きいち千夜一夜 No.11 きいち生誕105年
今年はきいちの生誕105年に当たります。これにちなみまして、「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介していきたいと思います。
「とにかく人の集まる家でしたよ。私の兄弟たちはいえに立ち寄ることもなければ、一緒に食事したり、酒を飲んだりということもあまりなかったんですが、家内のほうは兄弟とても仲がよくて、陽気な人が多かったので、よく一緒に酒を飲みました。農業を営んでいましたから、埼玉からかんだの市場に来た時には必ず私の家に寄ってくれてね。夜中まで騒いでいたこともありましたよ」
宴会騒ぎをしない時は、喜一は明け方まで仕事をし、まさも一緒に近所から頼まれた着物の仕立てなどをする。人が寄らない時でも、この家には、いつも一晩中明かりが煌々と灯っていた。明かりが絶えない暮らしぶりを不審に思ってか、一度、巡回中の警察官が訪ねて来た事があった。近所にヒロポンを流しているとの嫌疑をかけられた家があって、その真相を突き止めるために巡回していた時のことだ。
「仕事について質問されましたが、絵を描いていると言ったら納得してくれてね、すぐに帰っていきましたよ。それからしばらくして、おかしなことに警察から紙芝居を描いてくれないかという依頼がきました。内容は確かヒロポン撲滅キャンペーンのためのものでした」
いつしか喜一の名前は駄菓子屋に通う子供たちだけでなく、地域全体に知られるようになる。娘の美絵子が小学校に入学した時も、学校内部ではちょっとしたニュースになり、入学式当日から、”きいちの子供”としてあっという間に取り巻きに囲まれてしまう。
そんなふうに注目される子供を喜一は常に宝物のように扱った。彼女は普段から、喜一がデザインして、あつらえた服に身を包み、誕生日ともなると、まるでぬりえの世界から飛び出したようなフリルつきのドレスを着て微笑んだ。そして踊りの発表会の時にも、喜一が描く童女さながらに、艶やかないでたちで舞台に臨むのである。
「こんな生活を私としては取り立てて贅沢とも思わずにいたんだけれど、周囲ではらはらしていた人もいたみたいですね。家内の父親なんかは堅い人でしょ。ですから、家内にはよく言っていたようです。いつもお金が入るとは限らないだから、しっかり貯金しておけ。って。でも、当時の私はそんなことがあるものかと、まったく相手にしませんでしたね」
☆参考図書「わたしのきいち」小学館
今月のエントランス
「ハーモニカふきましょう」
作者:きいち
年代」昭和30年代
自由にハーモニカを吹いて、好きな歌を奏でることができたら、どんなに楽しいでしょう。
うさぎお~いし、かのやま~♪♪
ぬりえ美術館グッズ情報
クリアファイルの和・洋2種類の絵をご紹介いたします。各440円
展示室のご案内
☆11月~2月は、常設展を開催しています。
美しいお姫様の世界、お洒落なドレス・着物などのぬりえを展示しています。