります。10月のハロウィンに負けないような素敵なデコぬりえ®を作りたいと思っています。(館)

Posted: Nurie : 12年11月01日

8月~10月美術館便り(合併号)(2)

今回の展示作品

1.日本画

きいちは美人画を学んだ人です。昭和40年代に入り、ぬりえが衰退してから、時々美人画を描いていました。日本画では紙に描くものと、絹に描くものがありますが、きいちはほとんど絹に描いていました。
今回は「出雲の阿国」と鏡獅子の「弥生」の2作品を展示しています。


2.絹絵
きいちはぬりえを長らく描いていましたので、ぬりえで描いたような少女を絹地の上に描いています。童女百態とか童女画などという呼び名をつけています。私はこちらのほうは、絹絵という分類で展示をしています。今回「花嫁」、「シンデレラ」、「てるてるぼうず」等を展示しています。


3.ポスター

晩年、きいちの作品は、テレビ局をはじめコマーシャルの分野で使用されています。
今回は、"テレビ東京"と2002年村上隆がパリで開催した展覧会の”ぬりえ展"のポスターを展示しています。


4.グッズ
レコード、CDの表紙に使われたきいちや絵皿、Tシャツなど過去にグッズに展開されたきいちをご紹介しています。
  
5.書籍、雑誌類
昭和20年から30年代のぬりえを中心に、きいちの生き様を取り上げている雑誌、書籍を展示しています。
またきいちの絵を使った歌の本や創立記念の中ページを飾る絵など、紹介の仕方の珍しい本なども展示しています。


6.景品類
ミスタードーナツの景品に使われていました。ミニティッシュが可愛らしいです。


日ごろは展示できない珍しいものをご紹介しています。これらの作品郡から少しでもきいちの全体像をつかんでいただければ、大変嬉しく思います。(館)

Posted: Nurie : 12年08月12日

8月~10月の美術館便り(合併号)(1)

ぬりえ美術館10周年記念企画
きいちワールド展
~ぬりえや絹絵、美人画で魅せるきいちワールド~
平成24年8月5日(日)~10月28日(日)
 
2002年8月に開館したぬりえ美術館は、今年で10周年を迎えることができました。これも偏に皆様のご支援の賜物と心より感謝申し上げます。
2002年の開館以来、展示とぬりえについての関係書の出版、海外でぬりえを紹介するぬりえ展開催という3本柱の活動をしてまいりました。これからは、ぬりえ美術館の展示を第一に、そして海外でのぬりえ調査を継続して参ります。
これからもこれらの活動を通じて、ぬりえの認識を高め、ぬりえ文化に貢献していきたく、努めてまいりますので、これからもご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

企画展のご案内
ぬりえ美術館10周年記念企画展は、「きいちワールド展」と題しまして、蔦谷喜一をとりまく様々な作品やグッズなど、従来の企画展ではご紹介していない絹絵や珍しい美人画などを展示し、蔦谷喜一の世界をご紹介して参ります。
蔦谷喜一とは、きいちのぬりえとは
戦後の昭和22年から40年ころまで、少女に絶大な人気があったぬりえが
「きいちのぬりえ」でした。当時ぬりえは大変な人気で、40人ほどの作家がいたと、きいちが語っていましたが、その中でも一番人気があったのが、きいちでした。
「きいちのぬりえ」とおもちゃに作家の名前が付いたのもきいちが最初ではなかったでしょうか。

2002年、日本の現代アートの第一人者である村上隆氏がキューレーションをして、パリのカルティエ現代美術財団にて開催された「ぬりえ展」の出品を期に、きいちは今、世界からも関心を集めています。
その村上隆氏が蔦谷喜一を称して、「まだ貧しかったあの時代の、少女たちの美へのあこがれに応え、「想像力」を喚起した。芸術家です」とコメントされています。


きいちのぬりえの特徴
ちょっと四角い大きな顔に、ぱっちりした大きな目、そして太い足の三、四頭身の女の子、というものでした。
あのような少女の顔が、当時の少女の理想像だったのではないか、と私は思っています。
そして、三、四頭身というのは日本人が考える「可愛らしさ」であり、その可愛いの原点は、きいちのぬりえの少女ではないかと思っています。


「蔦谷喜一」とは、とのような人物だったのでしょうか。
本名は、蔦谷喜一(つたやきいち)。大正3年に東京は京橋区新佃ということころで、紙問屋の五男で、九人兄弟の七番目として生まれました。
新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、お隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。

きいちは、子供のころから絵が好きで、特に人物画が得意だったそうです。 
昭和6年。17歳の頃です。帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢は何か、ハッキリと自覚するようになったきいちは、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所というところで裸婦デッサンなどを勉強しています。

昭和15年。きいちが26歳。川端画学校の友人がぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。
戦争になり、中断。
戦後の1年は築地に駐留していた米兵の、恋人や奥さんの肖像画を掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響かもしれませんね。

その後、昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、毎月100万部も売れる爆発的な人気となったのは、先にお話したとおりでございます。

昭和40年頃には廃れてしまったぬりえですが、昭和53年(1978年)私が以前勤務していました化粧品会社の銀座のギャラリーで、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。
それ以来、コマーシャルに使われるなどして、人気は今に続いています。

ぬりえが大人気の時代に、「ぬりえは子どもの創造性を阻害する」とぬりえが悪者扱いをされることもあったそうです。そんなとき、きいちは、
「ぬりえは絵画の教育ではない。幼い子どもの情操を養う、こころの遊びだ」と反論しています。
また、「もし、"ぬるための絵"を考えて絵を描いていたら、もっと違った、教育的なものを描いていたと思う。しかし、私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだ。
色を塗っても塗らなくても、持っているだけで楽しい、という絵が描きたかったのだ」とも語っています。

戦後の貧しい日本で、子どものお小遣いでも購入できるぬりえに美しい世界を提供したきいち。生涯現役で絵を描いたきいちは、2005年91歳でなくなりました。

2006年頃より、"大人のぬりえ"人気が訪れました。そのお蔭で、デイサービスなどの老人の施設では、ぬりえがなされているのですが、ぬりえ専門に描かれたきいちのぬりえはここでも一番の人気となっているそうです。
色は脳の中の、感情の部分に直接関与するものだそうですので、ぬりえをするとその色を使うことによって、心も元気になるようです。
これからは子どもだけでなく、おとなの方も脳の活性化に寄与するぬりえをする時代になりました。ぬりえは時代、時代に合わせて進化しているようです。

Posted: Nurie : 12年08月12日

7月の美術館便り(2)

3月10日(土)
・念願かなって来館できました。ステキな施設ですね。 真野征夫
3月11日(日)
・日本の美を感じました。デザインの勉強に役立てたいと思いました。来れてよかったです。吉尾
・50年も前の自分の姿がとてもなつかしく、思い出されました。ほのぼのとやさしい 気持ちになり、ありがとうございました。 小野真智子
3月17日(土)
・ぬりえがたのしかったです。あときせかえもたのしかったです。またきたいです。
3月18日(日)
・ぬりえの原画楽しませていただきました。特に関心したのが、力士の原画です。両横 綱(大鵬・柏戸)ともびみょうな陰影のつけ方で、肉体を立体的にみせていたのは関 心しました。
 多分ポスターカラーだと思いますが、これだけの力量をもったきいち画力をみせられ ました。またじっくりみてみたいです。 橘浩一
・三重の友人からはがきが来て、上京の折、都電にも乗って来館。ようございました。美対かず

3月20日春分の日
・63才 念願のきいちの美術館に主人、娘、孫(双子5才女)と来ることが出来ました。 昔、隣 の駄菓子屋さんでよくぬりえを買って遊びました。孫たちも楽しんでいる様 でよかった!
3月25日(日)
・絵がとてもきれいで、買いたくなりました。 ゆま
・きいちさんのぬりえはとてもきれいで、かんどうしました。 7さい つむぎ
・子どものころをおもいだしてとてもなつかしかった。
3月31日(土)
・大阪から春休み中に来ました。ぬり絵や工作が大好きな年長さん(4月から小学生) と今度年長さんの息子と1才4ヶ月の息子がいます。細かい部分に熱心にする娘にき てよかったです。それに、レトロな味のある喜一さんの作風が素敵でした。永盛沙  永。太一・船太
4月1日
・今日はぬり絵を見た瞬間に子どもの頃を思い出し幸せ一杯でした。ぬりえ文化が次の 世代に伝わっていくいように祈りたい一日でした。ありがとうございました。
・懐かしさでいっぱい。入った時から昔を思い出すことになりました。ありがとうござ いました。
・久々に実家に帰ったら近所にこんな素敵な美術館が。娘達もぬりえ 夢中でやってい ました。ありがとうございました。
・とてもおもしろくて、ぬりえに夢中になっちゃいました。

皆様これからもぬりえ美術館を可愛がってくださいね。(館)

Posted: Nurie : 12年07月03日

7月の美術館便り(1)

 
今年も早いもので、もう半年が過ぎました。毎年、同じようなことを言っているように思いますが、年々月日の経つのが早いように感じます。皆様はいかがですか?
今年は来月に、ぬりえ美術館の10周年を迎えます。振り返ってみますと、アッという間のことのように思います。10年継続して運営をできてこれたのも、皆様のご支援の賜物と感謝をしております。
まだまだぬりえ美術館は全国的に知られた美術館ではありませんが、アンテナにピッと来た方は、広く北海道から九州まで、そして香港やニューヨークなど海外からも来てくださっています。来館者の声は、開館当初から少しも変わることなく、10年経った今でも同じような感想を頂いております。その皆様のお声を聞いて、いつも思うのは、「美術館を開館してよかったな」ということです。それでは、最近の来館者の感想をご紹介いたします。

2012年2月26日
・妻がとても感激しかり。一度見に行こうと言われ今日は夫婦で来ました。感動しました。 岡谷市 小口
・私は昨年上京し、現在ぬりえをつくる仕事をしています。今日は「きいちのぬりえ」を見れて、とても感動です。私の仕事の原点がここにつまってるんですね。勉強させていただきました。
小さな子ども達の夢を広げるようなぬりえをつくっていきたいです。明日からまた頑張ります!!

3月3日(土)
・小さい頃おばあちゃんにきいちのぬりえを買ってもらい、夢中でぬって遊びました。「きいち」ってなんだろうとよく思っていました。(大人になってから判明) 結
・と て も 楽 し か ~ た! また来ま~す。とてもおもしろかった。 1時 間半ぐらい、 ぬりえをしました。とてもおもしろかった!3月10日~11日のスポー ツセンターに行きたい と思います。
・ぬりえにはまった! 最高! (西) また来ま~す。絶対に!!水道がこわれたら こちらに・・・(うそ!) 
・楽しかった~~~!また来たいです!1時間以上ぬりえしたよ。3月10日~11日のス ポーツセンターにいけたらいきたいです。(華月)
3月4日(日)
・目白(学習院下)から都電に乗って来ました。5才の息子が最近戦隊ものにハマっており、沢山のぬりえをして楽しんでいました。飯田

Posted: Nurie : 12年07月03日

6月の美術館便り

5月は社会的なビッグイベントが続きました。
まず21日の金環日蝕がありました。これを日本の多くの土地で見ることができました。その現象は、173年ぶりの出来事とか。 子どもの頃に、下敷きに蝋燭のススか何かをつけて、小学校の校庭から皆でみた覚えがありますが、それは金環日蝕ではなく、部分日蝕かなにかだったのでしょう。時代は変わり、天体ショー用の専用グラスなどのグッズが販売され、それがないと目を傷めるということも事前の解説で紹介されていました。
グラスを購入しなかったので、太陽の一部がかけ始めてときに、ちらっと太陽をみて、そのまぶしさに、金環日蝕はテレビで見ることになってしまいました。でも、各地で歓声があがっていましたが、その不思議さに感動の声を上げるのも無理ないことだと思いました。

続く22日には、生憎の雨の中をスカイツリーのオープンがありました。美術館の建物の2階、3階部分からもツリーを見ることができますし、建設中のツリーを見学にも行きましたので、この騒ぎの中での見学は無理と諦めムード。曇りの日は、下からツリーを見上げるにも、雲の中ということがありましたので、雨の日のオープンでは、何もみることができなかったろうと残念に思いました。開館から5日で、100万人を突破したそうですが、地下鉄半蔵門線の中でスカイツリーの買い物袋をもっている人々を大勢見かけましたので、人気のほどを実感します。天気の良い日に、東京ソラマチに行ってみたいと思います。

5月23日、2020年に開催のオリンピックの候補地にむけ、日本の東京がトルコのイスタンブール、スペインのマドリードと共に選ばれました。最終決定は、2013年9月に開催地が決まりますが、いずれの国の開催も見てみたいなという気持ちで一杯です。

ぬりえ美術館のビッグニュースといいますと、「大人のぬりえサロン」が大変人気となっているということです。ぬりえサロンでは、昨年の6月から「デコぬりえ®」というものをしているのですが、このデコぬりえ®のことをNHK Eテレの団塊スタイルやテレビ東京の"「Mプラス」で放映された影響かとおもいますが、ぬりえサロンのお申し込みがとみに増えてきました。 お申し込みの理由をお聞きしますと、「デコぬりえ®」という回答が帰ってきますので、間違いなくデコぬりえ®が人気故のサロン人気となっているようです。
 
デコぬりえ®は立体的な作品の仕上がりと制作しているときのキラキラ、フワフワの素材のときめき感と集中力による気持ち良さが魅力です。作品も素敵な装飾になりますので、是非、皆様も一度「大人のぬりえサロン」でデコぬりえ®に挑戦してみてはいかがでしょうか。(館)

Posted: Nurie : 12年06月09日

3月~5月お美術館便り(合併号)

ぬりえ美術館10周年記念企画
「きいちのぬりえ・きせかえ原画展~鮮やかな色が、今よみがえる~」
24年3月3日(土)~5月27日(日)

ぬりえ美術館では、今年8月に10周年を迎えます。これも偏に皆様方のご支援の賜物と心より御礼申し上げます。これからも皆様方が楽しんでいただける企画をご紹介していきたいとおもっております。

今回10周年を記念して、当館初のぬりえときせかえの原画をご紹介いたします。
きいちのぬりえは昭和22年の開始当時は、原画を描いてそれを印刷していたようですが、その後の印刷技術により、亜鉛版(ジンク版)に直接描くようになりましたので、ぬりえには原画がなくなりました。今回展示いたしますのは、そのぬりえが入っていた袋の表紙絵になります。又きいちのきせかえは、昭和23年から描かれています。今回展示いたします原画は、昭和30年代のものになりますが、今みてもきいちの特徴のひとつである原色が大変鮮やかで、生き生きとした躍動感が伝わる作品ばかりでございます。

1.きいちのぬりえ原画

きいちは毎月2つの版元(今でいうメーカー)に各4袋、合計8袋のぬりえを描いていました。
一袋に10枚、12枚などありますが、紙の取り都合が一番よかったことから8枚入りが長い間続いたようです。そして昭和30年代後半には、5枚入りになっていきます。袋の表紙絵を、きいちは一枚、一枚丁寧に色を塗って完成させています。
「喜一さんの絵はていねいですよね。他の絵描きさんは、絵の具をかいあわせて、ちょっとぬって、「ここがピンク」とか指定してくるだけなの。喜一さんは全部塗って、仕上げてくれるのよ。細かい所までね。」と版元の女将さんが書いています。(草思社「きいちのぬりえ」)

この絵を見たとき、私の好きな速水御舟の「炎舞」を彷彿させる絵だと思いました。日本画の山川秀峰に影響されて日本画を勉強しはじめたきいちにとって、大正14年(1925)に描かれた速水御舟の「炎舞」を見ていても不思議ではなく、ぬりえと炎舞がコラボレーションしている表紙絵と言っていいかもしれません。
2.子どもの遊びがテーマの表紙絵
   
ボウリング、スクーターなど当時の流行の遊びから近所の公園にあるブランコまで、その時の話題に合わせて、自在に絵を描いています。
ボウリングは、古くは1861年(文久元年) 長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場がオープンしたと書かれています。その後昭和27年(1952)、日本で始めての本格民間ボウリング場 「東京ボウリングセンター」が、東京・青山に開業し、昭和30年(1955)、現在の全日本ボウリング協会の前身「日本ボウリング連盟」設立されたという歴史がありますので、ボウリング場の開設を見て、子ども向けのボウリングのオモチャが開発されたと思われます。輪投げと一緒に遊ぶ様子が描かれています。
スクーターは、私は見た覚えがないのですが、一緒に描かれているぬいぐるみの形状は昭和30年代のぬいぐるみ、そのものですので、やはり当時に流行していたもとの思われます。私はスクーターよりも、ホッピングという遊び道具を買ってもらい、ジーンズのつなぎを着ながら、跳ねていたのを思い出します。

3.お姫様・舞妓さんのぬりえ
   
きいちの人気のぬりえにお姫様、花嫁さん、舞妓さんがあります。
昭和20年~30年代、まだまだ素敵な服は出回ってはいませんでした。東京のデパートにはあったかもしれませんが、地方のいわゆる田舎には、無かったであろうそれは素敵なお洋服や着物姿をお姫様、花嫁さん、舞妓さんの姿に表現して、描いてくれていました。
今ではインターネットも普及し、世界中と繋がっていますので、世界中の情報が瞬時に入手可能です。パリで開催される「パリコレクション」がすぐにネットの記事として広まり、新しいファッションの流行を知ることができます。
しかし、昭和20年~30年代には、このぬりえに描かれていたものが全て少女たちの身の回りにあったのではありませんでした。それ故に、遠い映画の世界か外国の世界に存在するものを夢みて、少女たちがぬりえを塗っていたということを理解していただきたいと思います。そのことは可愛そうなことではなく、大変楽しかった時間であったのです。
4.相撲の力士のぬりえ

きいちは映画スターやスポーツ選手など肖像画的なぬりえを残しています。原画では、横綱大鵬と柏戸の原画ぬりえが展示されています。
まるで写真でとったような絵の出来栄えに驚かされます。大鵬にそっくりに完成した絵を見ると、きいちは絵が上手い人なのだと、今更ながらに思ってしまいます。
顔もよく似ていますが、体のてかり具合など、生き生きとした相撲取りの様子を描いています。
昭和36年(1961)の流行語に「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉がありました。当時は巨人の長島と王の活躍と、昭和36年に横綱になった大鵬に子どもたちの人気が沸き、子どもの好きなものを挙げたこの言葉が流行語になりました。

5.きせかえ
   
   
きせかえは昭和23年から描かれています。
今回ご紹介しているものは、昭和30年代もものです。
きせかえは、少女を中心にお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、おじいさん、おばあさんなど、家族を作って遊ぶものです。
紙ですから着せ替えのお人形を立てることはできませんので、きれいなお菓子の箱を使って、お人形を立てたりしたものです。
着せ替えについている洋服や着物も素敵なものが描かれていますが、付属で隙間に描かれている小物が面白いですし、又小物でその当時の時代がわかってしまうということもあります。そんなこともチェックされると楽しいと思います。
きせかえは一人の主人公にいくつもの服を描いていますので、ぬりえより手数がかかると思いますが、きいちは「ガリバーの気分になって」、喜んで着せ替えを描いていました。
原画が描かれた時代から約50年ほどになりますが、今でもその色彩は鮮やかで、生き生きとしています。ぜひこの機会に原画をご覧になって下さい。(館)

Posted: Nurie : 12年06月09日

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