2007年02月08日

1)ハノイの道路

夜遅くベトナムの首都ハノイ・ノイバイ空港に着き、タクシーで市内中心地に入ると、そこはひっきりなしに走るオートバイと、それらが鳴らす騒音クラクションによって、東南アジアの国に来たのだと、改めて実感する。

翌朝、ホテル12階の部屋から見下ろす道路は、蟻のような黒い集団が、蛇のようにうねり重なり移動している。
センターライン無視のオートバイ大集団と、その間に挟まれた車とが、列をなしていない雑然とした整然さを保って、クラクションの騒音と共に交差点を曲がっていく。
ふと、以前、皇居を参観したときを思い出す。もう大分前だったが、皇居前広場に日本人も外国人も整然と四列に並ばせられ、皇宮警察官に引率され、桔梗門から皇居内に入っていった。四列が少しでも乱れると、すぐに注意される。整列歩行は小学校の遠足以来であったが、ここハノイは皇居参観と正反対で、交通ルール無視の運転と騒音が道路を流れていく。

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2)ベトナム人はいつも不満足なのだろうかと思う。

1975年4月30日にサイゴンが没落し、ベトナム戦争に勝利し終結させ、その後の経済発展によって、食べるものも、着るものも豊かになり、各家庭にはテレビもあり、水洗トイレも常備されたが、まだ何かが足りないのだろう。

本来ならば、東京の交差点のように、すべての人が信号を守る整然さの方がよいと知りつつも、ハノイで展開されているのは、市民全員参加による交通ルール無視である。また、その仲間に率先して同調していかなければ、ハノイの道路を走ることができないという鬱積不満、それが道路上に溢れ、クラクションと共にホテルの部屋まで上ってくるのだ。

旅行者がホテルを一歩でも離れれば、そこは一大危険地帯となる。だが、この危険と戦わなければ、ハノイでは街中への買い物も、公園への散歩にも行けない。
本来、人間のために造られた道路なのに、今や交差点に地雷が埋まっているかのように、左右前後を注意深く観察し、信号を見つめ身構え、青になったら向こう側に、一直線に走る。とにかく一秒でも早く向こう側の歩道にたどり着くこと。オリンピック百メートル競走のように、スタートダッシュが命運を分けるのだ、とばかりに息を切らせる走りが要求される。
しかし、激流を走るバイクも見事なもので、息を切らせる自分の前と後ろを、掠るかのようなハンドル捌きで走っていく。ようやく無事向こう岸の歩道にたどり着き、改めて背後を振り返ると、そこはバイクの群林がどこまでも続いている。ハノイの交差点通行は恐怖である。

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3)道路を渡るときは走ってはいけない

たがしかし、しばらく滞在すると、交差点を一直線に走る行動は、逆に危険行動だと知ることになる。地元の人は誰も走らない。いつもの普通に歩く速度、公園を散歩しているかのように、オートバイと車が渾然一体と走っている道路、その激流の中を悠々と歩く。右左は見ない。前を見るだけ。全くの自然体で歩くのだ。

そのことに気づいたのはハノイに来て、もう何回も交差点を走った後のこと。地元の人と一緒に交差点に入った時、地元の女性はゆっくり手を振りいつもの歩き方。こちらは眉間に皴を刻んで走ろうとしたとき「走ってはいけない」と、鋭い甲高い声で注意された。「ドライバーが戸惑う」という。
バイクは歩く人の速度を眼で測って予測し、自らのスピードを調整し交差点に入ってくる。一般の人が歩くであろう速さを、暗黙体感知で認識しハンドルを操作しているのだ。
その暗黙体感知時に、予測しない人間の行動、それは外国人が前後左右を見て一直線に交差点内を走るということだが、それが予測知に入っていないので、一瞬ドライバーは戸惑い、結果的に人間対オートバイの衝突になりやすいのだという。
だから、怖いけれど、オートバイが眼の前やすぐ後ろを掠め通っても、ドライバーからは、こちらに接触してこないのだから、オートバイを見つめることなく「ゆっくりと、ゆったりと歩くことだ」と、渡りきった歩道で、地元住民から懇々と注意されることになる。
しかし、その教えがあっても、走ってくるバイクの大群は、今までのどこの国でも経験したことがなく、外国人にとっては恐ろしい。ハノイの交差点は命がけである。

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4)ハノイの女性はスカートが少ない

ハノイの街は樹木が多い。それも何百年も経った巨大なものが多く、それが続く並木道は美しい。また、市内各所に湖が多く散在し、それが景観に落ち着きを加えている。
その湖面に映る、鬱蒼とした樹木並木の歩道を歩いていると、ここはヨーロッパの保養高原都市かとも思うほど素晴らしい。だが、眼を車道に転ずれば、そこは騒音と排気ガスと埃の塊が人間を襲ってきて、多くの人は顔を覆ったマスクで、仮面ライダーのような服装をしている。

更に気がつくのは、女性のスカート姿が皆無ということである。一週間滞在したが、教会の前で見た、結婚式を挙げた花嫁のウェディングドレス姿だけが、かろうじてスカートといえるものであった。後は全てと言っても過言でないほどスラックス姿、それもジーンズが圧倒的である。市内の交通手段はオートバイであるし、バスは50人乗りに100人は乗るといわれる厳しい交通事情、スカートでは難しいのだろう。

スカート姿は絶無であるが、マスクを取ったハノイの女性は美しくやさしく親切である。レストランに行けば、多くの若い男女がサービスを担当している。メニューを持ってきて、お絞りを差し出してくれる若い女性の笑顔は、特に素晴らしいので、つい、離しかけてしまう。話のきっかけは胸元のネーム表示である。
ベトナム文字はフランス式の「クォク・グー」と呼ばれるローマ字が用いられているので、フランス語のように文字に点とか線がついていて、読む発音が難しい。その難しい発音で綴られている名前を、胸元表示からたどだとしく読むと、にこっと笑い、こちらには発声できない口の中に含み母音を持った、綺麗な発音で自分の名前を教えてくれる。
こちらも再び耳に入った発音で答えると、更に笑って、いつの間にか周りに集まった若い男女が、メニューから注文を取るのも忘れて、一斉に発音の練習をしてくれる。誠に気持が明るいハノイの若さである。

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5)ベトナムの料理

ベトナム料理は中華料理の影響を受けているが、さほど脂こさはなく、激辛味の少ないマイルドな味で、生野菜やハーブを使ったものが多いので、身体によさそうな感じがして食欲が進む。特にハノイは米麺のフォーが本場で、毎日食べても飽きない美味さである。

そのベトナム料理を楽しむため、毎日レストランに通うことになった。ホテルのコンシェルジェが紹介してくれるレストラン、どこでも共通しているのが、若い女性の笑顔によるサービスである。だが、そのサービスマナーに驚くことも多い。
気持は素直でやさしく、制服を着たかわいい笑顔から想像できないサービスマナー、例えば、鍋料理は薬膳料理でもあるのでよく食べたが、テーブル上で鍋が沸騰すると走ってきて、鍋の蓋をとり、鍋の中に魚や肉を入れてくれる。
問題は、そのとった鍋の蓋をどこに置くかである。こちらのテーブル上は魚や肉や野菜の大皿が並んでいっぱいだから、蓋を置くスペースがない。
隣のテーブルは、フランス人とガイドらしきベトナム女性の四人、先ほどから米のご飯の上に肉や野菜を載せたものを食べている。まだテーブル上にはスペースがある。そのスペースを横目で確認したかわいい笑顔の若いサービス係りは、鍋からとった蓋を隣のテーブル上に、黙って突然に置く。
ギョッとして隣のフランス人男女とガイドを見ると、さすがに驚いたらしく蓋とこちらの顔を交互に見つめる。だが、かわいい笑顔の若いサービス係りは平然と何事もなかったように、鍋の中に入れた具をかき混ぜると、隣のテーブルから再び蓋をとり、こちらの鍋に載せる。隣のテーブル上には、蓋が今まであったことを証明するかのように、鍋蓋の湿気が残した濡れた状態が残る。だが、それを拭こうとはしない。気づかないのだ。
レストランの接客応対サービスは、訓練されていないと思う。

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7)ハノイの家庭訪問

ぬりえが未体験の一人、ハノイの中心街に住む1971年生まれの女性を訪問した。子どもは12歳の女の子と、4歳の男の子。
ハノイの中心部にある住居の多くは、表通りから入った路地に混在している。この女性の家も、幅1.5メートルくらいの細い路地を、奥に右左に曲がり入り、最後は一軒の家の入り口で路地が終わる手前の左側、向かいの家のドアには、子猫が首を紐で縛られて羨ましげに歩く人間を眺めている。その子猫が繋がれているドア前の家が、訪問予定の家である。

女性の家の入り口は、鉄製の開き格子で鍵がかかって閉じられている。その閉まっている鉄格子の片隅にあるベルを押すと、しばらくして眼鏡を掛けた女性が、鉄格子ともう一つの木製ドアを開けて顔を出し、中に招じ入れてくれる。
1階がキッチンと居間。一番奥にキッチンがあり、その左側に階段がある。家は5階建である。敷地は狭い。日本の1DKアパート程度のスペースに、5階まで建築してある。2階は長男の部屋、3階は両親ベッドルーム、4階は12歳の長女の部屋、5階は仏壇部屋だと説明受ける。
細長い階段には窓がないので日当たりはないだろう。両隣の家も壁同士が接する建て方で、同様の5階建てである。
招じ入れられた1階の居間とキッチンには、天井からテレビが吊り下がっていて、その前に食事するであろうテーブルがあり、その一つに座るよう指示される。
テーブルのすぐ横には、ホンダのオートバイと自転車が置かれている。つまり、1階は車庫も兼ねているのだ。食器棚の壁面に、親と子どもの写真が引き伸ばして張ってある。
飾りはあまりない。しかし、フランス・トウルーズに近いガイヤックで訪れた農家、招じ入れられた居間にビックリしたことがある。シャープのテレビとクーラーとテーブルと椅子だけのシンプルさ。飾りが全くなかった。

それに比較すれば、この居間はいろいろ揃っている。だが、食事するすぐとなりにオートバイと自転車があることには、ちょっと抵抗感がある。しかし、これは仕方ない。道路にあれだけオートバイが走っているのだから、どの家庭でもオートバイは所有しているはずで、それを保管する車庫は土地が狭いので持てない。したがって家の中に置くことになり、それは道路と同じ高さの1階になるから、居間とオートバイが同居してもやむをえないのだ。
座った椅子とテーブルも簡易なもので、ゆっくり寛ぐという雰囲気ではないが、これがベトナムの首都ハノイでの一軒家の実態である。

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8)ぬりえは知らない

さて、この女性にいろいろ聞いてみた、まず、アンケートで一番気がついたこと、それは親がぬりえをしていないことであるが、その理由を女性に尋ねてみたところ「ぬりえはなかった。遊びは道でレンガと泥遊びだった。男の子と同じ遊びだった」との回答。つまり、貧しかったのでぬりえは周りに存在しなかったという。

ぬりえは世界のどの国でも、昔からあるものと考えていたので、正直ビックリする。貧しい国ではぬりえは存在しないのだ。

しかし、この女性の答えを、改めて考えてみれば当たり前のことである。紙がないとぬりえにならない。食べるものに不自由する国の経済状態では、ぬりえなぞに紙を使うのは贅沢で、ぬりえを知らないままに育つのだ。

その経済状態が大変だったのはベトナム戦争が続いたためなのか、という次の質問には「いや違う。自分の母も、ぬりえの存在を知らなかったはず」と補足してくれる。戦争という特殊事情ではなく、国の経済状態がぬりえを発生させない、ということを語ってくれる。貧しさはぬりえを発生させない、という事実をハノイで知ることになった。

しかし、今は経済的に豊かになって、子どもが保育園に行くようになって、保育園で始めてぬりえという存在を知り、自分も子どもと一緒にぬりえをしてみて、これほど楽しいものはないと思ったという。ぬりえを好きになったともいう。他の事を忘れて集中できることが素晴らしいともいう。

長女は大きくなって、ぬりえを塗る機会がなくなったが、4歳の男の子は魚が大好きで、魚のぬりえを毎日塗っている。
子どもがぬりえを塗る時間帯は、家族4人で夕食した後の時間。朝は7時半に家を出て8時に保育園に預ける。子どもは朝食・昼食を保育園で食べ、帰りは5時に迎えにいく。主人は6時に仕事から戻るのでみんなで夕食する。つまり、夜に全員が一室に揃うので、寝る前には絵本を読んであげるし、一緒にぬりえもする。
12歳の女の子はドラえもんマンガが大好きで、最も行ってみたい国は日本だという。理由はドラえもんの国だからと答える。

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9)他の親もぬりえを知らない

次にお会いしたのは旅行社のオフィス。この会社のマネージャーの女性35歳。事務所は、やはり交差点に面する路地を入っていった奥にある。火事のときに消防車は入れないと思いつつ、事務所の前にたどり着く。

途中でドアが開いていた家があったので中を見ると、入ってすぐ右側にトイレ、その奥はタイル張りの部屋で薄い敷物があり、その先に家具があり、その上にテレビがあって、子どもが一人テレビを見ている。手前のトイレは母親らしき人物が屈んで掃除している。

マネージャーの女性、顔色があまりよくない。忙しいという。この人もぬりえをしたことがない。貧乏だったし幼稚園にも行かなかった。マンガもアニメもなかった。遊びは家にあるもので遊んだ。茶碗とかレンガとか土で。周りもそうだし父母もその前の父母もずっとそのようだと思う。
子どもが生まれ仕事を辞め、子どもと一緒にマンガ、アニメを見るようになってぬりえを始めて知った。それまで知らなかった。子どもは5歳半と3歳、女の子。上の子はぬりえが大好き。絵も好き。家族揃って夕食した後、絵本を読んだりぬりえをする。主人が子どもと遊んでくれる。主人は物理の先生で仙台に二年間留学したことがある。幼稚園と保育園で朝食・昼食が出る。朝は母親が送り、帰りは父親が迎えに行く。子どもにぬりえを教えたが自分では今でも塗ったことがない。よく描けたぬりえは壁に貼るが、だめな場合は捨てる。長女は毎日描いている。
ぬりえを塗ったことはないが、子どもが塗るぬりえと絵を見ていると、子どもの心理がわかってくるという。キチンと描いているか、雑な描き方か。描き方でその時の状況がわかる。色は黄色が好きなので、気分よい時は黄色が多い。暗い色の時は沈んでいる時だ。
シンガポールで68色の色鉛筆を買ってきて、これを使っている。母の日とか、先生の日とか、妹の誕生日とかにはケーキと花の絵を描いてプレゼントしてくれる。また、今日は人形を描くと明日はそこに花を加え、次の日は魚を加えるというように毎日工夫している。

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10)こどもは誉めてはいけない

ところで、ベトナムには大変なマナータブーがあるらしいことを聞いてしまった。ベトナムでは子ども誉めてはいけないらしい。誉めるとよくないことが起きるといわれている。田舎に行くと名前も綺麗なものはつけない。つまり、かわいいと言ってはいけないのだ。

その理由は、昔は医学が進歩していなかったので、子どもが亡くなることが多く、昔の人々は神様がそうさせるのだと思い込み、神様に怒られるようなことはしないようにする風習が発したことから、子どもを誉めないことになったと、この女性マネージャーが説明してくれる。
しかし、今は医学が進歩し病気は少ないのだから、良いこと行った子どもは誉め、かわいい子どもはかわいいというのが自然であるので、今後はこのような迷信は消えていくだろうという。世界には異なった風習があるものだと、改めてベトナムで感心する。

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11)出版社もぬりえはなかったという

ハノイの中心街にある出版社へ行く。文化情報出版社。ここの女性編集部長にお会いする。ベトナムではぬりえを教育用として考える傾向が強いという。年齢別のぬりえブック、これはぬりえ専用でなく、字と絵の勉強もかねているものだが、これを出版している。

ここでも親がぬりえをしなかった理由を聞いてみる。女性編集部長の回答は「ぬりえが出始めたのはここ5年から7年前あたりで、それまでぬりえはなかった。この出版社でもぬりえを始めたのは2002年からである。だから親の両親世代もぬりえを知らないだろうし、今でも少数民族は知らないだろう」という回答である。

次にぬりえ作家に会う。見たところ20歳代の若さだが、実際は30歳。この仕事は2002年からしている。工業美術大学卒業して子どもの新聞の仕事からこの出版社へ就職し、合間に幼稚園で絵を教え、その学習ブックも作っている。作り方はまず手書きし、それからパソコンで描く。
ぬりえブックは一冊3500ドン(27円)と、12000ドン(93円)の二冊出版しているが、12000ドンの方は高いのであまり売れない。
家には3歳の男の子と、9ヶ月の女の子がいる。この作家もぬりえはしなかったという。絵は描いたが、地面に描いて遊んだという。
今思うと1998年に始めてぬりえを見たと思う。家庭教師をしていて、その家はフランス人と交際があり、外国からきたと思うがぬりえがあった。幼稚園でぬりえをするようになったのは2002年頃と思うと話してくれた。

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12)だが、ぬりえはベトナムに存在した

ハノイの郊外で、新しく開発された地区の幼稚園に伺った。2000年に開園した3歳から5歳の子どもが210人の私立幼稚園。
建物は4階。1階から3階が教室。4階は食堂。園長は教育省に勤務し、世界の各国を視察したことがある人物。

開園は朝8時から5時まで。朝食、昼食、昼寝まで行う。ベトナムでは共働きが殆どだから、長時間の預かりをすることになる。この間に基本的な躾を教えることが目的で、ぬりえは随時させている。ぬりえの効果はカラーの選択力、描き方の訓練、運筆力を養い、創造性を豊かにし、気持も豊かにさせることが出来ると考えている。

いろいろお伺いしている中で、ベトナムでは昔はぬりえがなかったことを再確認の意味で質問したところ、園長と同席の主任が「自分は子ども時代にぬりえした」との発言があった。親から本屋で買ってもらったという。色鉛筆は六色しかなかったが、ぬりえで遊んだという。ベトナムにも他の国と同様、ぬりえは存在したのだ。

この園長と主任と、今までインタビューした親とでは、多分、経済力が違っていたのだと思う。ぬりえはベトナムに存在し、それを金持ちの親を持つ子どもは買ってもらったのだ。ベトナムの中で少数派ではあるが、豊かな層はぬりえを経験していた。
貧乏層と地方の人はぬりえに関係がなしなかったのだと思う。

ここでようやく結論が出た。ぬりえは人類の歴史とともにある。色を塗るのは人間の本質。国がいくら貧しくても、ぬりえはあるし、そのぬりえを使った人はいる。ぬりえは世界中に子どもがいればあるものだということを考えていると、突然、園長が「私のように絵が描けない人は、ぬりえで描くと絵になる」と発言したので、日本の大人のぬりえブームについて解説すると甚く同感される。

次に幼稚園内部を見学させてもらう。各教室の子ども達は穏やかに椅子に座って先生の話を聞いている。服装も揃っている。躾がよさそうだ。設備も整っている。ヨーロッパか日本の幼稚園のようだ。
子ども達は3歳から英語を勉強しているといい、イギリスから買ったテレビのスライドでABCを声合わせて歌っている。それらを見ていると、とてもベトナムと思えない。 世界のどこに出しても一流と思える幼稚園だ。

しかし、この素晴らしい幼稚園を一歩道路に出ると、そこはオートバイと騒音の混雑世界。その格差がすごい。それがベトナムである。

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13)ぬりえは本能

人間は色彩感覚を本能的に持っている。また、その本能的色彩感覚で色を選び、対象物を選び塗っていく。
さらに、その対象物を限定しない。目の前にある白い紙、新聞紙、雑誌、広告チラシ、襖、障子、壁、幼児期ではいたるところに関心もって色を塗っていく。

色を塗ることは人間の本能であるから、当たり前の如く、対象物があれば色を塗り始める。色を塗ることで人間であることを証明しているようなものだ。
だから、ぬりえをするという行動も、人間の本能行動の一種である。
 
したがって、経済的に難しい環境下である場合に、紙のぬりえというものに接し得なく、ぬりえ遊びをしていないようであるが、本能によって、ぬりえに替わる何かをしているはずである。
ベトナムで出会った親、子ども時代にぬりえはしなかったが、地面に絵を描き、それにカラーレンガや石を載せて遊んだという。
これも立派なぬりえ遊びであると思う。

ぬりえは人間の本能に存在するものであるから、ぬりえはどこにでも存在しているものだ。

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