ぬりえ美術館屋

東京都荒川区町屋

ぬりえ美術館

トピックス

GW中の開館日のご案内 (19/04/27)

GW中も開館日は、土曜日、日曜日のみですので、4月27日(土)、28日(日)、5月4日(土)並びに5日(日)の開館となります。ご来館おまちしています。

春の企画展のご案内 (19/02/23)

きいち生誕105年 蔦谷喜一の生誕105年をお祝いします。
「みんなのそしてわたしのきいちのぬりえ」と題しまして、春の企画展を開催いたします。
開催期間:3月2日~5月26日まで
ご来館お待ちしています。

2月18日(月)はきいち生誕105年の日 (19/02/18)

1914年(大正三年)二月十八日、きいちは東京、京橋区に生まれました。きいちの生誕105年をお祝いしましょう。きいちの生誕105年を記念いたしまして、春の記念企画展を3月~5月まで開催いたします。ご来館お待ちしています。

新着情報

7月の美術館ニュース(2)

きいち千夜一夜 No.7

今年はきいちの生誕105年に当たります。
これにちなみまして、「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介していきたいと思います。


子供がひとつの遊びに夢中になれすぎれば、それを親が禁じたり批判したりするというのは世の常で、「きいちのぬりえ」にも、こうした事態は当然訪れた。大人は、”ただ線をなぞって色を付けるだけの作業でしかないぬりえは、子供の成長になんの役にも立たない”と批判。まして、駄菓子屋で売っているぬりえなど、問題外だった。


「でも、どうしてもぬりえブームが衰えなかったものだから、それならばと日本の画壇でも著名な人にぬりえを描かせ、教育ぬりえとして発売した出版社もあありました。が、これはもののみごとにはずれ。ぜんぜん売れなかったみたいですよ」
混沌としてざわめき立つばかりで、ゆとりのない時代。多くの大人たちはみな一定の方向を見て生きることに夢中で、子供たちがどんなに伸びやかにぬりえを楽しんでいたかなど、そんなことは知る由もなかったのである。


踊りにお茶にお花に三味線、稼いだお金は全部お稽古事に遣っちゃった。だって、発表会や」なんだかんだで。お金なんていくらあってもたりるもんじゃない。

つづき 
Nurie : 19年07月07日 | 美術館ニュース

7月の美術館ニュース(1)

ぬりえのこころ -今月の一枚-
館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、その時々の季節のものや  テーマを設けて月毎に展示しています。こ
のコーナーでは、月替わりのエントランスのぬりえから1枚を選んでご紹介します。
   

    
タイトル:レイをかけて
作  者:きいち
年  代:昭和30年

7月のエントランスは、「おしゃれな服で」をテーマにしたぬりえを展示しています。

レイをかけた様子は当時でも珍しいと思いますが、他にも「ハワイの子」、というぬりえを描いていますので、昭和30年代にもハワイは憧れの地であったと思われます。
「憧れのハワイ航路」は昭和23年に岡晴夫によって歌われた歌ですが、ハワイ航路は横浜~ホノルル~サンフランシスコに行く航路で、戦前は日本郵船の花形航路であったそうです。まだまだ飛行機で行く時代ではなく、船旅だったのですね。
その歌に歌われたハワイが、ずっと日本人にとって憧れの観光地として続いているのだと思います。フランスやパリが文学や芸術の憧れの地であるように。

つづき 
Nurie : 19年07月07日 | 美術館ニュース

7月の美術館便り

今年も早半年が過ぎました。まだ梅雨の雨模様の日が続いていますが、もうすぐ夏がやってきます。今年の後半も元気に過ごしていきたいものです。


今月は、今年6月6日に91歳で亡くなられた小説家の田辺聖子さんが、ぬりえの魅力について書かれた記事がございますので、この記事をご紹介したいと思います。


「ぬりえの誘惑」 田辺聖子

子供の頃のぬりえには、ベティさんやミッキーマウスがあった。
それからおたばこ盆に髪を結った女の子など。戦前のせいか西洋人はなく、日本髪の女の子が多かった。昭和のはじめから十五、六年まで、つまり、昭和三年生まれの私が、女学校へはいるまで、小学生のあいだじゅう、ぬりえに親しんできた。
教育ママの母は、ぬりえなど幼稚で、ちっとも絵の勉強にならないというのだ。
しかし私は、白地の絵をみると、色がぬりたくてむずむずするのだった。きれいな日本髪の少女や、たもとの長い着物を着た少女をみると、どんな色の髪飾りにしようか、どんな色の着物にしようかと、ぬりえを抱えて帰る道すがら、うれしさで気持ちがわくわくするのであった。


小さいうちはクレヨンであったが、小学校高学年になると色鉛筆を使い出した。こまかい部分までぬれるからであった。だんだん技術も高尚になってきて、着物の柄など、肩から裾にかけてぼかしを用いて、色を変えたりする。
また、ほっぺたには桃色の色鉛筆を塗るが、きれいにぼかして桜色の頬にしたり、目の上にも桃色を塗ったりした。いまのアイシャドウは、ブルーか茶かグリーンであるが、日本古来の化粧法では、頬紅を眼の上へうすく刷くのであった。私は子供なりに絵の女の子にも化粧をさせているのである。
さらに、赤鉛筆を小刀でけずってその粉を散らせ、薄紙や脱脂綿でぼかすという技術まで考え出した。まるでしぼりの着物のようになった。

つづき 
Nurie : 19年07月07日 | 美術館だより