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4月美術館便り


今年の桜はあっという間にほころびました。毎年桜の開花が早まっているのではないかと思いますが、東京の桜の開花宣言があった翌日桜の開花を予報する標準木がある
靖国神社に行ってきました。標準木の周りには大勢の人がカメラを向けて写真を撮っていましたので、すぐに分かりました。(標準木の周りには緑色の柵が囲ってありますので、目印になります)午後になると更に花びらが開き、訪れた人を喜ばせていました。

ぬりえ美術館にも1本桜があります。ウコン桜といいます。漢方薬のウコンから来たもののようです。花が開花し始めた頃に、葉と花びらが金色に見えますので、そのような名前がついているのでしょう。今年は4月1日ころから一つ、二つ咲き始めましたので、4月5日、6日、12日、13日頃まで、楽しめるのではないかと思います。
全体に咲いてきますと葉が緑、花は薄緑色の涼やかな色合いになります。染井吉野が終わりましたら、美術館のウコン桜を見にいらしてください。

グローバル化?
グローバルになるとこうなっていくのかという思うことがありました。先日海外で取材、調査をしてきたのですが、そこであった方は日本人の両親の元に生まれましたので
日本人ですが、お父様のお仕事で海外生活が長かったことから、三姉妹全員が外国に住んで仕事をしていて、三女の方は余り日本語が得意ではないというのです。こういう時代になったのかと思っていたところ、今度は日本でこれとは逆の事に出会いました。
テレビの取材で、レポーターとしてアメリカ人青年が来ました。両親はアメリカ人だそうですから、外見はまったくアメリカ人です。しかし日本語はぺらぺらでした。アメリカ人と思い、ニューヨークから来てくださったお客様の感想ノートをお見せしたところ、「僕は英語はダメなんです。特に筆記体は」という返事が返ってきて、またびっくりしました。どうしても外見が外人であれば、英語は分かるものと考えてしまいますので、驚かされたのです。このレポーター青年は、日本に3歳のときから住んでいるのでで、日本語の生活圏の中で育っていますから、英語は苦手となってしまっていたのでした。
日本人でも外国の方でも、このように自分の好きなところで暮らしていくような時代になっているのだと思いましたが、国とか言葉について考えさせられた出来事でした。

荒川区産業展
3月8日~9日にかけて第29回荒川区産業展が荒川綜合スポーツセンターで開催されました。この産業展は、モノづくりの街、匠の街、荒川大発見と題して荒川区の企業、技、等を一同に紹介するものでした。又都立産業技術高等専門学校による「人工衛星」打ち上げ紹介コーナーや先進ロボットのアザラシ型ロボット「パロ」との記念撮影や、研究用人間型ロボット「チョロメテ」なども展示され、新しい研究が紹介されていました。そして女性陣には、区内の美味しい味の即売がお楽しみで、いつも大きな人だかりで一杯でした。
ぬりえ美術館では、より多くの荒川区の方に知っていただきたいと思い、今年初めてこの産業展の「ぬりえの世界コーナー」に出展させていただきました。広報的には、荒川区の観光スポットのぬりえ美術館として紹介していただきました。
内容的には、昭和20年~30年代のきいちのぬりえをケース内に展示し、ご紹介しました。その場にぬりえ体験コーナーを設け、ぬりえを塗っていただいた方には、荒川区の方からきいちのぬりえの少女の記念スタンプを押し、ぬりえの絵葉書がプレゼントされました。
お天気にも恵まれ、会場では400人ほどの方にぬりえを塗っていただきました。懐かしいという声と共に、一人30分~45分ほど積極的にぬりえに取り組み楽しまれていました。産業展という見学の場所ですが、ぬりえコーナーは参加型であることが良かったのではないかと思いました。参加者はやはりお子さんの方が多かったのですが、きいちのぬりえは、子どもから大人まで楽しめるのも良い点だと思いました。
8日(土)には「お手伝い編」のぬりえに人気が集まり、9日(日)にはドレス編のぬりえが人気でした。8日は年配者の方が、9日は小学生が自分のお小遣いで購入をしていましたので、ぬりえの人気が分かれたようですが、子どもたちが、素敵なドレスやファッションが好きで憧れであるということは、昔も今も変わらないのだと、子どもたちと接して分かりました。

ニューヨークからのお客様
3月8日(土)に、06年にニューヨーク(NY)のぬりえ展を開催したときにお知り合いになった、スペースキディットのシンシアさんが来館されました。シンシアさんは、NYの22丁目の子供服店のオーナーです。彼女の店には、日本の可愛いキャラクターが沢山装飾として飾られています。きいちのポスターはもちろん、鉄腕アトム、鉄人28号、さとうのサトちゃんなどのフィギュアです。
始めはびっくりしましたが、彼女のお店の特徴ともなっている日本のフィギュアなどが置かれている背景は、グローバル化のお話しとも通づるのですが、彼女が育った環境にありました。シンシアさんは1959年~1962年まで幼少期に日本に住んでいたことがあり、米軍のベース内ではなく普通の住宅街で暮らしていました。そのため、日本の子どもたちと同じような経験をしてきているのです。昭和の30年代の雰囲気がご自分の原点になっていたのでした。
彼女のコメントは、「子どもの頃日本のこれらのイメージと一緒に成長したことは、私に多大な喜びと楽しみをくれました。とっても素晴らしく、チャーミングで、詩的であり、力強さに溢れています。ここに来れてよかったわ。ありがとう」

大事な子ども時代
子ども時代が大事な時代であることは、どなたも依存がないことだと思います。ぬりえ美術館にいますと、来館される方は、子ども時代にもどって、昔を振り返り、楽しく、懐かしく、甘い綿菓子のようなイメージで振り返り、いい時代を過ごしたとおっしゃいます。時代的には、貧しい、物やお金のない時代でしたが、この思いはどこから来るのでしょうか。それは「夢中になってぬりえをした」その夢中ということに尽きるのではないでしょうか。夢中にさせるほど素敵な絵であったから、できたことですが、夢中になるということが、こころの思い出をつくって、人生を形づくり、彩っていくのではないでしょうか。(館)

投稿者:Nurie |投稿日:08/04/03 (木)

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