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3月~5月 ぬりえ美術館便り合併号(1)

平成22年春の企画展
「ぬりえに見る昭和のノスタルジー」
22年月3日6日(土)~5月30日(日)開催

平成22年の春の企画展では、「ぬりえに見る昭和のノスタルジー」と題しまして昭和30年代に人気であった映画スターやテレビ番組などを始め、日本人のこころのふるさとである昭和30年代の昭和のノスタルジーを感じさせるぬりえを展示いたします  

映画スター
このところ日本映画が人気を盛りかえしておりますが、昭和の庶民の娯楽といえば映画であり、映画の黄金時代といわれておりました。
昭和33年映画人口は史上最高の11億2745万人を記録し、昭和35年には映画関数が史上最高の7457館を記録しています。11億2745万人という数字は、日本人一人当たり年間10本以上の映画を見ていた計算になり、いかに人々の楽しみが映画であったかがわかります。

映画黄金時代をリードしたのは東映映画の時代劇映画(チャンバラ映画)で、特に東映は「2本立て」というシステムでリード役であったそうですが、そのためでしょうか、あの当時男の子が家にでもいようものなら、「外でチャンバラでもしておいで!」と親たちから言われ、みんな棒を刀にみたててチャンバラごっこをしていたものです。
東映の時代劇映画からは、大川橋蔵、東千代之介、市川歌右衛門、嵐寛寿郎、日活の石原裕次郎、大映の長谷川一夫、市川雷蔵などの男性俳優のぬりえを展示しております。女性スターには、美空ひばり、松島トモ子、浅丘ルリ子を展示しています。

私が住んでいた埼玉の田舎の町には、映画館が1軒ありました。たまたま映画館がすぐ近くに住んでおり、招待券がもらえたことから、子どもながらに頻繁に映画を見ることができました。子どもには東映のチャンバラが面白かったのでしょう、ファンになった俳優さんは、東映のチャンバラスターの中村錦之介、次に大川橋蔵、そして最後が大映の市川雷蔵でした。田舎のことですから、3本立てでチャンバラを見て、映画に夢中になっていたものです。
    
長谷川一夫 (1908年2月27日- 1984年4月6日)
戦前戦後の長きに亘って日本の二枚目俳優の代名詞として大スターに君臨した。
石原裕次郎 (1934年12月28日 - 1987年7月17日)
日本の俳優・歌手、石原軍団初代総帥。1956年に、『太陽の季節』の映画版でデビューした。昭和の太陽(日本人(中)が最も愛した(された)男)と称される。
市川雷蔵(1931年8月29日 - 1969年7月17日)
1958年『炎上』(1958年8月19日公開)(原作は三島由紀夫の小説『金閣寺』での演技は世間でも高く評価され、キネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン賞男優主演賞などを受賞。
雷蔵はトップスターとしての地位を確立した。1963年に始まった『眠狂四郎』シリーズは、雷蔵の晩年を代表するシリーズとなった。

スポーツ選手
巨人・大鵬・卵焼きといわれ、昭和30年代は野球や相撲などのスポーツが人気でした。昭和33年に入団した長島選手を始め、初代若乃花、プロレスの力道山らが活躍をしていました。
前述で、映画の黄金時代とお伝えしましたが、昭和28年にテレビ時代の幕が開きました。
それにともない街頭にテレビが設置され、プロレスなどが始まると人々が街頭テレビに集まってきて番組をみたものです。
東京では、駅前や公園、商店街などにテレビが設置されたようです。私の田舎でも、駅前に設置されていました。大人が群がり、子どもの私には見えないので、肩車をしてもらって、駅前テレビでプロレスなどを見た覚えがあります。
    
長島茂雄(1936年2月20日 - )
千葉県印旛郡臼井町(現:佐倉市)出身のプロ野球選手(内野手)、プロ野球監督。現役時代のポジションは内野手。右投右打。1958年 読売ジャイアンツ入団。2001年より、株式会社よみうり専務取締役・読売ジャイアンツ終身名誉監督。
初代 若乃花 幹士(わかのはな かんじ、本名:花田 勝治(はなだ かつじ)、(1928年3月16日 ~ )
大相撲の力士、第45代横綱。所属は入門当時は二所ノ関部屋、1953年に花籠部屋の独立とともに移籍。青森県弘前市青女子(あおなご)出身。土俵の鬼と呼ばれた。
第65代横綱・貴乃花、第66代横綱・3代若乃花は甥にあたる。
力道山(りきどうざん) (1924年11月14日~ 1963年12月15日)
日本のプロレスラー。大相撲の力士出身。第二次世界大戦終了後に日本のプロレス界の礎を築き、日本プロレス界の父と呼ばれている。
シャープ兄弟をはじめとする外人レスラーを空手チョップ(アメリカではジュードーチョップと呼ばれていた)でばったばったとなぎ倒す痛快さで、1953年にテレビ放送が開始されたことも重なり日本中のヒーローとなる。
国民的ヒーローとして熱狂的な人気を得たという点ではスポーツに限らず後にも先にもこれだけの存在はいない。

投稿者:Nurie |投稿日:10/03/11 (木)

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