長谷川の手元にある程度作品が集まってみると、今度はぬりえを描いている喜一本人に会ってみたくなった。
今でも絵を描いていいるとすれば、喜一をアーティストとして、広告に起用することも可能に思えたからだ。しかし、山海堂や石川松声堂と言った発売元はとうにぬりえからは手をひいてしまっていて、きいちの行方はようとしてしれない。
交流のあった人間を辿り、喜一の家を突き止めるまでには、かなりの時間を要した。
昭和四十七年、同僚の喜一ファンとともに長谷川が最初に喜一宅を訪ねた時、彼は埼玉県、上福岡市の小さな借家に住んでいた。表札のそばに花柳流の看板がかけられていたのが印象深かった。突然訪ねて来た長谷川たちに、喜一は"今は日本画家として肖像画などを描いている"というと、長谷川が思い描いていたイメージからはかけ離れた、老人の肖像画を見せた。ある会社からの依頼で、社長の肖像画を描いているということだった。
Posted: Nurie : 19年03月10日 |