きいち千夜一夜 No.23 ☆きいち没後15年☆
今年はきいちの没後15年に当たります。これにちなみまして「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介していきたいと思います。
物静かな喜一のペースに、まさがすっかり巻き込まれてしまうまでには、そう時間はかからなかった。まさは子供のころから、活発で負けん気の強い性格。和裁の修行時代も”お前にまかせておけば、間違いはない”と師匠が関心するほどのしっかり者だった。だが、結婚後は、そんな張り詰めた気持ちもどこかへ吹き飛んでしまった。久々に小学校の同窓会でまさにあった同級生たちは、あまりの変わりように驚いたという。
「家内の実家は農家だから、男は男らしくそとでばりばり働くものだと教えられて育ったんだろうと思います。でも、私と会うことで基準がすべてくるって、調子を乱してしまったんじゃないかな。人形やハンドバッグやコートまでちくちく縫ってしまう男なんて、当時はそういなかったでしょうから。でも、普段の暮らしの中からデザインやアイデアがいろいろ沸いてくるので、形にしないと気が済まないんですよ。
だから、私が着ていたオーバーや国民服を見て、家内の兄に”俺もそういういのがほしいから、洋服屋を教えてほしい”と聞かれた時には困った。体に合わせて、立体裁断で自分で適当につくったものだから、二度と同じものはできないの」
彼はぬりえやきせかえを描いていて、服のデザインに悩んだことは一度もなかったというが、それはこのようなエピソードからも、うかがい知ることができる。
「こんなふうですからね、私は自分の人生を一度も不幸だと感じだことはないの。でも、家内は違ってて、ぬりえが売れなくなってからは、とても幸せそうでしたね」
喜一の父親が、日の丸の絵を奉納するという自らのスタイルで信仰を深めていったのに対し、母親のほうは実際にある宗教財団に属し、積極的な活動を行っていた。そして喜一とまさが結婚すると、二人とも半ば強制的にその団体への加入を勧められた。しかし、まさの両親は宗教活動など受け入れないタイプ。喜一もなにかといえば上納金を求めるという団体のやり方に疑問を持っていたが、母親の命令には逆らえなかった。
まさのつわりがひどかったり、母乳の出が悪かったりすると、母は決まって”教会にもっとお金を納めなさい”と言った。喜一夫妻はそれについては適当に聞き流し、取り立てて逆らうこともなかったが、洗礼を勧められた時には少々困った。まだ新幹線もなかった時代、十時間以上も列車に揺られての本部入りも大変だが、子供が小さ過ぎて一緒に連れていけないという問題もある。洗礼には夫妻で交代に出かけなければならなかった。
☆参考図書「わたしのきいち」小学館
今月のエントランス
「くつしたになにをいれてもらいましょう」
作者:きいち
年代:昭和20年代
サンタクロースからプレゼントを期待する女の子。靴下を下げて、ゆっくり見る夢は欲しかったお人形でしょうか、それとも自分の洋服でしょうか?
クリスマスは子どもたちにとって、ワクワクする行事の一つでした。
ぬりえ美術館メディア情報
〇東京ケーブルネットワーク提供の「あらぶんちょ!」通信ならびに「あらぶんちょ散歩」でぬりえ美術館が紹介されました。
「あらぶんちょは!」は、荒川区、文京区、千代田区の様々な情報をお伝えする、地域密着型生活情報番組です。
展示室のご案内
☆9月から常設展として、着物、お人形、食べ物、お手伝いをテーマにした可愛いぬりえを展示しています。
☆館内のぬりえコーナーは、コロナ感染防止のためにしばらくお休みをしています。ご了承のほどお願いいたします。