東京都荒川区町屋 土日祝日のみ開館
開館時間:(3月~10月)12:00~18:00 (11月~2月)11:00~17:00

ぬりえ美術館

カテゴリー:美術館だより
その時々の館長「金子マサ」の思った事、考えた事などを紹介しています。
2017年08月04日 投稿

美術館便り 8月~10月合併号(2)

2.きせかえの原画
きいちがきせかえについて、小学館「わたしのきいち」にそのいきさつが書かれていますので、ここでご紹介したいと思います。


「きせかえは私自身が復活させたかった。当時、ぬりえと違ってきせかえは下火でしたからね。実際の人形遊びもたのしいけれど、紙の世界にも昔からこんな遊びがあるんだと、子どもたちに知ってほしかった」
きせかえについては、B4程度の大きさのものを石川松声堂と山海堂、それぞれに毎月四枚ずつ納めた。ぬりえはジンク版という金属の板に特殊な墨を使って絵を描くまでがきいちの仕事。描いた部分が腐食するので、それを印刷するのだ。五色刷りの袋の場合は、喜一が紙に五色で描いたものを、職人がそれぞれの色に描き分けてから印刷するが、いずれにしろぬりえはそれほど喜一の手をわずらわせるものではなかった。


しかし、きえかえとなるとそうはいかない。人物や洋服の型をおこして、一つ一つ紙の上に置いては寸法を取っていく非常に手間のかかる作業だ。できるだけ余白を少なくして、さまざまな要素を盛り込むことも大切で、喜一のきせかえにはお洒落な洋服や着物に混じって、ブーケや帽子、ハンドバッグ、人形といった多くの小物が添えられていた。

「私の描くのは女の子だけじゃなかったでしょう。お父さんお母さん、お兄さんやお姉さんといった家族もちゃんといてね。そういうものを描き入れるときには、一応家族構成なども考えながら描いていたの。リカちゃんファミリーならぬ、きいちファミリー。サラリーマン家庭なら、お母さんはこんな感じで、子供にはこんな服を着せるだろうなとか、芸術家の家庭だったらどうだろうなんて、いろいろ想像しながら描くのが楽しいんだ。
それからきせかえを描いておもしろかったのはバッグの色なんですが、オレンジや黄緑などの中間色を使うとあまり売れゆきがよくなくてね。赤や青といったほうがだんぜん受けがいい。“きいち”の絵には、やっぱり原色が似合うってことなんでしょうね」


きせかえもただただ女の子と洋服、着物を描けばいいというものではなく、ちゃんとその少女の家族背景も考えて描いていたという所は、とても興味深い話ですね。


今回展示していますきせかえの原画では、少女、お友達、お姉さん、お父さん、お母さんという家族とお道具というとらえ方で展示をしています。お道具や小物たちでさえも時代の先端を行くものが多く描かれていました。自分の家にはまだ購入されていない白物家電や外国の映画のなかでしか見られないようなものも描かれていたりして、そういう点も少女たちの感性を刺激していたと思います。


   
 ~お誕生会のようなパーティの様子や、レンジや洗濯機、炊飯器など~

色鮮やかなきいちの原画を見ていますと、子どものころにもどって遊んでみたいなという気持になりませんか。原色が子どものころの感性を刺激するのかもしれません。


きいちの精緻な手仕事の世界をどうぞ心ゆくまで味わいください。 (館)
                                  

Posted: Nurie : 17年08月04日

美術館便り 8月~10月合併号(1)

ぬりえ美術館15周年記念企画
「きいちのぬりえ・きせかえ原画展」~精緻なきいちの手仕事の世界~
平成29年8月5日(土)~10月29日(日)

ぬりえ美術館では、8月で15周年を迎えることが出来ました。 これも偏に皆様方のご支援の賜物と心より御礼申し上げます。これからも皆様方が楽しんでいただける企画をご紹介していきたいと思っております。今後ともご支援を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。


今回15周年を記念して、2回目となりますぬりえときせかえの原画をご紹介いたします。
きいちのぬりえは昭和22年の開始当時は、原画を描いてそれを印刷していたようですが、その後の印刷技術により、亜鉛版(ジンク版)に直接描くようになりましたので、ぬりえ本体には原画がなくなりました。今回原画として展示いたしますのは、ぬりえが入っていた袋の表紙絵になります。又きせかえは、ぬりえから1年遅れの昭和23年から発売を開始しました。
今回展示いたします原画をご覧いただきますと、ぬりえ・きせかえは、子どもたちの駄玩具であり、一袋5円、10円の商品でありますが、きいちが子どものたちのために、精魂こめて美しい世界を描いて喜ばせていたことを感じていただけるのではないかと思います。
どうぞ子ども時代に思いを馳せて原画を楽しんでいただければ幸いです。


1.きいちのぬりえ原画
      

きいちは毎月2つの版元(今でいうメーカー)に各4袋、合計8袋のぬりえを描いていました。一袋に10枚入り、12枚入りなどありますが、紙の取り都合がよかったことから8枚入りが一番長く続いたようです。そして昭和30年代後半には、5枚入りになっていきます。

当初はA4サイズぐらいのものをバラで販売していましたが、昭和23年頃から、B5よりひと回り小さめのサイズにして、袋入りで売り出すことになり、袋の表紙絵を、きいちは一枚、一枚丁寧に色を塗って完成させています。
「喜一さんの絵はていねいですよね。他の絵描きさんは、絵の具をかきあわせて、ちょっと塗って、「ここがピンク」とか指定してくるだけなの。喜一さんは全部塗って、仕上げてくれるのよ。細かい所までね。」と版元の女将さんが書いています。(草思社「きいちのぬりえ」)


ぬりえの入った袋は色鮮やかなカラー印刷であったので、少女たちのコレクションにも耐え得るものとなった。(小学館「わたしのきいち」)と解説されていますが、映画や写真、テレビでも白黒の時代ですから、カラーで印刷されたきいちの描く少女の世界はそれは魅力的なものであったでしょう。

Posted: Nurie : 17年08月04日

2017年03月05日 投稿

美術館便り (3月~5月合併号)

平成29年春の企画展は、「きいちの春夏秋冬」~春夏秋冬のきいちの少女の世界展~と題しまして、春・夏・秋・冬の可愛い少女たちのぬりえを展示いたします。
最近の日本の気候は温暖化のせいでしょうか、四季がなくなっていませんか。しかし昭和20~30年代は、はっきりとした四季がありそれぞれの季節を楽しめました。その四季にあわせてぬりえの世界で、きいちは毎月新作を描いて販売していました。今回の企画展ではそれぞれの季節の可愛い少女たちをご紹介していきます。



Spring has come! 
春のイメージといえば、まず花。チューリップ、櫻、菜の花、桃等など。
種から植えて、花の咲くのを待ちます。春の小川にはさらさらと川が流れ、岸には青草や花がさいて、魚はスイスイ泳いでいます。魚釣りをしたり、少し暖かくなれば小川に入ってみたくもなります。花が咲く花壇や野原には蝶々が飛んでいます。蝶々を捕まえたり、クローバの花を編んでみたり、縄跳にして飛んだりできます。学校の遠足も花を楽しみに出掛けるでしょう。桜の時期には、人々がお弁当をもって桜の下でお花見。春の楽しみは何と多いことでしょう。
      


夏の楽しみはまず七夕さま。笹に五色の短冊を飾り、願い事を書きます。賑やかな飾りで街も華やかになります。そして子どもたちにとって嬉しいのは夏休みが始まることですね。宿題のことは忘れて様々な遊びにチャレンジです。山に行ったり、海にいったり、田舎のおじいちゃん、お婆ちゃんお家にいったり。夏休みが終わると少し大きく成長したような感じがしたものです。
夏の美味しい食べ物も忘れられませんね。最近はかき氷ブームですが、クーラーのない時代、かき氷はスーっと汗をひかせてくれる冷菓でした。
      



秋はお月見。澄んだ青空が高くなり、紅葉などが美しくなります。良い季節になりますので、結婚シーズンでもあります。最近はジューンブライドと言って6月の結婚も多くなりましたが、昭和の時代は秋が一番いいシーズンでした。花嫁さんは着物の時代でしたが、きいちは洋装の花嫁さんも沢山描いています。少女の憧れをいち早く受け取って描いていたのでしょう。
      



冬は子どもにとって寒いですけれど、楽しみが一杯な季節でした。クリスマスやお正月の大きなイベントがありますから、毎日がワクワクです。お正月に備えて、もちつきの杵の音が近所から聞こえてきます。雪がふれば、雪だるまをつくり、雪合戦をしたりスキーをします。お正月が終わると、節分の豆まき。冬の暖房はコタツに火鉢。暖かいコタツに入って、お汁粉やお団子を食べたり、みかんを食べて、寒い季節も子どもたちにとって退屈をするひまがありませんでした。
      

 
季節感がだんだん失われている現代ですが、昭和の春夏秋冬を眺めてみると何故か心が落ち着くような気がしませんか。毎日の生活を子どもたちはとても生き生きと楽しんでいるように見えます。季節感溢れた昭和の生活を、一枚一枚きいちは描き子どもたちにプレゼントしていたのではないでしょうか。

 
毎月100万袋のぬりえが売られていた時代、ピーク時には180万とも220万袋とも言われています。毎月100万人もの少女たちが自分のお小遣いを握り締めて、駄菓子屋さんや文房具屋さんに行き、今日はどのぬりえの袋を買おうかと悩んで選び、毎月、毎月一年中きいちのぬりえを楽しんでいたことでしょう。


今回は春夏秋冬を一同に展示してみましたが、これらの作品の中に、皆様の思い出にある季節やぬりえがあると嬉しく思います。(館) 
                 

Posted: Nurie : 17年03月05日

2016年12月04日 投稿

12月の美術館便り

師走になりました。毎年一年があっという間に過ぎていくという感じを持ちますね。きいちのぬりえの頃は、もっと時間があったように思います。何事も気ぜわしい時期になりますので、深呼吸を一つして、お元気にお過ごしください。

さて、今月は、昭和40年代に消えてしまったきいちを発見して、再び世に送り出してくれた元文化屋雑貨店の長谷川義太郎さんの「きいちの思い出」を長谷川さんの本からご紹介いたします。


蔦谷喜一さんは、足の太い、目玉くりくりの女の子を描いていた「ぬりえ」のきいちさんである。
かつて駄菓子屋さんの隅っこでほこりにまみれた極彩色の袋に入って売られていたぬり絵は、男の子の世界にはない妙に色っぽいものに見えた。・・・・果たしてどんな人が描いているのだろうと思っていた。生きておられるのだろうか、そんな気持ちがきいちさんに会おうと思ったきっかけだった。蔵前の問屋さんやぬり絵の版元でたずねて、やっと上福岡に住んでおられることがわかった。
それとともに、何軒かの蔵前のおもちゃ問屋さんを実際にたずねてみて、ただ「きいち」とだけネームの入ったすごろくや、ノート型になったきせかえ、クレヨンセットなどがまだ作られ売られていることがわかったのだ。例によって犬も歩けば棒にあたる気持ち。きせかえのサラリーマンのお父さんは刈り上げでステテコ姿、着かざったお母さんのスリップ姿は色っぽく、そしておふとんやテレビや冷蔵庫も、なんとあの懐かしの「きいち」しているのには驚いた。

きいちさんはその描くところの少女のように、まつげの長いおじいさんだった。
「長谷川さんみたいな若い人が、どうしてわたしの絵がいいというのかわかりません」と首をかしげておられた。・・・・
「ぬり絵を描く前は人間が好きで日本画をやりたかったんですよ。でも川端画学校にいったら草や葉っぱばかし毎日描かされて、やになってやめてしまったんです。その時ぬり絵をたのまれて、それがいつの間にか本職になってしまったんですが、やっぱり日本画にコンプレックスみたいなものがあったんでしょうか。ずいぶん悩みましたね。もちろん今でも日本画を描いていますよ」
「でもぼくとしては「きいちのぬり絵」は今の世の中でも、ディレクト次第で充分生かされるとおもいますけれどねえ」
「いまの人には受けないとおもいますよ」
ぼくの悪いくせなのだ、はじめに「きいちのぬり絵」ありきなのだが、こうして話しているときいちさん本人の方へ興味の対象がうつってしまうのである。「きいちのぬり絵」はきいちさんにとっても過去のものであるらしい。「今のわたしをみて下さったらうれしいのですが」と言われると一言もないのだ。


こんな素晴らしいぬり絵があったんだと、世の中に記してもらい思ったのがそもそもの発端だった、雑貨屋を始めたことで知り合ったマスコミの人たちにも紹介して、きいちさんのぬり絵はいくつかの雑誌にも載り反響もなかなかのものだった。銀座のど真ん中で展覧会も開催され、単行本も出た。大勢の人が懐かしいと手紙もくれた。
でもこれからのきいちさんに期待してほしい。
「わたしも何年か前から病気をしましてまいっていましたが、何かこれからやっていけるような気がします」 きいちさんも言ってくれた。


世間でもう一つ価値が低いと見られているもの、あるいは認められていないものの中にキラキラ光るものが沢山ある。影響力の強いこの裏文化というやつが、もっとみとめられるようになるまでは、ぼくはこの仕事を辞められない。
「きいちのぬり絵」もこれぞ全て、それぞ一番と思っているわけではない。でもこれがなけりゃこの世は闇だ。文化屋雑貨店のものは一番でもなけりゃ、グッドデザインマークでもない。てやんでえ最高なんです。アホなのです。
白い綿のオープンシャツを初めとする基本的なものと、スーベニア文化に代表されるまがいものとが商品の核となり、そして人をだましても食いぶちをかせごうといういじましさ、これが文化屋の誇りなのである。
~「がらくた雑貨店は夢宇宙」 長谷川義太郎著 晶文社~

こうして長谷川さんはきいちを探し出し、昭和53年(1978年)に銀座の資生堂ザ・ギンザアートスペースで「キイチのぬり絵」展が開催され、この展覧会を期にきいちの第二次ブームなるものが生まれ、きいち人気は今に続いているのです。
この展覧会では、きいち所蔵のぬりえと上野の版元が所有していた原画とぬり絵を借用して展示をした。さらに、ぬり絵の復刻版をつくり、子どものころ、ぬり絵遊びをして小森和子さん、白石かずこさんなどにぬってもらった。また一般にお客さまにも復刻版を提供し、ぬり絵を制作してもらい、会場に展示した。ドイツ文学者、池内紀さんの「ぬり絵」に関するエッセイを会場入り口に展示。キイチファンであったグラフィックデザイナー佐藤晃一さんんがデザインしたポスターを会場入り口の装飾とした。その後、全国でキイチのぬり絵展が開催された。と「資生堂ザ・ギンザアートスペースの25年」の本に書かれています。


当時資生堂の商品開発部に在籍していた私は生でこの展覧会を見ています。(館)

Posted: Nurie : 16年12月04日

2016年11月05日 投稿

11月の美術館便り(1)

今年も残すところ2ヶ月となりました。今年は天候が不順でしたし、地震もありました。
せめて年内は何事もなく過ごしたいですね。今月の美術館便りでは、今年の春から感想ノートに記入された来館者様の声をお伝えいたします。


5月1日(日)

・何年も前からぬりえ美術館へ来てみたいと思っており約6年ほど経過しました。本日やっと実いたしました。実際にぬり絵が楽しめて更に楽しませていただきました。楽しかったです。きいちさんの色づかいと女の子の少し太めの感じがとても可愛く、沢山見られて良かったです。また 塗りたいです。 梢
・懐かしい「ぬりえ」に又出会えて、嬉しいです。可愛い大きな目や純粋な表情は今見てもとても魅力的です。少女時代の楽しい時間を追体験できました。ありがとうございました。ぬりえの楽しさを思い出し、又やってみたいと思います。妃那子


5月3日(祝)
・ぬりえはいいものですね! Yuki
・ぬりえはだいすきです。 MIHO
・65年前を思い出します。毎日の様にぬりえ、きせかえをしていました。


5月5日(祝)
・すばらしい内容でした! 引き出しひらくたびに、わくわくしました! 機会があれば、日本舞踊や美人画もみてみたいですが・・・むずかしいでしょうか? また来ます
・前から一度はきてみたいと思っていたのですが、やっと来られて良かったです。昔を思い出して小さいころを思い出します。またもう一度ゆっくりきたいです。
・美術館の前を通る度気になっていました。今週末引越してしまうので、来れてよかったです。素敵な時間を過ごせました。有難うございました。

5月7日(土)
・私(古希)の子供の頃あこがれのぬりえです。なかなか買ってもらえず大切に使いました。ここに孫と一緒に訪れる事が出来、感慨無量です。


5月8日(日)

・夕べ、嫁に私の子供の頃の話しをして、祖母におこづかいをもらって”きいち”のぬりえを買いに行ったことを思い出しました。すぐにネットで調べてこの美術館があることを知り来てみました。とても懐かしく心がほっとしています。今度は嫁をもうすぐ1才になる孫を連れて寄らせてもらいます。孫がきいちさんの絵にちょっと似ています。(笑) 晃世


5月14日(土)

・子供の頃、ぬり絵が一番の友だちの時がみんなあった時代! いろんな色を考えながら、つかいなら、夢が広がっていきました。今は遊びもオモチャもいっぱい。でもなかった昭和20年代も輝きがいっぱい! キイチは大きな夢でした。”ありがとう”。
・ペットのぬりえを購入と企画展。童話、絵本のきいちを楽しみに来ました。まんまるな目のかわいい女の子をみると、ほっとして、あたたかい気持ちになります。施設にいる伯母やご近所の亡き母のお友達のおばさま。小さなお孫さんがいるお友達にもプチプレゼントでぬりえをお渡しするとかわいい~~。とかなつかしい~~と、大変喜ばれています。
心が折れてしまった日はぬりえ! 元気になります。感謝です。手拭い好き佐藤でした。


5月15日(日)

・前テレビでみまして加山雄三さんが出ていました。お電話しましたらおはがきくださいまして、ありがとう御座居ます。きいちは毎月1回ぬりえをやって居ます。皆さんでやっとこられました。きりぬきなど子供の頃思い出してなつかしかったです。いろいろ学ぶ事が出来てありがたく思って居ます。(矢作)
・一度訪ねてみたいと思っていて、叶いました。ただただなつかしいの一言です。育ちが西ヶ原(飛鳥山のそば)なので、町屋も懐かしい風景です。同じ時代に親しんだものを、こうして美術館としてふれさせていただけることに感謝いたします。私の塗った絵はいづこへ・・・・? まゆみ


5月28日(土)

・香港から来て旅行中のカレンです。都電に乗ったり、ぬりえ美術館を見たりして、とても楽しかったです。この美術館が見れて良かったです! 友達におすすめします。絵がかわいい!! カレン


5月29日(日)
・「きいちのぬりえ」以前から興味がありました。今回の展覧会に来れてとても嬉しいです。昭和40年代生まれの私には、昭和レトロを感じさせ、とても新鮮です。
今高齢者の方を接する仕事をしていますが、「ぬりえ」が皆様とてもお上手で大好きでいらっしゃいます。きっと「きいちのぬりえ」で沢山素晴らしい作品を作っていたからでしょう。
今回「ぬりえ本」を沢山購入し、皆様と私も楽しみたいと思います。それから・・・デコぬりえにも参加したいです。Akemi
・きいちなつかしいですね。昭和20年代後半同じ歳の従姉がいて、よくぬりえをしました。いつもクレヨンの色が線からはみ出し、下手ね~と馬鹿にされました。50年代も東京近郊に住みましたが、まさか町屋にこんな美術館があるなんて全然知りませんでした。今日はとても楽しかったです。すす夢
・きいちのぬり絵はずっと好きでした。今回足を運んで良かったです。何十年!!!!振りにぬり絵をしてみました。楽しかったです。ありがとうございました。 順子


6月5日(日)

・都電の旅をしていて、ふと立ち寄りました。私はぬり絵が大好きでした。なつかしい絵は写真におさめました。今夜の家族団らんの話題にします。Yama
・先日70才台の伯母が入院しました。何か楽しく暇がつぶせたらと本屋のぬりえコーナーに行きました。自分の子供のときのぬりえやきせかえは何だったろうと思いかえして、きいちを思い出しました。 しずこ


6月12日(日)

・ぬりえびじゅつかんのえはとてもすごいとおもいます。それにじぶんたちでぬりえもできるおみせはありません。ぬりえびじゅかんはずっとなくならないでください。よろしくおねがいします。これからぬりえ美術館のことをわすれません。 (なまえ なぎさ)


6月18日(土)
・絵がかわいくて優しくて見ているだけでいやされました。表情や仕草が絶妙。そんな絵に好きな色をぬれるなんてぬりえ文化ってすなおにすばらしいと思います。 松平

6月19日(日)
・私は昭和33年生まれです。かすかな記憶ですが、私の娘がぬりえをしていたのを覚えています。私自身も色鉛筆で何か書いていたと思います。大変懐かしく拝見しました。ありがとうございます。
・テレビで知った相方から教えられて来ました。きいちのぬりえ、おばあちゃんによくもらって、ぬっていました。昔からとても大好きです。懐かしい気持ちになりました。ありがとうございます。
・相方です。昔はほどんどぬりえで遊んだ記憶がないのですが、実際にやってみると大人になっても楽しいものでした。近所にあるのでまた来たいと思います。ありがとうございました。


6月25日(土)
・昔から好きだったきいちのぬりえを以前娘が書店で買って来てくれました。”母さんぽいよ・・・”
ぬりえとでこにて楽しんでいました。そのころ、こちらを知りましたが、そのままで、いつか~行きたい~(夢)
娘が社会に出て東京へ、そしてお嫁に行くこととなり、今日、結婚式場へ行くため上京して夢がかないました!!ほんわかした気持ちはいくつになってもうれしいです。 今日はニコニコ笑顔です。ありがとうございました。

Posted: Nurie : 16年11月05日

2016年08月06日 投稿

美術館便り合併号(2)

2)おでかけ用とお稽古のファッション
   


あの時代に、「ふーどのついたこーと」のようなコートがあったのですね。
「いいいぬでしょう」は、ハンドバッグももってよそゆき姿で犬の散歩です。きっと犬の散歩自体がお洒落なことだったのでしょう。


3クリスマスやお正月の行事のファッション
   


クリスマスの装いはチェックに毛皮にマフ、ブーツ。ダンスの洋服は、フリルが袖にもスカートの裾にも一杯のドレスです。黒の雨靴しかしらない少女にとっては、ボタンのついたブーツはただただ憧れでした。


4)夏のファッション
   


七分丈のパンツにボーダーのワイシャツで水撒きする少女。今見ても少しも古臭くないスタイルですね。「こうりあずき」はボーダーのワンピース姿ですが、夏になると縞や格子、水玉が必ず出てきました。今年もボーダーが流行していますよ。


5)毎日の普段着のファッション
   


普段着だって、こんなに素敵です。「ほっぴんぐ」では、ベレー帽をかぶっています。うさぎを抱いている少女は、パンツのポケットにアップリケをしています。作業する服なのに、お洒落ですね。


今の私たちの生活では、十分にお洒落も出来るようになりました。それにつれてよそゆきと普段着の境界がなくなって、いつもいい服がきれるようになり、全般的にカジュアルな服が好まれるようになっているようです。


「きいちのぬりえ」の少女たちが教えてくれたファッションがどのようなものであったか、どうぞ当時に思いを馳せて、どんな服が着たかったのか、どんな色の服がすきだったのかなど、思い出してみてください。(館)
 

Posted: Nurie : 16年08月06日

美術館便り合併号(1)

平成28年秋の企画展は、「ぬりえはファッションのテキストブック」~お洒落の原点はきちのぬりえだった~と題しまして、きいちの描いた素敵なファッションのぬりえの数々を展示いたします。


NHKの朝の連続ドラマ「とと姉ちゃん」において、戦後の物資のない時代の庶民に対して、服やインテリアをお金をかけずにどのようにしたらいいかをとと姉ちゃんの出版社の本で提案するということを放送していましたが、戦後すぐの時代を経験していない私のとっては、そうだったのか?と当時の事情を知ることが出来ました。


物資がないわけですから、お店に服が売られていません。生地がお店になければ、服を作れません。服の作り方を知らなければ、服は作れません。今は何でも豊富ですから、物がないということはどういうことかを想像することさえ難しくなっています。


生地がないとか、服の作り方をしらなければ素敵な服は着られないということで、本の中で「直線断ちの服」と称して着物を切って縫うだけの服を提案しています。これなら洋裁を知らない人でも誰でも簡単に服が作れるようになります。


「きいちのぬりえ」はこのような戦後すぐの昭和22年から身近な駄菓子屋さん、文房具屋さんで売られていました。
子ども用の服は、婦人雑誌の中に取り上げられていましたが、この婦人雑誌のデザインの代わりをなしていたものが、きいちのぬりえの少女たちの着ている服であると言えるのではないかと思います。

 

「きいちのぬりえ」はぬりえの中でも特に人気があり、毎月大変な数量
(月平均100万部、多いときには160万とか200万部)が販売されていました。その人気の理由は
① ぬりえそのものが好き。②少女が可愛い。③少女の着ていた服が素敵。
そんな服が着てみたい。
ということが揚げられます。
特に③の理由が大変大きいと思います。毎日、毎日ぬりえをして、素敵な服の少女を見ているうちにファッションの感覚が自然に高まり、養われていったと思われます。
 際にぬりえ美術館にいらした方が、きいちのぬりえを洋裁士さんのところに持って行って、作ってもらったとお聞きしたことがあります。

 和20年~30年代は、お出かけ用のよそゆきと日常の際の普段着というものに分かれていました。それで、今回はお出かけのよそゆきと普段着、さらに夏のお洒落着、行事に見るお洒落な服をご紹介いたします。


1)パーティなど特別な機会のファッション
   


映画の中には、このようなドレス姿があったかもしれませんが、自分たちの周りには見られない姿でしたので、憧れてしまいます。いつかこういうドレスを着てみたいと願っていました。

Posted: Nurie : 16年08月06日

2016年07月02日 投稿

7月の美術館便り

今月は、過去に出版された本の中からぬりえに関する記事をご紹介したいと思います。


「色えんぴつの夢」 竹宮恵子 “メリーさん花子さん きいちのぬりえ” 草思社
 駄菓子屋、という言い方は、今でも通用するのであろうか。母は、小学生の私が、駄菓子屋に通うのをひどく嫌った。しかし、徳島の田舎に住まいが変わると、母は、私の駄菓子屋通いに、こごとを言えなくなった。私の親友となった新しい友が、駄菓子屋の娘だったのである。
 五円、十円と硬貨をにぎりしめて、私は友人の小さな店に走った。妹とともに“ぬりえ”を買うために。うす茶色の粗末なひと束の中に、いくにんかの少女達がほほえんでいた。はっきりとは覚えていないが、それらが“きいち”のぬりえであった気がする。“おでかけ着”や“ゆかた姿”の彼女達をいかに華麗に色どるか、妹と競争で配色に苦心したものである。出来上がった作品(!?)を持ち寄ってr、お互いの色のセンスをけなしあい、今度はもっと美しく、と新しいぬり絵の束を買いに、走ったものだ。
クレヨンで色をぬることを、私はいつのまにか卒業していた。限られた種類の色えんぴつで、紙の上の少女達に、変化に富んだドレスを着せねばならない。二つの色を重ねる、外側を濃く内側を薄くぼかして、立体感をつける。ほほの赤味のじょうずなぬり方等々、小さな発見を重ねつつ、自慢の迷作を次々と完成させていった。
私は、次第に可愛らしくポーズをとる少女達に、あきたらなくなった。色をぬるだけでなく、ぬり絵そのものを、自分で描くことを覚えたのだ。私の少女達(あるいは少年達)は、ひとつのポーズにとどまらず、歩き、泣き、笑い、さまざまなセリフまで、しゃべり始めた。平面空間を自在に動かす楽しみは、すでに漫画以外の、なにものでもなかった。
今でも私はふと、自分の作品の主人公達に、色えんぴつで着色してみたくなる。色えんぴつの効果は、よほど紙質の良い雑誌でなければ、きれいに発色してくれない。水彩えのぐや、カラーインクでは出すことのできない色調で、いつか一度、絵が描いてみたいものだ。その時はきっと、幼い日の苦心して発見した技術に、ずいぶんと助けられるであろう。

私と同世代の少女漫画家達の中には、ぬりえからスタートを切った者が多いのではないかと思う。私のもとへ、幼い読者からイラスト(!!)と称する可愛い少女の絵が、たくさん送られてくる。彼らが自分の絵を動かしてみたくなった時、新しい漫画家の卵が誕生するであろう。
私がぬりえを卒業したのは小学校五年の頃と記憶している。(漫画家)


竹宮恵子さんは中学生時代から本格的に漫画を描きはじめ、17歳で漫画家デビュー。 「ファラオの墓」が1974年にヒット。1976年に「風と木の詩」の連載を開始。少年の同性愛を描き、漫画界に衝撃を与えた。2000年に京都精華大学マンガ学部の教授に就任。2014年からは同大学の学長に就任。任期は4年。


きいちのぬりえが漫画家の誕生に影響を与えていたということが分かる記事でした。きいちの後の時代は、ファッションを中心としたぬりえのノートが中心に販売されていた時代で、それらの絵を多くの女性漫画家たちが描いていたようです。

「ぬりえの誘惑」 田辺聖子 “メリーさん花子さん きいちのぬりえ” 草思社
子供のころのぬりえには、ベティさんやミッキーマウスがあった。
それからおたばこ盆に髪をゆった女の子など。戦前のせいか西洋人はなく、日本髪の女の子が多かった。昭和のはじめから十五、六年まで、つまり、昭和3年うまれの私が、女学校へはいるまで、小学生のあいだじゅう、ぬりえに親しんできた。
教育ママの母は、ぬりえなど幼稚で、ちっとも絵の勉強にならないというのだ。
しかし私は、白地の絵をみると、色がぬりたくてむずむずするのだった。きれいな日本髪の少女や、たもとの長い着物を着た少女をみると、どんな色の髪飾りにしようか、とんな色の着物にしようかと、ぬりえを抱えて帰る道すがら、うれしさで気持ちがわくわくするのであった。・・・・・
こういうことを、小学生の私は学校から帰るなり、黙々と机に向かって何時間でもやっていたのだ。洟をすすりながら私は精魂こめて、一心ふらんにぬり埋めていた。ノートの裏表紙などに、ぬりえのつもりではないであろうが、色のない絵がかいてあったりすると、私はすぐさま、ぬりつぶしたくなるのであった。また、ぬりえの線はやわらかく、いかにもぬりたくなる衝動をおこさせ、誘惑するのである。ぬりえに熱中した後遺症というべきか、いまも私は「源氏物語絵巻」の白描の絵などをみても、つい、色えんぴつでぬりうずめたくなってしまうのだ。私の小説はわりに視覚的だと思うのだが、それとぬりえにしたしんだことと関係があるのだろうか。(作家)


田辺聖子さんは、作家で1964年「感傷旅行」で芥川賞受賞、その後恋愛小説やエッセイ、源氏物語などの古典を書かれている。2008年文化勲章授与。


田辺聖子さんでなくても、教科書の挿絵を見ていると、授業中にその絵に色をつけたり、鉛筆で塗っていたことを覚えている方は多いのではないでしょうか。それは人間の本能なのかもしれません。今回はぬりえに関して、二人の方のお話をご紹介しました。(館) 

Posted: Nurie : 16年07月02日

2016年06月05日 投稿

6月の美術館便り(2)

3月13日(日)
・私は現在高校1年生で、小論文のテーマとして“塗り絵について”を挙げたので、今日は参考に来ました。幼い頃から絵やぬりえが大好きだったので、ただただ感動しました。また来たいです。
・友達の誘いで来ました! 教科書とかでみたことあるような感じのイラストですね。日本の古き良き文化を感じられます。このノートを見返していて、人々の心に残り続けることができる「きいちの塗り絵」は凄いなと思いました。  ANNA
・ぬりえとてもたのしかったです。 ひらたひなこ


3月20日(日)
・親子で楽しめました。 川上みき
・又来たいです。 川上めぐみ
・懐かしいです。子供の頃、楽しみにぬりました。着せ替え人形もまねて自分で作っていました。素朴でしたね。 真知子


3月26日(土)
・きいちさんの絵、大好きです。 今日ここに来れたことを喜ばしく思います。昔ながらの作風 が心を落ち着かせます。春から大学生。 T.K.

4月2日(土)
・ぬりえもそうですが、きせかえがなつかしかったです。 まりこ
・おばあちゃんんときたいです。 わかな
・昭和30年生まれの私としては、大変懐かしく小さいころに着せ替え人形で遊んだ記憶がよみがえり、ぬり絵を楽しんだ思い出をなつかしく思いました。 ありがとう。


4月9日(土)
・昨日 高校の入学式でした。今日 一生けん命 ぬりえ しました!! 3年間 一生けん命 がんばります。 えみり
・6年生になりました。家族で来ました。ぬりえが楽しかったです。 大輝


4月16日(土)
・友人と来ました。 なつかしさにあふれた時間でした。 K.I.


4月23日(土)
・とてもなつかしくあたたかい気持ちになりました。 Mika
・家族で来ました。 今日色ぬりをして楽しかったです。 ゆみ
・やっと念願かなってやって来ました。 きいちさんのぬりえでそだった年代です。ありがとうございました。 H.G.


4月24日(日)
・子どもの頃よくぬりえで遊びました。祖母の家の近くに住んでいたと知り、ますます親しみがわいています。 とてもなつかしかったです。


4月29日(祝)
・前からとてもかわいくて気になっていました。かわいくてまた来たいです。大好きです。
四年生 あやめ
・今 夜中にぬりえを楽しんでいます。 密子
・母がリハビリでぬりえを楽しんでいます。 ありがとうございます。 寿子

遠方より美術館にいらしてくださいまして、本当にありがとうございました。これからも可愛いぬりえを展示していきますので、今後共ご支援くださいますよう、宜しくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 16年06月05日

6月の美術館便り(1)

3月~5月まで春の企画展「童話・絵本のきいち」~絵本作家になりたかったきいち~と題しまして開催いたしました。お蔭様で多くのご来館者に見ていただきまして、大変嬉しく思っております。 今月は、ご来館いただきました皆さまの感想、ご意見をご紹介していきたいと思います。


平成27年11月14日(土)
・とてもかわいいです。また来たい。
・すごい!!!
・ぬりえの中でも、きいちのぬりえが大好きです。可愛らしい女の子が沢山描かれ、私の思いのままに色をぬっていくことが楽しくてしかたありません。ぬりえは精神面でも良いとのことなので、これからも時々きいちのぬりえをつづけていきたいです。


11月22日(日)
・義姉と一緒に来ました。可愛いらしい! なつかしく作品を拝見しました。素敵なものを沢山みていやされました。


12月19日(土)
・約半年ぶりの来館になりました。美術館にいると気持ちが落ちつきます。本当に、かわいいですね。最近ショッピングモールにある駄菓子屋さんにも行き、昭和に浸っています。きいちのぬりえや着せ替え人形が売ってたらなあと思いました。
他のぬりえをかわいい~といって購入されるのをみて、きいちの女の子の方が全然かわいいのになあと思ってしまいました。
施設で暮らす叔母やデイサービスに通いだした伯母にもぬりえを持参。とても懐かしがられ、喜ばれました。自分も時間を作ってぬりえを楽しんでいます。また おじゃまします。ありがとうございました。 佐藤

12月20日(日)
・以前、地元の美術館で、きいちさんのぬりえ展をやっていて見に行きました。今回縁があり、町屋に二泊する事になり、ガイドマップで見て来館しました。また出会えてとても嬉しいです。福島県喜多方市 上野
・子供の頃のなつかしさから一度来たいと願ってやっと来ることができました。自分の記憶の  絵を探しながら楽しいひとときでした。  仙台 石原


平成28年1月16日(土)
・ずっと気になっていました。やっと念願がかないました。ゆっくり見学ができたので今度は娘達も連れてきてみようと思います。  (55才) 北海道


2月6日(土)
・ぬり絵をかざっていただきありがとうございます。ぬり絵をしている時間とっても楽しくやさしい気持ちになります。今回の「賞」もこれからの生活に元気と勇気をもらえました。 母
・私のぬり絵もかざっていただきありがとうございます。ここでぬり絵をやって、とっても楽しかったです。やっぱり姉には負けます・・・。すっごい上手! これからも、ぬりえを楽しみたいです。小学生6年 工藤 碧乃


2月14日(日)
・前から来たいと思っていました。雨でしたが来館する事が出来、子供の頃に戻った一時で大変楽しい時間を過ごせました。高校のクラスメート四人で76才のグループです。


2月21日(月)
・ぬりえ美術館にずっと来たかったです。このたびは、ぬりえに賞をいただきありがとうございました。きいち先生の世界を感じながら、色を選ぶ楽しさを感じました。とても楽しい時間をありがとうございました。こんごも、ぬりえを楽しみたいです。 くぼた
・ 姉がぬりえで賞を頂き、ありがとうございました。町屋の駅は初めて降りたのですが、都電が可愛く通っていたり、どこかなつかしい都会の町の風景で歩いているといやされ、楽しい時間でした。ぬりえ美術館もレトロでかわいらしく、私の大好きなきいち先生のぬり絵が沢山かざられていたり、昔のぬりえもとてもきれいに並べられて見やすかったです。ぬりえも楽しかったです。ありがとうございました。  HIROYO

Posted: Nurie : 16年06月05日

2016年03月05日 投稿

美術館便り 3月~5月合併号

「童話・絵本のきいち」~絵本作家になりたかったきいち~
28年3月5日(土)~5月29日(日)

平成28年春の企画展は、「童話・絵本のきいち」と題しまして、童話や絵本の話を描いたきいちのぬりえを展示しています。


きいちは昭和22年からきいちの名前でぬりえを描き始めましたが、昭和23年、24年頃に絵本も出版しています。「はなこさん」「メリーちゃん」「テンプルちゃん」「おじょうさん」「おあそび」の五冊を出版したそうですが、原画が残っているのは「はなこさん」と「メリーちゃん」の二冊だけです。ぬりえ美術館には「はなこさん」「メリーちゃん」と「おあそび」の絵本があります。

絵本の出版を続けるのが難しかったのか、その後はぬりえの世界で童話や絵本の物語を表現していきます。
昭和30年代、子どもたちが多い時代でした。「小学一年生」などの学習雑誌や少年、少女向けの月刊誌などは誰もが購入できるものではありませんでしたので、友達に貸してあげて、皆で回し読みをしていたものです。
童話や絵本の本が買えなくても、それをぬりえの世界で美しい絵にして描いてあげれば、子どもたちに物語を楽しんでもらえると考えたことでしょう。


今回の企画展では、従来それぞれの童話や絵本の話の主人公を一枚、二枚程度を展示するだけでしたが、物語として見れるように展示をしています。


「白雪姫」「青い鳥」「親指姫」「金の船」「シンデレラ」「赤頭巾」「桃太郎」「親指トム」「ピーターパン」「ジャックと豆の木」「小公子」など、きいちが描く物語の主人公をどうぞお楽しみください。(館)

Posted: Nurie : 16年03月05日

2016年02月11日 投稿

2月の美術館便り

今月は1月につづき、今起こっている新しいぬりえのことについて、ご紹介していきたいと思います。

先日東京駅近くの丸善書店に行ってみました。行って、ビックリ。その種類の多さに驚かされました。数えてみたところ細密画のぬりえ本だけで、70種類ほどのぬりえがありました。ぬりえに描かれているのは、植物(花、葉、)が最も多くて、その他に海、動物(園)、猫、ふくろう、名画(ゴッホ、ミッシャ、ウィリアム・モリス)、お姫さま、妖精、おとぎ話、不思議の国のアリス、ディズニー、魔法の街、都市、お店、パリの街角、星や花のマンダラ、インド文様のペイズリー、イスラム文様とモザイク等々、様々なテーマの細密画のぬりえ本がありました。
 このだけのテーマがあれば、誰にでもご自分の好きなテーマのぬりえ本を見つけることができるのではないかと思います。ぬりえといいますと女性が好きなものですから、女性好みのテーマの絵が多いわけですが、ぬりえの中で植物に触れているだけでも気持ちが落ち着いていくような思いになります。
 

従来のぬりえ、例えばきいちのぬりえと違う点は、細密画ですから一つのモチーフが大変小さい、細かいことです。きいちのぬりえは少女が中心で、その少女の服をどんな風に塗っていくかということになりますが、細密画の場合は、花、葉、茎など、一つのパーツが細かくてそれがつながって構成されているという点が大きな違いだと思います。

この小さい部分に集中して塗っていくことによって、精神の集中が図られ、頭の中で何も考えないことにより、頭がすっきりしてくるのではないかと思います。忙しい社会生活の中で、集中するということはなかなか難しいことで、人はいろいろなことを考えすぎてしまうことがありますが、細密画のぬりえは集中することを容易にさせてくれるのではないでしょうか。
このぬりえを綺麗に仕上げるためには、色の統一感をどのように持っていったらいいのだろうかと最初は私も考えていましたが、それよりも集中するということがこのぬりえ本によって得られる最大の効果ではないかと考えるようになりました。上手に塗るのはその後でいいのではないかと。
ですから、「まずは塗ってみる」ことをお勧めいたします。
 

2月の2日~9日まで日本橋三越のステーショナリー売り場で、きいちのぬりえ本が展示されていましたので、三越にも行ってみました。こちらでは、従来型のぬりえですから、可愛い少女が並んでいました。ここで発見したのは、新しい文具類で、新しいタイプの画材が発売されていました。子どもの頃には、クレヨンやクレパスで塗りましたが、最近は色えんぴつで塗っています。子どもさんはクーピーなどの芯の太い画材が中心ですが、大人の方はほとんど色鉛筆だと思います。
ぬりえサロンでも使っていますが、背景を塗るさいには色えんぴつですと、細い芯なので時間と手間がかかり、その上鉛筆の線の跡が残りやすいのです。ところがクレヨンの芯のように太いのですが、昔のクレヨンより発色がよく、色が伸びて塗り易い“ゲルマーカー”を使うようになりました。そのゲルマーカーの新商品を見つけました。クレオロールというゲルタイプのクレヨンで、はっきりとした色味のグループのブリリアント、パステル、ラメ入り、メタリックと多彩です。滑らかで力をいれなくても、ス~と伸びてくれます。大きな紙面を塗る場合にとてもいいと思いますし、お手紙を書く際にもラメやメタリックで文字を入れて目立たせたりと様々な使い方が出来そうです。
子どものころ、24色のクレヨンか色えんぴつに金、銀を見て、すごく喜んだことを思い出しますが、ラメ入りやメタリックなど色が豊富になり、いろいろ使ってみたくなります。


その他にも、パイロットがぬりえの募集をされていますが、フリクションカラーズというカラーペンでは、色をぬっても消すことができるタイプのカラーペンですが、このフリクションカラーズを使って、HPにあるぬりえを塗って投稿しようというぬりえのキャンペーンをされています。色が消えてしまうなんて、夢のような話ですね。
ぬりえが流行してくれば、当然画材の広がりがこれからも期待されます。1月号にも書きましたが、ぬりえを塗るのに、色えんぴつばかりではありません。マーカーや蛍光ペン、ボールペン、筆ペンなど、様々な画材で挑戦してみるのも、面白いと思います。色えんぴつとは違う絵の仕上がりが期待できます。


子どもばかりでなく、これからは大人の人もぬりえにチャレンジして、自分の時間を豊かにして楽しんでいただきたいと願っています。


きいちのぬりえは3月に大判ぬりえの新商品、「ペット編」が発売予定です。犬、猫、インコなど可愛いペットの絵が掲載されています。どうぞきいちのぬりえもお楽しみに。(館)

Posted: Nurie : 16年02月11日

2016年01月04日 投稿

1月の美術館便り

今年も皆さまにとって佳き一年でありますように、お祈りしています。


新しいタイプのぬりえが人気となっているのをご存知ですか。これは日本だけでなく、世界的な流行のようです。その流れが日本にも伝わってきているのです。
日本では、ぬりえは子どものするものとして、ずっと存在していますので目新しいものではありませんが、あくまで子どもがするものという位置づけでした。お子さんたちがテレビのアニメのぬりえをされているのを目にされていることと思います。小さいお子さんはアンパンマンのぬりえが大好きですし、男の子はムシキング、女の子はプリキュアなど様々なぬりえ本が売られています。


ぬりえ美術館は2002年に開館したのですが、その頃は大人の人がぬりえをするという考えすらありませんでした。ところが2006年に、「大人のぬりえ」ブームが巻き起こりました。ぬりえをすると高齢者の脳を刺激して、脳の活性化に良いということが言われ、ぬりえブーム、それも大人がぬりえをするということが起こりました。多くの出版社が大人、とくに高齢者向けに様々なぬりえ本を出版しました。残念ながらブームというものはあっという間に去ってしまい、本屋さんの店頭からぬりえ本が消えてしまいました。
このブームが消えてしまった原因は、どういうぬりえ本が高齢者にとって良いのかという考えよりも、やはり出版不況の中で、ブームにのって簡単に作れるぬりえ本を出版すれば儲かるだろうという考えが先にたって、高齢者には人気とならず消えてしまったものと思います。

ぬりえであれば、何でも良いというものではなく、やってみたい、ぬりえしたい、という気持ちを刺激するものでなければ、人気となっていくものではないということを証明したともいえます。


幸いなことに、脳の活性化に良いという考え方だけは浸透して、多くの高齢者施設ではぬりえが行われて普及しています。施設で働いている方からは、きいちさんのぬりえが一番人気があるというお言葉を沢山いただいています。
 ぬりえをするという行為が脳にとっていいのですから、どのぬりえでも良いようなものですが、塗ってみたいという気持ちが加われば、さらに脳にとって良いのではないでしょうか。そういう意味では、2006年に発売された大人のぬりえ本は、線が細かすぎて、見ただけで難しそうと思わせるぬりえ本が多かったので、あまり普及しなかったのだと思います。


それから約10年、新しいぬりえの動きが始まっているようです。2006年の大人のぬりえブームは、日本から起こったものですが、今回のぬりえの傾向は海外からやってきました。
2002年にぬりえ美術館を開館して以来いろいろな国に行ってぬりえを調査していますが、2006年の大人のぬりえのブーム以降、外国では大人の人がぬりえをしているかも調査項目として調べていましたが、ほとんどの国でぬりえはあくまで子どものものでした。一部フィンランドとスペインで大人の人向けのぬりえ本や大人の人たちがしているということがありましたが、大人はしないというのが多くの意見でした。


今回の新しいぬりえの傾向は、フランスのぬりえ本の「ひみつの花園」からでした。フランス語でぬりえのことを“コロリアージュ“といいますが、フランス発の塗り絵コロリアージュといううたい文句も若い女性たちにアピールしたと思いますが、テキスタイルのような美しい細密画の花園の絵のデザイン性が高く、見ているだけでもうっとりとしてしまう素晴らしさがあります。
コロリアージュのテーマには、花々、木の実、野ネズミや野うさぎ、小鳥、リス、四季折々の森、花や木の実、果物、宝石、雪の結晶、「眠れる森の美女」「ヘンゼルとグレーテル」等、お馴染みのおとぎ話の場面など、その他にもきのこ、鳥、ほ乳類、は虫類、軟体動物、太古の生物たち等々、
様々なテーマの緻密画が描かれています。


ブームを牽引しているのは2013年にジョハンナ・バスフォードさんが出版した上述の『ひみつの花園』で、ヨーロッパをはじめ世界各国で大ヒットしたそうです。ブラジルでは色鉛筆が売り切れる程の社会現象にまでなったというこの大人の塗り絵は、その繊細な花々の細密画のデザイン性によるのではないでしょうか。
2006年はいわゆる高齢者向けでしたが、このコロリアージュブームが日本の若い女性たちに人気となっています。従来ぬりえは色えんぴつを使うことが多かったのですが、コロリアージュでは、
クレヨン、蛍光ペンなど様々な画材を使ってすることも新しい印象を与えています。


2016年は、このコロリアージュブームがどこまで広がっていくでしょうか。大人の女性がコロリアージュを塗ることにより、ストレスを解消し、リラックスをして楽しい自分の時間を過ごしてくださるといいなと思います。


これからもコロリアージュブームに注目をしていきたいと思います。(館)

Posted: Nurie : 16年01月04日

2015年12月14日 投稿

12月の美術館ニュース

今年も一年間のご愛顧を賜りまして、大変ありがとうございました。きいちの没後10年を無事に終了することができます。心より御礼を申し上げます。


第6回ぬりえコンテスト
今年もぬりえコンテストを11月に開催し、多くの応募作品が集まりました。今回はきいちの時代の少女の一番の憧れである「花嫁さん」のぬりえを塗っていただきました。
今年は57名の方からご応募を頂きました。年齢は3才から95才まで、幅広い年齢の方から素晴らしい作品が届きました。それらの中から、優秀作品を来年1月より館内に展示をいたします。又ホームページには、優秀作品と次点作品を掲載いたします。どうぞお楽しみに願います。


それでは、今回の優秀作品の方がたのコメントをご紹介させていただきます。
・ぬっている時、アイデアがたくさん出てとっても楽しかった。


・可愛いこの絵を見たときに、和風ドレスを着せてみたいと思い、思わずぬり絵をしていました。久しぶりに夢中になって、ぬり絵ができて楽しかったです。


・今回で3回目の応募です。毎回楽しみにしています。つい何枚もぬってしまいました。


・子供の頃を思い出し、懐かしい気持になりました。塗りながら、きいち先生の世界を想像しながら色を付けていく作業は、大変ワクワクし、とても楽しく塗ることが出来ました。楽しい時間をありがとうございました。

・公募サイトで見つけました! 今まで何にも応募したことがなかったのですが、コレは良い!と思い応募する事にしました。絵がレトロで可愛くて楽しんでぬりました。こうゆう機会がないとなかなか”ぬりえ”はしませんので、新鮮でなつかしかったです。
背景は、神戸の夜。12月になると”ルミナリエ”というイベントがあります。教会の様なイメージで、イルミネーションを表現しました。グリーンは山、青は空です。


・東京オリンピックと世界平和をテーマにぬってみました。


・いつもいつもたのしくぬり絵をさせていただいています。感謝の気もちでいっぱいです。


・久しぶりに娘といっしょにぬりえをしました。娘たちが「どんなウェディングドレス着るのかな」とワクワクしながらぬりました。楽しかった。


・想像とは違った仕上がりになりましたが、コンテストのウェディングドレスを見て、色鉛筆とマニキュアを組あわせ、レースの感じがだせると良いなと思い、応募しました。ぬりえをしていると無心になり、幸せな時間でした。


・インターネットで偶然みつけて、おもしろいなと思いました。私も日本画、油彩画、水彩画と長くやっているもんで、興味があります。


・ウェディングって女性の永遠のテーマというか、年を取ってもそのときにすぐ戻れるいいものです。今ならこんな色のドレスがいいです。


・ぬりえコンテストをこれからもずっと続けて下さい。今回、岐阜県の皆さんにも、声をかけました。「私も応募したわよ!」と言ってくださると、とっても嬉しかったです。


・此の度四度目の応募をさせて頂きます。只々一生懸命、塗ってみました。八月頃より毎日楽しみにしておりました。


・母とぬり絵の出会いは、母が88歳になってデーサービスに行くようになってからです。スタッフの方にぬり絵をすすめられて塗ったのが始めてです。そこできれいに塗れていると誉められてから、気を良くして色々なぬり絵を塗る様になりました。
今回”ぬり絵コンテスト募集”の文字を目にしました。家族位しか見る事のない母のぬり絵をいつもと違う人に見て頂きたいと思って応募しました。
母にとってのぬり絵は楽しい事でもあるのですが、家族以外の人達に見られるという事を知って、とっても張り切って塗りました。コンテストという事で、いつも以上にやる気満々、ぬり絵を塗っていました。このような企画が今後、長く続きますようにと思います。


今年の応募の方のご意見には、この企画を長く続けて欲しいという希望が多く見られました。
きいちのぬりえのコンテストで、少しでも皆さまのお気持ちを楽しくし、癒すことができたのなら、こんなに嬉しいことはありません。
皆さまのご意見はコンテストの継続への大きな励ましとなりました。ありがとうございました。 
どうぞ良いお年をお迎えください。(館)

Posted: Nurie : 15年12月14日

2015年08月14日 投稿

美術館便り8月~10月合併号 

きいち 没後10年
「ありがとう 忘れない」第二弾

平成26年8月8日(土)~11月3日(祝)


きいち 没後10年 「ありがとう 忘れない」第二弾 を開催しています。
今回は、日頃は展示をしていないポスター類を始め、大判ぬりえなどをご紹介いたします。
きいちが亡くなって10年ですが、これからもきいちのぬりえを忘れずに、子どもの頃の気持に戻って、ぬりえの可愛さ、楽しさを感謝の気持をもって引きついで行きたいと考えております。

今後ともきいちのぬりえのご支援をよろしくお願いいたします。


今回の展示物のご紹介
今展示のぬりえは、4つのテーマで紹介しています。
1)憧れの花嫁さん
2)お稽古大好き
3)楽しい毎日
4)昭和10年代のフジヲ時代のぬりえ


1)憧れの花嫁さん
   
昭和20~30年代の少女の憧れである花嫁さん。あの当時一番美しく、綺麗であったのが花嫁さんであったので、少女たちは憧れたのでしょうね。当時は、自宅での結婚式が多かったですから、近所の子どもたちも自分の身近に花嫁さんを見ることが出来たので、子どもの憧れをさそったことでしょう。


その憧れの対象を、きいちは沢山描いています。豪華な着物の花嫁衣裳はもちろん、ドレス姿の花嫁さんも描いています。ドレス姿は随分早い流行を取り入れていたと思います。

2)お稽古大好き
   
昭和20~30年代、戦争時にはできなかったお稽古事が自由にできるようになりました。

団塊世代の子どもたちにとっては、親がしたくてもできなかった習い事や勉強を子どもたちにさせることが流行りました。例えば、ピアノやバイオリン。
洋風なお稽古事が日本に入ってくると、従来からの日本的なお稽古事のお習字、そろばん、日本舞踊などがありますから、習い事が沢山できました。さらにスポーツも柔道や剣道に加え、少年野球も人気でしたね。今回は少女のお稽古をご紹介しています。
貴方の習ったお稽古事はありましたか?


3)楽しい毎日
   
子どものころは、何をしても楽しくて仕方なかったような気がしませんか? 
お金をかけなくてもいろいろな遊びができましたし、家のお手伝いも必ず何かしていましたね。
お手伝いをすれば、お駄賃をおじいちゃん、おばあちゃんからもらったり、お店の人が、「偉いね。」とお駄賃かわりにお菓子やおまけをしてくれたり。そんな思い出はありませんか。

子どもたちがどんな工夫をして、毎日を楽しく過ごしていたか、ぬりえの中に沢山描かれていますよ。


4)昭和10年代 フジヲ時代のぬりえ
      
昭和10年代、フジヲというペンネームで、ぬりえの仕事をアルバイトのつもりで始めました。好きな歌舞伎の絵などを描くと大変な人気となりました。
この頃のぬりえは、「これがぬりえ?」というほど詳細に絵が描かれています。どこに色を塗るのかしらと思いますが、寄贈していただいた当時のぬりえには色が塗られていますので、確かに「ぬりえ」として遊んでいたことがわかります。
歌舞伎や踊りをテーマにしたもの、すずめなどを擬人化したもの、かぐや姫などお話をテーマにしたものなど、いろいろ描かれていますので、どうぞご覧ください。


皆さまの子ども時代を楽しませてくれたきいちのぬりえをこれからも伝えていきたいと思っております。どうぞこれからもきいちのぬりえを楽しんでください。(館)

Posted: Nurie : 15年08月14日

2015年07月05日 投稿

7月の美術館便り

7月になりますと、七夕を始め各地で納涼のお祭りが始まりますね。このぬりえ美術館付近では朝顔市、ほおづき市など東京の伝統的なお祭りが楽しめます。皆様の地元ではいかがですか。


ぬりえのこころ -今月の一枚- 

館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、その時々の季節のものや  テーマを設けて月毎に展示しています。こ
のコーナーでは、月替わりのエントランスのぬりえから1枚を選んでご紹介します。


タイトル:くだもののおくりもの
作  者:きいち
年  代:昭和30年代
寄  贈:新井 光男氏


7月のエントランスは、美味しいものを食べてをテーマに食べ物に関するぬりえを展示しています。
果物籠にいっぱいにつめられた果物。高級なメロンやバナナが輝いています。
最近果物屋さんでもこのような果物籠を見かけなくなりましたが、私が子どものころ、果物屋さんの店先には大きな籠に果物をつめて飾られていたものです。

又自分の家では、お盆などの仏事の際に親戚や知人から贈られてきて、仏壇の前に置かれていたことなど思い出します。最近は籠というより、紙箱につめられた果物が多くなりましたね。


20年ほどまえに奈良に仕事ででかけた帰りの電車の中で、結婚式の引き出物にこの大きな籠を持った人を見かけたことがあり、大きくて持ち帰るのに大変だろうなと思ったことがありました。地域によっては、引き出物に大きなものを贈る習慣があるのでしょうね。


今月展示のぬりえの中の食べ物は、デコレーションケーキ、ホットケーキ、アイスクリーム、かき氷、綿あめ、ジュースなどですが、昭和30年代なかなか食べられなかったり、お洒落な食べ物であったと思います。東京から今なら1時間ほどの埼玉県の私の田舎でも、デコレーションケーキはクリスマスシーズン以外には販売されていませんでしたし、ホットケーキは、自分の家で作ったこともありませんでした。小学校の4年生になって、東京に上京してきてデパートの食堂に行って、食べた思い出があります。今でもホットケーキは、大好きです。


きいちが食べ物をいろいろ描いている背景には、まだまだ貧しい時代のためこのような食べ物を誰もが食べられなかったため、せめてぬりえの中だけでも美味しいものを食べた気持になってほしいと描いていたのです。(館)

Posted: Nurie : 15年07月05日

2015年06月13日 投稿

6月のぬりえ美術館便り

今年も早いもので梅雨の時期を迎える頃となりました。穏やかな梅雨であることを願っています。


3月から5月までは、きいちの没後10年の年の春の企画展として「ありがとう 忘れない」第一弾を開催いたしました。ぬりえには原画のあった時代が短いのですが、ぬりえが入っていた袋の表紙絵は、きいちが描いた原画が残っています。その袋絵を中心に、いくつかのテーマでぬりえを展示いたしました。
今回ご来館いただきましたお客様の感想をご紹介したいと思います。(3月28日までの分はすでにHPにご紹介をしていますので、それ以降となります)


3月29日(日)
・ ぬりえ、きせかえ 大好きでした。 来たい、来たいと思っていて、やっと実現。のんびりした空間に癒されました。今の子どもたちもぬりえをしたらいい子に育つのに、ゲームの絵との差がつくづく感じられました。
・なつかしいです。私は男ですが、記憶にありますよ。 松尾 52才


4月4日(土)
・晴れ着を誇らしげに着ているぬりえは幼い頃の記憶にあるものでした。
4月5日(日)
・ぬりえ大好き!!! ケンタロウ&サユキ
・It was very interesting to see the different styles and themes of the ぬりえ。They
were all very cute. I really like the Japanese ぬりえ。It was fun to draw this after 6 years again. I felt like I were 10 years old again. Lea Marie Kurbjun
・ぬりえ 久しぶりにしました。楽しくてついつい集中してしまいました。喜一さんの絵、すてきですね。

4月12日(日)
・楽しかったです! ありがとうございました!!
4月18日(土)
・昭和20年代に「きいち」のぬりえでよく、あそびました。又、きせかえも遊びました。館長の鉄舟のお話も良かったです。
4月29日(祝)
・荒川線に乗って、ぬりえ美術館に来たいと思ってました。やっと念願かないました。子供の頃ぬりえが大好きでした。 奈良在住。
・都電荒川線に初めて乗りました。ぬりえ美術館、かわいい。レトロな絵で、とても楽しめました。
・女の子 かわいい。ぬりえ 今からします。
・はじめてきました! かわいさのなかにセクシーさもありつつ・・・ファンになりました。


5月2日(土)
・やっと来ることができました。最高のBirthday です。
・孫の美緒と一緒にまいりました。よい思い出になります!! 吉田いち子
5月3日(日)
・来館したいと常々思っていたのですが、ようやく来ることが出来、なつかしさにドップリ・・・かわいいきいちのぬりえ 嬉しかったです。
・レトロ ステキ。
5月4日(祝)
・はじめてきました。ぬりえやきせかえ人形 なつかしいです。感謝です。きいちさん 女性だと思ってました。スミマセン
5月5日(祝)
・買いたくても買えない時代、ぬりえをしながらお姫様になった気持で、たのしく遊んですごした日々が懐かしく思い出されます。孫と来ましたが、あまりになつかしく私の方が夢中になってみさせていただき、ありがとうございました。 70代女性
・はじめてきて、ひさしぶりにぬり絵しました。楽しかったです。 スズキ
5月6日(振り替え)
・子供の時 よくやりました。「きいち」って、なんだろうといつも思っていました。そんな私も64才 とても良い思い出です。
5月23日(土)
・孫の誕生日!! 何がほしいと聞くと、"ぬりえ"と・・・・ 。昔ことを思い出し、この会館を訪ねました。"ぬりえ"をプレゼントしようと思います。時間があったらまた、今度は孫と一緒に。昔を思い出しました。
・子供の頃、駄菓子屋さんでぬりえを買って遊ぶのが楽しみでした。すごくなつかしい。大人になってから「私の部屋」で奥様との仲むづまじい記事も覚えています。ようやく訪ねて来れて嬉しいです。
5月24日(日)
・はじめてきました。都電散歩で、歩いてきたのですが、来れてよかったです。


子ども時代というのは、とても大切なものですね。きいちのぬりえで少しでも楽しい時間を過ごせていたことが分かり、大変嬉しいです。(館)

Posted: Nurie : 15年06月13日

2015年03月08日 投稿

美術館便り 3月~5月合併号

きいち没後10年「ありがとう わすれない」
27年3月7日(土)~5月31日(日)


ぬりえに夢中であった少女の頃、きいちのぬりえ描かれた世界の美しい色彩、お洒落なドレスや豪華な着物、美味しそうな都会の食べ物など、自分の身の回りにない世界に憧れたことを懐かしく思い出します。


ぬりえ美術館の感想ノートには、「ありがとう」の言葉が沢山綴られています。これからも、いつまでもその気持を忘れずに、きいちのぬりえを伝えてまいたいと思います。


今企画展でご紹介するのは、きいちのぬりえの原画です。
きいちのぬりえは昭和22年の開始当時は、原画を描いてそれを印刷していたようですが、その後の印刷技術により、亜鉛版(ジンク版)に直接描くようになりましたので、ぬりえには原画がなくなりました。
今回展示する原画というものは、ぬりえが入っていた袋や冊子の表紙絵になります。作品は昭和30年のものですが、きいちの特長の一つである原色が鮮やかで、生き生きとした躍動感が伝わる作品ばかりでございます。

1.原画
 きいちは毎月2つの版元(今でいうメーカー)に各4袋、合計8袋のぬりえを描いていました。 一袋に10枚、12枚などありますが、紙の取り都合が一番よかったことから8枚入りが長い間続いたようです。そして昭和30年代後半には、5枚入りになっていきます。 袋の表紙絵を、きいちは一枚、一枚丁寧に色を塗って完成させています。


「喜一さんの絵はていねいですよね。他の絵描きさんは、絵の具をかいあわせて、ちょっとぬって、「ここがピンク」とか指定してくるだけなの。喜一さんは全部塗って、仕上げてくれるのよ。細かい所までね。」と版元(メーカー)の女将さんが書いています。(草思社「きいちのぬりえ」)


2.今回のぬりえのテーマ
「春の行事」、「子どもの遊び」、「お洒落な服に憧れて」、「着物が大好き」をテーマに展示をしています。

「春の行事」は、小さい子どもの頃の思い出に残るものが数多く描かれています。豆まき、お雛様、お花見、小学校の入学や遠足など等、明るく楽しい春の様子がさまざまに描かれています。


「子どもの遊び」は、昭和20~30年当時の子どもたちの遊びの様子が描かれています。縄跳び、まりつき、すべり台に始まり、輪投げ、ローセキで絵を描いたり、影絵、紙芝居など等。きっと皆様も夢中で遊んだ思い出があることでしょう。


「お洒落な服に憧れて」は、きいちのぬりえの一番人気のテーマではないでしょうか。きいち自身がまるで洋服のデザイナーのように、子ども向けに可愛い服を描いています。昭和20~30年当時、東京にはこのようなお洒落な服が売られていたのかもしれませんが、地方ではなかなか見ることができない(まず販売されていない)、あっても買ってはもらえないということもあり、ぬりえの中で素敵な洋服や着物に色を塗って、心を満たしていたのだと思います。


「着物が大好き」は、洋服と同様にきいちの着物の対する人気も高いのです。簡単な浴衣のような着物ではなく、振袖などの豪華な着物や舞妓さん、花嫁さんなどの凝った柄の着物を描いていますので、少女の気持を豊かに満たしてくれたのだと思います。
着物を描く背景には、きいちが日本舞踊の名取であったことも影響していると思います。踊りのお稽古を描いたものや、踊りの演目のぬりえなども数多く描かれています。


お好きなぬりえ、子どもの頃に塗ったぬりえなどは見つかりましたか。これからも、
きいちのぬりえの魅力をご紹介してまいりますので、今後とも宜しくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 15年03月08日

2015年02月08日 投稿

2月の美術館便り

先月から今月にかけてとても嬉しいことがありました。
1月23日の北海道新聞の夕刊に、「きいちのぬりえ 夢と憧れ」「かれんな表情 尽きぬ魅力」というタイトルで、きいちの没後10年のこの年の初めにきいちのぬりえとぬりえ美術館が大きく取り上げられました。

 
北海道の新聞に取り上げられたことは、もう一つ別の意味でも大変嬉しいことでした。なぜなら記事でも取り上げられましたが、きいちのぬりえが一番売れた地区が北海道であったからです。ぬりえ美術館が開館して13年目に入りましたが、その知名度はまだまだ充分とはいえません。マスコミに時々取り上げていただきますが、それでも首都圏が中心ですので、なかなか全国区という訳にはまりません。


きいちのぬりえはコンスタントに毎月100万セット、ピーク時には160万部とも220万部とも言われるほどの人気でした。毎月100万セットということは、毎月100万人もの少女たちがぬりえをしていたということができると思います。その少女たちに、今現在もきいちのぬりえは存在していますよ、とお知らせしたいのですが、その意味でも全国区ではありませんでした。

ところが今回きいちのぬりえが一番売れた北海道で、きいちのぬりえとぬりえ美術館についてご紹介していただけたことは、北海道に住んでいらしゃるあの頃の少女の方々にとって、とても懐かしくびっくりするような記事ではなかったのではないかと想像いたします。
さらに紙面の中には、一枚「はなびらをとおして」というぬりえが入っていました。きっとその紙面のぬりえに色をつけて、お孫さんらとご一緒にぬりえを久しぶりに楽しんで、少女の頃の昔話に花が咲いたのではないかと思います。


この新聞の掲載後すぐに札幌の男性からお電話をいただきました。骨董市で購入した美空ひばりのぬりえを持っているので、良かったら寄贈をしますというお電話でした。新聞に掲載されたときの問合せとしましては、場所や時間の確認がほとんどです。寄贈についてのご連絡は大変嬉しいことでした。
美空ひばりさんは、国民的な歌手であり非常に人気の高い方でしたので美空ひばりグッズというものも大変人気が高く、なかなか入手が困難であります。届きましたぬりえ作品を拝見したところ、サイズが縦35センチX横25センチと非常に大きく、ひばりさんの顔の部分は写真が使われているという大変珍しいものでした。 写真や時代からひばりさんの少女の頃のぬりえと思われます。
いつかこれらのぬりえとぬりえ美術館所蔵のひばりさんのぬりえなどで「美空ひばり特集」のような展示を企画してみたいと思います。


美空ひばりのぬりえにつづき、2月には恵庭市の方からきいちのきせかえが1冊寄贈されました。やはり北海道新聞を読んだ方からでした。送ってくださった女性の方は、昭和40年代前半の幼稚園時代から小学校の低学年の頃に、小間物屋さんできいちのぬりえを日課のように買っては塗られていたそうです。お店で新しいぬりえの袋をみつけると、次はこれを買ってもらおう、これをぬりたいと考えるだけでも楽しくなったと思いでをお手紙に書いてくださいました。 その送ってくださったきせかえは、後年古本市でみつけたものだそうです。


今回の新聞記事が皆さまの記憶を刺激して、このような反響が続いたのだと大変嬉しく思っています。
北海道の方のご親切に心より感謝申し上げます。そして、いつか上京の折には、ぬりえ美術館にお立ち寄りいただくことを願っています。


連日羅臼の降雪状況などがテレビでも報じられておりまして、今年の北海道の寒さは非常に厳しいと聞いております。どうぞつづがなくお過ごしになれますようお祈りしています。

Posted: Nurie : 15年02月08日

2015年01月10日 投稿

1月の美術館たより

今年も皆さまにとって、健やかで幸多い年でありますよう、お祈りいたします。

昨年は、きいち生誕100年の年でしたが、今年は蔦谷喜一没後10年の年であります。
この一年をきいちのぬりえの可愛さ、美しさを伝え、少女の憧れの世界を描いたぬりえをこれからも伝えていく年としたいと思っています。

きいちとぬりえについて
戦後の昭和22年から40年ころまで、少女に絶大な人気があったぬりえが「きいちのぬりえ」でした。当時ぬりえは大変な人気で、40人ほどの作家がいたと、きいちが語っていましたが、その中でも一番人気があったのが、きいちのぬりえでした。
「きいちのぬりえ」とおもちゃに作家の名前が付いたのもきいちが最初だといわれています。


日本の現代アートの第一人者である村上隆氏が蔦谷喜一を称して、「まだ貧しかったあの時代の、少女たちの美へのあこがれに応え、「想像力」を喚起した。芸術家です」ときいちがなくなった時に朝日新聞にコメントされています。


きいちのぬりえの特徴
ちょっと四角い大きな顔に、ぱっちりした大きな目、そして太い足の三、四頭身の女の子、というものでした。あのような少女の顔が、当時の少女の理想像だったのではないか、と私は思っています。
そして、三、四頭身というのは日本人が考える「可愛らしさ」であり、今流行の「可愛い」の原点は、きいちのぬりえの少女ではないかと思っています。

「蔦谷喜一」とは、とのような人物だったのでしょうか。
本名は、蔦谷喜一。大正3年に東京は京橋区新佃ということころで、紙問屋の五男で、九人兄弟の七番目として生まれました。
新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、お隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。


きいちは、子供のころから絵が好きで、特に人物画が得意だったそうです。 
昭和6年。17歳の頃です。帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢は何か、ハッキリと自覚するようになったきいちは、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所というところで裸婦デッサンなどを勉強しています。


昭和15年。きいちが26歳。川端画学校の友人がぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。
戦争になり、中断。
戦後の1年は築地に駐留していた米兵の、恋人や奥さんの肖像画を掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響かもしれませんね。


その後、昭和22年より本名の「きいち」でぬりえに本腰を入れて、毎月100万部、ピーク時には160万部とも220万部とも言われるほど爆発的な人気となりました。


戦後の貧しい日本で、子どものお小遣いでも購入できるぬりえに美しい世界を提供したきいち。生涯現役で絵を描いたきいちは、2005年91歳でなくなりました。


あれから10年。
きいちが亡くなっても、当時の少女の心に様ざまな思いを残しているようです。ぬりえ美術館に来館される方々は、子どもの頃にどれほどきいちのぬりえに憧れ、美しい世界に心が満たされたか、思い出を語ってくださいます。
これからも皆さまの心を熱くしたきいちのぬりえを後世の方々に伝えるべく、ぬりえ美術館を運営していきたいと思っております。


これからもご支援をどうぞよろしくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 15年01月10日

2014年08月02日 投稿

8月~10月美術館便り合併号

祝 きいち生誕100年
「これからも いつまでも」
第二弾
平成26年8月2日(土)~10月26日(日)

蔦谷喜一の生誕100年を祝いまして、春の企画展に引き続きまして「これからも いつまでも」第二弾と題しまして、戦前の「フジヲ」時代のぬりえから「きいち」時代のぬりえときせかえ、そして晩年に喜一が描いておりました絹本に描かれた童女画や美人画などを展示し、きいちの描く世界観を堪能していただきたいと思っております。
 

ぬりえ美術館では、きいちのぬりえを通して、ぬりえの魅力、価値を伝えて参りたいと思っております。ぬりえは、子どもの心を育む遊びであり、子どもにとって大切な「こころの宝物」です。これからも日本の文化の一つとして、日本のぬりえ文化を育てていきたいと思っております。


今後ともきいちのぬりえのご支援をよろしくお願いいたします。


1.きいちプロフィール
本名は、蔦谷喜一。大正3年(1914年)に東京は京橋区新佃に、紙問屋の五男、九人兄弟の七番目として生まれました。新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、築地のお隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。
 

昭和6年。17歳の頃、帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢をハッキリと自覚するようになり、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所で裸婦デッサンなどを勉強します。

昭和15年。26歳。川端画学校の友人の勧めでぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。


戦争になり、中断。


戦後の1年は築地に駐留していた米兵の恋人や奥さんの肖像画を、掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。日本画の絹本(絹の上に描く)を学んだきいちは、米兵の持参したパラシュート(素材は絹)の上に肖像画を描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響と思われます。


昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、爆発的な人気となっていきました。最初はバラ売りでしたが、袋入りとなり、きいちのぬりえは、毎月100万袋、ピーク時には160万、220万袋も売れるほどの人気を誇りました。

昭和40年頃、ご成婚や東京オリンピックなどで一般家庭にテレビが普及するようになり、「ぬりえは古臭いもの」として廃れていきました。


昭和53年(1978年)、資生堂の銀座のギャラリー「ザ・ギンザ アート・スペース」で、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。それ以降、コマーシャル等に使われるなどして、きいちの人気は現在に続いています。


平成17年(2005年、91歳で逝去。生涯現役で絵を描いていたきいちでした。


2.今回の展示物のご紹介
きいちは元々美人画を学んでおりましたので、美人画家になりたかったと思いますが、戦後の混乱期に戦前にアルバイト的にやっていたぬりえを生活のために始めました。昭和40年代になり、ぬりえが売れなくなり、描けなくなったときも美人画を描けばいいと思ったそうです。
しかし20数年の間ぬりえの少女を描いていたきいちのイメージは「ぬりえ」にありました。そのため日本の伝統的な少女を中心的なテーマとした童女画を描き、美人画は時々描くという生活をしておりました。


絹本に描かれた童女画として、「シンデレラ」、「花嫁」、「てるてるぼうず」を展示しています。「シンデレラ」は、ぬりえ美術館の開館に際しましてきいちよりプレゼントされた絵でございます。ぬりえの美術館であるからと、彩色をしていない白黒の色彩で描いてあります。


 「花嫁」は、小学館発行の「わたしのきいち」の中にも同じテーマの「花嫁」がございます。昭和20~30年代のぬりえ全盛の時代、少女の憧れは花嫁さんでしたから、このテーマの絵を再度取り上げたのでしょう。


美人画では、歌舞伎の創始者といわれる御国を描いた「出雲の阿国」を展示しています。

 
紙本では、舞踊、鏡獅子の「弥生」を描いた美人画を展示しています。歌舞伎や日本舞踊が好きであったきいちには、格好の題材であったと思います。


ぬりえ美術館では、「これからも いつまでも」きいちのぬりえの可愛らしさをお伝えしていきたいと思っております。(館)

Posted: Nurie : 14年08月02日

2014年07月05日 投稿

7月の美術館便り

今年も七夕の時期になりました。小さいお子様がいらっしゃるご家庭では、笹の葉に飾り付けをされて、短冊にいろいろな願い事を書いてお願いをすることでしょう。
荒川区では、環境省が全国のライトアップ施設や各家庭に照明の一斉消灯を呼びかけているキャンペーンに呼応しまして、「あらかわ 七夕ライトダウンキャンペーン」を7月7日(月)に実施いたします。当日の午後8時から10時までのライトダウン(照明の消灯または部分消灯)をするものですが、このところの天候の変化を考えますと、地球温暖化のせいかしら、と思わざるを得ません。ライドダウンされると、お星さまもよく見えるのではないでしょうか。
皆さまのそれぞれの七夕をお楽しみください。


さて、3月から5月まで、2014年の春の企画展としまして、「祝 きいち生誕100年 これからも いつまでも」を開催いたしました。今月は感想ノートから来館者の方々のお声をご紹介したいと思います。


4月26日(土)
・とても、なつかしく、ゆったり時を過ごせました。ありがとう!! 良い時代でしたね。
草加 山口


4月27日(日)
・一度お伺いしたく、ようやく実現しました。 (孫)にぜひ見せたいと思います。私もとてもなつかしく昔を思い出しました。アリガトウゴザイマス。  町屋 ベニヤ
・改めて、すごい方なんだなあーと思いました。
子供のころ、数枚のぬりえの中から、花嫁さんを一番最後に残して、一枚ずつ、大事に大事に描いていた事を思い出しました。とても感激しました。ありがとうございました。
  歌門 光代
・新三河島に来て10年、事務所が変わって3年、やっと来れました。

4月29日(祝)
・子供の頃、駄菓子屋さんでぬり絵を買って、楽しんでました。着せかえも楽しい思い出です。
とてもなつかしかったです。戦前生まれの母も大好きで、母の子供の頃の豆ブックのぬり絵もまだあります。以前から来たかったので嬉しかったです。ありがとうございました。


5月3日(土)12:30
・やっと来ることができました。ぬりえ美術館。イメージ通りの館内。決っしてハデさはなく、なつかしさが、こみあげてきました。20年代、30年代の子供の遊びの写真を見て(館内に展示してあります)現代のコセコセしている世の中を、一シュンでも忘れることができました。
ぬりえも、久しぶりにチョウセン:いいですね。明日からの、ヨシ!がんばるゾ!のエネルギーになりました。ぬりえ美術館ありがとう。   ウエ


5月4日(日)
・昔に戻った感じです。なつかしくて・・・ ありがとうございました。
ぜひ 又 伺います。 楽しいひととき ありがとうございました。 船橋 マコト 利江
・羽田(大田区)から来ました。なつかしいです。(私58才) たのしかったです。ありがとう。美代子


5月5日(祝)
・大変懐かしく思い出しました。一番好きな絵柄を大事にとっておいたのですが、今はどこにいったのでしょう。タイムスリップして嬉しく思います。 加藤 高橋 姉妹
・私は昭和39年生まれです。まさに喜一のぬりえで子供の頃遊びました。そして今日5才の我が娘に喜一さんのぬりを見せる事ができました。最高の喜びです。唯一ぬりえときせかえが昭和の遊びでした。いつも心がおだやかになる子供時代に戻りありがとうございました。
卵を兄と2つに割けて育った時代、今とは想像もつかない時代になりました。 東京都 松永
・S33年生まれの私にとって、小学生の思い出は、まさに、この喜一さんのぬりえでした。
 ドレスに憧れ、沢山のぬりえを塗った記憶があります。娘のラインの自己の写真の所に喜一さんのイラストを愛用。何冊あっても良いこのぬりえ、ネットで沢山買いました。今日は娘と一緒に来れて、感動です。 埼玉県秩父市 町田


5月6日(振り替え)
・おばあちゃんが「きいちのぬりえ」を私にくれたことで知りました。原宿の文化屋雑貨店でグッズを買ったりもしました! とてもお気に入りです。きいちのぬりえの絵が大好きです。愛知県名古屋 宗像⑭
・イギリス人と日本人のふうふです。ついにここに来れて幸せいっぱい!妻の祖母が営んでいた駄菓子屋で、きいちのぬりえと共に育ちました。大切にしている思い出です。
 DOY


きいちのぬりえで遊んだ子ども時代がいかに大事な時間であったのか。小さいぬりえですが、きちのぬりえは皆さまの心の中に大きな思い出として残り、様ざまな思いを育てていたのだということが分かります。8月からの秋の企画展もどうぞお楽しみにしてください。(館)

Posted: Nurie : 14年07月05日

2014年06月07日 投稿

6月の美術館便り

今年は早くも梅雨に入りました。
雨になると外には遊びに行けないので、お人形と遊んだり、ぬりえをしたり、きせかえ遊びをしたり、室内でできる遊びをしていたものです。来館者さまの感想やアンケートからも、雨の日には
ぬりえをしていたという回答が多く寄せられていますが、皆さまはどのように過ごされていましたか。


毎月第三の木曜日に開催されている「大人のぬりえサロン」でされているデコぬりえ®が"きいちの生誕100年"のこの時期に、大胆に進化をしていると、"大人の3Dデコ塗り絵」"として東京新聞 3月26日(火)にご紹介されました。


2006年にぬりえが脳の活性化に役立つと言われて出版社がどっと"大人のぬりえ本"を出版して、「大人のぬりえブーム」が起こりました。さまざまな画家の絵がぬりえとなって本になり、本屋さんの店頭を賑わしました。

ぬりえ美術館では、その大人のぬりえブームが始まる2年まえの2004年から大人の人にこそぬりえをしていただきたいと考えて「大人のぬりえサロン」をスタートしていました。その後日本は高齢化率が世界ナンバーワンという高齢者の多い国になりましたので、認知症の高齢者をふやさないようにするために、脳の研究が活発になっていきました。脳の研究から、脳の活性化をするのにいつくもの方法がありますが、その中に「ぬりえ」が良いということが分かり、ぬりえブームが起こりました。
 ブームでしたので、その人気はあっという間に静かになり、店頭からはぬりえ本が消えてしまいましたが、ぬりえが高齢者にとって良いということは、高齢者の施設などに伝わって、2006年以降もデイサービスなど高齢者の施設でぬりえが積極的に行われています。

ぬりえ美術館では、2004年から「大人のぬりえサロン」を開催していましたが、1回だけ参加の方が多く、継続してサロンでぬりえをするという方がすくないため、どうしたらいいかと考えていました。
ぬりえを好きな人は、どちらかというと絵が描けない人が多いので、そのため服や着物に自分で自由に柄を描いたり、背景を描いたりすることは難しく、描けない人が多いのです。自由に描ける人は、ぬりえはしないで自分で好きに絵を描いていけるのです。


またぬりえが上手みえるのは、色彩のセンスのよい人、絵が上手な人なのです。そのため、初心者の方は、サロンに参加しても絵が上手いという達成感が得られないため、1回限りの参加になりがちでした。


そんなとき、講師のyun先生が、「デコぬりえ®」を考案されました。柄を自分で描けなければ、柄になるもの、例えばバラの花やバラの形をしたビーズをつけたり、ドレスのレースを貼り付けたらいいのではないかと絵をデコレーションしていくことを考えだしました。
このデコぬりえ®をしてみると、初めて参加した人でも、上手に見えて、達成感を得ることができますので、心に充実感、満足感が広がり、次回も参加してみたいということに繋がっていきました。

2011年6月からこの「デコぬりえ®」という名称をつけて、毎月テクニックが進歩していきました。そしてこの東京新聞でタイトルに使用された「3Dデコ」という名称ですが、デコレーションだけでなくぬりえの少女が浮き上がって3Dのようにみえるところから、このような表現になりました。
yun先生が考案したり、又参加者の方がやってみたりして、いつもテクニックが進歩し、進化しているため、平たい紙の上のデコレーションだけにとどまらず、少女を紙から切り離して、裏に台紙をつけて、三次元にしているため、少女が前にせり出してきているのです。そのせり出した少女の上にさらにデコレーションパーツを貼り付けていきますので、更に更に三次元度が高まっていくことになります。


ぬりえは世界中にあり、日本でも明治の時代から塗られています。きいちのぬりえは、昭和の22年から誕生していますが、きいちが「フジヲ」と言って描いていた昭和の10年代にも盛んにぬりえがされていたわけです。単に塗るだけでなく、デコレーションをすることにより、より新しい、革新的なぬりえになり、21世紀に相応しい、これからも続いていく「きいちのぬりえ」になったのではないかと考えております。

日本の伝統である歌舞伎の世界でも、伝統を継続、継承していくだけなく、新しいものを取り入れ、その時代に相応しい歌舞伎となっていくので、長く人気ある歌舞伎として残り伝わっていくものと思います。
きいちのぬりえも同じように、新しいものを取り入れ、その時代にあったきいちのぬりえとして、これからもずっと生き残って、皆さまに可愛がられたいと願っております。きいちのぬりえは単なる古い、懐かしさだけのぬりえではなく、現代の人にも可愛らしさを認められたぬりえとして、行き続けたいと思っております。


きいちのぬりえは小学館から、17種類のぬりえ本が出版されています。その他昭和20~30年代に販売されていた袋入りの復刻版が7種類ございます。
どうぞ新鮮な目できいちのぬりえをご覧になってみてください。(館)

Posted: Nurie : 14年06月07日

2014年03月05日 投稿

美術館便り3月~5月合併号 (3)

2-3 MOKU 1998年9月号
・昭和六年、その年の帝展に姉に連れていってもらい、美人画と出合ったのです。ああ、美人画というのは、こんなに美しいものかと感じ、私の行く道はこれだと、一種の霊感に打たれました。それは、鏑木清方の弟子で伊藤深水の兄弟子に当たる、山川秀峰の「素踊」という作品でした。


・昭和十五年にフジヲのペンネームでぬりえを描き始めました。ほんのアルバイト的な取り組みでしたが、美人画を基にしたフジヲのぬりえは、それまでのモノの形を型取っただけのぬりえと違っていたからでしょうか、人気が出かかったのです。でも、すぐ大東亜戦争が始まってしまって、物資統制時代になり、ぬりえ屋は店を閉めてしまいました。


・戦後一年は、進駐軍の兵隊さんが持って来る奥さんや恋人、娘さんなどの写真を基に肖像画を日本画で描きました。
 師団が月島をさると、兄に自宅でぬりえをやってみたらどうだと、印刷だってウチでできるといわれましてね、四枚綴りの「おとぎ絵」を工夫しました。


・シンデレラとか白雪姫とかおとぎ話を四枚のぬりえに仕立てたものをつくって、蔵前の玩具問屋へ持っていき、昔のフジヲですということで店に置いてくれたのです。
それがどんどん売れ出すと、今度は玩具問屋のオーナーのほうから、ぬりえの版元にしてくれという話が出てきました。それも二つのところから。そこで本格的にぬりえに取り組むこととして、ネームも本名の"きいち"で始めました。


・ピークのころには、月に百二十枚。一晩で(ジンク版)八枚。一枚に四区画の絵ですから三十二枚描いていたわけです。
版元は四種の袋をつくって八枚のぬりえを入れて五円でうります。始めのうちはそれが
八十万部ほどでしたが、やがて、百六十万部、二百二十万部と売れたのです。

・小売屋の仕入れは、「きいちのぬりえ」が二円七十銭。ほかの「ぬりえ」は二円五十銭と安いのに、「きいち」のほうが売れたといいます。


・宝塚歌劇団のモットーは「清く正しく美しく」だそうですが、私もこれなんです。モットーは。
昭和四十年にばったりとぬりえが流行らなくなって、もう一度美人画に戻ろうとしたんですけどね。そして、いまもまだ美人画を描いていますが、中心になるのは童女画で、はやりこれはもう生涯この絵柄からは、抜けられないのでしょうね。


・童女画の作業手順
まず鉛筆で仕上げた下書きを木枠に張った絹布の下にきちんと止める。すると布の上から下絵が透けてみえる。
その輪郭を鉛筆でとる。昔はここは筆でいきなり描いたものだという。
筆を入れる順は、まず目。目というよりは瞳の部分。「目がまず決まらないと・・・」
次が眉、鼻のライン、口唇、両頬、顎、頭髪、リボン、耳、襟首と次第に頭部が形をなしていく。


マスコミに取り上げられたお蔭で、きいちのぬりえを描いていていた当時の様子が残され、どのようなことからぬりえの世界に入ることになったのか、どんな思いで描いていたのか、当時の様子を知ることができます。


「持っているだけで楽しい絵」 
私は、もっと、心のこもった絵を、小さい子どもたちに見せたかった。一所懸命描いてはいたが、やはり商業ベースだから数をこなさなければ、というところもある。
 私は、いいえが描きたかった。色をぬるためというのは、二の次でよいと思った。色をぬってもぬらなくても、持っているだけで楽しい、という絵を描きたかった。いやな絵を買って、色をぬってもしかたがない。子どもたちが、好きになった絵を選んで、楽しんで、色をつけたいこどもは色をつければよい、と思った。


「美しい絵を描きたかった」 
ぬりえは子どもの創造性を阻害すると、悪者視されるのを聞いたりすると、私はふるい立った。ぬりえは、絵画の教育ではない。教育とは無縁のもので、あくまで子どもの遊びである。幼い子どもの情緒を養う、心の遊びだと主張したりした。
もし、私が「ぬるための絵」とだけ考えて絵を描いていたら、もっと違った、教育的なものを描いたと思う。しかし、私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだった。美しい大人なり、子どもなりの絵を描きたかったのである。


きいちはぬりえに対して、上述のような気持ち、思いをもって描いていました。きいちを言葉は、「きいちのぬりえ」と共に永遠に残っていくものと思います。(館)

Posted: Nurie : 14年03月05日

美術館便り3月~5月合併号 (2)

2.掲載雑誌より
2-1 「築地物語」NO.55 1998年11・12月号より
・きいちさんは京橋区新佃(現在の佃2・3丁目辺り)で生まれ、4歳のときに入船町に一家で引越し。昭和3年に築地2丁目11番(玄築地3丁目7番)に新築した店を本家としたが、きいちさんは母親と足立に住む。


・昭和3年明石町にある京橋商業高等学校に進むが、自分に合っていないことに気づいて
画家を目指して、川端画学校に通う。


・きいちさんは、銀ブラを楽しむモボ(モダンボーイ)だった。仕立てのいい服を着て、銀座に繰り出していた。
「キャバレーやカフェには行かないで、名曲喫茶とか、ジャズの店、ダンスホールに行って銀ブラをして帰ってくるんです。当時、銀座に遊びに行くのは、若い人かお金を持っている人。当時は兄が小遣いを余計にくれていたから毎日行っていたんです。一流の喫茶店でコーヒーが五十銭、ダンスホールのチケットが十枚で三円なんです。喫茶店はサボ意とかブランシックとか西銀座にあった大きな名曲喫茶とかに行きました。どうしたわけなのか、銀ブラをしないと、眠れなかった。私の三階の部屋からは銀座の灯りが見えたんですけど、その灯りを見ると、雨でも嵐でも銀座に行かなきゃ気がすまなかったもんです」


・ぬりえを始めると売れてブームを巻き起こした。収入が急激に増えたが、きいちさんはそのほとんどを芸事に注ぎ込んだのである。茶道、華道、長唄、三味線、日舞(花柳流名取となる)
この芸事がぬりえのなかに充分に生かされています。


・「机にむかっているかと思ったら、別なことをしているんですよ。きれいな包装紙をみつけると箱貼りをしたり、カーテンを縫ったりして、既製品の洋服だって着やすいように直したりするんです。」
きいちの器用さがわかる話である。

2-2 町雑誌「千住」Vol.11 2000年8月発行
・「千住は第二のふるさとなんですよ」
手広く商売をしていた実家は震災後すぐ、千住宮元町にも事務所を、足立区本木に工場兼倉庫と住居の一部を構えたので、子どもの頃からきいちさんと千住の関わりは始まるのである。


・きいちさんは使用人の沢山いる裕福な家で不自由なくのびのびと育つ。兄弟の上下が女だったせいもあり女の子と遊ぶことが多かったので、着物の切端で人形つくりをしてはままごとに興じ、母親のお供をして呉服屋にでかけるのが大好きだった。
・きいちさんは、小さいころから美しいものに並外れた憧れをいだいていた。


・「きいちは呉服の生地の名前やなんかすぐに覚えちゃうんだ」って言われていたんですよ。生まれつきのものなんでしょうね。それにまわりから「もっと男らしくしろ」とか
「女の子みたいだ」と言われたこともなかったんです。


・昭和19年12月29日に見合い、翌年1月19日に千住神社で結婚式をあげ、新居は千住緑町に構える。半年後召集令状が届き海軍省本部に配属となる。終戦となり、緑町の家に戻る。


・柔道家だった兄は警察でも仕事をしていたので、その紹介で、月島の進駐軍の米兵の持ち込む家族写真を、肖像画に描く仕事を始めた。1年くらい続けたところで、進駐軍が引き揚げることになり、肖像画の仕事は終わる。


・昭和22年の春、柔道家の兄が千住宮元町につたや道場を開き、その周辺に兄弟があつまって暮らし始めた。それからの2年間、この千住宮元町の居心地のよい小部屋から、日本中の子どもたちに向けてたくさんのぬりえが生み出されていったのである。


・最愛の一人娘をもうけたのも千住宮元町の家だった。


・足立区の梅島に家を建てて引越したが、親兄弟が暮らし、娘が踊りや幼稚園へ通った千住へはたびたび訪れているので、「千住は住んでいなくても自分の土地」だと思っていた。


・きいちさんがのめり込んだ日舞は、一人娘・美絵子がきっかけだった。週二回千住宮元町の花柳喜代先生のところに娘を送り迎えするうちに、きいちは自分でやりたくなり、男ながらに稽古に励んだ。
もともと歌舞伎などがすきだったきいちだが、踊りでみにうけたしぐさや表情が絵に影響を及ぼしたことは想像に難くない。


・「私の絵をモデルに娘の洋服をデザインしたんですよ」筆を持てば次々と洋服のデザインや模様が浮かんできたのだそうだ。

Posted: Nurie : 14年03月05日

美術館便り3月~5月合併号 (1)

祝 きいち生誕100年 「これからも いつまでも」
平成26年3月1日(土)~6月1日(日)

蔦谷喜一の生誕100年を祝いまして、春の企画展では「これからも いつまでも」と
題しまして、お祝いがテーマのぬりえを展示するとともに、生前に取り上げられた雑誌を
展示いたします。

 
ぬりえは子どものころにしているものですが、いつしか成長するにしたがってぬりえをしていたことも忘れてしまうものです。しかしぬりえは、子どもの心を育む遊びでもあります。子どもにとって大切な「こころの宝物」をこれからも残して、日本の文化の一つとして、ぬりえ文化として育てていきたいと思っております。


今回の企画展では、昭和20~30年当時のお祝いムードのぬりえを楽しんでいただくとともに、きいちが取り上げられました雑誌をご紹介いたします。

今後ともきいちのぬりえのご支援をよろしくお願いいたします。

1.きいちの人物像
本名は、蔦谷喜一。大正3年(1914年)に東京は京橋区新佃に、紙問屋の五男、九人兄弟の七番目として生まれました。新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、築地のお隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。
 
昭和6年。17歳の頃、帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢をハッキリと自覚するようになり、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所で裸婦デッサンなどを勉強します。

昭和15年。26歳。川端画学校の友人の勧めでぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。

戦争になり、中断。

戦後の1年は築地に駐留していた米兵の恋人や奥さんの肖像画を、掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。日本画の絹本(絹の上に描く)を学んだきいちは、米兵の持参したパラシュート(素材は絹)の上に肖像画を描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響と思われます。

昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、爆発的な人気となっていきました。最初はバラ売りでしたが、袋入りとなり、きいちのぬりえは、毎月100万袋、ピーク時には160万袋も売れるほどの人気を誇りました。

昭和40年頃、ご成婚や東京オリンピックなどで一般家庭にテレビが普及するようになり、「ぬりえは古臭いもの」として廃れていきました。

昭和53年(1978年)、資生堂の銀座のギャラリー「ザ・ギンザ アート・スペース」で、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。それ以降、コマーシャル等に使われるなどして、人気が現在に続いています。

平成17年(2005年)、91歳で逝去。生涯現役で絵を描いていたきいちでした。

Posted: Nurie : 14年03月05日

2014年02月05日 投稿

2月の美術館便り

今年の冬も大変寒さが厳しい日が続いています。インフルエンザやノロウィルスが猛威を振るっていますので、どうぞ充分気をつけてお過ごしください。

2月の行事
豆まき
2月3日は、節分で、豆まきがあります。
邪気を追い払う為に、節分には古くから豆撒きの行事が執り行われています。豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるのだそうです。
豆を撒き、撒かれた豆を自分の年齢(数え年)の数だけ食べる。また、自分の年の数の1つ多く食べると、体が丈夫になり、風邪をひかないという習わしがあるところもあるのだそうです。
子どものころには、豆まきをしたりしましたが、最近では豆を食べるだけで済ませてしまっていますが、皆様のお家では、どのようにされていますか。


恵方巻き
最近、関西でされていたという恵方巻きが東京でも流行しています。近所のスーパーやコンビニでは、恵方巻きの予約注文をとるポスターやCMが流れていますが、東京で恵方巻きが盛んになったのは、つい最近のことのように思います。
関西出身の会社の後輩から、1990年代の後半ころでしょうか、節分にその年の恵方を向いてのり巻きを食べるということを初めて聞きました。関西では面白い習慣があるのだなと思っていたところ、だんだん東京でも「恵方巻き」の言葉が聞かれるようになりました。

調べてみますと、「恵方巻」の名称は1998年(平成10年)にセブン-イレブンが全国発売にあたり、商品名に採用したことにより、その名が販促活動により全国に広がっているようなのです。それ以前は「丸かぶり寿司」や単なる「巻き寿司」などと呼ばれていて、「恵方巻き」と呼ばれていたという文献等は見つかっていないのだそうです。
最近の販促活動では、単にのり巻きだけでなく、ロール状になったものは「恵方巻き」の範疇にふくめて、ロールケーキの恵方巻きが販売されたりもしています。なんと商売上手なことでしょうか。関西の人たちは食べなれていても、関東の人たちにはまだまだ広がる要素がありますから、これからも、様々な恵方巻きがでてくるのではないでしょうか。楽しみですね。


バレンタインデー
豆まき、恵方巻き以上に忘れてならないのは、バレンタインデーでしょう。デパート、スーパー、コンビニなど、チョコレート商戦が始まっています。
東京には、世界の様々な国から有名ブランドのチョコレートが入っていますので、美味しいチョコレートを味わうことができますね。バレンタインのプロモーションはもうすでに1月のお正月が過ぎると始まっていますので、いろいろ試食もできて、お好きな味を見つけることができると思います。
私の友人、知人にはとてもチョコレート好きの人が多いです。チョコレートが冷蔵庫にはいっているとすぐに食べてしまうという人たちばかりです。
今年のバレンタインには、恋人や義理チョコばかりでなく、自分へのご褒美のチョコが売れていると言われています。今年は、どのようなチョコレートを買おうか、楽しみですね。


雪まつり
札幌の雪まつりがつとに有名ですが、全国的に1月の末頃から2月にかけて雪まつりや冬のフェスティバルが開催されています。様々な形を雪で造形したり、ライトアップや花火などで雪の世界を美しく彩ったりと、地区、地区で雪まつりを盛り上げています。
昨年は私も新潟の十日町の雪まつりを楽しんだことがあります。雪が降っていなければ、意外と暖かいので過ごしやすく、また様々なお店がでていて、新潟の食べ物や飲み物などの土地特有の名物をおおいに楽しみました。


2月は短い月にも係わらず、大事な行事、イベントが多い月です。寒い冬を楽しく過ごすために、行事、イベント、お祭りを工夫しているのではないでしょうか。そのイベントに向けて、全国から観光のために大勢のお客様がみえます。そのような交流から各地に地元の銘産や名物が広がって、恵方巻きが全国に広まったように、また新しい恵方巻きが誕生するかもしれませんね。


今年の冬は厳しい寒さが続くようです、寒さをものともせず、散歩などで体を動かすなど、少しづつでも運動ができると風邪などもひかず、元気に過ごせることと思います。
家の中で過ごす方には、みかんなど柑橘系のフルーツでビタミンCを取り入れながら、こたつなどで"ぬりえ"をするのは、いかがでしょうか。ぬりえは思った以上に一枚の絵に集中できるものです。30分ほど、寒さを忘れることができます。そして、塗った後は、頭がすっきりとし、気分が晴れやかになりますよ。


元気にこの寒さを乗り切りましょう。(館)

Posted: Nurie : 14年02月05日

2013年12月08日 投稿

12月の美術館便り

今年も早師走となりました。1年間御愛顧を賜りまして、大変ありがとうございました。

ぬりえコンテスト
今年も開催いたしました「ぬりえコンテスト」、お蔭様で第4回目となりました。第4回目となる今回のぬりえは、「きゅうぴいさん おんぶ」というタイトルのぬりえでした。1回目は着物、2回目はドレス、3回目が着物姿の少女と和、洋を交互に提案してきましたので、今回はお人形ですが、少女と二人という設定を選んでみました。
今回も背景をいろいろ設定して描いてくださっていますが、幼い頃の思い出につながるような野山、原っぱ、空等の自然をモチーフにした作品が多く見られました。キューピーと少女の組み合わせという絵から、自分の幼い頃に結びつくからかと思いました。

今年は70通のご応募を頂きました。年令は1才から最高齢は91才まで、女性ばかりでなく、例年男性もコンテストに参加してくださっています。多くは個人で応募してくださっていますが、
今年は高齢者福祉センターでぬりえを塗る際の画材として、コンテスト作品に挑戦していただき、送ってくださったところもございました。以前にもそのような施設でコンテストに参加してくださったところがありましたので、是非来年のコンテストには、高齢者福祉センターからのご応募をお待ちしております。

個人の参加では、例年初参加という方が多いのですが、2回目、3回目という方もいらして、それはとてもうれしく思っております。お若い方で継続参加の方は、小さい頃から3~4年と続けてくださっています。作品をずっと見せてもらっていますが、その成長をはっきりと見ることができて、本当に素晴らしいことですし、私にとっても有難いと思っております。是非来年もコンテストを開催いたしますので、優秀作品に選ばれた方もそうでない方も参加していただけたら幸いです。

応募された方のコメントをご紹介いたします。
・子供の頃からぬり絵が大好きでした。大学生の時きいちさんのぬり絵を知って以来、すっかりきいちのぬり絵のとりこになりました。

・いつも楽しみにしております。今回のお題「キューピー」は、刺激的でした。

・気に入ったぬりえはぬるのがもったいなくて、最後までとっておきました。いろいろな色を混ぜて工夫しながらぬるのが、とても楽しかったです。

・文房具屋さんや駄菓子屋さんで売られていた可愛い女の子の絵のノート型ぬりえや紐で綴られたざら紙のぬりえ(きいちのぬりえらしきもの)を買って、自宅ではもちろんのこと、近所の友だちのお家で競うようにぬりえに没頭していました。家では、時に父なども一緒にぬりえをしてくれて、子ども心に自分とは全くちがう大人の配色センスに衝撃を受けたのを覚えています。

・遊びの原点だったと思います。

・幼稚園の頃(3才位)から、ぬりえをよくやっていました。ひとりで、お留守番をしながら、ぬりえをしながら、待っていました。特に好きな絵は一番最後にとっておき(ぬりえがノートになっていた)楽しみに、ぬりました。お友達と、誰が一番上手にできたか、比べっこをしたり。祖父に色えんぴつのセットを買ってもらった時、とてもうれしかった。24色で500円でした。皆に自慢したりして。当時は文房具屋さんで、色々なぬりえノートがあって、選ぶのも楽しかったです。

・私がこどもの時は、昭和30~40年代でしたので、小学校では、ぬりえはとても人気があり、休み時間によく女の子同士でぬりながらおしゃべりしていました。女の子の服をぬるときは、自分が着てみたい色や、この女の子は、この色の服が似合うなんて思いながら楽しんでいました。

・子供の頃、学校から帰ると親から10円をもらい、駄菓子屋さんに行きました。糸のついた三角アメときいちのぬりえ、きせかえを買うのが楽しみの毎日でした。ぬりえの女の子はすごく可愛くて、きれいな色にぬれる様に友達と話しながら、みせあいながら遊びました

・桜の花びらがハラハラと舞う春、その花びらを糸を通した針で一枚づつ、拾い、花の首かざりを作って遊んだ6、7才のころの思いで。小児ぜんそくで体が少し弱かったこともあり、運動が大の苦手。外で遊ぶより、どうしても家の中での遊びが多かった。"きいちのぬり絵"が大好きだった。あの大きな目可愛い洋服、ぬっているだけで夢や希望を与えてくれた。学校から帰って、ぬり絵をするのが、本当に楽しみだった。
今では、そのおかげで絵が大好きになり、絵手紙の講師になり、沢山の生徒を教えている。今の私があるのは、きいちのぬり絵に小さい頃、出会ったからだと思う。

・袋を開けるのがとても楽しみでした。どんな女の子が入っているのか、どんな洋服を着ているのか、季節感もありました。今度はどんなのかと待ち遠しく、わくわくの気持ちはきいちの名を聞くだけで、今も心踊ります。70目前の今も絵の仲間と描きの時間を共有して楽しみとしているは、原点はきいちのぬり絵だったかもしれません。

・幼い頃遊び相手は、キューピーちゃんでした。寒いときは裸で風邪をひくからと抱いて寝た覚えがあり、なつかしい思い出が残っております。

・生まれた赤坂のすぐそばが、一ツ木通りという名の道で、毎月6の日が縁日でした。何十年も前のことではっきりしませんが、地面にぬりえが並んでいて好きな絵をえらんだ気がします


来年は蔦谷喜一の生誕百年の年となります。楽しい企画をして参りますので、来年もご来館をお待ちしています。(館)

Posted: Nurie : 13年12月08日

2013年08月03日 投稿

8月~10月美術館便り合併号(3)

3.昭和30年代後半
<昭和30年代後半から昭和40年前後>
テレビが普及してくると、子どもたちの遊びも変わってきます。そんな時代につれて、きいちのぬりえの表情、表現も変わっていきます。「ながいかみ」や「きもの」にみられるのが、この時代の特徴です。
①目がアイラインを入れたように切れ長になっている。前述のはっきりとした「のの字の目」から切れ長な目に徐徐に変化していきます。
②足がすっかり細くなります。
③髪の毛が、黒く描かれなくなり、洋服も柄がなく、線のみになって現代のぬりえと同じようになってきます。
   


この作風になる途中には、「おまつり」や「たまいれ」のように、髪を手束のながれのように描いたぬりえ時代があります。

ぬりえは子どもたちが塗るものですから、子ども向けにきいちも描いております。
ぬりえ美術館を訪れる若い方には、「きいちさんの絵は色っぽい」と言われることがあります。私自身は、子ども時代にリアルタイムできいちのぬりえを塗っていたためか、そのような認識はありませんが、「ながいかみ」や「きもの」の少女には、色っぽさがあるかもしれません。
画家は、歳をとっても、色っぽさとか艶っぽさというものが必要だと思いますが、子どもむけの絵なのに、不思議な気がします。
 

今回の企画展では、年代別にぬりえの変遷をご紹介しましたが、来館される方々は、ご自分が塗っていたころのぬりえの絵がお好きです。子どものころの思い出として、強く頭に残っているからでしょう。
 

いずれの時代も、きいちの少女の可愛さに変わりはありません。顔をかたむけるしぐさ、
足元、手先など、きいちの日本舞踊で培った形の美しさが反映されています。このしぐさの美しさや愛らしさはいつの時代にも、気持ちよく受け入れられるものだと思います。
現代のお子様にも受け継がれてほしいと願っております。

Posted: Nurie : 13年08月03日

8月~10月美術館便り合併号(2)

2.きいちのぬりえの変遷
今回は昭和10年代、20年代、30年代、という時代区分できいちのぬりえの変化をご紹介しています。


①昭和10年代:サインは「フジヲ」を使用しています。
昭和10年代の絵は、①日本画の美人画を絵にしたようなぬりえが多く描かれています。絵の中には、いくつもの日本画の技法が使われています。子どもの遊びのぬりえと言えないほど、豪華に細部まで詳細に描かれています。
②洋風のぬりえには、きいちの特徴でもあるパーマをかけた髪は、クルクルとまるで波の模様のように描かれています。足が太いのは、この頃からのようです。
③童話や民話などを元にしたぬりえも描かれています。またこの時代を表す戦争に関連するぬりえも残されていました。
   


美人画風のぬりえについて、70代の方や60代後半の方々は、このような日本髪の美人画風の絵を塗ったと思い出を語ってくれます。子ども時代のぬりえの思い出は、誰もが持っているものですね。

昭和20年代のぬりえ
①20年代前半
昭和22年から本名の「きいち」を使い始めます。きいち時代になった初期の頃は、「くびかざりみみかざり」や「ミミーちゃんは三つのおいわい」などに見られるように、
①目がたれ目であること
②目の間隔が離れていていること、
③大きな四角い顔に太い足が特徴。
④サインに描かれた小鳥も、初期の頃は、とても細い、痩せた小鳥が描かれています。
⑤さらに髪の生え際のうぶ毛まで、詳細に描かれています。
⑥少女たちは、紙からはみださんばかりに、画面いっぱいに描かれているのも、この頃の特徴です。
      

②昭和20年代後半から30年代前半
これらの時代のぬりえは団塊の世代の方に一番思い出深いぬりえでしょう。
「はなつみのこ」や「でぱーとのしょくどうで」などにみられるように、
①丸い、「の」の字のような目になります。
②四角目の大きい顔と足の太いところは引き続き同じですが、ちょっと折り曲げた足や傾げた顔など、少女のしぐさの優しさ、可愛らしいの特徴が作られた時代です。
   

   
   
   


ぬりえは時代の影響を反映して、「くろんぼちゃん」や「東京タワー」のように当時の流行や話題もぬりえに描かれています。又、昭和10年代から20年代前半には、洋服や着物の柄などがかなり細かく描かれていましたが、だんだん省略されていきます。

Posted: Nurie : 13年08月03日

8月~10月ぬりえ美術館便り合併号(1)

きいちの可愛さは永遠に

平成25年8月3日(土)~10月27日(日)


今年ぬりえ美術館は開館11年目となります。「ぬりえ美術館」を開館したきっかけは、蔦谷喜一という昭和のぬりえ作家が伯父であるということからでした。

戦後の少女、団塊世代の少女にとって、ぬりえは欠くことのできない遊びでした。
「ぬりえが宝物だった」「どれだけ夢中になったか」等と表現してやまない昔の少女たちがどれほどいることでしょう。ぬりえから沢山の夢をもらい、貧しいけれど心豊かに、情緒や仕草、美くしさ等を学ぶことができました。

ぬりえは子供の遊びですが、子どもの心を育む遊びでもあります。子どもにとって大切な「こころの宝物」をこれからも残して、日本の文化の一つとして、ぬりえ文化として育てていきたいと思っております。

蔦谷喜一の残した作品を、どうぞ心ゆくまで楽しんでいただきたいと思います。そしてこれからも、ご支援をよろしくお願い申し上げます。


1.きいちの人物像
「蔦谷喜一」は、とのような人物だったのでしょうか。
本名は、蔦谷喜一。大正3年(1914年)に東京は京橋区新佃に、紙問屋の五男で、九人兄弟の七番目として生まれました。新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、築地のお隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。
きいちは、子供のころから絵が好きで、特に人物画が得意だったそうです。

昭和6年。17歳の頃です。帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢は何か、ハッキリと自覚するようになったきいちは、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所で裸婦デッサンなどを勉強しています。


昭和15年。きいちが26歳。川端画学校の友人がぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。


戦争になり、中断。


戦後の1年は築地に駐留していた米兵の恋人や奥さんの肖像画を、掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。日本画の絹本(絹の上に描く)を学んだきいちは、米兵の持参したパラシュート(素材は絹であった)の上に肖像画を描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響と思われます。


昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、爆発的な人気となっていきました。戦争中は華美なものは禁止され、物資も充分でありませんでした。戦後、アメリカ文化が流入して、自由な空気があふれれきました。そんな空気の中、ぬりえが美しいものとして、子どもたちの間に流行したのです。最初はバラ売りでしたが、袋入りとなり、きいちのぬりえは、毎月100万袋、ピーク時には160万袋も売れるほどの人気を誇りました。


昭和40年頃、皇太子殿下のご成婚や東京オリンピックなどで一般家庭にテレビが普及するようになると、「ぬりえは古臭いもの」として廃れていきました。

昭和53年(1978年)資生堂の銀座のギャラリー「ザ・ギンザ アート・スペース」で、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。それ以降、コマーシャル等に使われるなどして、人気が現在に続いています。


ぬりえが大人気の時代に、「ぬりえは子どもの創造性を阻害する」とぬりえが悪者扱いをされることもありました。そんなとき、きいちは、「ぬりえは絵画の教育ではない。幼い子どもの情操を養う、こころの遊びだ」と反論しています。
また、「もし、"ぬるための絵"を考えて絵を描いていたら、もっと違った、教育的なものを描いていたと思う。しかし、私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだ。色を塗っても塗らなくても、持っているだけで楽しい、という絵が描きたかったのだ」とも語っています。


2002年、日本の現代アートの第一人者である村上隆氏がキューレーションをして、パリのカルティエ現代美術財団にて「ぬりえ展」開催され、きいちのぬりえが展示されました。その村上隆氏が蔦谷喜一を称して、「まだ貧しかったあの時代の、少女たちの美へのあこがれに応え、「想像力」を喚起した。芸術家です」とコメントされています。

生涯現役で絵を描いたきいちは、来年生誕百年を迎えます。

Posted: Nurie : 13年08月03日

2013年07月06日 投稿

7月の美術館便り

今年の5/20~6/4日までスペインに行き、ぬりえの調査をしたことを先月の便りでご報告いたしました。今年はヨーロッパが寒く、スペインも12度/4度と冬並みの温度でした。その他の国でもインドの洪水、アメリカ西海岸の猛暑による山火事など、世界的に異常気象になっています。
東京も今年は猛暑になると予測されており、日本は四季があるといわれていましたが、これから日本も2つの季節になるのではと心配になりますが、暑さにまけず、乗り切りましょう。


今月は、感想ノートやアンケートより、来館者の声をご紹介いたします。
5月11日(土)
・以前から伺いたいと思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。たまたま知人を訪れ
迷子になって、こちらを訪れる機会に恵まれました。きっと呼ばれたんですね。(笑)
ありがとうございました。 寺田昌代


5月12日(日)
・文京から来ました。とってもなつかしいぬり絵の世界に心がなごみ、すばらしいひとときを過ごさせていただきました。  北澤康子
・東尾久で昭和30年代に生まれ、子供時代を過ごしました。ぬり絵は勿論着せ替え人形で遊びました。縁日で付ろくを買い、はさみで丁ねいに切りとり、服を着替えさせて夢中で遊びました。
ぬり絵も線を丁ねいにわくをなぞり、中をぬっていくのです。とてもなつかしく、貴重な子供時代の思い出です。大変ありがとうございました。 久保田八重子

5月19日(日)
・昔に戻りました。 ありがとうございました。 Suzuki


5月25日(土)
・きぼうが丘からきました。おもしろかったです。 Saki
・今日は主人にここへつれてきてもらって、感激しました。とてもうれしく拝見させていただきました。私は75才ですが、若い娘の時に集めたきいちさんのぬりになつかしい想いで一杯でした。
ありがとうございました。


5月26日(日)
・今日、はじめてきてとてもかわいいと思いました。わたしもぬりえをかって家でたのしもうと思います。 中塚彩葉
・娘と来ました!! なつかしい気持ちいっぱいです。楽しい時間を娘と共にすごせて幸せなひとときでした。ありがとうございました。


6月15日(土)
・以前からここをおとずれたかったのですが、なかなか来る機会をつくれず本日やっとこれました。高齢者のデイサービスで働いておりまして、きいちさんのぬりえは女性の李両者さんが喜んで塗られえおります。
自分も子供のころにぬりえやきせかえに夢中になっていたことを思い出しました。


6月22日(土)
・先日図書館で「名作に出会える美術館」という本に出会いました。パラパラめくりましたら「ぬりえ美術館」に手が止まりました。あら?・・・・ もう早く行かなくちゃと思いました。
来館して良かったです。また6月におじゃましてよかったです。なぜか? 明日6/23は、長男夫婦の結婚記念日なのです。1年めのそして10月には孫が誕生します。この次は皆でおじゃまします。
・やっと来ました。50年近く前、友だちとあそびましたね~。娘も好きでした。


6月23(日)
・中野から来ました。きいちのぬりえにあえてしあわせです。これからもたくさんぬりえをぬっていきたいとおもいます。 長堀 百合子


6月30日(日)
・松戸の八柱から来ました。私は22年生まれです。小さい頃からぬりえが大好きで、おこづかいをもらっては、買ったものです。とうじいくらしたおかわからないけれど、大好きで、今もぬってます。本も買いました。今日で3度目。また来ます。何かありましたら、連絡ください。
 谷口 幸子
・とってもかわいらしいえだった。 たかはしなつの


皆さま、ご来館ありがとうございました。来館者の声をきいて、本当に嬉しく思います。小さい頃の思い出というものは、とても大事なものですね。いかに子どものころにぬりえを楽しんでくださっていたかが伝わってきます。ぬりえ好きの方には、思い出のきいちのぬりえが再び小学館より販売されていますので、今またきいちのぬりえを楽しむことができます。 これからも末ながく、きいちのぬりえをよろしくご支援ください。(館)

~来年蔦谷喜一は生誕100年を迎えます~

Posted: Nurie : 13年07月06日

2013年06月09日 投稿

6月の美術館便り

梅雨入りはしたものの、空梅雨が続いています。今年の夏が心配ですね。

2年ぶりに「海外のぬりえ調査」をしてきました。5月20日から6月4日まで、スペインはマドリードとバルセロナの2都市で実施してきましたので、概要をご報告いたします。
1.日本スペイン交流400年
今年は日本とスペインの交流400年にあたります。交流400年とは、1613年(慶長18年)仙台藩主伊達政宗が支倉常長を大使としてスペインとローマに派遣した慶長遣欧使節団が翌1614年(慶長19年)にスペインに到着し、フェリペ3世に謁見した時に遡るそうです。
この「日本スペイン交流400周年」の開幕記念行事にご出席のために、皇太子殿下が公式訪問をされます。このような記念すべき年にスペインで調査を実施できたのは、大変幸運であったと嬉しく思っております


2.スペインの印象
日本が空梅雨で、天候が例年とは違いおかしな天候ですが、ヨーロッパも異常な天候でした。マドリートとバルセロナのいずれもコートかジャケットにマフラーを巻いて、丁度いいほどで、太陽が燦燦と輝くという日はほんの数日でした。世界的に異常気象なのだと感じました。

マドリードでもバルセロナでも、大きなプラタナスの並木がいたるところにあり、緑の大きな葉の重なりが日陰をつくり、まるで都市の中にいながら森の中にいる気分を感じさせてくれます。
南の太陽の強さを軽減してくれる大事な並木なのでしょう。
また朝方になると歩道を水で綺麗に洗い流しているのです。マイヨール広場でもバルセロナのゴシック地区でも、ホースで水を巻き清掃していました。この光景にはビックリを通り越して、感激しました。清掃車も10数種類はあるそうで、スペイン人は綺麗好きなのだと聞かされました。家の中もとても綺麗にするそうです。
高校生時代に、シエスタのことを学びましたが、スペインではいまだに14時から16時まで
昼食、昼寝の時間でお店もクローズするところがあります。スペインでは昼食が一番大事な食事の時間だそうですので、たっぷり2時間のお休みがあり、ご自宅に帰って食事をするかたもまだまだいるそうです。10時にはお茶の時間もあります。
世界のグローバルスタンダードを考えると、日本であれば、世界との競争に打ち勝つために、シエスタの時間を変更するか、なくしてグローバルスタンダードに変えてしまいそうですが、そうでもない国があることが分かりました。何が大事かという価値観が経済や仕事重視の日本人と違うのだろうと思いました。なかなかその価値観を変えることは難しいですが、その価値観の違いの一端に触れることができました。


3.ぬりえの調査
例年の調査と同じように、スペインでも幼稚園(スペインでは学校と言われている)、美術館、図書館、本屋さんを巡り取材をし、お母さん方からもご意見もお聞きしました。
スペインの幼稚園では、ぬりえを使った授業が盛んに行われていました。いずれの学校でも、絵画教育を大変大事に考えられていることが分かりました。幼稚園では、テキストがあり、そこに描かれた絵に色をつけたり、切り取ったり、絵を塗りながら様々な学びに結びつけていました。
大変活発に活用されていましたが、日本のいわゆる「塗り絵」、例えば「きいちのぬりえ」や「キャラクターのぬりえ」の塗り絵の概念を変えたほうがいいのではないかと、沢山の幼稚園を見学して思いました。もちろんスペインでも本屋さんに沢山の塗り絵が販売されていますし、幼稚園でもマンダラの塗り絵を塗っています。しかし幼稚園のテキストや授業のなかでの塗り絵を考えたとき塗り絵とは大きな意味での「色を塗る」ことではないか、"色をぬる"という方向で考えたほうが適当ではないかと思いました。
私は従来様々な国の塗り絵を調査してきましたが、今までは塗り絵=きいちのぬりえのような塗り絵と思って調査をしてきましたが、それだけに限定するのではなく、「色を塗る」ことまで定義を広げたほうが自然ではないかと今回強く思うようになりました。


スペインでは、小学校に入学するまでに字を読んで書けるように幼稚園に要望されているそうで、abc や 1,2,3の数字に色を塗って覚える等に使われています。塗り絵をする際には、1.鉛筆の持ち方を教え、2.輪郭からはみ出さないように、3.きれいな仕上がりができるように努力すること、4.作業配分を考えること、5.自分の住んでいる世界を知るために同じ色で塗ること、例えば木の葉は緑色、キリンは黄色等。6.きちんと座って塗ることなど、子供たちが色を塗ることから学ぶことは沢山あるようです。
今回施設にいた子供を引き取ったというお母さんとお話をする機会がありました。彼女は現在5歳で、2年ほど前からお母さんと一緒に暮らしています。施設では塗り絵をすることがなかったそうで、塗り絵は輪郭からはみ出してはいけないことや色の名前を知らなかったそうです。すっかり私達は忘れてしまっていますが、色の名前なども家や幼稚園で色を使って塗りながら、覚えていたものなのですね。


最後に一番強烈なスペイインの印象ですが、どの幼稚園でも園長先生の個性が教育方針に生かされているそうで、「この幼稚園でされていることが、スペインの全てと思わないでください」ということでした。まさにこの言葉どおり、訪問した幼稚園では本当にそれぞれに違った方法で勉強をしていました。
スペインの調査報告の詳細は、別途HPでご案内をいたしますので、どうぞお楽しみに。(館)

Posted: Nurie : 13年06月09日

2013年03月06日 投稿

3月~5月美術館便り合併号

今年の春の企画展は、「きいちの少女は何故可愛いの?」と題しまして、開催しています。

昭和20~30年代の少女にとっては、きいちのぬりえは当然のように「可愛い」と思ってぬりえをしていたものです。それを今回わざわざ「きいちの少女は何故可愛いの?」と題した背景には、今の子どもたちや当時を知らない世代にも、きいちの可愛さが伝わっているということを実感しているからです。
 
1.きいちの少女は何故可愛いの?
今回の企画展では、絵のテーマを5つほど取り上げながら、その中に描かれたきいちの少女を見ていただくことによって、きいちの可愛さをさらに理解していただけたらと思っております。


まず、きいちの可愛さの理由の一つは、ぬりえに描かれた少女がとても"美人"であることだと思います。きいちのぬりえの少女の特徴は、「顔が大きく、目がパッチリとした三・四頭身の少女」という特徴を捉えて、きいちの少女は美人でないと考えている方もいるようですが、ぬりえを良くみてみると、そこに描かれた顔は基本的に美人です。


さらに少女のしぐさにご注目ください。とてもエレガントで優しいのです。昭和20~30年当時子どもの頃から躾が厳しく、特に女の子は女の子らしくということで、「○○をしてはいけない」という禁止事項が多くありました。そのような経験をした私が見ても、きいちの少女はしぐさがより女性らしく描かれていると思います。それは"美的に見て美しい"という考えがきいちにあったのではないかと想像しています。

2.今回のぬりえのテーマ
絵のテーマは、「お洒落」、「ワンランク上の生活」、「流行」、「着物」、「お食事」の5つです。


"きいちのぬりえ"は、毎月2つのメーカーより各4袋、合計8袋のぬりえが販売されていました。
毎月のことですから、それぞれの月の行事ですとか、流行の商品やおもちゃ、お洒落なファッションなどや今現在の生活や風俗などが描かれていました。

現実の生活は自分でもよく分かっていますから、それより現実にはない夢のような生活やファッションなどのほうが、ぬりえとして良く売れたようです。子どもが塗るぬりえですが、子どもの学校生活を描いたようなぬりえは余り人気がなかったそうです。子どもたちが見たい、知りたい、塗りたい絵は、空想の世界であり、自分の経験したことのない世界であったのです。その気持ちは、大人の気持ちとしても同じではないでしょうか。


「お洒落」と「ワンランク上の生活」とは、少し重なる部分がありますが、まだまだ貧しい時代でもあり、又現在と違い東京と田舎の生活の格差や情報の格差がある時代でしたから、ぬりえの世界だけは現実の生活とは少しばかり離れた素敵な世界を描いて、少女たちに夢の世界を見せていました


3.「着物」と「流行」
きいちのファンには、きいちの描く着物姿が好きだという方が多くいらっしゃいます。きいちの描く着物姿は、夏には浴衣姿も描きますが、その多くは豪華で優美な着物を描くので人気となっているのではないかと思います。


昭和30年代には着物ブームがあり、学校のPTAの集まりや入学、卒業式には、お母さん方は必ず着物を着ていたことがありました。子どもたちは七五三やお正月などに着物を着ていました。また踊りやお茶などのお稽古事で着物を着る機会も多くあったと思います。子どもの着物姿もいいものですね。


「流行」というぬりえでは、洗濯機やジューサーなどの家電の最先端のもの、カメラ、八ミリなどの商品、だっこちゃんやおばQなどのおもちゃの流行のものなどのぬりえを紹介しています。そのような最先端のものを誰もが持っているという時代ではありませんでしたので、ぬりえを塗って自分のものになったような気分を味わっていたのですね。


4.「食べ物」
食べ物のぬりえも少し紹介しています。何故食べ物?と思われるかもしれませんね。当時としては、りんごでさえも高級果物であったので、誰でもが購入できるものではなかったのです。さらにアイスクリームやデコレーションケーキなど、冷蔵庫が店頭や家庭にある時代ではありませんでしたから、いつでも食べられるというものではなかったのです。


埼玉の田舎にいる頃に、最初に食べたアイスクリームは、シャーベットのような氷を固めたようなものでした。それが四角い経木の箱の中に入っていて、5円か10円くらいのものでした。滑らかなアイスキャンデーがでてくるのは、その後何年もたってからのことです。
ですからおいしい食べ物の絵が描かれたぬりえを塗ることも、子ども達にとっては夢のようなことだったのです。


きいちの世界では、お洒落なドレスを着た少女がアイスクリームやホットケーキなどを食べています。 あの当時は「ぬりえに描かれたものが全てあったわけではない」という目で絵を見てみると、別の思いが伝わってくるのではないでしょうか。


きいちの少女の可愛さの秘密を発見することが出来ましたでしょうか。(館)

Posted: Nurie : 13年03月06日

2013年02月13日 投稿

2月の美術館便り

1.1月22日(火)放送、ZIP!藤あや子さん来館

今年に入って、立て続けてテレビでぬりえ美術館が紹介されました。その1つは、1月22日(火)の 日本テレビのZIP!という番組の「1000円バイヤー」というコーナーで、藤あや子さんが来館されたことが放送されました。
藤あや子さんは、秋田の角館の出身でいらっしゃいますが、子どものころ毎日きいちのぬりえをしていらしたそうです。今現在は八ヶ岳にギャラリーをお持ちになるほど絵がお好きだそうですが、その原点は、なんと「きいちのぬりえ」だったのだそうです。


ぬりえ美術館玄関には、ぬりえ美術館のパンフレットにも使われているきいちのぬりえの少女が描かれているのですが、その少女の頬をいとおしそうになでなでされてから、美術館に入ってこられました。館内をぐるっと見学されているときにも、お1人で昔のことを思い出しながら、テレビに向かい説明をなさっていらっしゃいました。
私は藤あや子さんには、何も館内のぬりえのお話をしていないのですが、当時のぬりえの様子をまるで私の説明のようにお話され、ぬりえ美術館にいらっしゃるきいちファンの方が思っていること、又私が皆様にお伝えしたいことのすべて藤あや子さんがおっしゃてくださったので、本当に嬉しかったです。

その後、大好きなぬりえをしてくださいました。なんと150色の色鉛筆を持参されて、素敵にぬってくださいました。その上に、今現在ぬりえ美術館で推奨しています「デコぬりえ®」もしてくださいました。 藤あや子さん、ご来館本当にありがとうございました。ZIP!の番組にも感謝です。


2. 2月2日(土)放送、TBSテレビ「王様のブランチ」の「豆知識」

2月2日(土)には、王様のブランチ」の「豆知識」のコーナーで、ぬりえを取り上げていただきました。2月の1ヶ月、東京新聞で募集をいたしましたぬりえのコンテストでの優秀作品を展示中です。このコンテストのぬりえがちょっと今とは変わっているということから、「ぬりえ」ってなあに?ということで、ぬりえについての豆知識をご紹介していただきました。


きいちのぬりえは昭和20~30年代にかけて、大変な人気となり一月に100万セット、ピーク時には160万セットも売れていた、毎月全国で100万人もの少女たちがきいちのぬりえをしていたわけです。藤あや子さんもそのうちのお一人だったわけですね。
当時はぬりえ作家といわれるひとたちは、きいちの話によりますと40人ほどはいたようですが、何故きいちのぬりえがそんなに人気であったのでしょうか?


きいちのぬりえの特徴は、大きな顔にぱっちりした目、三・四頭身の足の太い女の子ですが、日本人が可愛いと感じるのは、三・四頭身なのです。ドラえもんしかり、ピカチュウしかりです。その上に、きいちの描く女の子の顔は、40人ほどいたぬりえ作家の描くぬりえの中で一番美人でかわいらしい顔だったのです。


今は甲子園に出場する野球少年もジャニーズ系のようにハンサムになりましたが、昔は野球少年といえばにきび面のじゃがいものような少年というのが相場でした。映画が大ブームであった昭和30年代、映画俳優になるような人は本当に一握りの人たちで、一般の人たちはまだまだハンサムや美人は少なかったのです。子どももそうです。きいちのぬりえにあるような美しい少女は、どこにいるのかしらという位少なかったのです。その美しい少女たちが、映画でしか見られないようなお洒落な洋服や豪華な着物を着て描かれていますから、ますます当時の少女たちはそれらの服装や着物に憧れて、きいちのぬりえ人気になっていったのです。


ぬりえ美術館にはきいちのぬりえのほかに、海外のぬりえもほんの少しですが、展示をしています。海外のぬりえの違いについても質問がありました。一番大きな違いは、海外のぬりえには色見本がついたものが多いことです。二つ目はぬりえを通じて勉強するぬりえがあります。今展示していますのはアメリカのぬりえですが、「タイタニック号」のぬりえやアメリカインディアンの歴史のぬりえなどがあります。又オバマ大統領が誕生したときには、歴代の大統領を描いたぬりえ本があり、これも歴史的なことを学ぶいいテキストであると思います。


その他、テレビの豆知識にはでてきませんでしたが、海外のぬりえは中性的というのでしょうか、女の子でも男の子でもどちらでもできるぬりえが多いです。「女の子と男の子に別れているのは、日本的ですね」とタイの国で言われたことがありますが、日本では男女に分かれていますね。
海外のぬりえにつきましては、美術館ニュースの「海外ぬりえ研究室」にいろいろな国のぬりえ本について書いていますので、ぜひ一度ご覧ください。


今回のテレビ放映があり、一番驚き、嬉しかったことは、子どもさんの来館が多くあることです。
通常は、一月に一人か二人程度ですが、テレビの後は一日に十人、十五人も来館することがあり、今の子どもさんにとってもきいちは魅力的であり、可愛いということが伝わっているということは大変嬉しいことでした。
今まで「きいちのぬりえ」を知らなかったけれど、テレビを見て「ママぬりえ美術館に行こう」と子どもさんが言うので、来ました。という声を沢山聞きました。レトロな、昔の絵ということもわかっていますが、「可愛い」、「新鮮」と子どもさんは感じているようです。


きいちのぬりえをこれからも伝えていきたいと希望していますので、今回の子どもさんの反応は、大変未来が明るいものだと分かり、心から喜んでいます。是非ぬりえ美術館にいらして、ぬりえ体験コーナーでぬりえをして、遊んでいってください。(館)

Posted: Nurie : 13年02月13日

2013年01月04日 投稿

1月の美術館便り

新年明けましておめでとうございます。
今年は三が日大変いい天気で、今年はかいいことがありそうな明るい年明けでした。
どなた様にとっても、幸せな年でありますよう、お祈りしています。


昨年10周年を迎えまして、今年は11年目に入りました。次の10年に向けての最初の年となります。そこで、毎月館内に入った入り口部分に「エントランス展示コーナー」がありますが、その展示の1月では、"毎日がワクワクしていた日々」をテーマに、きいちのぬりえを選んで展示しています。
子ども時代を思い出してください。一日がアッという間に過ぎて、毎日が楽しくて仕方なかったと思いませんか。大人になると、いろいろ考えることが多くて、一日が重くなってしまううようなことも増えてきて、いつの間にかワクワク感というものを忘れがちになっているのではないかと思います。
そこで、子どもの頃に戻って、まずワクワクした気分を思い出して、今年一年をワクワクした気分で過ごすことができるように、ワクワク気分のぬりえを展示してみました。


「一年の計は元旦にあり」と言いますが、お正月ですから、今年の計画を立てる場合に、初心に戻ってみるということも、一つの方法ではないかと思います。子どものころ何をしたかったのかとか、何が好きだったか、その時点にもどってみて、何かを始めてみる、計画してみるということもあるのではないかと思います。 自分の好きなことなら、継続してできるものです。好きなことなら、心も温かくなって、気分よく続けることができるものです。どうかそんなことも頭において、今年をどのように過ごそうかと考えてみてはいかがでしょうか。


さて、ぬりえ美術館の今年の1年は、12日(土)に締め切りになりますが、第三回東京新聞ぬりえコンテストを開催しています。東京新聞ならびにぬりえ美術館のHPをご覧になり、ご応募してください。このコンテストの優秀作品は2月の1ヶ月間、ぬりえ美術館に展示されます。
3月から5月までの開催の春の企画展では、「少女の憧れワールド」と題しまして、昭和20~30年代の少女はどんなものに憧れていたのか、ご紹介していきます。
8月から10月まで開催の秋の企画展では、戦前から昭和30年代までの「きいちのぬりえの変遷」と題しまして、同じように見えるぬりえの中にも変化が見えますので、その変遷の様子をご紹介して参ります。


今年もきいちのぬりえで、皆様のこころをワクワクさせたいと思っています。
今年もぬりえ美術館をよろしくお願いいたします。(館)

Posted: Nurie : 13年01月04日

2012年12月01日 投稿

12月の美術館便り

今年も一年ご来館ならびにご支援をいただきまして、大変ありがとうございました。今年はぬりえ美術館開館10周年を迎えることができた記念すべき年でした。これも偏に皆様方のご支援の賜物と心より御礼申し上げます。来年も引き続き楽しい企画を開催いたしますので、よろしくお願い申し上げます。
 
■一年の終わりに当たり、来館されました皆様の声をご紹介したいと思います。
9月16日(日
町屋という町に初めてちゃんと来ました。私にも4歳の娘がいまして、時々ぬりえを一緒にやります。子供は楽しんでやっています。ぬりえがこれからもなくならいないでしっかりと時代が変わっても、残さなければいけないものだと思います。

ぬりえ美術館に来たいと思いながら、10年が過ぎてしまったのです。やっと来ました。少女、あどけない目、おだやかな目、今の子供たちにはない純真なまなざしです。みつめられたら、つい"はい、はい"と言ってしまいそう。古き良き時代が感じられます。昔の時に接したくなったら、又、来たいです。 文京区千駄木 70才元少女 

10月7日(日)
東大和市から8名で来館しました。地域で介護予防に取り組む主婦です。高齢者を対象にサロン活動する中で、「ぬりえ」に関心が向き、今回訪問しました。とても楽しい一時でした。ありがとうございました。  東大和市奈良橋 野口

10月13日(土)
昨晩インターネットでみつけ、なつかしく。朝早くから家を出て、3時間かけやっとあの頃の時の中へ・・・ 幼い頃10円(?)をにぎりしめ、袋(入り)のぬりえを会に行ったことを思い出します。母と二人で縁側で楽しく、のんびりと、ポカポカした時間がありました。母を思い出したい時に、又来ます。ありがとうございました。

11月3日(祝)
北区都電ウォークラリーで寄り道をしました。ぬりえが大好きでした。上は男の兄弟だけでしたので、1人で遊ぶ時はきせかえとか夢中でした。母も和裁をしていたので、(喜一の)奥様も大変だっと事と思われます。今度はまごを連れてきたいと思います。

ずっと来たいと思って、今日実現できうれしいです。時代がうつり変化しても、素敵な物は素敵といえる自由、ありがたいですね。喜一さんご夫妻とも本当にほのぼのとして、こういう先輩を見習いたいと思いました。ありがとうございました。 HIDEKO!

やっと訪れる事ができました。ぬり絵をしている間は、本当に楽しく心がやすらぎました。ストレスのある日常を過ごさせるいけない現代人にとって、ホッとする事が出来るすてきな場所です。ありがとうございます。 まりこ

11月4日(日)
昭和30年代留守番をしたごほうびはきいちのぬり絵でしあ。可憐な洋服や着物姿に心躍らせた事を覚えています。60才をすぎて懐かしく思い出しました。

11月10日(土)
40過ぎた良いオッサンが不覚にも真剣になってしまいました。(笑)

■昭和30年代
先日1955年に作られた「警察物語」を見ました。東北の街の警察で起こる泥棒、無銭飲食、捨て子などの事件が描かれていました。1955年当時私は6才で、あの時を生きていましたが、その頃はそんなにも貧しかったのでろうかと、今更ながらに驚かされます。
「無銭飲食」等の事件は今はなくなっていますから、胸にずしんときました。母親と息子の無銭飲食ですが、息子に「カレーライス」と「ラムネ」を食べさせても、母親はお茶しか飲んでいず、ご飯はたべていないのです。いじらしいですね。
「捨て子」の事件では、かの天才子役の二木てるみさんが捨てられた子のお姉さん役をしていて、弟可愛さに預けられたおまわりさんの家を抜け出し、弟があずけられている家まで探しに行き、弟に会って涙する様子には、小さくても兄弟愛があることが伝わり、涙せずにいられません。
 
さて、現代は無銭飲食こそありませんが、捨て子どころか母親が子どもを虐待したり、殺したりするような時代になってしまいました。何かが忘れられてしまったような気がしてなりません。
あの昭和30年代、映画の舞台のなったような田舎の農村では、ぬりえと言えども貴重品で買えなかったということもあったでしょう。だから、買えたら大切、大切に塗ったことと思います。それだから強烈に子どものこころに、ぬりえの中に描かれた世界が、とても美しい、夢のような世界として、ぬりえの思い出が残っているのだと思います。
ぬりえの中の世界とともに、その時の自分のまわりの景色が思いだされて、これからもぬりえは来館者のこころを温め、笑顔にしていくことだろうと思います。(館)

Posted: Nurie : 12年12月01日

2012年11月01日 投稿

11月の美術館便り

今年の大きな計画は、開館10周年を迎えての謝恩パーティと10年記念企画展の開催でした。お蔭様で、無事企画展を終了することができました。次の大きな計画といたしましては、
2014年に「きいち生誕100年」を迎えますので、何かできればと考えております。どうぞお楽しみにお待ちください。

デコぬりえ®元年
2012年は、ぬりえ美術館にとって、「デコぬりえ®元年」と言える年であったと思います。デコぬりえ®は昨年の6月から始めていますが、本当にそれはぬりえ美術館の中だけでしているもので、ほとんど知られているものではありませんでした。
今年になって、小学館から2月発売の「きいちのぬりえ 昭和の暮らし編」と「きいちのぬりえ おしゃれ編」の2冊の裏表紙にて、「デコぬりえ®」を取り上げていただき、小学館のウェブサイトでも、デコぬりえ®のハウツーなどを紹介していただきました。

4月からは、NHK Eテレの「団塊スタイル」の番組の中の、「昭和レトロなう」のコーナーにて、昔のぬりえが現在は「デコぬりえ®」として進化していますと取り上げられました。再放送を含め、NHKにて4月から7月まで様々に放送されたことにより、少しづつ認知され始めました。
荒川区のケーブルテレビにても、デコぬりえ®をしている「大人のぬりえサロン」の様子を長い時間放送してくれましたので、荒川区からも「大人のぬりえサロン」へのお申し込みが入るなど、これも影響力が広がっているのを感じました。
 
着物姿のハロウィン
デコぬりえ®の考案者は、イラストレーターのyun先生ですが、先生もぬりえ美術館でのデコぬりえ®の指導のほかに、ご自身でもデコぬりえ®カフェと称して、深川のいっぷくさんという場所などで、デコぬりえ®のご指導をされています。それぞれの場所において、その月やその会のその時のテーマによってぬりえの絵を選んで、その上にデコレーションをしています。
10月のぬりえ美術館での「デコぬりえ®」では、先生のレベルが一段階も二段階もアップしたようで、着物の少女のぬりえでしたが、「ハロウィン」の世界に染められたのです。参加者一同、本当に驚かされました。着物なら、このようにデコレーションをして、と想像していたものを先生の作品は私たちの想像をはるかに超えたものでしたから。
参加者は、びっくりしながらも自分なりのハロウィンの世界を楽しみ、デコレーションをしてくれました。ハロウィンカラーのオレンジ、黒、紫などの闇夜の世界の色に、モチーフはおばけ、かぼちゃ、魔女、魔女の帽子、くもの巣、こうもり等々を描いて、作品を作りました。(これらの作品は、ぜひHPをご覧になってください)
デコぬりえ®は昨年の6月に始まったばかりの新しいぬりえ画法ですので、どこまで進化し続けるのか、たぶん考案者のyun先生にも未知の世界だと思います。そういう意味で、大変将来が楽しみなデコぬりえ®の世界です。


エキスポスーパー65+  http://expo.super65plus.jp/index.html
昭和22年生まれの団塊世代が、今年65歳になり、「高齢者」になりました。団塊世代は、人数の多いこともありますが、戦後生まれとして時代の流行を牽引してきた人たちでありますので、65歳といってもまだまだ元気です。
エキスポスーパー65+では、それらの元気なアクティブシニア向けに以下のような理念・目的を持ち、シニアの「楽しく張り合いのある日常」「仲間に囲まれた生活」「職とプライドのある人生」の実現をサポートしていくものです。


「エキスポS65+」の理念・目的
・国内の6割を有するという65歳以上の金融資産を市場で回転させ、日本経済を活性化させる。
・趣味・文化活動の輪を広げ、温もりのあるコミュニティ作りに貢献する。
・効果的な健康・体力の維持を研究し、活気あふれるデイリーライフを実現させる。
・仕事、お金、パートナー、友人……すべて満たされた理想の人生を追求していく。


このイベント会場にて、「デコぬりえ®」講座を開催いたします。
先着30名。参加費1,500円(材料費込み)
16日12:15~13:15/セミナー会場、17日13:30~14:30/セミナー会場
きいちのぬりえで育った世代の方々に、従来の塗るぬりえに、デコレーションをしてもらい、リボンやレースなどの手触り(触覚)やキラキラのラインストーンなどの煌きを楽しんでもらいながら、集中した後のすっきり気分を味わい、ワクワクした気持ちを楽しんでいただきたいと思っております。


デコぬりえ®以外のイベントは、「社交ダンス」、「出前歌声喫茶"新宿ともしび"」
「これが紙!! パーチメントクラフト体験教室」、「プリザーブドフラワーを自分で作っちゃおう!」、「ガーデニング教室」等がございます。ぜひ、秋の一日を幕張メッセの「エキスポスーパー65+」で過ごしてみては、いかがでしょうか。これからのお楽しみが発見できるかもしれません。
イベントの詳細は、こちらから

 
今年の大人のぬりえサロンは、11月15日(木)、12月20日(木)の2回開催されます。11月は毛皮をまとったドレス姿、12月は豪華な着物になります。10月のハロウィンに負けないような素敵なデコぬりえ®を作りたいと思っています。(館)

Posted: Nurie : 12年11月01日

2012年08月12日 投稿

8月~10月美術館便り(合併号)(2)

今回の展示作品

1.日本画

きいちは美人画を学んだ人です。昭和40年代に入り、ぬりえが衰退してから、時々美人画を描いていました。日本画では紙に描くものと、絹に描くものがありますが、きいちはほとんど絹に描いていました。
今回は「出雲の阿国」と鏡獅子の「弥生」の2作品を展示しています。


2.絹絵
きいちはぬりえを長らく描いていましたので、ぬりえで描いたような少女を絹地の上に描いています。童女百態とか童女画などという呼び名をつけています。私はこちらのほうは、絹絵という分類で展示をしています。今回「花嫁」、「シンデレラ」、「てるてるぼうず」等を展示しています。


3.ポスター

晩年、きいちの作品は、テレビ局をはじめコマーシャルの分野で使用されています。
今回は、"テレビ東京"と2002年村上隆がパリで開催した展覧会の”ぬりえ展"のポスターを展示しています。


4.グッズ
レコード、CDの表紙に使われたきいちや絵皿、Tシャツなど過去にグッズに展開されたきいちをご紹介しています。
  
5.書籍、雑誌類
昭和20年から30年代のぬりえを中心に、きいちの生き様を取り上げている雑誌、書籍を展示しています。
またきいちの絵を使った歌の本や創立記念の中ページを飾る絵など、紹介の仕方の珍しい本なども展示しています。


6.景品類
ミスタードーナツの景品に使われていました。ミニティッシュが可愛らしいです。


日ごろは展示できない珍しいものをご紹介しています。これらの作品郡から少しでもきいちの全体像をつかんでいただければ、大変嬉しく思います。(館)

Posted: Nurie : 12年08月12日

8月~10月の美術館便り(合併号)(1)

ぬりえ美術館10周年記念企画
きいちワールド展
~ぬりえや絹絵、美人画で魅せるきいちワールド~
平成24年8月5日(日)~10月28日(日)
 
2002年8月に開館したぬりえ美術館は、今年で10周年を迎えることができました。これも偏に皆様のご支援の賜物と心より感謝申し上げます。
2002年の開館以来、展示とぬりえについての関係書の出版、海外でぬりえを紹介するぬりえ展開催という3本柱の活動をしてまいりました。これからは、ぬりえ美術館の展示を第一に、そして海外でのぬりえ調査を継続して参ります。
これからもこれらの活動を通じて、ぬりえの認識を高め、ぬりえ文化に貢献していきたく、努めてまいりますので、これからもご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

企画展のご案内
ぬりえ美術館10周年記念企画展は、「きいちワールド展」と題しまして、蔦谷喜一をとりまく様々な作品やグッズなど、従来の企画展ではご紹介していない絹絵や珍しい美人画などを展示し、蔦谷喜一の世界をご紹介して参ります。
蔦谷喜一とは、きいちのぬりえとは
戦後の昭和22年から40年ころまで、少女に絶大な人気があったぬりえが
「きいちのぬりえ」でした。当時ぬりえは大変な人気で、40人ほどの作家がいたと、きいちが語っていましたが、その中でも一番人気があったのが、きいちでした。
「きいちのぬりえ」とおもちゃに作家の名前が付いたのもきいちが最初ではなかったでしょうか。

2002年、日本の現代アートの第一人者である村上隆氏がキューレーションをして、パリのカルティエ現代美術財団にて開催された「ぬりえ展」の出品を期に、きいちは今、世界からも関心を集めています。
その村上隆氏が蔦谷喜一を称して、「まだ貧しかったあの時代の、少女たちの美へのあこがれに応え、「想像力」を喚起した。芸術家です」とコメントされています。


きいちのぬりえの特徴
ちょっと四角い大きな顔に、ぱっちりした大きな目、そして太い足の三、四頭身の女の子、というものでした。
あのような少女の顔が、当時の少女の理想像だったのではないか、と私は思っています。
そして、三、四頭身というのは日本人が考える「可愛らしさ」であり、その可愛いの原点は、きいちのぬりえの少女ではないかと思っています。


「蔦谷喜一」とは、とのような人物だったのでしょうか。
本名は、蔦谷喜一(つたやきいち)。大正3年に東京は京橋区新佃ということころで、紙問屋の五男で、九人兄弟の七番目として生まれました。
新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、お隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。

きいちは、子供のころから絵が好きで、特に人物画が得意だったそうです。 
昭和6年。17歳の頃です。帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢は何か、ハッキリと自覚するようになったきいちは、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所というところで裸婦デッサンなどを勉強しています。

昭和15年。きいちが26歳。川端画学校の友人がぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。
戦争になり、中断。
戦後の1年は築地に駐留していた米兵の、恋人や奥さんの肖像画を掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響かもしれませんね。

その後、昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、毎月100万部も売れる爆発的な人気となったのは、先にお話したとおりでございます。

昭和40年頃には廃れてしまったぬりえですが、昭和53年(1978年)私が以前勤務していました化粧品会社の銀座のギャラリーで、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。
それ以来、コマーシャルに使われるなどして、人気は今に続いています。

ぬりえが大人気の時代に、「ぬりえは子どもの創造性を阻害する」とぬりえが悪者扱いをされることもあったそうです。そんなとき、きいちは、
「ぬりえは絵画の教育ではない。幼い子どもの情操を養う、こころの遊びだ」と反論しています。
また、「もし、"ぬるための絵"を考えて絵を描いていたら、もっと違った、教育的なものを描いていたと思う。しかし、私は美しい絵を描きたいから描いてきたのだ。
色を塗っても塗らなくても、持っているだけで楽しい、という絵が描きたかったのだ」とも語っています。

戦後の貧しい日本で、子どものお小遣いでも購入できるぬりえに美しい世界を提供したきいち。生涯現役で絵を描いたきいちは、2005年91歳でなくなりました。

2006年頃より、"大人のぬりえ"人気が訪れました。そのお蔭で、デイサービスなどの老人の施設では、ぬりえがなされているのですが、ぬりえ専門に描かれたきいちのぬりえはここでも一番の人気となっているそうです。
色は脳の中の、感情の部分に直接関与するものだそうですので、ぬりえをするとその色を使うことによって、心も元気になるようです。
これからは子どもだけでなく、おとなの方も脳の活性化に寄与するぬりえをする時代になりました。ぬりえは時代、時代に合わせて進化しているようです。

Posted: Nurie : 12年08月12日

2012年07月03日 投稿

7月の美術館便り(2)

3月10日(土)
・念願かなって来館できました。ステキな施設ですね。 真野征夫
3月11日(日)
・日本の美を感じました。デザインの勉強に役立てたいと思いました。来れてよかったです。吉尾
・50年も前の自分の姿がとてもなつかしく、思い出されました。ほのぼのとやさしい 気持ちになり、ありがとうございました。 小野真智子
3月17日(土)
・ぬりえがたのしかったです。あときせかえもたのしかったです。またきたいです。
3月18日(日)
・ぬりえの原画楽しませていただきました。特に関心したのが、力士の原画です。両横 綱(大鵬・柏戸)ともびみょうな陰影のつけ方で、肉体を立体的にみせていたのは関 心しました。
 多分ポスターカラーだと思いますが、これだけの力量をもったきいち画力をみせられ ました。またじっくりみてみたいです。 橘浩一
・三重の友人からはがきが来て、上京の折、都電にも乗って来館。ようございました。美対かず

3月20日春分の日
・63才 念願のきいちの美術館に主人、娘、孫(双子5才女)と来ることが出来ました。 昔、隣 の駄菓子屋さんでよくぬりえを買って遊びました。孫たちも楽しんでいる様 でよかった!
3月25日(日)
・絵がとてもきれいで、買いたくなりました。 ゆま
・きいちさんのぬりえはとてもきれいで、かんどうしました。 7さい つむぎ
・子どものころをおもいだしてとてもなつかしかった。
3月31日(土)
・大阪から春休み中に来ました。ぬり絵や工作が大好きな年長さん(4月から小学生) と今度年長さんの息子と1才4ヶ月の息子がいます。細かい部分に熱心にする娘にき てよかったです。それに、レトロな味のある喜一さんの作風が素敵でした。永盛沙  永。太一・船太
4月1日
・今日はぬり絵を見た瞬間に子どもの頃を思い出し幸せ一杯でした。ぬりえ文化が次の 世代に伝わっていくいように祈りたい一日でした。ありがとうございました。
・懐かしさでいっぱい。入った時から昔を思い出すことになりました。ありがとうござ いました。
・久々に実家に帰ったら近所にこんな素敵な美術館が。娘達もぬりえ 夢中でやってい ました。ありがとうございました。
・とてもおもしろくて、ぬりえに夢中になっちゃいました。

皆様これからもぬりえ美術館を可愛がってくださいね。(館)

Posted: Nurie : 12年07月03日

7月の美術館便り(1)

 
今年も早いもので、もう半年が過ぎました。毎年、同じようなことを言っているように思いますが、年々月日の経つのが早いように感じます。皆様はいかがですか?
今年は来月に、ぬりえ美術館の10周年を迎えます。振り返ってみますと、アッという間のことのように思います。10年継続して運営をできてこれたのも、皆様のご支援の賜物と感謝をしております。
まだまだぬりえ美術館は全国的に知られた美術館ではありませんが、アンテナにピッと来た方は、広く北海道から九州まで、そして香港やニューヨークなど海外からも来てくださっています。来館者の声は、開館当初から少しも変わることなく、10年経った今でも同じような感想を頂いております。その皆様のお声を聞いて、いつも思うのは、「美術館を開館してよかったな」ということです。それでは、最近の来館者の感想をご紹介いたします。

2012年2月26日
・妻がとても感激しかり。一度見に行こうと言われ今日は夫婦で来ました。感動しました。 岡谷市 小口
・私は昨年上京し、現在ぬりえをつくる仕事をしています。今日は「きいちのぬりえ」を見れて、とても感動です。私の仕事の原点がここにつまってるんですね。勉強させていただきました。
小さな子ども達の夢を広げるようなぬりえをつくっていきたいです。明日からまた頑張ります!!

3月3日(土)
・小さい頃おばあちゃんにきいちのぬりえを買ってもらい、夢中でぬって遊びました。「きいち」ってなんだろうとよく思っていました。(大人になってから判明) 結
・と て も 楽 し か ~ た! また来ま~す。とてもおもしろかった。 1時 間半ぐらい、 ぬりえをしました。とてもおもしろかった!3月10日~11日のスポー ツセンターに行きたい と思います。
・ぬりえにはまった! 最高! (西) また来ま~す。絶対に!!水道がこわれたら こちらに・・・(うそ!) 
・楽しかった~~~!また来たいです!1時間以上ぬりえしたよ。3月10日~11日のス ポーツセンターにいけたらいきたいです。(華月)
3月4日(日)
・目白(学習院下)から都電に乗って来ました。5才の息子が最近戦隊ものにハマっており、沢山のぬりえをして楽しんでいました。飯田

Posted: Nurie : 12年07月03日

2012年06月09日 投稿

6月の美術館便り

5月は社会的なビッグイベントが続きました。
まず21日の金環日蝕がありました。これを日本の多くの土地で見ることができました。その現象は、173年ぶりの出来事とか。 子どもの頃に、下敷きに蝋燭のススか何かをつけて、小学校の校庭から皆でみた覚えがありますが、それは金環日蝕ではなく、部分日蝕かなにかだったのでしょう。時代は変わり、天体ショー用の専用グラスなどのグッズが販売され、それがないと目を傷めるということも事前の解説で紹介されていました。
グラスを購入しなかったので、太陽の一部がかけ始めてときに、ちらっと太陽をみて、そのまぶしさに、金環日蝕はテレビで見ることになってしまいました。でも、各地で歓声があがっていましたが、その不思議さに感動の声を上げるのも無理ないことだと思いました。

続く22日には、生憎の雨の中をスカイツリーのオープンがありました。美術館の建物の2階、3階部分からもツリーを見ることができますし、建設中のツリーを見学にも行きましたので、この騒ぎの中での見学は無理と諦めムード。曇りの日は、下からツリーを見上げるにも、雲の中ということがありましたので、雨の日のオープンでは、何もみることができなかったろうと残念に思いました。開館から5日で、100万人を突破したそうですが、地下鉄半蔵門線の中でスカイツリーの買い物袋をもっている人々を大勢見かけましたので、人気のほどを実感します。天気の良い日に、東京ソラマチに行ってみたいと思います。

5月23日、2020年に開催のオリンピックの候補地にむけ、日本の東京がトルコのイスタンブール、スペインのマドリードと共に選ばれました。最終決定は、2013年9月に開催地が決まりますが、いずれの国の開催も見てみたいなという気持ちで一杯です。

ぬりえ美術館のビッグニュースといいますと、「大人のぬりえサロン」が大変人気となっているということです。ぬりえサロンでは、昨年の6月から「デコぬりえ®」というものをしているのですが、このデコぬりえ®のことをNHK Eテレの団塊スタイルやテレビ東京の"「Mプラス」で放映された影響かとおもいますが、ぬりえサロンのお申し込みがとみに増えてきました。 お申し込みの理由をお聞きしますと、「デコぬりえ®」という回答が帰ってきますので、間違いなくデコぬりえ®が人気故のサロン人気となっているようです。
 
デコぬりえ®は立体的な作品の仕上がりと制作しているときのキラキラ、フワフワの素材のときめき感と集中力による気持ち良さが魅力です。作品も素敵な装飾になりますので、是非、皆様も一度「大人のぬりえサロン」でデコぬりえ®に挑戦してみてはいかがでしょうか。(館)

Posted: Nurie : 12年06月09日

3月~5月お美術館便り(合併号)

ぬりえ美術館10周年記念企画
「きいちのぬりえ・きせかえ原画展~鮮やかな色が、今よみがえる~」
24年3月3日(土)~5月27日(日)

ぬりえ美術館では、今年8月に10周年を迎えます。これも偏に皆様方のご支援の賜物と心より御礼申し上げます。これからも皆様方が楽しんでいただける企画をご紹介していきたいとおもっております。

今回10周年を記念して、当館初のぬりえときせかえの原画をご紹介いたします。
きいちのぬりえは昭和22年の開始当時は、原画を描いてそれを印刷していたようですが、その後の印刷技術により、亜鉛版(ジンク版)に直接描くようになりましたので、ぬりえには原画がなくなりました。今回展示いたしますのは、そのぬりえが入っていた袋の表紙絵になります。又きいちのきせかえは、昭和23年から描かれています。今回展示いたします原画は、昭和30年代のものになりますが、今みてもきいちの特徴のひとつである原色が大変鮮やかで、生き生きとした躍動感が伝わる作品ばかりでございます。

1.きいちのぬりえ原画

きいちは毎月2つの版元(今でいうメーカー)に各4袋、合計8袋のぬりえを描いていました。
一袋に10枚、12枚などありますが、紙の取り都合が一番よかったことから8枚入りが長い間続いたようです。そして昭和30年代後半には、5枚入りになっていきます。袋の表紙絵を、きいちは一枚、一枚丁寧に色を塗って完成させています。
「喜一さんの絵はていねいですよね。他の絵描きさんは、絵の具をかいあわせて、ちょっとぬって、「ここがピンク」とか指定してくるだけなの。喜一さんは全部塗って、仕上げてくれるのよ。細かい所までね。」と版元の女将さんが書いています。(草思社「きいちのぬりえ」)

この絵を見たとき、私の好きな速水御舟の「炎舞」を彷彿させる絵だと思いました。日本画の山川秀峰に影響されて日本画を勉強しはじめたきいちにとって、大正14年(1925)に描かれた速水御舟の「炎舞」を見ていても不思議ではなく、ぬりえと炎舞がコラボレーションしている表紙絵と言っていいかもしれません。
2.子どもの遊びがテーマの表紙絵
   
ボウリング、スクーターなど当時の流行の遊びから近所の公園にあるブランコまで、その時の話題に合わせて、自在に絵を描いています。
ボウリングは、古くは1861年(文久元年) 長崎の大浦居留地に初めてのボウリング場がオープンしたと書かれています。その後昭和27年(1952)、日本で始めての本格民間ボウリング場 「東京ボウリングセンター」が、東京・青山に開業し、昭和30年(1955)、現在の全日本ボウリング協会の前身「日本ボウリング連盟」設立されたという歴史がありますので、ボウリング場の開設を見て、子ども向けのボウリングのオモチャが開発されたと思われます。輪投げと一緒に遊ぶ様子が描かれています。
スクーターは、私は見た覚えがないのですが、一緒に描かれているぬいぐるみの形状は昭和30年代のぬいぐるみ、そのものですので、やはり当時に流行していたもとの思われます。私はスクーターよりも、ホッピングという遊び道具を買ってもらい、ジーンズのつなぎを着ながら、跳ねていたのを思い出します。

3.お姫様・舞妓さんのぬりえ
   
きいちの人気のぬりえにお姫様、花嫁さん、舞妓さんがあります。
昭和20年~30年代、まだまだ素敵な服は出回ってはいませんでした。東京のデパートにはあったかもしれませんが、地方のいわゆる田舎には、無かったであろうそれは素敵なお洋服や着物姿をお姫様、花嫁さん、舞妓さんの姿に表現して、描いてくれていました。
今ではインターネットも普及し、世界中と繋がっていますので、世界中の情報が瞬時に入手可能です。パリで開催される「パリコレクション」がすぐにネットの記事として広まり、新しいファッションの流行を知ることができます。
しかし、昭和20年~30年代には、このぬりえに描かれていたものが全て少女たちの身の回りにあったのではありませんでした。それ故に、遠い映画の世界か外国の世界に存在するものを夢みて、少女たちがぬりえを塗っていたということを理解していただきたいと思います。そのことは可愛そうなことではなく、大変楽しかった時間であったのです。
4.相撲の力士のぬりえ

きいちは映画スターやスポーツ選手など肖像画的なぬりえを残しています。原画では、横綱大鵬と柏戸の原画ぬりえが展示されています。
まるで写真でとったような絵の出来栄えに驚かされます。大鵬にそっくりに完成した絵を見ると、きいちは絵が上手い人なのだと、今更ながらに思ってしまいます。
顔もよく似ていますが、体のてかり具合など、生き生きとした相撲取りの様子を描いています。
昭和36年(1961)の流行語に「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉がありました。当時は巨人の長島と王の活躍と、昭和36年に横綱になった大鵬に子どもたちの人気が沸き、子どもの好きなものを挙げたこの言葉が流行語になりました。

5.きせかえ
   
   
きせかえは昭和23年から描かれています。
今回ご紹介しているものは、昭和30年代もものです。
きせかえは、少女を中心にお父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん、おじいさん、おばあさんなど、家族を作って遊ぶものです。
紙ですから着せ替えのお人形を立てることはできませんので、きれいなお菓子の箱を使って、お人形を立てたりしたものです。
着せ替えについている洋服や着物も素敵なものが描かれていますが、付属で隙間に描かれている小物が面白いですし、又小物でその当時の時代がわかってしまうということもあります。そんなこともチェックされると楽しいと思います。
きせかえは一人の主人公にいくつもの服を描いていますので、ぬりえより手数がかかると思いますが、きいちは「ガリバーの気分になって」、喜んで着せ替えを描いていました。
原画が描かれた時代から約50年ほどになりますが、今でもその色彩は鮮やかで、生き生きとしています。ぜひこの機会に原画をご覧になって下さい。(館)

Posted: Nurie : 12年06月09日

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