« 5000人目の来館者を迎えました。 | メイン | 3月27日(月)NHK乙女屋雑貨店放送のご案内 »

3月美術館便り(4月、5月合併号)

18年3月の企画展「昭和のぬりえ展」 ~昭和10年代から昭和30年代~
平成18年3月4日(土)~5月28日(日)

平成18年3月の企画展では、きいちのぬりえを通して昭和のぬりえをご紹介いたします。
戦後61年、時代は平成となりました、戦前とか戦後という言葉も、だんだん聞かれなくなりつつあります。遠い昔のように感じますが、これらの時代のぬりえを見てみますと、レトロなイメージではありますが、同時に新鮮さを感じます。
そして、このぬりえの中に、今大人気のアニメやマンガの原点があったことをご紹介していきたいと思います。

【昭和10年代】
戦前の日本の生活は、大正デモクラシーの自由な雰囲気の影響で、昭和初期には文化住宅が誕生したり、ハイカラな洋食を食べたり、生活も西洋化が進み、デパートや遊園地、動物園、映画館などの様々な娯楽施設が誕生しました。
芸術の世界でも、西欧の文化や芸術運動から刺激を受けた多くの作家や画家、知識人たちが子供たちのために詩、絵本、雑誌などを生みだしました。
戦後の合言葉に「昭和8年に戻ろう」という言葉があったそうですが、昭和8年は、戦前の大消費の時代だったのです。戦争がしのびよる時代ではありましたが、昭和10年代というのは、消費の時代であり、読み物やラジオ番組など、最も豊富で面白かった時代であったようです。
   
【昭和10年代のフジヲのぬりえ】この頃は、夏目漱石の虞美人草の主人公の名前からとった「フジヲ」というペンネームで描いていました。
フジヲ時代のぬりえには、自分が勉強した日本画の影響が色濃く出ています。特に役者絵のような女性を描いたぬりえに美人画の影響が見て取れます。特に着物の模様の描き方、桜や鹿の子絞りなどの文様のひとつ、ひとつが日本画で描く描き方で描いています。ぶれる事のない線で、丁寧に細かく描かれた絵は、ぬりえとは思えない美しさであり、気品のある絵に仕上がっています。

洋風の絵は、足が太く、ぱっちりとした目のきいちのぬりえの特徴が、既に現われています。髪はパーマネントのクリクリしたヘアで、どの少女も、大変豪華なドレス姿で、エレガントに描かれています。
ぬりえに描かれたものは、歌舞伎の役者絵風、童話、お人形遊びやままごとなどの子供の遊びなど、その後のきいちのぬりえに続く絵が描かれています。これは、青少年時代から恵まれた育ったきいちならではの豊かさが絵に表れていると思われます。
和風と洋風と全く違う画風であることにご注目ください。
きいちは美人画家か挿絵画家になりたかったようですが、アルバイトでぬりえを始め、歌舞伎絵風のぬりえで人気となりました。日本画風の繊細で、丁寧に描かれた絵にきいちの良さが一番表れていて、魅力になったと思われます。
フジヲで人気となりましたが、戦争が激しくなり、本人も召集され、ぬりえどころではなくなり、フジヲ時代は、僅か3年ほどで終わることになります。

この時代の他の作家のぬりえには、フジヲと同じように歌舞伎の役者絵風なものやすずめ、兎、象の等を擬人化したぬりえが数多く描かれています。また洋風なものでは、和製ベティーさんのぬりえが非常に多く描かれています。ベティーさんは、洋風、和風(着物姿)の両方に描かれています。

きいちはベティさんを描いてはいないようですが、シャリー・テンプルのヘアスタイルは、ぬりえの少女の憧れのパーマネントヘアとして、描かれることになります。きいちもぬりえを描く際に、「シャリー・テンプルが頭にあった」とインタビューで語っています。


【昭和20年代】
昭和は、10年ごとに変わるといわれますが、20年代は戦争に負けて、灰燼からの出発を余儀なくされ、日本全体が貧しく、戦勝国のアメリカに追いつき、追い越せと復興に向け努力をしていた時代です。
今までの価値観が180度変わり、アメリカ文化がどっと入ってくることになります。

   


【昭和20年代のきいちのぬりえ】
戦後昭和21年からキイチの名前で自費出版することからきいちのぬりえが始まります。
自費出版、共同経営時代をへて、「きいちのぬりえ」が人気となっていきます。
きいちは、昭和20年に駐留していた米兵の奥さんや恋人の写真を肖像画にするという仕事を1年ほどしていました。その影響が少なからずきいちのぬりえには見られ、日本の女の子なのに、外国人の女の子のような外国の雰囲気が絵の中から感じられます。


この頃のぬりえには、非常に上品で、お淑やかな、少女が描かれています。描かれたものは外国の童話、四季を描いたもの、お人形遊びなどです。
戦争が終わって、自由に遊ぶことができるようになったとはいえ、日本はまだ貧しく、物のない時代でしたので、きいちのぬりえに描かれた世界は、自分の生活とは遠くはなれた別世界だったことだと思います。
ぬりえは5円から10円でしたが、それでも買えないという少女たちが沢山いたということも忘れてはなりません。その少女は、文房具店のガラス越しに、きいちのぬりえの袋を眺めてさらに夢を描いていたことでしょう。
貧しくて、物がなかった時代に、少女たちに夢と芸術の世界をみせてあげたぬりえでした。


【昭和30年代】
「もはや戦後ではない」と昭和31年の経済白書で言われ流行語になったが、復興期が終了して、高度成長へ入っていった時代です。
洗濯機、冷蔵庫、テレビが家庭における三種の神器といわれ、普及していき、生活革新が進みました。インスタント・ラーメン誕生し、新幹線が開通し、高速道路が開始して、次、次に新しいものがでてきたこの高度成長期の10年で、社会は大きく様変わりすることになりました。30年の東京オリンピックの開催は、復興を成し遂げた日本人の証を表す夢の祭典でしたが、この10年を象徴しているようです。

   
【昭和30年代のきいちのぬりえ】きいちのぬりえは、ベビーブームもあり、ますます人気となっていきます。大きな目に、太い足は変わりませんが、20年代より目がまん丸でパッチリとして、愛らしい顔になっていきます。
当時の少女のなりたいものは、花嫁さんでした。花嫁姿を一番人気に、お姫様、舞妓さんなど自分たちとは別世界の美しいぬりえが沢山描かれています。
少女の日常生活を描いたぬりえでは、流行の遊びはもちろん、普段子供たちがしている遊びや生活風景を様々な角度から捉えてぬりえにしています。そのような普段生活、風俗を描いたぬりえでも、自分の生活では着られないような素敵なファッションが描かれています。                            
当時のぬりえは袋に入れられて売られていましたが、一袋に、8枚から、ぬりえが終わる昭和40年頃は5枚入りになっていました。この袋の絵の色彩が原色を使いながら、けばけばしくなく、明るい元気さに溢れています。
この色使いにも、昭和30年代が表れています。


袋の書かれた「ぬりえ」という文字は、表紙のために毎回描いているものです。そのため、袋の絵によって、その文字は相応しい場所に描かれています。例えば、おままごとの袋のぬりえの「え」の字は、女の子のリボンの後ろに隠れています。
このような変化も、肉筆で描いていたぬりえの魅力のひとつではないでしょうか。


ぬりえは明治時代の翻訳教科書の絵をなぞっていたところから、発生してきますが、爆発的な人気を誇り、ぬりえ作家として残っているのは、きいちを置いて他にありません。
線で描かれたぬりえの中に、日本の伝統的テクニックを駆使しつつも、単純化した線でシンボリックに少女や風俗を明快に表現しています。
ここがポップといわれ、マンガ、アニメを刺激し影響したポイントではないかと思います。

さらに、きいちのぬりえの少女の可愛さは、戦後の日本の少女の理想像を描いていると考えられますが、今や「かわいい」という言葉が日本だけでなく、世界的に好まれるような時代になっています。「かわいい」が「KAWAII」として日本語で通じるようになっている時、まさにその原点はきいちのぬりえです。
世界の「KAWAII」の発祥は、きいちのぬりえではないでしょうか?
永遠のカワイイ!! きいちのぬりえ

投稿者:Nurie |投稿日:06/03/19 (日)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
/812

コメント

コメントしてください



(アドレスは非公開です)


今後の投稿のためにアドレスなどを保存しますか?

(書式を変更するような一部のHTMLタグを使うことができます)