東京都荒川区町屋 土日曜のみ開館
開館時間:(3月~10月)12:00~18:00 (11月~2月)11:00~17:00

ぬりえ美術館

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7月の美術館ニュース(2)

今年はきいちの没後15年に当たります。これにちなみまして、「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介をしていきたいと思います。


掛軸の仕事が立て込むと、まさは額に絹をはったり、絵具がにじまないように絹ににかわを塗ったりして、喜一の仕事を手伝った。
その代わり、まさの仕立ての仕事のほうが立て込むと、今度は喜一がまさの仕事のサポート役として張り切る。”ここの背縫い、お願いしてもいい?”とまさが頼めば、喜一は予想以上に丁寧な仕事をして彼女を驚かせた。
 

また並行して、親戚や近所の人などに頼まれて肖像画なども描いていた。入学や結婚のお祝いとして、まったくの無報酬で描くこともあれば、料金を決め、ビジネスとして描くこともある。喜一の描く肖像画が似ているとの情報を聞きつけて、ぜひ描いてほしいという客も少なくない。会社の社長から主婦や子供まで、老若男女、お客は多岐にわたった。

ぬりえが売れなくなっても、あまり落ち込んだり、くよくよしたりしなくて済んだのは、まさの明るさと、彼女の姪や甥の協力があったからだと喜一は言う。農業を営む者は、米や野菜を届けに来ては、二人の元気な顔を確認し、安心したように帰って行く。生活費が足りなくなるころに、そっとお金を送金してくれる者もいた。一人娘は北海道の舞踊家のもとへ嫁ぎ、思うように親元へ帰ってくることはできない。二人きりになってしまってからは、親のように二人を慕ってくるこうした人たちの来訪が楽しみとなった。


喜一の家に以前のような大広間はなくなっていたが、”おじさんの家で宴会しよう”と集まってくる者にとって、そんなことはどうでもいいようだった。宴もたけなわいなると昔話に花が咲く。”以前、おじさんには、すごく高価なカメラをプレゼントしてもらって、うれしかったよ”、”お嫁入りの時、支度をしてもらったことは一生わすれない”と甥や姪が話す中心には、”へえーそんなこともあったっけ”と、まるで他人の話でも聞くように感心する喜一がいた。


喜一ファンの中には、ぬりえが出回らなくなると、大切にしまいこむ者も少なくなかったが、描きすてるように一晩に三十枚のペースで描いたものなど、喜一本人にすれば、好んで見るようなものでもない。デッサンの狂った作品など見たくないと手放したものも多い。ブームの最中はあまり意識しなかったが、売れなくなってみると、ぬりえは自分にとっては恥以外の何物でもないように思えた。


「それからしばらくして、私のファンだといって訪ねて来てくれたり、個展をやるために、すでに売り捌いた作品を買い戻してくれたり、こういう人たちが現れなかったら、その気持ちはどんどん凝り固まって、ほぐれなくなってしまったかもしれない。当時までずっと私を支配していた、”いつまでも子供じみた絵しか描けないのでは”というコンプレックスと一緒になってね」
*参考図書「わたしのきいち」小学館


「ぼうやのぎょうずい」
作者:きいち
年代:昭和30年代

行水(ぎょうずい)と聞いて、ピンとくるのはお幾つ位の方でしょうか?
行水はたらいにお湯や水をいれて、体を洗うことで、江戸時代は庶民の洗身法だったのです。
暑い夏にはビニールプールも楽しいですね。


ぬりえ美術館情報

○4月~5月に開催しておりました「子供ぬりえコンテスト」では、264通の応募をいただきまして、大変ありがとうございました。7月より優秀作品をホームページに掲載しておりますので、是非ご覧ください。


展示室のご案内

☆3月末より臨時休館をしておりましたので、春の企画展であります「懐かしい時、思い出の時、きいちのぬりえ」~きいち昭和の歌姫”美空ひばり”を描く~を延長して展示しております。

Posted: Nurie : 20年07月02日 | 美術館ニュース|

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