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新緑の季節のぬりえ

薫風、青嵐、皐月のころ、風は草木の緑の香りをのせてやってきます。目には見えないけれど、まるで若葉の緑や濃い青に染まったように、風はその色さえも変わってきます。
 この空気を胸いっぱい吸い込んで、緑の若さを感じましょう。

ぬりえのこころ -今月の一枚-
館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、テーマを設けて展示している企画展とは別に、その時々に 合った季節のものを月毎に展示替えしています。
このコーナーでは、月替わりのぬりえから1枚を選んでご紹介します。

5月のエントランスは、爽やかな新緑の季節をイメージしたぬりえを展示しています。
みどりのそよか~ぜ いい日だね~  ♪♪
あざやかな みどりよ 明るい みどりよ~
ただいちめんに たちこめた~ 牧場の朝の 霧の海

皐月の風薫る季節を歌った歌が沢山ありますが、皆様もこの季節には、思わず口ずさんでみたくなるのでは、ないでしょうか?
長かった冬を越えて、春に感謝し謳歌したくなるのでしょう。子供たちのぬりえにも、この季節の美しさが描かれています。
緑に覆われた野山に登ると、どこからか葉や花が散ってきて、少女の頭に落ちています。
ピクニックかハイキングなのかもしれませんが、街にでも行くようなお洒落な可愛いワンピース姿です。昭和30年代のころ、お出かけ用のよそ行きと普段着とがしっかり分かれていました。
新しい服は、お正月かお誕生日にでも新調して、それまでは普段着で我慢です。兄弟、姉妹がいると弟や妹は、お古を着ることがほとんどでした。ある時期まで我慢をしないといけないので、自然と大事に着て、強いては物を大切にする気持ちを育みました。貴方は、どんなものを大切にしていますか?

絵の起源のアルタミラ洞窟見学記

●アルタミラ洞窟を見学の理由。
絵はいつ頃から始まったのでしょうか?ぬりえは絵ですので、その起源を知りたくて、今年の2月末に、ミュンヘンのドイツ博物館までアルタミラの洞窟見学に行ってきました。
今、スペインのアルタミラの洞窟は見学することができません。しかしドイツ博物館には、アルタミラの洞窟のレプリカがあり、そのレプリカを見に行ったのです。
私の先生は、千住博さんの「美は時を超える」(光文社新書)という本でした。この本をもって、見学に行きました。
アルタミラの洞窟壁画は、15000年前に出来たと言われています。壁画といわれていますので、壁に描かれているのかと思うとそうではなく、天井に描かれていること。そして、この天井に描かれた動物たちは、1990年代前半まで、人々が狩によって手にいれ、食料としていた動物が描かれていると考えられていたそうですが、その後の、発掘した動物の骨を調査した結果、「当時の人々はその動物たちをほとんど食べていなかった」ということが分かりました。
私は、この言葉に惹かれて、ミュンヘンまで行ってきました。狩の目的でもないその動物たちを何故描き、また描くことができたのでしょうか?壁画には、壁画ができた時代には生きていないような動物までも描かれていたそうです。どうしてそんなことができたのでしょうか?

●ドイツ博物館のアルタミラ洞窟壁画のレプリカ

<ドイツ博物館>
ドイツ博物館は、世界最大級の博物館です。何しろ飛行機でも舟でも、コンピューターでも大事な意味あるエポックとなった飛行機や舟が、そのまま博物館に展示されているという、大変大きな博物館です。
2月末のミュンヘンは、寒さが厳しくて雪が積もって凍っていました。ドイツ博物館前の川は、一面の銀世界でした。

15000年前のように展示してあるので、ここだけは真っ暗です。だんだん目が慣れてくると、天井に描かれた動物が見えてきました。壁ではなく天井の凸凹を利用して描かれています。赤く彩色されたパイソンの形や色が良くわかります。15000年前にもうこのように描いていたということ感動しました。
このレプリカは1962年にドイツ博物館で公開され、スペインのアルタミラ洞窟の近くに作ったものはそれより後1964年に同じスタッフによって作られたそうです。
ちょうど、小学校の生徒さんの見学とぶつかり、一緒に勉強をさせてもらいました。先生の持つ小さな懐中電灯の灯りを天井に向けて、先生が解説をしていました。「何に見えますか?」「馬はどこにありますか?」というような感じで、進められていました。

●千住博さんの本による解説
「天井の立体を利用して、牛の形をした石には牛が描かれ、綺麗に赤く彩色され、時には削られたりされているものもありました。それらは面と線の区別がなく、当時は彫刻も絵画の区別もなかったのではないかと考えられます。
何万年もにわたり、人々は闇の中で、その大いなるイマジネーションを働かせ、この世界を支配している未知の神に交信を試みたのではないか。そして捧げものとして、神話の世界を描く。その時の音が、いわば音楽の最も原始的なものとして、そらに壁をたたく音などが一種の効果音として伴われていたのではないでしょうか。絵を描く音が最初の音楽だったと考えることが自然です。
当時の一つの特徴として、角のあるパイソンや鹿がどうやらシャーマン(巫術師)の手伝いもしていたらしいということが考えられています。いやゆる「ムーンカルト」といわれるものです。
古代ギリシャのホメロスは、その著書の中で「芸術とはそれを人に知らせたくなる行為のこと」というようなことを定義しています。明るいところでみた人は仲間に「おい、見てみろよ」となるのです。ギャラリーの誕生です。アルタミラのこの「光の間」の出現によって、本来の宗教的、神秘的目的ではなく、タブロー(絵画作品)としての意識が芽生えたのです。」と解説されています。

●本能が共通キーワード
アルタミラ洞窟壁画が描かれていたもう15000年前に、絵、音楽、舞踏、演劇・・・
あらゆる芸術がすでにその時にできていたのです。
神に祈るために、最初は絵を描くという「行為」自体が大切であった。それがもっとそっくりにと「描く」という行為が誕生し、「見るための絵」なり、見るという行為が誕生する。そしてギャラリーになっていった。人間の本能の進歩です。
この絵が進歩して、中世の宗教画から発展し、さまざな絵の形態になり、その中で「ぬりえ」というものも生まれてきたわけです。アルタミラの洞窟壁画には、人間が本能的に描いたという絵の力を感じました。
ぬりえにも、人間の本能として、絵のなかを塗りたいという本能のようなものがあって、色を塗っていくのではないでしょうか。そんなところに共通点を感じてきました。
寒い時期でしたが、絵の起源、絵の原点を見ることができて、心は満足感に溢れて、温かいミュンヘン「アルタミラ洞窟見学」となりました。これからも、ぬりえを探る旅はつづきます。

投稿者:Nurie |投稿日:05/04/30 (土)

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コメント

おひさしぶりです!なかなかお訪ねできなくてすみません。
アルタミラに行かれたの、いいですね。私は上のの「ベルリンの至宝展」を見て、やっぱり人間の「絵を描く」本能にうたれました。
さて、今私は「おはなしきゃらばん」さんという団体の今年のタイの古典をもとにした人形劇公演のお手伝いをまたちょこっとしました。
そのとき、昨年「タイのぬりえ展」をお手伝いしたときに得た知識で、タイのぬりえを参考にすることをお伝えできました。
なにもかも縁がつながっているなあと思いましたよ。トラックバックさせていただきましたので、よかったらごらんになってくださいね。

投稿者 チョムプー : 2005年05月06日 19:16

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