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幼少時分より人物画を好んで描いていたきいちは、17歳の時、帝展で山川秀峰の「素踊」の絵を見て感銘を受け、画家の道に入ることを決意。
昭和15年(1940)、きいちが26歳で「フジヲ」を名乗り描いたぬりえが、子ども達の間で、人気を博す。
昭和22年(1947)、本名の「きいち」の名でぬりえを発表し、昭和23年(1948)頃からは、きせかえを制作。昭和40年頃までぬりえ作家として活躍。
「きいちのぬりえ」は、平均すると月に100万セット、最高時には160万セットを販売するにまで至り、名実共に日本を代表するぬりえへと成長した。
その後「きいちのぬりえ」は、昭和53年(1978)、資生堂ザ・ギンザの「アート・スペース」で開催された「キイチのぬりえ展」をきっかけに、再び脚光を浴びることとなり、 以来、時代の変化に寄り添いながら、今日までその人気は続いている。
晩年、きいちは、童女を描く「童女画」や「美人画」に取り組み、「美しさ」への願望を飽くことなく絵の中に見出そうと、生涯現役の画家として平成17年(2005)、91歳で亡くなるまで筆を取り続けた。
Posted: Ziromin : 20年11月10日 |