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ぬりえ美術館便り8月~10月合併号

お蔭さまで、ぬりえ美術館は開館9周年を迎えることができました。これも偏にきいちのぬりえを愛してくださる皆様のご支援の賜物です。来年の10周年に向かって、これからも楽しんでいただける企画を展開してまいります。

「少女の憧れ、夢。ぬりえがすべてだった展」
23年月8日6日(土)~10月30日(日)

今年の春の企画展では、「きいちのモード」と題しまして、さまざまな少女の憧れの中の最大のものとして、きいちが描いたお洒落なモードの世界をご紹介いたしました。
このモードに限らず、きいちのぬりえに描かれたものは、少女の様々な憧れと夢が一杯でした。
戦後アメリカからアメリカ文化が急速に普及し、アメリカに追いつき、追い越せと経済的な発展を拡大させ、日本の復興がなされていきました。貧しい中にも、文化的には従来の生活を一遍させるような情報がもたらされ、少女達の憧れや夢は膨らんでいきました。
少女達の憧れや夢を、ぬりえの中に具体的に描いていったきいちのぬりえ。昭和20~30年代の少女にとって、「ぬりえがすべてだった」と言っても過言ではないでしょう。
 
夢がなくなったと言われる現代、この絵に描かれたものがすべてある現代ですが、きいちの絵の中に、あの頃の胸がワクワクするようなときめきと目の輝きを感じていただければ幸いです。

お姫様と花嫁さん
   

昭和20~30年代の少女の将来成りたいものといえば、花嫁さんでした。
綺麗な着物やドレス姿で、女性の一番美しい姿であったからだと思います。

昔は花嫁さんは自宅から嫁いでいったものです。小さい子ども達は、綺麗な花嫁さんの行列の後をついていったりしたものでした。その美しい姿に、すっかり心を奪われ、私も花嫁さんになりたいと思ったことでしょう。
今では花嫁さんの衣装は、ウェディング・ドレスが多いようですが、昭和の20~30年代は、現在のような打掛(うちかけ)の花嫁姿は裕福な家庭の子女にかぎられ、一般には黒縮緬の裾模様で、袖も留袖か中振が着用されていました。
その後打掛や白無垢などが流行となり、一般家庭の子女でも着られるようになりましたが、今ではすっかりウェディング・ドレスが主流となり、結婚式も欧米のようにジューン・ブライドの6月が望まれるようになっています。きいちのぬりえには、着物姿だけでなく、ウェディング・ドレスの花嫁さんも描かれています。流行の最先端だったのですね。
今また流行し始めている、着物に日本髪ではなく洋風のヘアスタイルにするスタイルは、「洋髪の花嫁さん」と呼ばれたそうですが、そのような花嫁さんも描いていました。昔の流行がまた蘇っていることも面白いものですね。
   
長いスカートのドレスなど、当時の日本で身に付けている人は、映画の中の主人公くらいでしたので、誰でも一度は着てみたいなと思ったことと思います。
そのロング・スカートの一番の似合う人といえば、童話や絵本にでてくるお姫様でした。白雪姫、シンデレラ姫等など、素敵なドレス姿に目は絵本に釘付けでした。


豪華な着物
   

きいちの着物は、豪華さの理由でとりわけ人気です。昭和20~30年代には、子ども達も浴衣や寝巻きなどを始め、着物を現在よりも日常的に着ていた時代でした。
当時の子ども達は着物を着慣れていたとはいえ、それでもぬりえの中の少女達が着ている着物姿には、うっとりとしていたものでした。
きれいな着物姿の代表として、豪華な飾りや着物の柄粋も大振り舞妓さんや踊りの舞台衣装などがよくきいちのぬりえには描かれています。
アクセサリーをはじめ、飾りがたくさんついていればいるほど人気となり、それらのぬりえが飛ぶように売れたそうですから、少女達が喜ぶような絵を喜んできいちは描いたことでしょう。

お人形と遊び
   
少女なら誰でも、お人形が好きでしょう。お人形も昭和20~30年代の間に随分と進化をしました。
"文化人形"という丸い帽子を被った布製のお人形から、セルロイドのお人形が出てきました。その後は、
"ミルク飲み人形"、"カール人形"とソフトビニール製のお"人形になり、
ミルクを飲んだり、人形の髪をいろいろととかしたり形を変えたりすることができる人形などになりました。 ぬりえには、「歩くお人形」とタイトルがありますが、歩く人形まで誕生していたのですね。
バービー人形は1962年に発売されました。バービーは今も大変な人気を誇るお人形ですが、発売当初はあまりにもその体型や顔から、人気がなかったそうです。あまりにも大人すぎた人形の顔立ちだったのでしょうね。日本人は、「可愛い」というのがお好みですね。バービーに変って、リカちゃん人形がでてきました。 
皆さまの思い出のお人形はどれでしょうか。

トラベル
   

旅行というのは、非日常の世界への特別なイベントですね。
家族で旅行をする等、なかなか当時はできませんでした。子ども達は、学校の遠足で学校の近隣にでかけるだけでも、大変楽しいできごとでした。
夏休みには林間学校や臨海学校が開かれ、そこに参加することも楽しみでした。誰が一番真っ黒になって、学校に戻ってくるかを競ったものでした。
今では修学旅行や家族旅行も海外までも行かれるようになりました。本当に幸せなことですね。

憧れのお稽古
   

昭和20~30年代、団塊世代が子どもの頃、お稽古事が流行しました。特に音楽のお稽古でした。ピアノ、バイオリン、バレーなどです。
伝統的な日本のお稽古事ではなく、洋風のお稽古事を習う子ども達が多くなりました。
バレーは松島トモ子さんが映画や雑誌でバレリーナの姿を見せていましたので、少女達にはトーシューズへの憧れが膨らんでいました。
私の育った埼玉の田舎でも、幼稚園でバレーを教えるようになり、1年生の頃に通った覚えがあります。
ピアノを習った方も多いのではないでしょうか。
小さい頃にお稽古を始めるのはいいことですね。

これらのテーマのほかにも、「食べ物、おやつ」、「お洒落な暮らしの風景」、「楽しい行事」など、少女達の好きなもの、憧れていたものが様々に描かれています。
どうしてきいちがこのような子ども達が好きなものが描けたのか、きいちは下記のように話をしています。
「ぬりえをやってみたら、らくな道だった。子どもと一緒に遊んでいるような気持ちでいられた。気張らなくてもすんだ。私はそこで、うんと日本画を勉強して、切磋琢磨して、将来は・・・と、構えることも無く、素直な心に返ることがきできた。少年の頃、妹達や、妹の友達のために絵を描いてあげてた気持ちになれた。子ども達の喜びそうな絵を思いながら描いた。
お姫さま、お嫁さん、下町の女の子、ままごと、おとぎの世界・・・・。私は子どもの世界に入り込んでいた。」
きいち自身が、子どもになって、子どもの世界に飛ぶ、これだから20年間も少女の好きな世界を表現することができたのだと思います。
きいちのぬりえによって、少女達も「これが私の好きな物、これが私の憧れのもの」というものを、はっきり自覚することができたのかもしれません。
 
あの頃は、ぬりえがすべてだったのです。

投稿者:Nurie |投稿日:11/08/03 (水)

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