オレンジのチャック柄のワンピースが夏らしいです。背景に塗られたピンクも素敵です。花びらも様ざまな色で丁寧に塗られています。(館)
久野重幸様より、年賀葉書きを寄贈していただきました。
子ども向けのお正月用の葉書きです。藁靴を履いていますが、椿の柄の赤い着物を着て、お正月らしく装っていることがわかりますね。
ありがとうございました。
ハンガリーのぬりえをご紹介いたします。
12月ですので、最初にクリスマスのぬりえ本をご紹介いたします。
右ページにぬりえがあり、左ページにはその絵の物語のようなものが書かれています。
絵は手描きで書かれています。手書きで絵の物語が描かれているぬりえ本は、他にもあります。
2つ目のぬりえ本は、ぬりえの他に迷路や印に描かれた色でぬっていくぬりえ、その他指示により数を学ぶ等のアクティビティーがついてぬりえ本です。1つ目の本より、絵のタッチがモダンなぬりえ本です。
どの本も、子どもたちにぬりえを楽しんでもらいたいと願って制作されているのがわかるハンガリーのぬりえ本でした。
3つ目はアニメーションと思われる猫とおじいさんの物語のぬりえです。ぬりえの中にシールが入っています。大変お洒落なアニメーションの絵です。
4つ目のぬりえ本は、背景に色がぬってあるという珍しいぬりえ本で、このようなぬりえ本は初めて見ました。
見開きの1ページ目は1本の色鉛筆で白地になっている部分をぬり、サンプルで紹介している絵は、3本の色鉛筆をつかって塗る様になっています。最後の見開きページは、絵の部分が全て白になっていますので、その部分を塗るようになっています。簡単な色ぬりえから始めて、段々にぬりえに慣れていくという構成がとられています。
どの本も、子どもたちにぬりえを楽しんでもらいたいと願って制作されているのがわかるハンガリーのぬりえ本でした。
来年も珍しいぬりえ本をご紹介していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。
ハンガリーのぬりえをご紹介いたします。
12月ですので、最初にクリスマスのぬりえ本をご紹介いたします。
右ページにぬりえがあり、左ページにはその絵の物語のようなものが書かれています。
絵は手描きで書かれています。手書きで絵の物語が描かれているぬりえ本は、他にもあります。
2つ目のぬりえ本は、ぬりえの他に迷路や印に描かれた色でぬっていくぬりえ、その他指示により数を学ぶ等のアクティビティーがついてぬりえ本です。1つ目の本より、絵のタッチがモダンなぬりえ本です。
どの本も、子どもたちにぬりえを楽しんでもらいたいと願って制作されているのがわかるハンガリーのぬりえ本でした。
3つ目はアニメーションと思われる猫とおじいさんの物語のぬりえです。ぬりえの中にシールが入っています。大変お洒落なアニメーションの絵です。
4つ目のぬりえ本は、背景に色がぬってあるという珍しいぬりえ本で、このようなぬりえ本は初めて見ました。
見開きの1ページ目は1本の色鉛筆で白地になっている部分をぬり、サンプルで紹介している絵は、3本の色鉛筆をつかって塗る様になっています。最後の見開きページは、絵の部分が全て白になっていますので、その部分を塗るようになっています。簡単な色ぬりえから始めて、段々にぬりえに慣れていくという構成がとられています。
どの本も、子どもたちにぬりえを楽しんでもらいたいと願って制作されているのがわかるハンガリーのぬりえ本でした。
来年も珍しいぬりえ本をご紹介していきますので、引き続きよろしくお願いいたします。
Posted: Nurie : 14年08月16日 |
祝 きいち生誕100年
「これからも いつまでも」
第二弾
平成26年8月2日(土)~10月26日(日)
蔦谷喜一の生誕100年を祝いまして、春の企画展に引き続きまして「これからも いつまでも」第二弾と題しまして、戦前の「フジヲ」時代のぬりえから「きいち」時代のぬりえときせかえ、そして晩年に喜一が描いておりました絹本に描かれた童女画や美人画などを展示し、きいちの描く世界観を堪能していただきたいと思っております。
ぬりえ美術館では、きいちのぬりえを通して、ぬりえの魅力、価値を伝えて参りたいと思っております。ぬりえは、子どもの心を育む遊びであり、子どもにとって大切な「こころの宝物」です。これからも日本の文化の一つとして、日本のぬりえ文化を育てていきたいと思っております。
今後ともきいちのぬりえのご支援をよろしくお願いいたします。
1.きいちプロフィール
本名は、蔦谷喜一。大正3年(1914年)に東京は京橋区新佃に、紙問屋の五男、九人兄弟の七番目として生まれました。新聞社に紙を納める紙問屋の息子として、何不自由なく育ちます。流行のファッションに身をつつみ、築地のお隣の銀座を闊歩するモダンボーイでした。
昭和6年。17歳の頃、帝展に出展されていた山川秀峰の「素踊」をみて、自分の夢をハッキリと自覚するようになり、川端画学校で日本画を習い、クロッキー研究所で裸婦デッサンなどを勉強します。
昭和15年。26歳。川端画学校の友人の勧めでぬりえの仕事を持ってきました。歌舞伎が好きだったきいちは、歌舞伎をテーマにしたぬりえや美人画のようなぬりえを描き、人気となっていきました。
戦争になり、中断。
戦後の1年は築地に駐留していた米兵の恋人や奥さんの肖像画を、掛け軸に描く仕事をしていました。100枚くらい描いたそうです。日本画の絹本(絹の上に描く)を学んだきいちは、米兵の持参したパラシュート(素材は絹)の上に肖像画を描いたそうです。きいちの絵がバタ臭いといわれますが、この頃の影響と思われます。
昭和22年より本名の「きいち」でぬりえを再び開始し、爆発的な人気となっていきました。最初はバラ売りでしたが、袋入りとなり、きいちのぬりえは、毎月100万袋、ピーク時には160万、220万袋も売れるほどの人気を誇りました。
昭和40年頃、ご成婚や東京オリンピックなどで一般家庭にテレビが普及するようになり、「ぬりえは古臭いもの」として廃れていきました。
昭和53年(1978年)、資生堂の銀座のギャラリー「ザ・ギンザ アート・スペース」で、きいちのぬりえの展覧会が開催され、「第二次きいちブーム」が起こることになりました。それ以降、コマーシャル等に使われるなどして、きいちの人気は現在に続いています。
平成17年(2005年、91歳で逝去。生涯現役で絵を描いていたきいちでした。
2.今回の展示物のご紹介
きいちは元々美人画を学んでおりましたので、美人画家になりたかったと思いますが、戦後の混乱期に戦前にアルバイト的にやっていたぬりえを生活のために始めました。昭和40年代になり、ぬりえが売れなくなり、描けなくなったときも美人画を描けばいいと思ったそうです。
しかし20数年の間ぬりえの少女を描いていたきいちのイメージは「ぬりえ」にありました。そのため日本の伝統的な少女を中心的なテーマとした童女画を描き、美人画は時々描くという生活をしておりました。
絹本に描かれた童女画として、「シンデレラ」、「花嫁」、「てるてるぼうず」を展示しています。「シンデレラ」は、ぬりえ美術館の開館に際しましてきいちよりプレゼントされた絵でございます。ぬりえの美術館であるからと、彩色をしていない白黒の色彩で描いてあります。
「花嫁」は、小学館発行の「わたしのきいち」の中にも同じテーマの「花嫁」がございます。昭和20~30年代のぬりえ全盛の時代、少女の憧れは花嫁さんでしたから、このテーマの絵を再度取り上げたのでしょう。
美人画では、歌舞伎の創始者といわれる御国を描いた「出雲の阿国」を展示しています。
紙本では、舞踊、鏡獅子の「弥生」を描いた美人画を展示しています。歌舞伎や日本舞踊が好きであったきいちには、格好の題材であったと思います。
ぬりえ美術館では、「これからも いつまでも」きいちのぬりえの可愛らしさをお伝えしていきたいと思っております。(館)
『海外ぬりえ』 研究室 No.34 今月は、インドネシア編です。
今月は、インドネシアのぬりえ本をご紹介いたします。前回は2012年8月に紹介をしています。
1と2は、人物、植物、車などの物とその名前のぬりえになっています。子ども達が名前や分類を覚える際に、絵を使って塗りながら覚えていくための本のようです。
3は、インドネシアのそれぞれの地方の建物のぬりえになっています。大きな国であり、又沢山の島々からなるインドネシアは、その地方によって建物に特長があるようです。
ぬりえ美術館の館内に展示している海外のぬりえの中にもインドネシアのぬりえ本がありますが、同じように地方の独特の建物と服装の特長を表したぬりえ本です。
子どもたちが自分の国を理解するために良い本と思います。
4.インドネシアの景色や伝統舞踊などを描いたぬりえ本です。左には色見本のページがついています。絵の勉強にもなりそうです。
5.ピカチュウ、ポパイ、クレヨンしんちゃんなどが描かれたこの本は、それぞれのキャラクターをどの様に描いていったらよいかを教えるハウツー本になっています。
今回ご紹介した本は、現地の本屋さんで購入したものですが、いずれも薄いタイプのぬりえ本でした。
ジャカルタにある日系の本屋さんでは、日本のアニメのぬりえ本が大変好評とお聞きしました。テレビの影響が大きいようです。
それぞれの国に特長のあるぬりえ本があって、面白いですね。
来月はブラジルのぬりえ本をご紹介いたします。(館)
『すいかがとれた』
年 代 : 昭和30年代
作 者 : きいち
大きな麦わら帽子をかぶり、大きな西瓜の収穫のお手伝いをする少女。たっぷり果汁が入って重そうですね。三時のおやつには、甘い西瓜を食べることでしょう。
メディア掲載情報
●6月17日付 岐阜新聞の"くらし-楽しみ"のコーナーにデコぬりえ®が紹介されました。
【展示室のご案内】
●祝きいち生誕100年「これからもいつまでも」第2弾を開催しています。
。
今年も暑い夏となりそうですが、夏のお祭りや旅行などイベントの計画は進んでいますか。いつもと違う事をする、違う世界にいることは、とても良い気分転換になることでしょう。
ぬりえのこころ -今月の一枚-
館内に入ってスグ目に留まるぬりえは、その時々の季節のものや テーマを設けて月毎に展示しています。このコーナーでは、月替わりのエントランスのぬりえから1枚を選んでご紹介します。
タイトル:かわいいきんぎょ
作 者:きいち
年 代:昭30年代
8月のエントランスは、夏の子どもたちをテーマのぬりえを展示しています。
夏と言えば、金魚!が浮かびます。
夏になるとどこの家でもガラスの金魚鉢に金魚を入れて飼っていたものです。埼玉の田舎や東京にでてきてからも、夏の時期には、金魚をいれた竿をかついで、金魚屋さんが売りにきてもいました。
その金魚屋さんが売り歩くときには、「きんぎょーえー、きんぎょー」という独特の売り声をかけて、町内を売り歩いていました。その売り声を聞けば、あ~、夏が来たのだな、と感じることができました。
縁日では、金魚すくいがあり、子どもたちの人気の屋台だったと思います。丸い枠に薄い紙をはったポイと呼ばれる金魚すくいをもって、ポイの紙を破らずに、何匹の金魚が取れるか競います。 不器用な私が、どういう訳か金魚すくいは得意で、何匹も金魚をすくうことができたので、よく金魚すくいを覚えているのかもしれません。
当時は、着物をよく着ていました。昭和30年代に高度成長で景気が良くなってきたためか、着物が流行したようです。そのため、夏の盆踊りなどは、皆さんが浴衣姿で踊りを踊ったり、見物客の人たちも浴衣姿が見られました。私も、お祭りには半纏や浴衣で山車を引いたりしていましたが、祖母が作ってくれた絽の着物には、大きな金魚が描かれていました。他の子どもたちの着物にも、夏というと金魚がよく描かれていたものです。
赤い金魚、可愛いですね。(館)