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画家の眼

ゴールデンウィークも終わり、館内は少し静かになりました。美術館には、常時200枚近くのぬりえが展示されています。ぬりえの少女の顔や体つきは大きな顔に、パッチリした眼と三、四頭身のきいちの独特のバランスですが、展示の200枚がそれぞれ違ったぬりえが描かれています。
いつも、どうしてこのように沢山描けたのだろうかと思っています。
きいちはぬりえを描いている頃、毎月80枚ほどのぬりえを描いていました。毎週、二軒の版元(いわゆるメーカー)からぬりえが発売されました。一袋には8枚(8枚時代が、紙のとり都合から一番ながかったそうです)ですから、ぬりえだけで、8枚×4週間×二軒の版元=64枚 袋の表紙絵が1枚×4週間×二軒の版元=16枚 合計80枚となる訳です。)このぬりえを20年ほど描き続けています。
机に向ってぬりえを描くときは、対象に困らず、悩まないでスラスラと描けたと言っています。
どうしてそのように、スラスラ描けたのか、絵心のない私はずっと不思議に思っていました。

ある人から伺った話では、画家の眼はカメラのシャッターのようになっていて、映像が頭に残っていると聞いたこともあります。また頭に映像を残すときに、スケッチするものがないときは、指で自分の腿の上にスケッチするように描いて記憶を残すとおっしゃたのは、人形作家の与勇輝さんでした。
きいちの眼もそのようになっていたのかしらと思いました。

そして、最近読んだ本から、日本画家の上村敦之画伯が、次のようにいっているのを発見しました。上村敦之画伯は花鳥画を描く日本画の第一人者であり、家には上野動物園の鳥の種類よりも多く鳥を飼っているそうです。
鳥を飼っているけれど、鳥を見たからといって絵が描けるということではないそうなおです。
「本来の絵の目的というのは、自分が抱いた美しい世界を、イメージを描くわけですから」とおっしゃています。まずイメージが日本画では大事なものなのだというのです。
すなわち、見たものを描くのは、画面の中に再現するだけであり、絵ではないおっしゃています。

きいちも日本画を勉強しました。
きいちの毎月80枚もの少女は、毎日、毎日観察していて、そのなかから自分のイメージの少女、理想の少女をはっきり持っていた人であるから、描けたのだと少し自分の疑問が解けたのでした。

投稿者:Nurie |投稿日:07/05/14 (月)

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