ぬりえ美術館は2022年8月で開館20周年を迎えます。
20周年をもって、今年10月末で閉館いたします。
皆様には、この20周年記念誌制作アンケートにご協力をいただけましたら幸いでございます。よろしくお願いいたします。
令和4年春の企画展
「ありがとう きいち 春」~きいちの春は花のいろ~
蔦谷喜一が晩年に描いた童女画の絹本を展示しております。
期間:2022年3月5日(土)~5月29日(日)
今年の春の企画展では、喜一の晩年の童女画を展示しています。
ぬりえ美術館は、8月で開館20周年を迎えます。
20周年をもちまして、本年10月末に閉館いたします。
臨時休館によりご来館を予定されていた皆さまにはご迷惑をおかけいたしましたが、19日(土)より開館をいたします。
2月までの開館時間は、11時~5時(最終入館4時半)ですが、3月より夏時間となり、12時~6時(最終入館5時半)になります。
オミクロン株の感染は続いておりますので、皆様方には体調に充分気を付けられてお過ごしください。
ぬりえのあれ、これ No.6
2022年は、ぬりえの出版物の中からぬりえに関する「あれ、これ」をご紹介いたします。
ぬりえで育った人
《色えんぴつの夢 竹宮恵子
駄菓子屋、という言い方は、今でも通用するのであろうか。・・・・
五円、十円と硬貨をにぎりしめて、私は友人の小さな店に走った。妹とともに”ぬりえ”を買うために。うす茶色の粗末なひと束の紙の中に、幾人かの少女達がほほえんでいた。
はっきりとは覚えていないが、それらが”きいち”のぬりえであった気がする。”お出かけ着”や”ゆかた姿”の彼女たちをいかに華麗に色どるか、妹と競争で配色に苦心したものである。
・・・・クレヨンで色をぬることを、私はいつのまにか卒業していた。限られた種類の色えんぴつで、紙の上の少女達に、変化にとんだドレスを着せねばならない。二つの色を重ねる、外側を濃く内側を薄くぼかして、立体感をつける、ほほの赤味のじょうずなぬり方等など、ちいさいな発見を重ねつつ、自慢の迷作を次々と完成させていった。
私は、次第に可愛らしくポーズをとる少女達に、あきたらなくなった。色をぬるだけでなく、ぬり絵そのものを、自分で描くことを覚えたのだ。私の少女達(あるいは少年達)は、
ひとつのポーズにとどまらず、歩き、泣き、笑い、さまざまなセリフまで、しゃべり始めた。平面空間を自在に動かす楽しみは、すでに漫画以外の、なにものでもなかった。
6月は梅雨の時期で、湿気も多くなり体のほうにも悪い影響を与えがちです。しっかり食べて、十分な睡眠と水分もとり、湿気にも負けないように過ごしたいものですね。
ぬりえのこころ -今月の一枚-
館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、その時々の季節のものやテーマを設けて月毎に展示しています。このコーナーでは、月替わりのエントランスのぬりえから1枚を選んでご紹介します。
タイトル:あめがふるからおうちで
作 者:きいち
年 代:昭和30年代
6月のエントランスは、「雨でも楽しく」をテーマにぬりえを展示しています。
梅雨の時期がやってくると、しとしとと雨が降って外に出たいけれど、外で遊ぶことができなくなり、仕方なく家の中で過ごすことになります。
ぬりえの中の女の子は本を読んでいますが、女の子なら“ぬりえ”をした、という方が多いのではないでしょうか。
まず1番にぬりえ、2番はお人形遊び、3番にはおはじき、あやとり、お手玉等があげられるでしょう。
ぬりえは北海道で一番売れた、ときいちから聞いています。東北から北海道の雪の多い地区では、雪の時間が長いので、家の中でできるぬりえが一番人気となっていたのだと思います。雪でなく雨でもやはり家の中の遊びでは、ぬりえが夢中になる遊びだったことでしょう。
ぬりえのあれ、これ No.5
2022年は、ぬりえの出版物の中からぬりえに関する「あれ、これ」をご紹介いたします。
ぬりえで育った人
《ぬりえの誘惑 田辺聖子》
子どものころのぬりえには、ベティさんやミッキーマウスがあった。
それからおたばこ盆に髪を結った女の子など。戦前のせいか西洋人はなく、日本髪の女の子が多かった。昭和のはじめから十五、六年まで、つまり、昭和三年うまれの私が女学校へはいるまで、小学生のあいだじゅう、ぬりえに親しんできた。
教育ママの母は、ぬりえなど幼稚で、ちっとも絵の勉強にならないというのだ。
しかし私は、白地の絵をみると、色がぬりたくてむずむずするのだった。きれいな日本髪の少女や、たもとの長い着物を着た少女をみると、どんな色の髪飾りにしようか、どんな色の着物にしようかと、ぬりえを抱えて帰る道すがら、うれしさで気持ちがわくわくするのであった。
小さいうちはクレヨンであったが、小学校高学年になると色鉛筆を使い出した。こまかい部分までぬれるからであった。だんだん技術も高尚になってきて、着物の柄など、肩から裾にかけてぼかしを用いて、色を変えたりする。
途中省略
ゴールデンウィークで、三年ぶりに行楽地が賑わっているようです。私達日本人はマスクに慣れているとはいえ、早くマスク無しの生活に戻りたいものです。皐月の爽やかな季節を充分にお楽しみください。
ぬりえのこころ -今月の一枚-
館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、その時々の季節のものやテーマを設けて月毎に展示しています。このコーナーでは、月替わりのエントランスのぬりえから1枚を選んでご紹介します。
タイトル:おねえさんのこんれい
作 者:きいち
年 代:昭和20年代
5月のエントランスは、「パーマとリボンは可愛い印」をテーマに展示しています。
昭和20~30年代には、子どもがパーマネントをかけるということは、殆どされていませんでした。それでも子どもたちは可愛らしくするために、二股になったコテを火にかけて熱くして、髪にはさんでクルクルと巻いて、髪にウェーブを付けたりしていました。
今考えると、耳の部分が熱くなって、「動いては、ダメ!」と言われ、少し怖かったことを思い出します。
ぬりえあれ、これ No.4
2022年は、ぬりえの出版物の中からぬりえに関する「あれ、これ」をご紹介いたします。
図画の用具についても検討し、ぬりえの流行を探ってみたい。
大正六年(1917)頃からクレヨンが輸入され始め、更に大正十年(1921)に国産クレヨンが登場し、たちまち流行した。自由画とクレヨンがセットになった形でさらに広まることになった。
用具がないとぬりえも自由にはできない。ぬりえをするのは子どもであるから、自由にぬりやすいクレヨンがぬりえの流行に一役かったことが容易に理解できる。
その後、明治後期いなってはがきの絵に色を塗って送ると、賞金や賞品がもらえることが流行し、ぬりえの普及に貢献し、大正時代にはぬりえ帳が現れた。