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3月~5月 ぬりえ美術館便り合併号(2)

テレビ時代
テレビが始まってもテレビを購入できる家はまだまだ数すくなく、街頭テレビのあとは、
テレビを持っている人の家に行って、テレビを見せてもらう時代が次に来ました。私は町の電気屋さんがテレビを購入して、その家がたまたま同級生ということがあり、その電気屋さんの居間におかれたテレビを見た経験があります。子どもから大人まで、座敷一杯になるほど人が集まっていた記憶があります。大変テレビが貴重な時代でした。
その番組といえば、子ども番組としては海外のテレビドラマシリーズやNHKの子供向け番組があげられます。今回は、NHKの「チロリン村とくるみの木」「まほうのじゅうたん」「ハリマオ」「スーパーマン」などのぬりえを展示しています。

『チロリン村とくるみの木』は、NHKで1956(昭和31)年4月16日から1964年(昭和39)4月3日まで放送されていた人形劇作品で、1963(昭和38)年4月1日放送の第558回よりカラー放送。

タマネギのトンペイやピーナッツのピー子、くるみのクル子など、主人公が野菜や果物たちというユニークな設定で人気を集めた人形劇です。素朴なヤサイ族と都会的なクダモノ族という対比に、憎めない悪役の熊やいたちを絡ませ、チロリン村の村作りを楽しく描いた作品でした。
キャスト(声の出演者)は、黒柳徹子(ピーナッツのピー子)、横山道代(タマネギのトン平)、一龍齋貞鳳(イタチのプー助)、熊倉一雄(クルミのがんこじいさん)、藤村有弘(オンマのホワイト)、若水八重子(りんごのおはなちゃん…くるみ家の女中)等。

「魔法のじゅうたん」は、同じくNHKで1961(昭和36)年4月~1963年10月放送まで放送された番組でした。アニメーションや、当時の最新特撮技術であったクロマキーを駆使した映像で子供たちに大きな夢を与えた番組。
アラビア風の衣装を着けた黒柳徹子と、ターバンをかぶってガウンを羽織った小学生2人が、魔法のじゅうたんに乗ると、場面は人形アニメーションに切り替わり、じゅうたんがNHKの屋上から飛び立って東京の市街を飛行する場面になりました。
空とぶじゅうたんというとアラビアのイメージがあるので、そのアラビア風の衣装の黒柳徹子さんが子ども達と一緒に空を飛んでいくというところが面白い番組でした。

「アベック歌合戦」「♪あなたのお名前なんてえの」
この番組も人気でしたが、ぬりえにまで描かれていました。
「アベック歌合戦」を、1966(昭和41年)年によみうりテレビがテレビ化して日本テレビ系全国ネットで放映されました。
出場者がリズムに乗って舞台に出て、司会のトニー・谷が「♪あなたのお名前なんてえの」と出場者に聞き、出場者はリズムに乗って答える、というスタイルの番組でした。トニー・谷はソロバンをはじきながらの話術が芸であったが、そろばんの代わりに拍子木を両手に持ってリズムを刻んでいたものです。

美智子様のぬりえ
昭和34年(1959年)のご成婚に日本中が沸きました。ぬりえにも美智子様のぬりえというものが誕生をしていたのですね。
ミッチーブームといわれ、白いカチューシャや襟巻きが流行をしました。大人の世界でさえ、流行を巻き起こしたのですから、子どもの世界にぬりえがあっても不思議ではないと思います。テニスコートの美智子様やご成婚時の正装のお姿などが描かれていました。

風俗
きいちのぬりえは毎月2社から各4袋、合計8袋新発売されていました。毎月、その時代やその月に相応しいぬりえを描いていました。昭和の風俗もぬりえの中に描かれることになります。
日常的な生活にまつわるものは絵の題材としては取り上げられないことが多いかとおもいますが、ぬりえのことですから日常的なものが数多く残っています。
銭湯、美容院(パーマ屋さん)、流行のペット類など、その時の様子が分かります。
  
お風呂屋さんの脱衣籠やパーマ屋さんのドライヤーのお釜(大きなお釜のようなドライヤーの中に頭をいれて、髪を乾かすもの)などが描かれています。
現在もペットブームで変わった種類の犬や猫などが飼われていますが、昭和30年代を代表するペットといえば、白い毛並みの「スピッツ」でした。その他に、インコやカナリヤなどの小鳥も人気でした。

電化製品など
1950年代後半、「白黒テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」の家電3品目が『三種の神器』として喧伝されました。
これら3品目の家電は、努力すれば手が届く夢の商品であり、新しい生活の象徴だったのです。テレビ本放送開始は1953年で、それ以前は電気釜(炊飯器)、あるいは掃除機が代わりに入っていたこともあるそうです。
これらのうち最も早く普及したのは白黒テレビで、逆に一番遅かったのは冷蔵庫だったそうです。田舎の家には、冷蔵庫の前の時代には、氷をいれて冷やす冷蔵庫があったものです。
高度成長時代にはいり、様々な電気製品が普及していきました。ステレオ、8ミリカメラ、公衆電話など、当時の製品がぬりえに描かれています。
    
昭和の30年代が"こころの原風景"としてよく取り上げられますが、現代は直接的な触合い少なくなっているために、時に問題が起きているので、触合いが多く会った昭和30年代が懐かしく思われるからではないかと思います。
電化製品が増えて便利になった分だけ、体が退化し、こころも退化しているのではないでしょうか?
メールがない時代には、手書きの手紙をだしました。その人の筆跡からその人となり、またその時のこころの状態まで読み取れたかもしれませんが、現在はパソコンや携帯電話からメールで済んでしまう時代です。文字は一律で、そこに送った人の心の状態を知ることができなくなりました。又メールを送りなれると、電話をかけるということも遠慮するというか、しにくくなります。メールでしたら、相手の都合のよい時間に見てもらえますが、電話はその人の状況がわからずに掛かってくるものですから、その人の時間にかってにお邪魔することにもなるからです。
努めて、コミュニケーションをとる、話しをする、コンタクトをするということが大事なときになってきていると思います。

今回の「昭和のノスタルジー」の展示から、そのきっかけをつかんでいただければと思います。(館)

投稿者:Nurie |投稿日:10/03/11 (木)

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