「夏休みの工作で作ったヨットをイメージしました」とコメントされていましたように、黄色のヨットが中心になった作品になっています。(館)
上着の胸についているチューリップのアイデアがいいですね。たのしいぬりえと書いてくださっていますが、ぬりえを楽しんでいるのが良く分かります。(館)
きいち千夜一夜 No.9
今年はきいちの生誕105年に当たります。
これにちなみまして、「きいち千夜一夜」と題しまして、きいちについてご紹介したいと思います。
「それからきせかえを描いていておもしろかったのはバッグの色なんですが、オレンジや黄緑などの中間色を使うと余りうれゆきがよくなくてね。赤や青といったほうがだんぜん受けがいい。”きいち”の絵には、やっぱり原色が似合うってことなんでしょうね」
お金が入れば、暮らしぶりは当然派手になる。喜一も例にもらず、贅沢を極めるような生活にのめり込んでいくのである。
もっとも彼の場合、賭事や女性に走るわけではなく、散財の中心はあくまでお稽古事だったのだが・・・・
茶道、華道、長唄、三味線に日舞、特に昭和二十六年、三十七歳で始めた日舞には力を入れ、四十歳には名取となって、師匠から「花柳喜一」の名をもらった。
日本舞踊を始めたきっかけは一人娘の美絵子だった。喜一は美絵子のことをことのほかかわいがり、彼女が三歳になるのを待って日舞を習わせるが、大事な娘の送り迎えはどうしても自分がしないと気がすまない。最初は娘のために稽古場までの道のりを往復するだけだったが、稽古場風景を眺めている間に、すっかり踊りに魅せられてしまったのである。それにしても四十を過ぎて、しかも男性で名取になった例はそう多くはないだろう。
「仕事はさーっと片付けてしまってね。あとは踊りの練習ばかりしていた。収入が多かったんだから、稽古事といったって普通にしてたらそんなにお金もかからなかったんだろうけど、私の場合は先生を自宅に呼ぶこともあって、泊まり込みで来て、お茶やお花を教えてくれる先生もいました」
*参考図書「わたしのきいち」小学館
今月のエントランス
大きな花柄のリボンにフリルのついたエプロンをつけて、湯気が立つ炊き立てのご飯で大きなおにぎりを握る女の子。
美味しさが伝わってきます。
ぬりえ美術館グッズ情報
○新商品として、新しい和と洋の絵柄のクリアファイルを2種発売予定です。各432円です。
展示室のご案内
○8月~10月は秋の企画展を開催しています。
昭和10年代のぬりえや30年代の俳優さんなどの珍しいぬりえやきせかえを展示しています。
9月、長月になりました。夜が長くなるところから長月。季節の移り変わりを日の長さや風に感じたりします。秋になると太陽から月に眼がいくように思います。
ぬりえのこころ -今月の一枚-
館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、その時々の季節のものや テーマを設けて月毎に展示しています。このコーナーでは、月替わりのエントランスのぬりえから1枚を選んでご紹介します。
タイトル:おふろOfuro
作 者:きいち
年 代:昭和10年代
9月のエントランスは、「昭和10年代のぬりえ」を展示しています。
素敵なタイルのお風呂に入っている女の子二人。お風呂はタイルですが、風呂桶と椅子は木製です。こんなところにも時代の移り変わりが見て取れます。
日本人のお風呂好きは昔からのことですが、ぬりえの中にきいちはこの絵と同じようなお風呂に入ったぬりえを何枚か描いています。子ども同士やお母さんと一緒、お人形と一緒等など。生活の一場面として、日本人の生活の中には必ずお風呂があったからでしょう。そしてお風呂の中に必ず人との交流が生まれていると信じていたからではないでしょうか。
日本には「裸の付き合い」という言葉もありますね。
先日テレビのドキュメンタリーで、マラソンの谷口浩美さんがケニアのマラソンランナーの練習の様子を見るという番組を放映していました。まだまだ貧しい国で、一月1000円の練習費を払うのにも親が大変という所のようでしたが、高地での練習方法や彼らの日常生活をみて、谷口さんがここが違うな、とおっしゃっていたことがあります。
それは練習後、紅茶を何杯も飲みながら、学生たち全員が気の合う仲間とその日の練習を振り返り、おしゃべりをしていることです。
その姿は今の日本にはない、というのです。練習が終れば、各自自分の部屋に帰えってしまうのだそうです。今は小さいころから、自分の部屋というものを持っていますから、昭和30年代のように皆と一緒に何かをする、ということが無くなっているのでしょうけれど、なにか日本が見失っているものがケニアにはあるのではないかと思いました。(館)