ぬりえぬりえのあれ、これ No.7
2022年は、ぬりえの出版物の中からぬりえに関する「あれ、これ」をご紹介いたします。
きいちはフジヲだった
昭和15年(1940年)、26際のときに、ぬりえとの出会いが突然の如く現れた。
川端画学校時代の友人が、訪ねてきて、ぬりえの仕事をもってきてくれたのである。
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当時、ぬりえへの印象は、夜店でみた裸電球の下で照らされている白い紙のイメージで、何となく乗り気でなく「自分の絵がそんなぬりえ程度と見くびられた」のかと思ったが、浅草田原町のぬりえ屋の注文で描いてみると意外に楽しい、ということが分かり、加えてぬりえ屋の社長が気に入ってくれたので、描く気になったのである。
当時から歌舞伎は好きで、姉や妹とよく観劇に行ったもので、その経験から歌舞伎をテーマにぬりえを描いてみたが、これが評判よく、多分華やかな感じと歌舞伎の役者絵のように精巧に描いているのが受け入れられたと思うが、そのまま専属の絵描きのようになってしまい、
フジヲという名前でデビューしたのであった。
夏目漱石に「虞美人草」という小説がある。これは夏目漱石の最初の新聞小説で、明治40年(1907)に朝日新聞に掲載され、虚栄の女藤尾を中心に利己と道義の相克を描いて、絢爛たる文体と整然たる構成をもって世評が高かったのである。
きいちは主人公藤尾に、新しい時代感覚としてのインテリ性をみつけ、それに憧れてフジヲとしたのであった。
~小学館スクウェア 「ぬりえ文化」より~
「あかいいやりんぐ」
きいち
昭和30年代
女の子は、アクセサリーが大好きです。駄菓子屋さんに指輪や時計など、アクセサアリーを買うことができる箱がありました。一つの箱の中を開けると、中に入っているアクセサリーを買うことができました。何が出てくるのか、とても楽しみでした。
赤いイヤリング、名前を聞くだけで胸がドキドキするようです。
ぬりえ美術館展示情報
壁面には、きいち晩年の作品の絹本を展示しています。什器の中には4つのテーマのぬりえが展示されています。
展示室のご案内
☆6月~7月は常設展示となりますが、絹本の絵は引き続きご覧になれます。
☆館内のぬりえコーナーは、コロナ感染防止のためにしばらくお休みをしています。ご了承のほどお願いいたします。
Posted: Nurie : 22年07月18日 |