《きいち千夜一夜 No.25》
2021年も引き続き「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介をしてまいります。
【きいちブーム再び】
ぬりえブームが去って、再び"きいちブーム"がやって来た。人との付き合いは苦手だけど、この時ばかりは、人との出会いも悪くないなってそう思いましたよ。
めまいだけでなく、四十肩や五十肩の痛みもあり、相変わらず体調がすぐれずにいたころ、突然喜一を訪ねて来た青年がいた。おもしろ雑貨の仕掛人、長谷川義太郎である。
彼は、荒物や日用品といった従来の雑貨の概念を覆し、ファンシーグッズやファッショングッズを総括する言葉として雑貨という言葉に新たなる息を吹き込んだ、その第一人者ともいえる人である。現在は渋谷で文化屋雑貨店を経営するが、当時はグラフィックデザイナーとして広告制作会社に勤めていた。
昭和四十年代中ごろ、長谷川の通う事務所の近く、築地周辺にはまだ小さな駄菓子屋が残っていた。取り立てて目当てのものがあったわけではないが、なにかデザインのヒントになるようなものはないかとふらりと立ち寄った駄菓子屋で、古びたぬりえを見つけたのだ。
子供時代の長谷川には、当時少女向けのぬりえで遊んだ経験はなく、従ってぬりえを見ても郷愁にかられるようなことはなかった。しかし、それだけに彼の目には、ぬりえが非常に新鮮な存在として映った。原色中心の大胆な色使い、そして版ずれのなんともいえないキッチュな感じが、デザイナーとしての触角を奮い立たせた。
仕事は忙しさを極め、ほぼ毎日が徹夜ということもあったが、そうした合間を縫って、長谷川は築地や月島界隈の駄菓子屋をくまなくまわり、ぬりえを買い漁った。作品に記されたサインから、何人かのぬりえ作家の存在を知ったが、なかでもひときわ彼の関心を引いたのが「きいちのぬりえ」であった。
他の作品とは違って、少女の放つ色気と線の美しさに心奪われた長谷川は、それから喜一のぬりえだけを集め始める。時には、会社の応接室の壁一面にぬりえを張り、密かに「きいちのぬりえ展」なるものを開いて楽しんだという。
※参考図書「わたしのきいち」小学館
《今月エントランス》
題 名:ゆきやこんこん
年 代:昭和30年代
作 者:きいち
空を見上げて、スカートの裾を広げて降ってくる雪をスカートに集める女の子。
雪を見ると、こんなことをしてみたくなります。
フワフワとした雪は色々なことを想像させますね。
■ぬりえ美術館情報
☆第11回ぬりえコンテストの優秀作品13点を館内に展示しています。同時にHPにも掲載しています。
☆3月からは蔦谷喜一が弁年に描いた童女画の絹本を展示予定です。
■展示室のご案内
☆ぬりえコンテストの優秀作品を展示しえいます。
☆館内のぬりえコーナーは、コロナ感染防止のためにしばらくお休みをしています。ご了承のほどお願いいたします。