東京都荒川区町屋 土日曜のみ開館
開館時間:(3月~10月)12:00~18:00 (11月~2月)11:00~17:00

ぬりえ美術館

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2020年7月15日の記事

子供ぬりえコンテスト優秀作品を公開

第1回子供ぬりえコンテスト入選作品発表

本日より子供ぬりえコンテストの優秀作品、20点を公開いたします。
今年はコロナ感染防止のため、学校がお休みになり家で過ごさなければならない子供たちのために、お家で楽しくすごすことができないか、と考えてコンテストを開催いたしました。
子供さんだけでなく、親御さんからも開催に対して大変好意的な感想をいただきました。
選考にあたり、単に綺麗に塗るだけでなく、オリジナリティ、独創性、意図をもって塗っているか、等を考慮して優秀作品を選んでいますので、是非作品を見る時にはそういう所を見ていただければと思っています。
また来年も「子供ぬりえコンテスト」の開催を考えています。どうぞ待っていてください。

Posted: Nurie : 20年07月15日 | お知らせ

2020年7月 2日の記事

美術館内のぬりえコーナーについて

美術館は6月より再開していますが、「ぬりえ体験コナー」については、コロナ感染防止のため、中止させていただいております。誠に申し訳ございませんが、ご了承のほど宜しくお願いいたします。

Posted: Nurie : 20年07月02日 | トピックス

7月の美術館ニュース(2)

今年はきいちの没後15年に当たります。これにちなみまして、「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介をしていきたいと思います。


掛軸の仕事が立て込むと、まさは額に絹をはったり、絵具がにじまないように絹ににかわを塗ったりして、喜一の仕事を手伝った。
その代わり、まさの仕立ての仕事のほうが立て込むと、今度は喜一がまさの仕事のサポート役として張り切る。”ここの背縫い、お願いしてもいい?”とまさが頼めば、喜一は予想以上に丁寧な仕事をして彼女を驚かせた。
 

また並行して、親戚や近所の人などに頼まれて肖像画なども描いていた。入学や結婚のお祝いとして、まったくの無報酬で描くこともあれば、料金を決め、ビジネスとして描くこともある。喜一の描く肖像画が似ているとの情報を聞きつけて、ぜひ描いてほしいという客も少なくない。会社の社長から主婦や子供まで、老若男女、お客は多岐にわたった。

ぬりえが売れなくなっても、あまり落ち込んだり、くよくよしたりしなくて済んだのは、まさの明るさと、彼女の姪や甥の協力があったからだと喜一は言う。農業を営む者は、米や野菜を届けに来ては、二人の元気な顔を確認し、安心したように帰って行く。生活費が足りなくなるころに、そっとお金を送金してくれる者もいた。一人娘は北海道の舞踊家のもとへ嫁ぎ、思うように親元へ帰ってくることはできない。二人きりになってしまってからは、親のように二人を慕ってくるこうした人たちの来訪が楽しみとなった。


喜一の家に以前のような大広間はなくなっていたが、”おじさんの家で宴会しよう”と集まってくる者にとって、そんなことはどうでもいいようだった。宴もたけなわいなると昔話に花が咲く。”以前、おじさんには、すごく高価なカメラをプレゼントしてもらって、うれしかったよ”、”お嫁入りの時、支度をしてもらったことは一生わすれない”と甥や姪が話す中心には、”へえーそんなこともあったっけ”と、まるで他人の話でも聞くように感心する喜一がいた。


喜一ファンの中には、ぬりえが出回らなくなると、大切にしまいこむ者も少なくなかったが、描きすてるように一晩に三十枚のペースで描いたものなど、喜一本人にすれば、好んで見るようなものでもない。デッサンの狂った作品など見たくないと手放したものも多い。ブームの最中はあまり意識しなかったが、売れなくなってみると、ぬりえは自分にとっては恥以外の何物でもないように思えた。


「それからしばらくして、私のファンだといって訪ねて来てくれたり、個展をやるために、すでに売り捌いた作品を買い戻してくれたり、こういう人たちが現れなかったら、その気持ちはどんどん凝り固まって、ほぐれなくなってしまったかもしれない。当時までずっと私を支配していた、”いつまでも子供じみた絵しか描けないのでは”というコンプレックスと一緒になってね」
*参考図書「わたしのきいち」小学館


「ぼうやのぎょうずい」
作者:きいち
年代:昭和30年代

行水(ぎょうずい)と聞いて、ピンとくるのはお幾つ位の方でしょうか?
行水はたらいにお湯や水をいれて、体を洗うことで、江戸時代は庶民の洗身法だったのです。
暑い夏にはビニールプールも楽しいですね。


ぬりえ美術館情報

○4月~5月に開催しておりました「子供ぬりえコンテスト」では、264通の応募をいただきまして、大変ありがとうございました。7月より優秀作品をホームページに掲載しておりますので、是非ご覧ください。


展示室のご案内

☆3月末より臨時休館をしておりましたので、春の企画展であります「懐かしい時、思い出の時、きいちのぬりえ」~きいち昭和の歌姫”美空ひばり”を描く~を延長して展示しております。

Posted: Nurie : 20年07月02日 | 美術館ニュース

7月の美術館ニュース(1)

本来であれば7月にオリンピックが開催されていたはずでしたね。今年の夏は暑さが厳しいと予報されていますので、マスクは外せませんが、熱中症にも気を付けて過ごしましょう。

ぬりえのこころ -今月の一枚- 

館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、その時々の季節のものやテーマを設けて月毎に展示しています。このコーナーでは、月替わりのエントランスのぬりえから1枚を選んでご紹介します。
   


    
タイトル:きんぎょすくい
作  者:きいち
年  代:昭和30年代

7月のエントランスは、「暑い夏を吹き飛ばそう」と題しまして、夏の遊びがテーマのぬりえを展示しています。
昭和の時代、夏の風物詩と言えば、浴衣を着て縁日やお祭りでの金魚すくいではないでしょうか。


コロナウィルスの前までは、浅草に来る外国の観光客たちにも、金魚すくいが話題になっていました。
可愛い金魚ですが、実は金魚の先祖は、およそ1700年前に中国は長江で発見された突然変異の赤いフナだそうです。西暦3世紀頃のことで、その後10世紀には宮廷で飼育されるようになり、尾びれの改良などが進んで徐々に華やかな姿へ進化すると、金運をもたらす魚として「金魚」と名付けられたそうです。


さらには金魚は人が創り得る唯一の“生きた芸術”と言われているものだそうです。出目金、
リュウキン、ランチュウ、タンチョウ等など、色や形が美しい金魚が沢山いますね。

中国から日本へは室町時代末の大阪に入ってきて、江戸中期になりますと藩士が副業として
金魚養殖を始め、大量生産されるようになり、庶民の間にも金魚人気が広がるようになったそうです。


子どもが沢山いた昭和20~30年代は縁日も定期的に開かれ、どこの縁日や夜店も夏になると金魚すくいをはじめいろいろな屋台が出ていて、それらを一店、一店回ってみるのが楽しみであったものです。
金魚すくいは上手でしたか?(館)

Posted: Nurie : 20年07月02日 | 美術館ニュース

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