東京都荒川区町屋 土日曜のみ開館
開館時間:(3月~10月)12:00~18:00 (11月~2月)11:00~17:00

ぬりえ美術館

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7月の美術館便り

今月は、過去に出版された本の中からぬりえに関する記事をご紹介したいと思います。


「色えんぴつの夢」 竹宮恵子 “メリーさん花子さん きいちのぬりえ” 草思社
 駄菓子屋、という言い方は、今でも通用するのであろうか。母は、小学生の私が、駄菓子屋に通うのをひどく嫌った。しかし、徳島の田舎に住まいが変わると、母は、私の駄菓子屋通いに、こごとを言えなくなった。私の親友となった新しい友が、駄菓子屋の娘だったのである。
 五円、十円と硬貨をにぎりしめて、私は友人の小さな店に走った。妹とともに“ぬりえ”を買うために。うす茶色の粗末なひと束の中に、いくにんかの少女達がほほえんでいた。はっきりとは覚えていないが、それらが“きいち”のぬりえであった気がする。“おでかけ着”や“ゆかた姿”の彼女達をいかに華麗に色どるか、妹と競争で配色に苦心したものである。出来上がった作品(!?)を持ち寄ってr、お互いの色のセンスをけなしあい、今度はもっと美しく、と新しいぬり絵の束を買いに、走ったものだ。
クレヨンで色をぬることを、私はいつのまにか卒業していた。限られた種類の色えんぴつで、紙の上の少女達に、変化に富んだドレスを着せねばならない。二つの色を重ねる、外側を濃く内側を薄くぼかして、立体感をつける。ほほの赤味のじょうずなぬり方等々、小さな発見を重ねつつ、自慢の迷作を次々と完成させていった。
私は、次第に可愛らしくポーズをとる少女達に、あきたらなくなった。色をぬるだけでなく、ぬり絵そのものを、自分で描くことを覚えたのだ。私の少女達(あるいは少年達)は、ひとつのポーズにとどまらず、歩き、泣き、笑い、さまざまなセリフまで、しゃべり始めた。平面空間を自在に動かす楽しみは、すでに漫画以外の、なにものでもなかった。
今でも私はふと、自分の作品の主人公達に、色えんぴつで着色してみたくなる。色えんぴつの効果は、よほど紙質の良い雑誌でなければ、きれいに発色してくれない。水彩えのぐや、カラーインクでは出すことのできない色調で、いつか一度、絵が描いてみたいものだ。その時はきっと、幼い日の苦心して発見した技術に、ずいぶんと助けられるであろう。

私と同世代の少女漫画家達の中には、ぬりえからスタートを切った者が多いのではないかと思う。私のもとへ、幼い読者からイラスト(!!)と称する可愛い少女の絵が、たくさん送られてくる。彼らが自分の絵を動かしてみたくなった時、新しい漫画家の卵が誕生するであろう。
私がぬりえを卒業したのは小学校五年の頃と記憶している。(漫画家)


竹宮恵子さんは中学生時代から本格的に漫画を描きはじめ、17歳で漫画家デビュー。 「ファラオの墓」が1974年にヒット。1976年に「風と木の詩」の連載を開始。少年の同性愛を描き、漫画界に衝撃を与えた。2000年に京都精華大学マンガ学部の教授に就任。2014年からは同大学の学長に就任。任期は4年。


きいちのぬりえが漫画家の誕生に影響を与えていたということが分かる記事でした。きいちの後の時代は、ファッションを中心としたぬりえのノートが中心に販売されていた時代で、それらの絵を多くの女性漫画家たちが描いていたようです。

「ぬりえの誘惑」 田辺聖子 “メリーさん花子さん きいちのぬりえ” 草思社
子供のころのぬりえには、ベティさんやミッキーマウスがあった。
それからおたばこ盆に髪をゆった女の子など。戦前のせいか西洋人はなく、日本髪の女の子が多かった。昭和のはじめから十五、六年まで、つまり、昭和3年うまれの私が、女学校へはいるまで、小学生のあいだじゅう、ぬりえに親しんできた。
教育ママの母は、ぬりえなど幼稚で、ちっとも絵の勉強にならないというのだ。
しかし私は、白地の絵をみると、色がぬりたくてむずむずするのだった。きれいな日本髪の少女や、たもとの長い着物を着た少女をみると、どんな色の髪飾りにしようか、とんな色の着物にしようかと、ぬりえを抱えて帰る道すがら、うれしさで気持ちがわくわくするのであった。・・・・・
こういうことを、小学生の私は学校から帰るなり、黙々と机に向かって何時間でもやっていたのだ。洟をすすりながら私は精魂こめて、一心ふらんにぬり埋めていた。ノートの裏表紙などに、ぬりえのつもりではないであろうが、色のない絵がかいてあったりすると、私はすぐさま、ぬりつぶしたくなるのであった。また、ぬりえの線はやわらかく、いかにもぬりたくなる衝動をおこさせ、誘惑するのである。ぬりえに熱中した後遺症というべきか、いまも私は「源氏物語絵巻」の白描の絵などをみても、つい、色えんぴつでぬりうずめたくなってしまうのだ。私の小説はわりに視覚的だと思うのだが、それとぬりえにしたしんだことと関係があるのだろうか。(作家)


田辺聖子さんは、作家で1964年「感傷旅行」で芥川賞受賞、その後恋愛小説やエッセイ、源氏物語などの古典を書かれている。2008年文化勲章授与。


田辺聖子さんでなくても、教科書の挿絵を見ていると、授業中にその絵に色をつけたり、鉛筆で塗っていたことを覚えている方は多いのではないでしょうか。それは人間の本能なのかもしれません。今回はぬりえに関して、二人の方のお話をご紹介しました。(館)

Posted: Nurie : 16年07月02日 | 美術館だより

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