《きいち千夜一夜 No.26》
2021年も引き続き「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介をしてまいります。
【きいちのブーム再び②】
長谷川の手元にある程度作品が集まってみると、今度はぬりえを描いている喜一本人に会ってみたくなった。今でも絵を描いていいるとすれば、喜一をアーティストとして、広告に起用することも可能に思えたからだ。しかし、山海堂や石川松声堂と言った発売元はとうにぬりえからは手をひいてしまっていて、きいちの行方はようとしてしれない。交流のあった人間を辿り、喜一の家を突き止めるまでには、かなりの時間を要した。
昭和四十七年、同僚の喜一ファンとともに長谷川が最初に喜一宅を訪ねた時、彼は埼玉県、上福岡市の小さな借家に住んでいた。表札のそばに花柳流の看板がかけられていたのが印象深かった。突然訪ねて来た長谷川たちに、喜一は"今は日本画家として肖像画などを描いている"というと、長谷川が思い描いていたイメージからはかけ離れた、老人の肖像画を見せた。ある会社からの依頼で、社長の肖像画を描いているということだった。
その時の様子を喜一はこう回想する。
「突然電話がかかってきて、これから絵を見に行っていいかってことでしたよ。訪ねてきたのは確か、女性が一人に、男性が三人くらいでしたね。女性のファンならわかりますけどね、男性が多くてね、ちょっと驚きました。それに、いい大人が私の絵を見るたびに歓声を上げるんです。なんだか不思議な気がしましてね。子供ならわかるけど、大人がなぜこんなに喜ぶんだろうって」
これを機に長谷川は、忘れ去られようとしていた喜一の存在を世の中にアピールしようと動き始める。喜一の絵を起用してもらうために出版社に働きかけたり、知り合いに取材を頼んだり、イベントを仕掛けたり、この効果はやがて多方面に波及し、喜一の存在は改めて認識されるようになる。昭和五十三年の資生堂ザ・ギンザホールでのぬりえ展や当時若者に人気だった雑誌<ビックリ・ハウス>を主催のアート展に、常連アーティストに混じって、喜一も数々の作品を発表した。
参考図書「私のきいち」小学館
■今月のエントランス
タイトル:すずがなる
作 者:きいち
年 代:昭和20年代
可愛いダンスにはタンバリンが合います。リンリンと鈴が鳴って、いっそうダンスが楽しくなります。
■ぬりえ美術館マスコミ情報
☆テレビ朝日の「じゅん散歩」で高田純次さんがぬりえ美術館を訪問されました。
■展示室のご案内
☆春の企画展「春はあけぼの」を展示いたします。蔦谷喜一が晩年に描いた童女画の絹本を展示いたします。
☆館内のぬりえコーナーは、コロナ感染防止のためにしばらくお休みをしています。ご了承のほどお願いいたします。